取材者情報
- お名前
- 日髙 雄介
- 出身地・前住所
- 出身地:大分県大分市
前住所:大分県大分市
- 現住所
- 大分県中津市耶馬溪町
- 年齢
- 34歳
- 家族構成
- 1人
- 職業
- 建築設計
工務店・設計事務所での建築士経験を経て、まちづくりに興味を持った日髙さん。地域おこし協力隊を活用して暮らす土地を変え、ご自身のスキルを生かして地域密着型の暮らしをしています。地域おこし協力隊の任期を終えた後もそのまま中津市で暮らしている日髙さんは、本好きが高じて読書会なども開催しています。そんな日髙さんの耶馬渓での活動をお聞きしました。
20代は建築士として図面を引く中で現場を知る。
元々大分市出身の日髙さん。20歳で地元の工務店の設計部に就職し、設計部にて6年ほど主に木造住宅の設計に関わっていたそう。工務店から設計事務所へ転職。そこで初めて「現場にとって作りやすい図面」を引く大切さを知ったのだそうです。
「大きい施設を建築するのに木造住宅とは違う構造計算が必要になったりするのだとか初めて知る事が多くて日々勉強でした。例えば、エアコンがこの位置にあると図面上では可能でも現場ではそうはいかないなど、木造住宅だけしか知らなかった自分が建築という世界の広さを身をもって体感出来た良い経験でした。」
“まちづくり”の文脈で出会った大分県内の面白い人々から刺激を受ける。
そんな中、公益社団法人大分県建築士会大分支部の中に「まちづくり委員会」というのがあり、そこへ参加してみた日髙さん。大分県内でまちづくりに対する面白い取り組みをしている方々を呼んで話が聞ける場でリノベーションの分野の面白い取り組みなど、刺激をもらったと言います。
「色々な企画に参加する中で、建築士さん以外の事業者の方や県内全域で活躍されている方との出会いがあり、『大分って面白い!』と実感しました。リノベーションもそうですけど、結局まちが面白い理由は建物というよりも人による部分が大きいと感じています。」
地域おこし協力隊として中津市へ。
そんなご縁がつながる中で徐々に「まちづくり」に興味を持ち始めた日髙さん。最初は大分県内で役所と雇用関係にならず委嘱という形式を採用している日田市の取り組みに興味を持ち、一度は日田市での活動を目指したそうです。当時の日田市における協力隊の人数は30名ほどで、個人事業主として活動している人がほとんどだったそうです。
「ある程度自分の中でやりたいことが決まっている人や独立を目指している人にはとても良い契約条件だと思っています。でもその分応募も多くて、枠として空くのだろうかという不安と、当時担っていた仕事がなかなか辞められないのもあり、結局日田市への応募は断念することにしました。」
ようやく前職退職の準備が整った頃に、日田市の近くである中津市も募集していることを知った日髙さん。活動場所は耶馬溪という地域でした。
「耶馬溪ってどんなところだろうと調べてみたら、多くの方が移住していることを知りました。日田市も近いし、ここからでも関われたらと思ったんです。そこで、思い立ったらすぐ行動だ!と思い、応募しました。」
農家民泊導入をサポート。
「なんだかんだ、楽しかったですね、3年間。」とコーヒーを煎れながら語ってくれた日髙さん。
中津市の協力隊のミッションは自由意志に任された形の内容だったそうで、当時市が始めようとしていた農家民泊(グリーンツーリズム)を手伝うことにしたそうです。民泊を始めるに当たって、旅館業法などへの申請のための書類作りが必要で、そのための図面を書いたり打ち合わせをしたり、アドバイスをするなど、一般家庭が民泊を導入する上での準備に関するサポートを行ったそうです。
「私が勤めていた設計事務所では個人宅に行くみたいな業務はほとんど無かったんですよね。図面を持って個人のお宅を訪問するというのは、実は初めての経験でした。建築って建物だけでなくて、暮らすこと全てを考えることが大切ですよね。住むだけではなくて、食事や寝ることなど、そういうことも含めて考える必要があるんです。この経験を通して、建築を通して地域と繋がりたいなと思うようになりました。」
