大分移住手帖

3度のパラダイムシフトで変わった人生と価値観。突き詰めた先にあったのは農業。

KAORI

取材者情報

お名前
平山 貴之
出身地・前住所
熊本県南小国町
現住所
大分県竹田市
年齢
43
家族構成

リード・はじめに(人物紹介)

千葉県生まれ静岡県育ちの平山貴之さん。経歴が面白い上にとても男前な自然栽培農家さんが竹田市にいるという噂を聞いたので、お話をきに行ってきました。水を張った田んぼに足を埋めながら作業する姿はあまりに爽やかで、なぜこんな素敵な方がこんな大自然の中で泥だらけに・・・と思ってしまうほどでした。そんな彼が終始笑顔で話してくれた、これまでの冒険と現在の暮らしについてご紹介します。

平山さんの田んぼ

 

東京での生活

高校卒業後、東京の大学に進学した平山さんは、バンドに夢中になり、音楽をしっかり学ぼうと大学を中退して音楽の専門学校に進学しました。

平山さん:音楽にしか興味が無くとにかく夢中で、それで専門学校に行ってみたんですけど、本当に才能のある人と自分との違いを痛烈に思い知らされました。

落ち込んでいた平山さんが出会ったのは、品川の水族館でのイルカのショー。心から感動して、自分がいかに先入観を持って生きてきたのかという視野の狭さに気づいたそうです。

平山さん:見る前までは子ども向けのショーでしょ?くらいに思っていたのですが、思わず立ち上がって興奮する程の驚きと感動がありました。「知らない世界に触れた瞬間」でした。目から先入観という鱗が落ちていくのを感じましたね。また、それによって如何に視野を狭めていたかということにも気づきました。すると、今まで気にもかけたことのなかったピースボートクルーズのポスターに急に目が行ったんです。自分が生まれたこの星を見たい、視野をもっと広げたいと思い、思い切って専門学校2年目の学費を地球一周の船旅にまわしました。

 

ブラジルのお祭りに参加する平山さん(右)

 

初めての海外、3つの気づき

25歳で初めての海外を経験することとなった平山さん。3ヶ月かけて船で世界を一周したそうです。ピースボートクルーズの旅はほとんどが船上生活で、講義を受けたりワークショップに参加しながら過ごすそうです。そんな中、他の国の学生と交流する中で平山さんにショックな出来事が訪れます。

平山さん:漠然と欧米に憧れがあり日本はダサいみたいな感覚を持っていたんですけど、そもそも日本の事を何も知らなすぎることに気づいたんです。ヨルダンの学生と話していた時、彼らは自国の文化を誇らしく話すのに、自分は英語力以前に自分の国について語ることができず、「日本のことを何も知らなかった自分」「知らないくせにダサいと思い込んでいた自分」にショックを受けたんです。1つ目の「気づき」を得た瞬間でした。

2つ目の気づきはケニアのサバンナツアーに行ったときです。大自然を目の前にして「豊かだなぁ〜」って無意識に口から出たんです。それに対する友人の「あっ、そういう豊かさもあるんだ!」という言葉を聞いて、モノやお金じゃない”豊かさ”へのアンテナが自分の中にあることにハッと気づいたんです。

またクルーズ中、紛争や環境破壊を目の当たりにし、それらに対し自分には何ができるのだろうと考えたんです。自分の日常が見えないところでそういった諸問題に加担しているという世界の仕組みを学んで、「何かアクションを”する”じゃなく”しない”選択で、世界への影響を変えることができる」ということに気づきました。

少し話が飛躍しますが、それらの「気づき」を突き詰めた先に「農業」という答えを見出しました。

カナダ、ファーマーズマーケットでの平山さん

 

