大分移住手帖

都会での会社員生活から別府市で飲食店経営へ。移住先で得た穏やかで幸せな日々

Tomoe Sato

取材者情報

お名前
白井淳平・白井菜美
出身地・前住所
東京都杉並区
現住所
別府市元町
年齢
38歳
家族構成
夫婦
職業
火鍋にしだ
Webサイト
https://hinabeppu.official.ec/

別府駅前の商店街から少し離れた場所にある、‘‘火鍋にしだ‘‘。東京から移住してきた白井淳平・菜美さんご夫婦が経営する火鍋にしだは手作りのスープとタレ、そして新鮮な野菜とお肉が自慢のお店です。

火鍋好きをきっかけにお店をオープンした白井さんご夫婦は、以前は全く異なる業種でサラリーマンとして日々忙しく働いていました。そんな中、お金のためではなく好きなことをして暮らしたいと別府市へ移住することに。

白井さんご夫婦の東京での生活と、別府市に移住後の生活についてお聞きしました。

毎日働きづめの中、一生サラリーマンとして生きていくことに違和感を感じた

白井淳平さんは、移住前は東京都杉並区でアパレルの営業として朝から晩まで働き、出張は年間50回をこなすというハードな毎日を送っていたそう。奥さまである白井菜美さんもECサイトを運営する会社で働き、ご夫婦ともに働きづめの毎日でした。

白井淳:2人とも多忙な時期は余裕のない生活でした。でも会社で働くこと自体は楽しかったし、大変だけどこういうものだと思っていた部分もありました。営業として12年働いた後に、忙しい生活から脱却したいと転職しましたが、そこでも忙しくずっとこんな人生だと思っていました。そんな僕の様子を見て妻が心配に思ったようで、移住を提案してくれました。

白井菜:一生このまま2人で朝から晩まで働き続けるということに違和感を感じました。一度の人生だからお金のためではなく自分の好きなことをしながら生きていきたいと思って。

奥さまの提案をきっかけに、移住を意識し始めた白井さんご夫婦。奥さまは大学生の頃、バックパッカーとして世界中を周った経験から、サラリーマンとして働きながらもいつかは自由に生きたいという思いもあったそうです。ご主人は最初、リタイアした後に移住しようと思っていたそうですが、奥さまの若いうちに移住したいという希望から、2人で移住について話す頻度が高くなり、実際に移住先を探し始めました。

夫婦ともにフィーリングを感じた別府市へ移住を決意

ご夫婦ともに、仕事の出張で九州を訪れる機会があり、九州に良いイメージがあったことから2泊3日で福岡・佐賀・大分の移住を検討するための弾丸ツアーを行ったそうです。

白井淳:最初は東京都の多摩市や千葉県など都心から少し離れた地域も候補に入れていましたが、今までの生活スタイルをそれほど変えることができないと思い、もっと外に目を向けようと考えるようになりました。

その中で九州に弾丸ツアーを行い、訪れたのが別府市です。妻の友人が別府市に住んでいることから、別府市北浜で一緒に食事をして、その夜に散歩した時に

「ここでいいな」

と思ったんです。フィーリングですね。その夜に妻と別府市でいいねと話しました。

商店街

白井菜:大学生の頃に知り合った友人が別府市に住んでいることから、何度か別府市を訪れたことがありました。その時に、山を見ながら漠然とここで暮らせればいいなと思っていました。だから夫も同じように別府を気に入ってくれてよかったと思います。

別府市町並み

2人で別府市への移住を決意した次の日、喫茶店でモーニングを楽しむ中、実際に移住したら仕事をどうするかという話に。会社員として働くことも考えたそうですが、それではまた頑張りすぎて、これまでの生活と変わらないと考え会社員以外で探すことになったそうです。

白井淳:ゲストハウスも検討しましたが、飲食店もありかなとなんとなく考えていると、突然妻が「火鍋をやろう!」と言い出して、最初は驚きました。

もともと2人とも火鍋が好きでいろんな地域で火鍋を食べていました。妻が別府市でも火鍋屋がないかと探したんですがなくて。それなら作ってしまえと。

別府市から帰った翌週にはご夫婦ともに会社に辞職を伝え、移住へと動き出しました。

チャレンジショップを経て‘‘火鍋にしだ‘‘OPEN

移住を決断した日から、ご夫婦は火鍋の本格的な研究を始めます。別府市に移住してから約2ヵ月後には、プントプリコグというチャレンジショップで火鍋にしだをオープンします。

白井菜:別府市に住んでいる友人に飲食に興味があると話したところ、プントプリコグを教えてもらいました。最初は常設のお店を持ちたいと思っていました。知らない土地でビジネスをするのも初めてだし、プントプリコグの卒業者で、人気の店舗を経営している方もいて、実績もあることから、利用することに決めました。

最初はプントプリコグにいる‘‘プントファン‘‘が、お店を訪れてくれては口コミやSNSで感想を上げてくれて、新しいお客さんが来てくれるようになりました。

プントプリコグで半年営業した後、別府市北浜にある現在の店舗をオープンします。オープンの際にも、プントプリコグで知り合った方々が、相談にのってくれたり、準備を手伝ってくれたりしたそう。

