取材者情報
- お名前
- 小玉 宏(こだま ひろし)
- 出身地・前住所
- 出身地:宮崎県宮崎市
前住地:大分県大分市
- 現住所
- 国東市
- 年齢
- 50歳
- 家族構成
- 妻、息子
- 職業
- 講演家、筆文字詩人、農家
中学校教諭という肩書きを一度下ろし、講演家・筆文字詩人・農家というまったく別の畑に飛び込んだ小玉さん。ネット上で教え子と再会したことをきっかけに新しい生き方を歩み始め、国東市に移住されました。地域の仕事を率先して引き受け、今やすっかり地域に溶け込み日々を笑顔で過ごされている小玉さんに、安定した仕事を辞めて切り拓いた現在の活動や、自然農を取り入れた「たまちゃんファーム」についてもお聞きしつつ、地域との関係性をどのように築いていったのか、お話を伺いました。
人のために生きる喜びを教えられた教え子の存在。
宮崎県出身の小玉さんは、以前は公立中学校で理科の教員をされていました。18年間教壇に立ち、その後は指導主事として教育委員会に勤められたそうです。そんな小玉さんは、教育現場で働く傍ら、個人でも筆文字詩人や講演家として活動されていたのだとか。
小玉:本や文章を読むのが好きで、目にした素敵な言葉を集めていた時、素敵な筆文字を見つけて、『こんな字が書けたらいいな』と思うようになりました。
その筆文字を書いている人に会いに行き、どうしたら素敵な字が書けるようになるかを相談したところ、「頭で考えるよりもとにかく数稽古。まずは千枚書きなさい」と言われ、その言葉を信じて千枚、二千枚と書き続けました。しかし、書けば書くほど下手になっていくように感じるばかりで一向に芽が出ず、諦めかけた時期もあったのだとか。そんな時に、偶然にもSNSで繋がった教え子との再会が、人生の転機となりました。
小玉:がむしゃらに突っ走っていた教員時代の教え子とネットで再会して、一気に300人くらいと繋がったんです。彼らとやりとりをするうちにすごく励まされて、その子たちに何かプレゼントをしたいと思ったんですよね。それで、『なまえのうた』と名付けて彼らの名前を頭文字に筆文字でメッセージを書いてプレゼントしました。そうしたらたいへん喜んでくれたことが自分にとっては衝撃だったんですよね。
自分では下手くそだと思っていた筆文字メッセージ。受け取った教え子たちは、文字自体ではなく、『なまえのうた』に込められた「こんな人生を歩んでほしい」という気持ちそのものを喜んでくれた。字を褒められるよりも、メッセージに心が救われたと言われることが何倍も嬉しく、「人を喜ばせるために生きていこう」と思うようになった、と語る小玉さん。これが大きな転機となり、自分の文字だけでなく生き方も変わったのだそうです。
それからというものの、教え子以外からも筆文字メッセージを書いて欲しいと頼まれたり、会って話を聞きたいと連絡をもらったりすることが増えていったそうです。指導主事という仕事柄、すべて無報酬。交通費などももちろん自費で、全国各地に赴きました。しかし、指導主事として勤務しながら活動を続けることは難しく、ついに仕事を辞めることを決意。講演家・筆文字詩人としての活動が本格的にスタートしました。
国東市の役場の雰囲気に惹かれて。
小玉さんが国東市を知ったきっかけは、あるファンの方の一言だったそうです。
小玉:熱心なファンの方が島根県にいらして、毎月のように講演会を開いて私を招いてくれました。その方に『いっその事、こっちに住んでほしい』と冗談交じりに言われたんです。地域によっては軽自動車1台分くらいの値段で家が購入できることなどを教えてもらい、驚きました。早速ネットで安い古民家がないか探してみると、たまたま国東市に40万円の物件が出てきてびっくり。そこで、まずは見に行ってみようと国東市に来たことがきっかけでした。
国東市を訪れてみると、市役所の対応やイメージがすごく良かったそうです。当時はまだ移住や田舎暮らしが今ほどには注目されていない時期だったんですが、国東市のホームページは他地域と比べて空き家バンクの情報や移住者の声が充実しており、熱心さを感じた小玉さん。役場の雰囲気が良いなら、町の雰囲気も良いのではないかと思い、移住を決たそうです。
空き家バンクで明治2年築の古民家との出会い
