取材者情報
- お名前
- 後藤猛
- 出身地・前住所
- 出身地:大分県佐伯市屋形島
前住所:愛知県・沖縄・インド
- 現住所
- 大分県佐伯市屋形島
- 年齢
- 40歳
- 家族構成
- 5人
- 職業
- 屋形島ゲストハウスオーナー
大分県にはいくつか離島がありますが、後藤さんが生まれ育った佐伯市屋形島は、2021年11月現在人口14人。島での暮らしは辛いこともあったようですが、外の世界を知ることでより自分らしく生きる道を見つけて島に帰ってきた後藤さん。閉鎖的に見える島に人の流れを作ろうと「屋形島ゲストハウス」を4年前に開業しました。そんな後藤さんのUターンの経緯と、移住者へのアドバイスをお聞きしてきました。
蒲江港から2kmの位置にある緋扇貝養殖が盛んな島

彩豊かな緋扇貝
後藤さんの出身地である佐伯市屋形島は、30年前には人口が70人ほどいたものの、現在14人となっている島。漁業が盛んな佐伯市蒲江地区にある蒲江港から船で10分で行けます。島には商店や飲食店はありませんが、同港にスーパーや道の駅があるため、買い出しには困らないそうです。虹色の貝殻が美しい「緋扇貝(ヒオウギガイ)」の養殖が盛んで、後藤さんも養殖事業を営んでいます。緋扇貝の殻が広がる浜は「七色の浜」とも呼ばれます。
屋形島には小・中学校が無いため、子どもたちは毎日船で蒲江にある小中一貫校へ通っているそうです。後藤さんの息子さんも同じように船で通っているそうです。
後藤:息子は平日は学校の宿題も忙しいし、余った時間はマンガ読んだり絵を描いたりしてます。島にいるときは、夏は海で泳いだり、磯遊びしたり、冬は筏にきて魚を網で獲ったりして遊んでいます。休みの日は買い物に出てるので外出が多いですね。船で10分で港に着くので、陸つづきの田舎暮らしと大差ないと思います。

学校に船で通う息子さん。
刺激を求めて大分市内の高校へ行くも環境が合わず
後藤さんが子どもの頃には同世代の子どももいたという屋形島。一緒に船で登校していた友人たちは佐伯市内の近くの高校に通うか、佐伯市外に出て下宿生になるのが常で、そのタイミングで家族ごと引っ越してしまう島民もいたのだとか。後藤さんは島での暮らしに閉塞感を覚え、刺激を求めて大分市内の工業系高校へ進学しましたが、いまいち環境が合わず、途中で通信制の学校へ転校。昼間はアルバイトを始めました。テレビ局のカメラマンアシスタントを経た後、19歳の頃アパレルの世界へ。この頃から音楽を通して友人が増え、DJなどもやるようになったそうです。
23歳の頃に海外へ
アルバイトをしながらコツコツとお金を貯めた後藤さんは、23歳の時に海外へバックパッカーとして旅に出ました。インドやネパールなどを5ヶ月ほど放浪した後藤さん。帰国後は貯金も無くなり、一度島へ帰り家業を手伝い始めたそうですが、思春期も相まってか家族となかなか折り合いが付かず、船で渡った先の蒲江にも気が合う人がいなかったようで鬱屈した日々が続いたそうです。
再度海外へ行くための資金調達で移住した愛知県

沖縄のゲストハウスでは気づけば人が集まる。
帰国後3年ほど経った頃、このままではいけないと思った後藤さんは、再度海外へ行く資金を貯めるために、愛知県にある大手自動車会社の整備関係の仕事に就くことに。お金を貯めてすぐに海外に行く予定が、沖縄県で開催されている野外の音楽イベントに目が留まり、沖縄へ旅立った後藤さん。この際にゲストハウスの良さを知ったのだとか。
後藤:名護ビーチで開催されるお祭りへ参加するために沖縄県那覇市に長期滞在しました。沖縄県にはゲストハウスがたくさんあって、色々なところを回りました。沖縄県にあるゲストハウスは誰でも受け入れる土壌があってか、良い意味でゲスト扱いしないところがあります。例えば、あるゲストハウスでは「ちょっとドアを直すから手伝って!」と言われたり、一緒にご飯を作ったり。先のバックパッカー時代から旅人の感覚がある自分にとって、そんな環境が心地良かったんです。この経験が後にゲストハウスをやりたいと思うきっかけになりましたね。
再度インドへ。ローカリズムに心を揺さぶられる。

