大分移住手帖

耶馬溪だからこそできるはちみつで就労支援をしていきたいtateyama honeyの想い。

Tomomi Imai

取材者情報

お名前
竪山 健太郎
出身地・前住所
出身地:福岡県飯塚市
前住所:大分県中津市三光
現住所
大分県中津市本耶馬溪町
年齢
40歳
家族構成
5人
職業
養蜂家、自伐型林業
Instagram
https://www.instagram.com/tateyamahoney

福岡生まれ福岡育ちの竪山さん。自衛隊や会社員経験を経て、辿り着いたのは「養蜂家」でした。奥様のお父さんから教えてもらった養蜂を自分なりにアレンジし、「tateyama honey」としてスタートを切った中津市本耶馬渓での暮らし。自伐型林業など複数の生業をうまく組み合わせて暮らしつつ、はちみつで就労支援がしていきたいと想いを馳せる竪山さんの移住秘話をお聞きしてきました。

養蜂を教えてくれたのは中津市出身の奥様のお義父さん。

自宅にあるミツバチの箱の中を見せてくれました

とても柔らかくて優しい雰囲気とは裏腹に、自衛隊に在籍していた頃は、北海道に駐屯しながら、なんと大砲部隊として実際に大砲を打っていたこともあったそう。大自然の中、山に籠る生活の中で、自然に親しんでいったのだとか。4年勤務した後、福岡に帰りたいと思った竪山さん。たまたま東京に行った際に再会した先輩から別の仕事を紹介してもらい、電気通信系の会社に転職しました。しかし、幸か不幸か本社勤務になり東京で働くことに。大自然から一転、大都会で揉まれる毎日に耐えきれなくなっていったそうです。

そんな頃に中津市出身の今の奥様に仕事の関係で出会い、お義父様が養蜂をやっていることを知りました。1箱もらって、試しに育ててみたところ、出来上がったはちみつのおいしさに驚いた竪山さん。この出来事をきっかけに、「会社員をしながらのプチ養蜂」という趣味がスタートしました。

お義父さんは元々タクシーの運転手と養蜂をやっていて、お義母さんが体調を崩したことをきっかけにお世話をすることも考えて55歳くらいでタクシー会社を辞めてから養蜂一本になったそうです。養蜂を始めてから30年以上、未だに続けられています。

「お義父さんが養蜂をしていると知ってから、ちょくちょく中津市に遊びに来ては見せてもらっていたんです。そのうち自分でも飼いたいなと思ったけど、その頃は東京から福岡に勤務地が変わり、福岡に住んでいたのでどこに置こうか悩んでいたら、福岡で置かせてもらえるところをどうにか見つけられて。そこで1箱譲り受けて飼ってみたんです。初年度はいきなりはちみつが採れるとは思わなかったので、まずはミツバチを学ぼうというつもりで飼っていました。翌年初採蜜できました。自分たちが食べる分とちょっと分ける分だけですけどね。でもその次の年に販売できるくらいの量が採れたんです。そこで、自分でラベルを作って瓶詰めし、イベントで売ってみたのが、始まりでした。」

そうして5、6年前から会社の休みを利用してミツバチの箱を見に来るような生活がスタートした竪山さん定期的に通ってはお互いの養蜂の状況を報告しあったり、色々なことを教えてもらったりしていたそう。元々自身のお父様が建築関係の職だったこともあり、多少の木工はできた竪山さん。教わったことを元に自分でミツバチの箱を自作し、種蜂を購入して育てるようになりました。はちみつが採れるようになり、徐々に「養蜂家になりたい」という想いが募っていったそうです。

結婚を機に中津市へ移住。家は空き家バンクで見つける。

空き家バンクで見つけた本耶馬溪の現在の家。ほぼ手をかけていないそう。

本格的に養蜂家になろうと決意した竪山さんは、結婚を機に中津市へ移住することにしました。最初はお義父様の家に居候する形で暮らし、そこを拠点に家探しをしたそうですが、これが結構大変だったとのこと。

「お義父さんは、一緒に住んでやっていこうと提案してくれたので、家が見つかるまではそうすることにしたんです。でもこれがなかなか見つからなくて。その間ミツバチの箱はお義父さんが使っていない置き場をお借りして養蜂を続けていました。そのうち子どもが生まれたことでどうしても手狭になりつつあったので、家探しを本格化しました。空き家バンクに登録して探すようになり、その中でやっと見つけたのが今の家ですね。候補はあるものの、結構改修が必要な家が多い中、この家はすぐに住める状態でした。とはいえ、最初は借家と書いていなかったので、当時の市の空き家バンクの担当さんが大家さんに話してくれて、借家で貸していただけることになったんですよ。

