取材者情報
- お名前
- 大谷慎之介(おおたにしんのすけ)
- 出身地・前住所
- 大分県佐伯市
- 現住所
- 大分県佐伯市
- 年齢
- 37歳
- 家族構成
- 妻、長女(6歳)、次女(2歳)
- 職業
- 合同会社まるまる 代表
- https://twitter.com/makai_fes
- https://www.instagram.com/makai_fes
面白いことが大好きで根っからのアングラ好きな大谷さん。生まれ育った佐伯を出たのは大学時代のみ。青春期は音楽だけが友達。「普通である」というコンプレックスを抱えつつ、35歳を過ぎて始めたロックンロールバンド・サイキシミンと魔界フェスで、町のアングラカルチャーのドアを開け、今や佐伯になくてはならない人物となっています。町の若者の人望厚いみんなのにいちゃんは、どんなことを感じ、思い、今を生きているのか。そんな話を魔界フェス開催地である「coffee5」にてお聞きししました。
大学時代はライブハウスとレコード屋だけが友達。就活も全滅で資格取得のために帰郷し、佐伯でようやく仕事にありつく。
生まれも育ちも佐伯という大谷さんは、父が熊本、母が高知の方。父が釣りが好きで佐伯に引っ越してきたのですが、これ故に“ネイティブじゃない”という違いは感じていたそうです。大学に通うために一度熊本へ出ました。
「大学時代は大して友達も作らずライブハウスとレコード屋に通う毎日でした。スカバンドでテナーサックスをやっていたけど、吹いていると歌えないから、部屋で一人でいる時間も増えたしサックスを売ってギターを買いました。」
就職活動では編集方面にいきたかったようですが、面接や試験は全滅。就活は失敗に終わったそうです。社会福祉学科で学んでいたけれど、特に資格も取らず卒業した大谷さん。親御さんが見かねて資格だけでも取ったらと援助してくたことがきっかけで、佐伯に帰ってきました。
資格取得のために専門学校に1年通ったものの、その間にも仕事は決まらず、年度が明けてどうにか一社に拾ってもらえたそう。どうにか受かったのは佐伯の病院で、ソーシャルワーカーとして初めて就職できたんだとか。就職後は6年勤務し、30歳になっていました。
生きるのが楽しくなかった青春期。サンセットライブでの障がい者によるライブペイントに衝撃を受け、障がい者福祉の道へ。
「僕はすごく面倒くさがりやで、志とか全くなくて。仕事を始めた時も、毎日仕事に行きたくないって思ってたんですよね。その時は生きてて楽しくなかったですね。24-5歳の頃。仕事と好きなことを完全に分けて、仕事用の人格もあったし、これで生きてきたんです。」
と、青春期はイマイチだったという大谷さんに、転機が訪れます。それが、福岡で行われていたサンセットライブでした。
「このイベントで福岡の障がい者福祉事業所の人たちがライブペイントをしていたんですよね。知的障がいや自閉症の方々が描いている絵を見て、エネルギーとすごい衝撃を受けたんです。その夜たくさん考えてそういう世界で働いてみたいと思っている自分に気付きました。そこで、その年度で病院を辞めて、障がい者福祉の道へ進んだんです。」
最初は社会福祉協議会という地域全体を見るところに2年、その後入所施設で5年間勤務した大谷さん。家で生活が困っていると聞けばヘルパーを紹介したり、日中活動の作業所を紹介したり、障がい者年金の制度の話など、生活の相談全般を担当していたそうです。
30歳手前で音楽活動を再開。白塗りが楽しそうと始めた初回の魔界フェスは参加者7人。町を嫌いになっても続けたら個性が炙り出される唯一無二の場に。
元来「普通じゃない」ことが好きだったという大谷さんは、25歳で結婚した後もアングラをこよなく愛していたそう。そうしていつしか29歳の頃に弾き語りを始めて、それが後々にバンドとなっていきます。音楽活動をしている中で、次の転機が訪れました。それが、2016年に出会った「カシミールナポレオン」(https://twitter.com/kashnapoK)でした。
「“福岡のビジュアル界の激安王”という異名を持つ二人組で、白塗りで100均の衣装を着て、アルミホイルを使った小道具を作ってwindows95とかで作るペラッペラのオケで作る音源でエアギターをするバンドでした。今年でなんと20周年。今まで音楽をたくさん聞いてきたけど、かなりの衝撃でしたね。
佐伯でもこの人たちのライブをしたいと思ってオファーしたら快くOK。ならば自分も白塗りしたいし、なんならみんなで一緒に白塗りで打ち上げに行けたら面白いだろうなって思ったんです。最初は“運動会”から始まって、考え出したらぽんぽんアイディアが出たんですよね。そしたら、これはフェスになるんじゃないかとなって、『魔界フェス』が誕生しました。」