インドにあるガンジス川にて。
沖縄県での暮らしを満喫した後、年末に忙しくなる家業を手伝いに一度屋形島へ戻った後藤さんは、年明けに改めてインドへ渡りました。インド国中を回りつつ、最後に行き着いたダラムサラという町で長く暮らした後藤さん。この町はインド人が半分、チベット人が半分いる地域で、後藤さんも町の人も英語が話せなくても、心地よく暮らせたのだとか。この町に住む人々から「ローカリズム」を学んだと言います。
後藤:日本は自由で選択肢も多く住む場所も選べますが、インドやチベットの人は生まれた土地でずっと暮らしている人が多く、環境を選べない人も多いです。過酷な過去を持つ人も多いのですが、それでも小さなコミュニティの中でいきいきとしてる姿を目の当たりにしました。特にチベット人のお年寄りが好きで、みんな悟っているような笑顔で、まるで仏さんみたいだなと思ったんです。環境はとてもシビアなんですが、みんな穏やかなんですよね。間違いなく自分の心が変わるきっかけになったと思います。
帰国後は島へ戻り、2010年に島でフェスが開催される

虹の岬祭り2010の様子
2009年に帰国後、島へ戻った後藤さん。その後現在の奥さんと出会い結婚することに。奥さんは別府市出身でしたが、島で暮らすことに躊躇は無かったそうです。
帰国後、沖縄で出会ったあるミュージシャンから野外イベントの会場を探していると連絡があり最終的に屋形島で開催することになったという後藤さん。主催者と何度もミーティングを重ね、仲間の助けも借りながら2010年に屋形島にて「虹の岬祭り2010」を開催しました。ボランティアベースで作られていくこのフェスは、5日間キャンプをしながら楽しむもので、来場者はなんと1000人いたとか!予想をはるかに超える参加者の荷物を数人の有志たちと共に、対岸から島の間を何度も船で往復しながら運んだそうです。大きなイベントなので地域としては賛否両論あったようですが、ひとつの地域のかたちとして良い機会だったとのこと。
後藤:小さい島で大規模のイベントを受け入れたので不安な面はありましたが、地域の人も協力してくれたし、本当に多くの人が来て喜んでもらえたことは良かったです。島の可能性も示してくれたと思います。
ゲストハウス開業に向けて

空き家を改修して作った家のようにくつろげるゲストハウス。
島へ戻ったのは家業や地元への貢献をするためでは無かったものの、他に仕事もなかったので家業である緋扇貝の養殖の仕事を本格的に手伝うことにした後藤さん。しかし相変わらず両親との軋轢や島ならではの閉鎖性などは変わらず順風満帆とはいかない日々。それでも以前とは違い、息抜きの仕方を覚えた後藤さんは、定期的に島外へも出るようになり、その中で人の輪が広がったり、視野も広がるようになっていったそうです。
後藤:その頃の家業の販路は全て父の知り合いで、担当者もどんどん高齢化していました。10年、20年後も今の状況が続くとは思えなかったので外に出て営業や広報活動をし始めたんです。昔は現場の仕事を休んで島から出ることに罪悪感があったんですが、仕事を絡めて出ていけることで気持ちよく出入りができるようになりました。
旅や移住を通してゲストハウスを開業したいとも思い始めていた後藤さんは、外に出てはそんな話をしていたそうです。すると、行政の人を繋いでもらうなど、人との繋がりが広がっていったそう。
こうして後藤さんはツーリズム大学という地域事業のプログラムに参加したりしながら、ゲストハウス開業に向けて準備を始めました。開業資金については総務省の事業である「過疎地域等集落ネットワーク圏形成支援事業」を活用したそうです。
後藤:過疎地域等集落ネットワーク圏形成支援事業については、近くの深島で使っている事例を行政の方に教えてもらいました。金額に制限はありますがゲストハウスの開業準備を全額補助で対応できるというのは魅力的でした。費用を抑えるために新規で土地や家屋を購入するのではなく、島外にでた島民が所有していた空き家をできる範囲で改修し開業しました。
ゲストハウスを開業する上で、大変だったのは「書類関係」だったと話す後藤さん。専門家ではないので、建物がまだ何もできていない状態を見ながら見積を立てるのは、未経験なのもありかなり難しかったそうです。そんな後藤さんを県と市の担当の方が辛抱強くサポートしてくれたのだとか。
後藤:建材運びなどはそこまで大変ではなかったですね。というのも、島の人はなんでも自分たちでやってきたので、生活の知恵をたくさん持っています。父も重機などを使わずに大型資材を運ぶ知恵を持っていたので助けてもらいました。フェスの時もいろんな資材を運んだのでその経験も生かせました。
観光地ではないから過剰なサービスをしなくて良い