地域おこし協力隊の職務を通じて人に会う機会が多かったと感じてる日髙さん。常日頃から地域の方と会う環境があるので、縁もゆかりもない地域に住む上でとても恵まれた環境だったと言います。町に出なくても、役場の窓口に地域の方が来るので、挨拶をする機会も多く、地域には溶け込みやすかったそうです。
本好きが高じて始めた「やばけい読書会」。
時間があれば本を読むという日髙さんは、あるときは6時間も休みなしで読んでしまうほどの本好き。そこで、同じように本が好きな方々を集めて「やばけい読書会」という地域活動を協力隊の時に始めました。4〜5名で本を持ち寄って話すという気軽な感じで始めたこの企画。今は常連が10名程いるそうです。じわりと人気が出てきて、中津市内の方でも出張してやってるそうです。
協力隊卒業後は設計事務所として独立。
そうして3年の任期を経て、協力隊を卒業した日髙さんは、個人事務所「暮+建築設計」として独立され、現在に至ります。協力隊の頃のつながりもあり、耶馬溪の中でも仕事があるそうです。とはいえ建築設計だけにこだわっていないという日髙さんは、積極的にテレワークも導入し、設計以外の仕事も請け負うようになってきたと言います。
耶馬溪には楽しい人が多い。
卒業後も耶馬溪にて暮らしている日髙さん。耶馬溪の良さは“人”だと語ります。
「抽象的ですが、耶馬溪には“愉快な方”が多いなと思っています。移住してきた方々がとにかく面白いなと思ってます。お互いのことを面白がれるので、外から来た方も割と色々始めやすいんじゃないかなと思います。あまり始めたことに対して色々言う人はいないと感じます。例えば、読書会を始めた時も、地元の方も結構来てくれました。普段から人と人を繋げたいというような事を意識して活動してるわけでは全然無いですが、日々の暮らしの中で会った人に誰か知り合いを紹介すると、『その人初めて知りました』と言われる事は結構あるように思います。
地域の色んな人を広く浅く知っている方だとは思うので、その延長で何かの時に人を紹介したり色々な取り組みに人を誘ったりはありますが、それは日常的に色々な人と会うのが好きなのでその延長に過ぎないです。でも関わり合う事の無かった人達が繋がっていくのはなんだか楽しいなと思っています。」
身の回りにいる方々と機嫌よく暮らしていきたい。
企業や工務店、はたまた民泊など個人に対しても建築で貢献してきた日髙さんは、今後、耶馬渓でどんな暮らしがしたいか聞いたところ、こんな答えが返ってきました。
「僕は、『世界に対してこんなすごいの作ってやったぜ』みたいなことをやりたいとは思わないんです。『身の回りにいる人と機嫌よくやっていければ良い』と思っています。周りの人たちと一緒に何かをして暮らしていきたいですね。『田舎ってずっといると不便でしょ』『買い物も大変でしょ』などよく言われますが、あんまりそういうことを思わないんですよね。暮らしていて不便さというものをそんなに感じたことはないです。田舎だからゆっくりしたいとかそういう想いはないですね。忙しくてもそれはそれで良いなと思っています。ただ、気持ちにゆとりは持っていたいなと思います。」
最後に
建築士ではあるものの、その肩書きにこだわって生きるのではなく、自分らしく心地よく暮らすことを優先している日髙さん。設計というスキルは生かすものの、耶馬溪の楽しい方々と機嫌よく暮らせる今の環境が気に入っているそうです。取材中も耶馬溪のいろいろな方々を紹介してくれるので、短時間で耶馬溪にどっぷり浸れた気分になれるほど、「耶馬溪人」になっている日髙さん。人想いなその人柄がお話しながらも伝わってきました。webには載ってない耶馬溪の良さを知りたい方はぜひ日髙さんのところを尋ねてみてはいかがでしょうか?
*建築士会
「日本建築士連合会」の略称のことで、建築士がお互いに知識を深めたり技術を身につけたりするためのネットワークとして重要な役割をもっています。
(引用:https://careergarden.jp/kenchikushi/kenchikushikai/)