変わっていく生活スタイル

地球一周以前から調理の仕事に関わっていた平山さんは、帰国後、日本の文化を学ぶために「和食」という切り口を選び、老舗の日本料理屋で働き始めました。

素材を活かすことに重点を置く和食を学ぶ中で、食材への関心が高まった平山さんは、食材から作ること、特に野菜を育てる農業に意識が向き始めたそうです。

平山さん:和食は世界に誇る日本の素晴らしい文化なんですが、これまで意識して過ごしてこなかったからか自分の国の文化という実感が湧かなくて。僕はもっと根源的で、言葉や形にすらなっていないものを求めていたようです。

この時既に農業への意識が高まっていた平山さんは、同じ土地で同じ風を浴び育つものと共に在り、食べていく中で、自分の中に流れているものと響き「何か」に日本人の文化を見い出せるのではないかと思うようになりました。このときから、生活の中で自然を感じられる豊かな暮らしを意識するようになったそうです。

その後ファームステイで訪れたカナダで、農家さんのイメージが変わったと話してくれました。

平山さん:農業をやりたいと思いつつも、日本の農家さんって本当に大変なイメージしかありませんでした。でもカナダで出会った農家さんが、自分の持っていた”農家”のイメージからかけ離れていたんです。毎週末ファーマーズマーケットを開催していたんですが、ミュージシャンが来て盛り上がるし、みんなでオリジナルのTシャツを着たり、若い農家仲間が集まって畑で持ち寄りパーティーしたり、とにかく楽しそうでした。これを日本でやりたい!って思いました。

 

現在のご自宅の庭で朝食を食べる平山さん

 

農業を目指して辿り着いた場所

平山さん:両親が定年退職後、先祖の土地である熊本県に移住することになりました。カナダから帰国後は静岡県で農業を始めていましたが、より自然の豊かな場所で農業をしたいと思い、一緒に熊本県まで行くことにしたんです。

両親とは一緒に暮らさず、南小国町の旅館で住み込みで働いていた平山さん。仲居のリーダーとして奮闘しつつも、たくさんのことを学びながら働けたと話してくれました。

平山さん:熊本県に来る前、電気・ガス・水道なしの山小屋で自然農をしながら生活していました。世界の諸問題に加担しない為の自分なりの答えを実践してた訳です。自分の中の「正義」に基づいて。ある時ふと「正義」と「否定」が表裏一体となった見えない武器のようなものを構えている自分に気づきました。それで、一度自分の価値観をリセットしようという考えに至り、全て手放して心機一転九州に来ました。自分と正反対の価値観の場所で働こうと、旅館を選びました。また、苦手だった接客に挑戦し、避けて通ってきた管理職も引き受け、これまで長く勤務したことがなかったので、3年は絶対に働こうと心に誓いました。

人の心は、他者の喜びのエネルギーによって満たされると感じています。自然栽培の野菜を届けても、旅館での接客でも「ありがとう」と言ってもらえるためのその手段が何に変わっても、その相手の喜びのエネルギーの質には何ら変わりがないということを確信しました。自然と「正義」と「否定」の武器は消えて行きました。

旅館での住み込み生活を経て、農業を本格的に始めようと決意した平山さんは、農業をしながら住める自宅を探し始めました。

条件は、
1つ目 両親の家のある熊本県阿蘇市から車で1時間ほどで行ける距離であること
2つ目 家の隣に田畑があること
3つ目 日当たりがいいことそして湧き水であること
すぐは見つからないだろうと、40歳での移住を目標に、38歳から探し始めたそうです。

色々な市町村を訪れてみようと思っていた平山さんでしたが、「農村回帰宣言市」という言葉に直感的に惹かれて1件目で訪れた竹田市で運命的な出会いを果たします。

平山さん:私が竹田市役所に相談に行った1日前に、前住人である猪股さん(イノマタ農園、自然農家)が家を出るから後を継いでくれるような人を探してほしいと市役所に相談に来ていたそうなんです。猪股さんのことは移住者インタビューなどで拝見していたので、すぐに会いに行ったところ、条件が合致し即決しました!空き家状態にならず引き継ぐことができたので、大きな修繕の必要もなく、そのまま住めるような状態でした。内装だけ改装しましたが、田畑も全て自然農法ですし、自然豊かな理想の環境を手に入れることができました。