地域の方々が共同で作った浄水設備を一緒に使わせてもらう。

竪山さんが子供のために作ったブランコ。大人も思わず乗りたくなる。

浅井戸があると聞いて安心していた竪山さん。しかし、実際にそこから水を汲んでみると、濁り水しか出なかったそうです。保健所で水質調査もしてもらいましたが、飲み水にできないことが判明。仕方なく生活用の水を山へ汲みに行っていたものの、家族全員分となると大変だったそうです。そんなことを近所の方へお話ししてみたところ、この集落ではみんながお金を出し合って設備を作っていることを教えてくれました。どうやら以前ここにいた方はその設備設置に合意せず、井戸水を使っていたようですが、竪山さんたちも使えるように手伝ってくださったそうです。そこで、その設備から水道を分岐することになり、近所の方も手伝って水道の配管を一緒に作りました。こうしてようやく透明で飲める水を使えるようになりましたが、手を加えたのはこれくらいだったと言います。

「壁は直す必要なかったのですが、今ではうちの子供たちによって壁や障子はビリビリにやられてしまってますね。(笑)本耶馬溪は中津市内でも寒い方で、古民家特有の隙間風もあり寒いですが、もう慣れました。何より水は美味しいし安いです。夏は子供のプールのためにたくさん使っているけど、よく使っても月1000円くらい。年間で水代だけで1.5万円もいかないです。」

役割が多くて忙しい集落暮らし。通学時間の調整は少し難しめ。

丁寧にいろいろなことを教えてくれる竪山さん

市内に出るのも車で20分ほどなので、買い物など日常に困りごとはないという竪山さん。集落の雰囲気も心地よく、暮らしやすさはあるものの、比較的小規模な集落にいるので、消防団には早速入ったそう。地域の評議員の一人にもなったので、集落での役割が多く、なかなか忙しいと言います。消防団として毎月1回の水門チェックやパトロールの他、評議会での活動、猪の柵補修などやることはたくさん。関われる嬉しさもありつつも、ほぼ無給での活動が多く、時間は取られるので、暮らしとのバランス調整がなかなか大変だとか。

また、子供の通学の面で少しだけ悩みが。

「バス代は市営バスを利用すれば市から補助が出るので助かりますが、本数が1時間に1本あるかないかなので、登校時間にちょうど良いバスが無いんですよね。早すぎたり、遅すぎたり。結局朝活などに間に合わせるために車で送ったりしています。近所の4年生と一緒に行ってますが、1年生であるうちの子はまだ準備に時間がかかり、待たせてしまったりするので、工夫していきたいなと思っているところです。」

はちみつにとっては好条件の耶馬溪。

自宅にもミツバチの箱を置いて、色々実験したり。越冬のためのカバーも作ってあげています。

耶馬溪には岩山が多く、杉やひのきのような木しか植えられないため、なかなか植林をするには難しい場所も多く、結果雑木が育ちます。針葉樹林よりも、雑木林の方が花が多く咲くため、花の蜜を集めるミツバチにとっては好条件なのだそうです。

「雑木の花が一気に咲くときは蜜がバーッと入ります!耶馬溪の山には雑木林が多く、ミツバチが採りきれないくらいの花が咲くので、そこに5箱置いておこうが30箱置いておこうが、たくさんのはちみつを貯めてくれます。秋口には越冬のための蜜づくりに必要な花が良く咲くんですよ。」

ラベルには採れた時期の花の名前が書いてある。

日本における養蜂の8割近くが、主にレンゲの花が咲く時期に合わせて「レンゲ前線」を追って巣箱を移動する移動養蜂ですが、tateyama honeyは巣箱を移動させない定置飼養蜂というやり方だそうです。耶馬溪の四季折々に咲く花ごとに、味と風味の違うはちみつが採れます。ラベルには季節の花の名前が書いてあり、食べる前から季節を感じられる工夫がされています。また、多くは発酵防止のため加熱されたりすることで年中“トロトロ”の状態になりますが、熱を加えてしまうと本来蜜が持っている栄養分を失ってしまうので、tateyama honeyのはちみつは加熱処理も混ぜ物も行わないそうです。そのため、自然の環境と同じように発酵が進むので、パウチに入れていると膨らみ、寒い部屋に置いておくと固まります。自然の中で本来あるべき姿のままパッケージングされています。そのためか、味比べをするとどれも爽やかで華やかな香りがあります。