ネットで見つけた40万円の物件は条件に合わなかったものの、国東市内で自分たちの理想の家と巡り合えたという小玉さん。明治2年に建てられた築150年ほどの古民家は、部屋数も多くとても立派なつくりで、かつては人がたくさん集まって賑わっていた、今で言うサロンのような役割を果たしていた家だったのだとか。立地こそ良かったものの、来た当初はあちこちに傷みが見られ、改修が必要な状態だったそうです。
小玉:床はトランポリンみたいにふわふわしていたし、天井は雨漏りでところどころ抜け落ちていて、すぐに住める状態ではなかったので、『ここに住もう』と言ったら妻はびっくりしていました(笑)。でも、家や土地の雰囲気がとても良くて、一目見て「ここだ!」と思いました。家主さんもとても優しく親切な方で、好きなようにリフォームしていいですよ、と言ってくれて、妻と協力して住みやすいように少しずつ手を入れていきました。
自然農で始めた農家の道。背中を押してくれたのは地域の存在。
空き家バンクで取り扱われる物件の中には田や畑などの農地が付いており、“農家”として就農している人でないと購入できない場合があります。小玉さんが出会った古民家も農地がついていたため、それならば「米作りからやってみよう」と決意し、知識や経験はなかったものの、自然農を取り入れて農業を始めるようになったのだとか。
小玉さん夫妻は現在「たまちゃんファーム」として、無農薬・無除草剤・無肥料でお米やニンニク等を栽培し、販売を行っています。農業に加え、国東市のグリーンツーリズムに参加し、中学生を受け入れて農業宿泊体験学習を行うなど、農家民泊にも取り組んでいます。
自然農というと、農薬や肥料を使わず、自然を模した環境の中で作物が持つ生命力を生かして栽培する農のあり方と言われています。ただ、農薬を使わないため除草作業などの手間もかかるし、肥料を使わない分、収穫量は通常の半分~3分の1ほどになるそうです。
小玉:自然農で農業をされる方は、雑草や虫の影響もあって、周囲との折り合いがつかずに続かないという話を聞いたことがあります。ですが、この地域では周りの方がみなさん応援してくださるんです。朝から晩まで2か月の間毎日田んぼの草取りをする妻の姿を見て、いつしか周りの方々がサポートしてくれるようになっていました。『あんたらがやりたい農業をやりなさい』と背中を押してくれたんですよね。私たちが自然農をできているのは、周囲の方々のおかげだと思っています。
休むことなくお米や野菜をお世話する姿を地域の方々はあたたかく見守り、自然農に取り組む小玉さん夫妻を受け入れてくれたのだそうです。そうして周囲から信頼を得ていったお二人は周りから頼られることも多くなり、地域の世話役や組合の仕事なども率先して引き受けるように。いつしか小玉さん夫妻は、この地域に欠かせない存在になっていました。
教育も農業も、目の前の命に向き合う仕事。
教員を経て農家となった小玉さんは、「教育と農業は同じ」だと話します。
小玉:自然農は雑草と向き合っていかなければならないのですが、雑草って単体では伸びないで枯れてしまうんですよ。教育現場でも『習熟度別授業』というのを取り入れた時代があったんですが、これがなかなか発展しませんでした。いろんな生徒が一つの教室に集まって、そこで初めてお互い伸びていくんです。不思議だけど、人も植物もひとりでは生きられないってことなんだと思います。
自分の命は自分だけで支えているのではないと気付いたという小玉さん。目の前のお米や野菜は、今日も誰かが種をまき、朝から草取りをして育ててくれた命かもしれないと思うようになったそうです。
最後に
小玉さんのお話はまるで一つの講演会を聞いているようで、話を聞き終える頃にはすっかり“たまちゃんワールド”に引き込まれてしまいました。生徒の前でも、そして国東と言う新天地を目の前にしても、それぞれの生き方に向き合う小玉さんだからこそ、周囲からのあたたかいサポートを得ることができたのだと感じました。「たまちゃんファーム」を拠点にこれからどんな旋風が巻き起こっていくのか、今後も楽しみです。
たまちゃんファーム
自然農(無農薬、無除草剤、無肥料)でお米やニンニクなどを栽培、販売しており、国東市観光協会のグリーンツーリズム事業に参加し、主に中高生を対象とした農業宿泊体験学習に取り組んでいる。