最初の年は運動会を神社で行い、ディナーショーを船頭町の「茶蔵」というところでやって、打ち上げとして町に出ていくという流れでやったところ、なんとお客さんは観客兼出演者の7人だけだったそう。
「こんなに面白いのに何で人が来ないんだとすごく悔しくて、その日の夜に佐伯が嫌いになって、『街(まち)』という曲をつくったんです。」
この曲が案外よかったようで、今では町の方々に聞くと名曲と言われるほどに。後ほど同じくUターンしてきた映像作家のTMOVEさんがPVも作ってくれたことで、より広がったそうです。
▼「街」video by TMOVE
「佐伯なんて大嫌いだ!」と思ったけど、また魔界フェスをやりたいと思っていた大谷さん。場所で悩んでいる時に「coffee5」さんが場所を提供してくれることになり、2回目を開催。これがとても好評で、150人ほどのお客様はもちろん、テレビまで来る大盛り上がりを見せ、魔界フェス自体のファンが増えるほどにまで拡大しました。
「2回目に自作の巨大トントン相撲をやったんですがこれがすごい楽しかったんです。競技自体も面白いけど、白塗りして変な格好してやることで、勝ち負けだけではない価値が生まれたんです。次の年は卓球。どの回も道具を自作してきてもらうんだけど、そこにめちゃくちゃ個性が出るんだってわかったんです。」
魔界フェスは、白塗りをすることで肩書きなどを一度横において1日を過ごす日。決して奇抜なことやパーティをしたいわけではありません。昨今話題となっている「ハロウィン」の仮装とは一線を引いているそうです。魔界フェスは白塗りをするので一見少し激し目のビジュアルバンドの企画のように見えますが、その見た目と裏腹に、イベントが始まる前には全員でラジオ体操をしたり、みんなでお昼を食べたりと、どこかのほほんとした空気が流れます。
「何回か重ねていった時に気づいたのが、普段冴えないようなやつがめっちゃ面白かったりすること。白塗りを1回するだけで人間が持っているものを炙り出してくれるというか。『祖母漫画ハルエさん』で知名度のある河野美里さんがブログにあげてくれた時に“狂った分ほど褒められる場所”と書いてくれたのですが、まさにその通りなんです。」
▼河野美里さんブログ
https://kono3310.com/2019/10/29/makai/
人が本来もつ面白さに気づかせてくれ、みんなの魔界フェスになっていく。それって自分の仕事も同じだったと気づかされ。
一般社会で仕事ができるとかできないとか、性格が良いとか悪いとか、そういうので測りきれないその人が持つ本来の面白さを魔界フェスは見れると語る大谷さん。魔界フェスをやる中で、これは自分がしている福祉の仕事と同じだと気づかされたと言います。
「優劣で語られたり、仕事できないやつがすごく悪口を言われることって魔界フェスの中では全くないんです。それぞれが魔界フェスを楽しみにしてくれてる。仕事でめちゃくちゃ怒られてそうな“ダメな人間”たちこそなんですよね。気づけばみんなの魔界フェスになっていたんです。」
魔界フェスのスピンオフとして、自分の誕生日会もイベント化した大谷さん。年の数と同じ人数の友人を招待して1曲ずつ歌ってもらったりした時も震えながら歌ってくれる人がいて感動してしまったり。こうやって、何もなかった自分の町に、自ら“何かがある日”を作って、その価値観を共有できる友人を増やしていくことで、より暮らしやすくなっていったと言います。
■参考
http://blog.livedoor.jp/seikatsu_san/archives/1073437310.html
仕事をやめて、相談支援の仕事をベースに独立。アートは領域を超えてつながる手立てになれば。面白さに気付けるためのディレクションが必要。
Uターンして数年後、相談支援の仕事は1人でもできるということで、会社を辞めて去年「合同会社まるまる」を立ち上げた大谷さん。相談支援の仕事と福祉界隈のディレクションと並行して、平凡商店という事業も展開しています。
会社化した後の活動で面白かったのは、「アルコール依存症の人たちと飲みながらアルコール依存症について勉強する会」を開催したこと。アルコール依存症は予備軍を含め結構多く、予防講習などには看護師は来るけど、肝心の“お酒好きの人”はなかなか来ないのが実情。「否認の病」とも呼ばれています。そこで、「歌『酒と泪と男と女』の主人公がアルコール依存症なんじゃないか」というテーマで精神科医も呼んで、酒屋さんでお酒を飲みながらこの病について学びつつ、この歌の歌詞を変えるというイベントだったそうです。これも好評で、次回開催を待つ声も。
