大分移住手帖

家族で移住し念願の自然栽培農家へ。国東の山村集落で暮らしを謳歌する「まるか三代目」の今。

Yufuko

国東市安岐(あき)町、朝来地区。国東山間部の谷間にある集落に上平さんご一家は9年前に移住しました。国東市が移住に力を入れ始めたころの、先駆け的存在です。移住当初は地域おこし協力隊と農業を同時にスタート。すっかり地域の人になられている上平さんご夫婦に、これまでとこれからについて伺いました。

ご主人:上平 将義さん(以下、将義さん)
奥さん:上平 扶砂子さん(以下、扶砂子さん) 

朝来地区の山村風景

サラリーマン時代に出会った農家さんがきっかけで、自然栽培に興味を持ち弟子入り。

東京生まれ、ご両親の引っ越しを機に埼玉で育った将義さん。父親の影響で幼少期からアウトドアに興味を持ち、高校卒業後はバイク屋で整備士として働きながら約8ヵ月かけてバイクで日本を1周しました。その後、デザイン事務所勤務を経て、埼玉県で農業研修を受け、平成25年に移住し、2年後に国東市で新規就農しました。あえて過疎化が進む限界集落で農業に挑戦し始めた経緯とはどのようなものだったのでしょうか。

栽培している野菜風景

将義さんは、当時スポーツメーカーの会社に勤務していた扶砂子さんと結婚後、埼玉の実家近くにオール電化の家を建て暮らしていました。広告代理店でデザイン業を担当していた将義さんですが、「仕事は地獄のようだった」と振り返ります。大きな組織の中では自分の考えは通りづらく、与えられた作業をこなす日々だったそうです。

溜まっていくストレスを解消してくれたのが、当時始めた「家庭菜園」。「当時はまだ30代と若かったのもあるけれど、土日は何かをしていないと仕事を頑張れなかった」と語ります。趣味で始めたものの、栽培方法などを調べたり実際に農家さんに話を聞くのが好きだった将義さんは、ある農家さんとの出会いを機に自然栽培を学ぶため弟子入りを申し出ました。

自身の畑を耕す将義さん

それまでに知っていた農業は土壌消毒をして、1年に5、6回まわすような農業だったそうですが、その農家さんは無肥料・無農薬で栽培する方法で全くやり方が異なっていたそうです。弟子入り後、多い時には週6日くらい通うこともあったそうです。

関東で開催されていた移住フェアへの参加を機に国東市と出会う。

農業を本格的にやってみたいと思い出し、色々な農地の候補を探っていきました。住まいのある埼玉は、農地があっても土地代が高く、現実には難しかったそうです。福島に行ったりもしていたそうですが、何かゆかりがあるところが良いとのことで、扶砂子さんの出身地である九州に絞ってみたそうです。移住に際しては埼玉のご両親の反対等もありましたが、将義さんの決意は固く、新たな道へ踏み出していきました。

地域の学生さんと触れ合う機会に

当時移住の下見には、竹田市、宇佐市、豊後高田市、中津市、国東市とまわられたそうですが、どこも物件は少なくて経年劣化のある家ばかりだったといいます。国東市との最初の出会いは移住フェア。国東市が初出展のときだったので職員さんにも気合が入っていたそうです。現在住んでいる朝来の家の斜め前くらいの家に住んでいる職員さんが担当で、国東市を見にいくことになりました。

「当時はまだ移住に関する支援や取組みも少なかったです。移住フェアに参加しても行政の方から紹介されるのは1軒だけという時代でした。職員さんがフットワーク軽くて、助かりましたね。当時、この家を借りていたのは大工さんでした。担当の行政職員さんがその大工さんにも繋いでくれて、家を見せてもらったんです。その時にここを改修するときには大工さんが手伝ってくれることと、市も補助を出してくれるという条件がそろいました。農地も一緒に準備してくれたので移住を決めました。」

国東の海に佇む息子さんと娘さん

地域おこし協力隊として、空き家バンクを充実させる取組みを発起。

移住してから2年ほどは地域おこし協力隊として活動していた将義さん。移住したい人がいても、物件がなければ選択肢にも入らないと考え、協力隊としての活動は移住物件の掘り起こしに専念しました。国東に130ある行政区のなかから空き家を探してはリストにし、所有者を割り出して手紙を出すという作業を繰り返したそうです。物件数がたくさん出てきたらメディアにも取り上げてもらえ、移住者は増えると信じて行動しました。

自然栽培農家「まるか三代目」としてデビュー。

収穫した秋ナス

自宅にて地域の方々と食事を囲む

地域おこし協力隊での実績も出てきた頃、もともとの目的であった自然栽培農家として本格的に新規就農した将義さん。屋号は「まるか三代目」。扶砂子さんの実家のお店とゆかりのある名前にしました。将義さんの畑は北と南に3反くらいずつ点在していて、野菜を10品目程度と椎茸栽培をしています。地域おこし協力隊の活動中から色々とつくってみて知り合いや友人に買ってもらっていたそうです。自然栽培にこだわり、無肥料・無農薬の安心安全な野菜をつくって提供しています。畑によって採れるものが異なり、気候によっても収穫量が変わるので栽培記録をつけて今年の作付けに活かしているそうです。野菜を待っていてくれるお客さんが喜んで食べてくれることがやりがいにつながっているそうです。

椎茸栽培の圃場

将義さん:農業は本当にうまくいかないところが面白いです。師匠が『13年やってきて初めてきれいなキャベツができた』と喜んでいたとき、とても感動しました。毎年1回ずつしかチャンスがないものなので、いつか『今年はいい出来だった』と満足する年があればいいなと思いますね。あと20回くらいしかできないかもしれないから。