お店を持つにはまだリスクがあると考えている竪山さん。まずは生産量を増やしていきつつ、イベントや通信販売を利用して販売を続けていくそうです。

自伐型林業など複数の生業で暮らす日々。

林業で培ったスキルを生かして作った丸太の子供用の椅子

福岡にいる頃、お義父さんが、耶馬溪で林業をしている県職員の方を紹介してくれました。この方は、定年退職した後も「放置されている山を災害に繋がらないように伐採するにはどうしたら良いか」という悩みを抱えていたそうです。この時の話を受けて調べている内に、「自伐型林業」というものを立ち上げた徳島出身の中嶋 健造さん*に行き着いた竪山さん。考え方に感銘を受け、その方と関わる内に耶馬溪でも林業の知り合いが増えていったそうです。その方々からチェンソーの使い方などを教わりながら、自身も徐々に林業を生業にできるようになっていったと言います。

「自伐型林業*では、“森を守る”という考え方がベースにあります。無理のない間伐や壊れにくい道づくりを行うことで、災害を防げる自然環境を守り、生活もしやすくなります。はちみつだけでいきなり生活をしていくことは難しかったので、自伐型林業や電気工事も生業として暮らしています。奥さんも事務や瓶詰め、ラベル貼りなどの仕事をしていますが、養蜂は手伝ってもらう程度で、ほぼ自分でやっています。」

弟の障がいがきっかけ。就労支援への想い。

tateyama honeyの綺麗なパッケージ。(c)戸倉えり

養蜂家になるためのステップを踏む竪山さんですが、養蜂のスキルを生かして今後していきたいのは「就労支援」とのこと。そのきっかけには、障がいを持った弟さんの存在がありました。

「僕の弟には障がいがあります。事故とかではなくて、精神的な障がいでずっと病院に入ったりしています。そんな弟にも何かできることがあったらいいなと思ってて。奥さんも前に介護の仕事を経験していて、似たような想いがあります。だから、養蜂家になって最終的には就労支援がしたいんです。ラベル貼りとかできる仕事を作って、支援していけないかと考えています。そのためには自分たちの事業の収益を上げて、ベースを作る必要があると考えています。

電気工事などはあくまで生活を成り立たせるための仕事ですが、林業ははちみつと同じくらい今後やっていきたい生業です。自伐でできた道をみんなで散歩したり、サイクリングしたり。森林浴をしたり。自然を体感できる場づくりもしていきたいですね。」

■最後に

趣味から生業に変わっていった養蜂。優しい雰囲気がありつつも、はちみつや林業、自然保護などへの熱のこもったお話が展開され、思わず聞き入ってしまいました。人や自然を想いながら、生業を複数掛け合わせて編み込まれた竪山さんとご家族の暮らしぶりからは、初めて伺ったご自宅でもその要素が広く感じられました。ふんわりとした音楽をかけながら迎えてくれたご夫婦と過ごす時間は居心地が良く、お話を聞けば聞くほど、自然や人への想いが伝わり、よりはちみつも美味しく感じました。

*中嶋 健造

山の現場で自伐林業に驚き興味を持ち、地域に根ざした脱温暖化・環境共生型林業が自伐林業であることを確信し、「自伐林業+シンプルなバイオマス利用+地域通貨」を組み合わせた「土佐の森方式」を確立させた。

平成26年に全国の自伐型林業展開を支援するNPO法人「自伐型林業推進協会」を立ち上げ現職に至る。

(引用:https://zibatsu.jp/nakajimakenzou

 

*自伐型林業

自伐型林業(じばつがたりんぎょう)とは、採算性と環境保全を高い次元で両立する持続的森林経営です。参入障壁が非常に低く、幅広い就労を実現します。今、国土の7割を占める山林を活用する「地方創生の鍵」として期待され、全国各地で広がっています。

(引用:https://zibatsu.jp/about/

トップ画:(c)戸倉えり

PHOTO

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WRITER 記事を書いた人

Tomomi Imai

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25歳でフリーランスとして独立し、多様な分野にてプロデュースやディレクター業を経験。モノコトヒトをつなぐひと。多様な伴走を得意とする。絶賛子育て中。ヨガ・サーフィン・音楽・映画・コーヒー・日曜大工が趣味。

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