「魔界フェスにも障がいがある人たちが来てくれます。みなさん強烈な個性があって、一緒に盛り上がっています。鹿児島のしょうぶ学園もそうだけど、“普通”という概念がなくなったらワクワクしませんか?そういう場が好きなんですよね。
滋賀にあるやまなみ工房も面白くて、アートをやりたいのではなくて、その人たちの生活が幸せになるための手段がアートなだけ。その人たちがアートをしたくないならすぐにでも止めればいいだけという考え。そこに共感しています。障がい者に関わる身としては、その人の生活の安定が第一だけど、アートによって領域を超えた人たちとつながる手立てになればいいなと思っています。」
今後やっていきたいのは、障がいがある方々が描いた絵で作ったものが売れて、お金が生まれることで還元できる仕組み作りだと語る大谷さん。その練習も兼ねて自分の子供に絵を描いてもらい、ロゴにしたり商品を作ったりしています。
「学校では福祉はしっかり学べるけど、その過程で音楽が好きでライブハウスにいたとか、サブカルが好きで学んだって人は案外少ないんですよね。そうすると、面白いアートを描いていても、その面白さに気づけない人が多い印象です。だから、福祉以外の力が必要だと思っています。僕はその部分を担えたらいいなと思っているんです。」
音楽がつないだ縁。移住者とローカルで結成したロックバンド「サイキシミン」。
自身の音楽活動を続けてきた大谷さん。当初はドラムを担当している友人と2名でやっていたものの、一度解散しつつ、やはりバンドがやりたいとのことで、福岡のヨコチンロックカーニバルへ出たいと思い、再結成します。それが、「サイキシミン」でした。
大谷さんはギターボーカルを担当。ベースを担当している金井さんはIターン移住者で、佐伯の町を盛り上げた立役者の1人です。もう1人は同級生で通称“赤フン”と呼ばれている友人を誘い、現在では4名で活動しています。サイキシミンの曲は大谷さんが作っているそう。ライブは月1本ペース。結成から2年で26回ほどライブをやっているそうです。何もないからと嘆くのではなく、自ら仲間を巻き込んで一緒に楽しめるモノゴトを作り、一緒に時間を過ごす。大谷さん自身が自ら動いて自分らしく楽しんでいる姿に共感した同世代が少しずつ佐伯に寄り付き、移住している人も増えてきているそうです。
魔界フェスも、サイキシミンも、佐伯を知る上での“アンオフィシャルなドア”という印象。そんな大谷さんから、熱いメッセージをいただきました。
「何かに馴染めなかったりとか、はみ出した人たちとかが魔界フェスやサイキシミンを知って佐伯にきてくれたらいいなと思いますよね。少なくとも魔界フェスははみ出したした人たちの良いところを出せるフェスなのは間違いないので!
「ダメ」と言われたものをどうユーモアで回潜れるか。忌野清志郎さんとか鮎川誠さんとかまさにそうですよね。騒音の苦情が来たからあと1曲だけ!と言ってローリングストーンズの有名なある曲を60分やったように、暮らしの中で“トンチ”を大事にしたいんです。人生の中では闇もいいし、雨が美しい時もある。常に楽しんでいたいですよね。」
最後に
魔界フェスなどを通じて、コンプレックスや障がいなどの垣根を超えていくその原点には、自身のコンプレックスもありつつ、アングラカルチャーがコミュニケーションツールとなっていろんな壁を抜けるドアを開けているのだなと感じました。サイキシミンの曲を聞くと、どの曲もロックンロールなのに歌詞は案外柔らかく、佐伯や人への愛に溢れているのだなと感じさせられます。決して奇抜な人材がいるわけでもなく、みんな等身大で、1日だけ少し肩の力をみんなで抜いてお互いを面白がってみる魔界フェス。暮らす範囲を無理のないサイズで自ら楽しいところへと変えていこうというのは、移住をより良くする上で大事なことかもしれません。カルチャーに寄り添った面白い人々が自然と流れ着く。佐伯という魔界はそんな川の流れに身をまかせているような心地よい人々の毎日でできている町でした。
■合同会社まるまる
平成31年4月設立。
「福祉で世界を面白くする」をモットーに相談支援事業を中心に、エイブルアートの製品化や福祉・音楽に関するイベント等色んなことをする、現在社員一人の会社。
【まるまるの商品販売ページ】
平凡商店 https://heibonshoten.thebase.in/