リノベーションしたご自宅のリビング

 

村での暮らし

現在の暮らし、集落の方との人付き合いについて聞いてみました。

平山さん:倉木(平山さんの集落)も人口は減っていますが、周りの地区に比べると若者や子どもが割と多いんです。疲弊した過疎地ではなく体力のある田舎という印象ですね。周りに農家さんが多いこともあり、自治会の行事やイベントは多いです。役も多く、移住2年目で公民館の役と井手の世話人をしています。

村の人には非常に良くしてもらっていて、べったり干渉してくるような煩わしい距離感はないそうです。助けを求めれば駆けつけてくれたり、薪になるような木を切ったら「たきもん(※薪)いるか?」と声をかけてくれるそうです。

平山さん:周りは皆さん慣行農家なので、自然栽培をしている私とは価値観の違いを感じることはありますが、ことさらに自分の主義を主張をする事なく、むしろ皆さんの価値観に寄り添う事で、関係性が構築されさらに気にかけてくださっているように思えます。他の方が農薬を撒く時もこちらは何も言って無くても、「そっち飛ばないように低めに撒いとくから〜」って向こうから声をかけてくれたり、すごく協力してくれるんで、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ぽつんと一軒家があるようなところに住もうかとも思ったりしたんですが、今は村に住んで良かったと思っています。

他にも、村のみなさんの思いやりが伝わるエピソードをたくさん聞かせてくれました。みんなで支え合って、想い合って成立している暮らしの魅力がたくさん伝わって来ました。

玄関前のベンチで一休みする平山さん

 

移住希望者へのメッセージ

農作業の後、玄関前のベンチに座り、山の景色や花の成長をゆっくりと見ている時間が幸せで、あっという間に時間が経ってしまうという平山さん。移住について考える方や、これからの生き方について悩む方へのメッセージをいただきました。

平山さん:人生はまるでゲームだと思わされることがよくあります。ある場面で「課題」から逃げてみても別の場面でまた同じ「課題」に直面するんですね、不思議と。苦手なことに向き合ったり、クリアすべき課題をクリアしたから、今の家も一軒目で巡り会えたんじゃないかなと思っています。色々な理由や目的の移住があると思いますが、移住に過度な期待や夢を抱くのはやめたほうがいいと思います。移住はあくまで一事象でしかないというか、成功例はそれ相応の原因に基づいた結果なんだと思います。また私のように移住が「課題」を浮き彫りにするきっかけになることもあります。そこにどう向き合えるかが重要なんじゃないでしょうか。どんなシチュエーションで辿り着くかは人それぞれですが、大分県には凄く大きな可能性が秘められていると感じています。そこに秘められたキラリとしたものを感じた方は、迷わずぜひ!

 

caption:

農作業をする平山さん

 

最後に

平山さんを始め竹田市には、食べるものや音楽など”暮らしを豊かにするもの”に時間を費やす価値観の方が多いと感じました。そこに人生の豊かさを求めたり、その豊かさを共有したりすることで、心も身体も幸福感で満たされるような真の”豊かさ”を手に入れることができるのだと、平山さんのお話から学ばせていただきました。 今回拝見した小さな稲の苗の成長と、平山さんの農家としての飛躍を、これからも楽しみに見届けたいと思います。

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  • 3度のパラダイムシフトで変わった人生と価値観。突き詰めた先にあったのは農業。
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WRITER 記事を書いた人

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くろき かおり
豊後大野生まれ豊後大野育ち。高校卒業後は横浜・東京にて、外資コスメ会社で経営学・マネジメントを学ぶ。その後、石垣島・オーストラリアへの移住。オーストラリアでも同ブランドで勤務したのち、2019年に大分へUターン。趣味は映画を見ること・旅行・サウナ。

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