名も無い岸辺の夕日が美しい。
ゲストハウスを開業して今年で4年目となった後藤さんに、やってみてどうだったか聞いたところ「満足している」という言葉が返ってきました。独りの時間は大切だけど、人と出会うことで感じる刺激も大切にしていると話す後藤さんは、旅をすることでいろんな人と会ったり、いろんな経験をすることで自分が変わっていく感覚が好きだったと言います。
後藤:若い頃は旅に出ることでその刺激を自分からもらいにいっていたけれど、自分が島から離れることができなくなった今、旅人に来てもらうことで、旅しているときと同じような刺激をもらっています。いろんなアイディアは外からもらえるし、固定観念も崩れていく。島に住みながら旅をしている感覚です。結果として緋扇貝を知ってもらえるようになりました。発信も受信もこの場所でできると確信しました。
屋形島でよかった点は「観光地でなかったこと」だと言う後藤さん。観光地だと、観光客を増やしたいという思いで、お客さんに過剰なサービスをしてしまうこともあります。しかしこの島は、サービスではなく日常の暮らしを売りにしているので、お客様にとっても受け入れる島民にとっても肩肘貼らずに心地よいのだとか。
後藤:沖縄の気に入っているゲストハウスでは誰がスタッフで誰がゲストか分からないんです。ゲストは部屋を借りているだけ。あとはもう人種も性別も年齢も関係なくフラットな場があるんです。宴会はずっと続くし、誰も人に干渉しない。”こうあるべき”がないんです。そんなフラット感をうちでも大切にしたいと思っています。現在はうちのゲストハウスに泊まりに来るというより、呑みに来るという方が結構いますね。友人の紹介や口コミで来てくれる方がほとんどで、女性の一人旅客も多いです。あとは同世代のファミリーなども来てくれますね。
住民がいることを意識しながら旅ができる人に来て欲しい

ゲストハウスのリビングには後藤さんが旅中に読んだ本などが並べられている。
外のことも知ったからこそ、島の中にいる人たちとのバランスにも気を遣っているという後藤さん。どんな人でも良いわけではなく、住民の暮らしを邪魔してしまうような遠慮のない方にはご遠慮いただきたいとのこと。
後藤:ハードルはあえて作りたかったですね。ここは観光地ではなく、現地の人が穏やかに暮らしている島なのでそれを意識できる方に来てもらいたいです。ゲストハウスをオープンしてから来てくれるのはそういう方々ばかりで嬉しいですね。
田舎暮らしのコツは「まずは肯定してみること」

現在も続けている緋扇貝の仕事。仕事場は海の上。
現在は家業の緋扇貝養殖も続けていますが、数年以内にはゲストハウスの運営だけで暮らしていけるようにしたいと考えている後藤さん。ゲストハウスができる前は「誰もいなくなってしまうかもしれない島」だったのが、ゲストハウスがひとつのきっかけになり、「未来へ繋がる可能性がある島」ぐらいにはなったのではないかと話します。
そんな後藤さんから、田舎への移住を考えている方々へアドバイスをいただきました。
後藤:移住には「過程」が必要だと思ってます。空き家があるから来るとか、環境がいいからとかじゃなく。例えばゲストハウスなどを通じて何度も通って、地域の人たちと関係ができて、結果として移住するのは自然だし、もしそんな人がいたら喜んで協力します。田舎暮らしをするためには「肯定すること」が大切だと思ってます。まず地域の方の慣習や文化などを受け入れてみることから始めて欲しいです。これは海外を旅している時に感じました。自分の正しさは必ずしもその地域において正しいとは限りません。移住者募集という打ち出しはよく見るし悪いとは思いません。ただ肝心なのは地域の人と移住者がどんな関係を築くかだと思います。まずは出会うところから始まり、お互いを少しづつ知っていく。お互いの良いところ悪いところを知って受け入れ、それでも住みたいと思えば住めばいいのです。ゲストハウスがそういった入り口や、接点になると嬉しいですね。
島暮らしの良さは「気が楽なこと」
後藤さんにとって、島暮らしは不必要な付き合いをする必要もないし、社会的な風潮に振り回されずに済むので気が楽なのだとか。
後藤:また、すぐ近くに大自然を感じながら暮らすことができるのは大きな魅力ですね。自然は美しさを見せてくれることもあれば、過酷さも教えてくれるので、思い通りにならないことを思い通りにしようとする人間の慢心に気づくきっかけを与えてくれるなと感じます。
そんな後藤さんから、島暮らしの向き不向きも伺ってみました。
後藤:コンビニも飲食店も映画館もショッピングモールもないので、そういうのがないと暮らせない人には島暮らしは難しいと思います。インターネットは繋がるのでSNSや動画閲覧などは問題なく楽しめますが、日常生活を送る上でやらなきゃならないこと、思い通りにならないことが都会よりも多いと思います。
集落の人との関係性も含めて、思い通りにならないこととちゃんと向き合える人なら暮らせるんじゃないかと思います。島での暮らしは本来の自由とは何なのかを教えてくれるように思います。半自給自足でお金にとらわれない生活そのものを楽しめる方が向いているように思いますね。
最後に
小さな島で育った後藤さんは、国内だけでなく海外にも視野を広げたことで、閉塞的になりがちだった地元の見方が変わったと言います。同世代がなかなか戻って来ていない島ではありますが、関わる人の幅が広がり島でできることが増えれば、そんな方々も帰ってきやすくなるだろうと後藤さんは語っていました。ファーストペンギンになるのはなかなか勇気が要りますが、臆せず挑戦したことで不利に見えたホームを強みに変えた後藤さんが開けてくれた入り口に立ってみると見えてくる世界があるかもしれません。

後藤さんのご家族。