扶砂子さん:本当によくやるなぁって思います。野菜がかわいいんでしょうね、風が吹けばネットをして、虫がついたら外してあげて、と子ども以上に手をかけています。ありがたいことに50人くらいのお客さんが待っていてくれるので、いつも野菜が足りないんです。

将義さん:好きじゃないとできないと思います。生き物を飼ってるようなものだから。ちょっと放っておいたらすぐだめになっちゃうのが野菜です。責任があるから頑張れるんですよね。

まるか三代目では、関東のお客様を中心にお野菜を定期便で送っています。関東で仕事をしている忙しい人ほど野菜を買う暇もなく、産地直送で安心できるお野菜の定期便はとても喜ばれているそうです。

強みを生かした農家民泊と加工品づくり。

農業を主軸としながらも、その後始めたのが農家民泊と加工品づくりです。妻の扶砂子さんはカリフォルニアに留学していた経験を持ち、英語が堪能なことも活かして海外の旅行者にも開かれた宿として営業してきました。これまでに国内外の色々な方に日本の田舎暮らしを体験してもらいました。

農業体験

ゲストからのお礼の手紙

自家栽培の大豆を使った味噌や収穫したカボスからつくった調味料なども販売しています。

手作りの味わい深い味噌

収穫したカボスを使ってつくった調味料。パッケージデザインは将義さん。

地元の方に協力してもらいつつ、夫婦で役割分担をして暮らしを作っていく。

現在住んでいる朝来地区は移住者受け入れの風土はあったそうです。上平さんご一家が初めて来たときに先輩移住者を紹介いただいて安心したとか。住むことになった民家は大がかりな改修が必要で、将義さんは息子さんを連れてひと足早く国東市に入り、地元の方の協力を仰ぎながら作業を進めました。扶砂子さんが来るまでは一刻の猶予もないほど忙しく、夫婦で役割を果たしながら息子さんの新学期にあわせて暮らせるよう準備を進めたそうです。

「家族で一緒に住み始める直前は、奥さんは1人で東京の家の片付けをして、僕は国東市の改装工事を担い、息子とテントを立てて泊まりながら作り変えたりしていましたキッチンをつくるのも、奥さんの意見を電話で聞きながら『まさかの対面キッチン希望かよ』などツッコミを入れながらも自分でできるところは自分で工事していきました。どうしても、息子は新学期にあわせて学校に入れたかったので急ピッチで進めましたね。」

屋根の修理風景

看板も手作り

国東に来たときは息子さんが小学校2年生、娘さんは3歳だったそうですが、現在息子さんは中学3年生、娘さんは小学5年生ですっかり大きくなりました。朝来の集落では近くの神社のお祭りが年4回くらいありますが、毎年参加しているそうです。

毎年開催される地区の祭

高齢化が進んでいる地域なので、近くに同じ年代の子どもがおらず、子どもたちの遊び相手がいないこと、また病院が遠いことが唯一の困り事だそうですが、暮らしとしての不都合は感じないそうです。国東市は空港が近いので今では格安航空会社の路線も増えたことで、関東の両親もよく会いに来ているそうです。

2020年4月に完成した離れの宿泊棟は元々ボロボロの納屋。これからの暮らし作りへ。

新築した宿泊棟

家族で仕上げ。

扶砂子さんお手製のお食事つき宿泊プランもある。

これからやっていきたいことは、長期滞在型の農業体験などの受け入れだという将義さん。目標は、「安定して野菜が採れる農業スタイルの確立」だと語っていました。継続して収入をあげて、子どもたちを大学に送り出したいと考えているそうです。

これからも国東市の朝来地区に根をおろし、地域の活動に積極的に参加しながらも移住者や新しい方との交流も続けていきたいという上平さん一家。「骨を埋める覚悟で来た」と将義さんは集落の方とのお付き合いにも真剣です。自然豊かな国東市で、田舎暮らしを満喫しながら自然栽培農家としての経験を積み、また農家を志す方には惜しみなく知恵や技術を分けたいと日々農業に励んでいます。

田舎暮らしをするにあたってある程度苦労は想像していたというお二人。国東市への移住の先駆者的存在として、移住の心がまえとしてはどんなことが必要か伺いました。

「これから移住をする方には、『紆余曲折を楽しんでください』と伝えたいです。住むところによってカラーもあるけど、何でもしていくスタンスは大事じゃないでしょうか。“郷に入れば郷に従え”といいますが、誘われたら消防団に入るなど、いきなり自分の意見をぶつけるのではなく、何でもまずはやってみることをオススメします。」

最後に

移住してからも困難を楽しみチャレンジを続ける将義さんと、その姿を温かく見守り支える扶砂子さん。先駆的移住の先輩家族の背中はたくましく力強いものでした。国東市の山々に囲まれた畑で今日も将義さんは野菜と向き合い、安心安全な食を支えています。

取材者情報

お名前
上平 将義・扶砂子
出身地・前住所
埼玉県
現住所
大分県国東市
年齢
40代
家族構成
4人家族(長男・長女)
職業
自然栽培農家
Webサイト
http://maruka831.com
WRITER 記事を書いた人

Yufuko

大分県日田市に恋して移住。ヨガ講師やキャリア教育関係などの仕事をかけもつパラレルワーカー。数年前に行ったフィンランドで自分が楽になる体験をし、多様な価値観や個性をもつ人が幸せに生きるための知恵をシェアしたいと活動している。「喜んで生きる」がモットー。

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