現在の火鍋にしだ店内

 

外のカウンターで立ち飲みもできる

‘‘火鍋にしだ‘‘の火鍋は、飽きのこないスープで、具材も大分県の新鮮野菜やラム肉、希少な九州産ジビエ、火鍋の本場中国の食事材を取り寄せており、一度食べたら癖になるとリピーターの方も多いのだとか。

 

火鍋にしだの火鍋

大分県の火鍋屋さんの中ではジビエを扱っているところは珍しいのですが、プントプリコグで知り合った方がおすすめしてくれて、反響がよかったことからレギュラーメニューになったとか。そういった経験から、ご夫婦ともに人との出逢いを大切にしているそうです。

ギャップはないけど仕事も休みも毎日が幸せ

好きだった火鍋のお店とは言え、前職とは全く異なる飲食業界への転職に、苦労を感じることはないかお聞きしてみました。

白井淳:大変な事は体力が必要なことと、夜が遅いことくらいです。これまでの仕事と比べると全てが楽になりました。夜の開店に向けて朝から仕込みをしますが、会社員時代から努力をすることには慣れているので、苦には感じません。ちゃんと努力して美味しい物を作ればうまくいくと思っていました。

白井菜:会社員を経験せずに飲食店をしていたら辛いと感じていたかもしれません。これまでは人の指示の下で働いていたのが、今は自分の頭で考えて夫婦で解決するだけなのでスムーズですね。

白井さん

妻の菜美さんは今のストレスフリーなご主人に対して何も心配することがなくなったそうです。また、移住前後の生活の違いを伺いました。

白井淳:東京でサラリーマンをしていた頃は、平日は仕事で地獄を見るほど忙しく過ごしていたので、週末は天国のように感じていました。だからこそ、土日は思い切り楽しんで、濃厚な時間を過ごせましたが、平日とのギャップがすごくありました。

今は、火曜から土曜日(営業日)の仕事中が楽しくて、定休日もそのまま楽しいという幸せのレベルが平坦になった感じですね。以前に比べて濃厚な休日ではありませんが、一週間平均的にみて今の方が100倍幸せです。

趣味のキャンプも東京にいた頃は、朝早く起きて渋滞に巻き込まれながら昼前にやっと着くという状況でしたが、今は昼前に起きて買い物して志高湖キャンプ場にすぐ着きます。東京の人気のキャンプ地は避難所かなと思うほど人が密ですが、大分県のキャンプ場はゆったりしていて自然を楽しむことができます。

志高湖キャンプ場

白井菜:生活面に関しては、物価は変わりませんが家賃が半分になったので、出ていくお金が少なくなりました。ただ外食は別府市が観光地ということもあり、価格が高い印象があります。移住してから車を買ったので買い物にも困りませんし、今は通販で何でも買える時代ですので特に不便はないです。車の維持費が追加されたくらいです。

会社員として働くのであれば仕事と休みのON・OFFの切り替えが大切ですが、仕事が楽しいと感じるなら無理に切り替える必要もなく、仕事の延長線上に日常生活がある感覚でしょうか。幸せがフラットに続く日常はかけがえのないものです。

より充実する仕事とプライベート

大分県外の方にも火鍋にしだの味を楽しんでもらうために、現在はテイクアウトや全国発送も行っているそうです。また出張火鍋として、イベントスペースで大分県内外に期間限定のお店を開きたいなど夢はまだまだ広がっています。

そして、プライベートでも移住して大きな変化があったそうです。

白井淳:実は妻は今妊娠中なんですが、移住してから不妊治療をして授かった子どもです。東京でサラリーマンをしている頃だったら、不妊治療をするにしても、仕事が忙しかったこともあり精神的・時間的に余裕が持てなかったと思います。移住したことで、お互い心に余裕ができたことから治療に向き合うことができ、子どもを授かることができました。

現在は奥さまのお父様も、妊娠中である奥さまをサポートするために別府市へ移住しお店を手伝ってくれているそうです。ご夫婦ともにまだ30代という若い時に移住を決断したからこそ、ライフプランにおいても子どもを授かるという大きな変化をもたらすことができました。

移住をするなら少しでも早い方がいい

先輩移住者として大分県内へ移住を検討中の方へのアドバイスをお聞きしたところ、‘‘本気で移住を考えている場合は、早めに行動に移すのが一番‘‘というお話がありその理由を伺いました。

白井菜:体も頭も元気で柔軟性がある若いうちに移住する方がいいと思います。あとはいつかやりたいと思っているうちに社会情勢が変わってしまうこともあります。2020年にコロナが流行りはじめましたが、それまでに移住していなかったらおそらく諦めていたので、早めに決断してよかったと思っています。

白井淳:妻から言われるまでは、移住について人ごとのように感じていました。でも、この奥さんと一緒にいればどうにかなると思えたことが大きいですね。2人で力を合わせればなんとかなる、究極死ななきゃいいくらいの楽観的な気持ちで移住しました。

白井さんご夫婦

取材の中で、終始お二人の間にある信頼や尊敬という想いを感じました。移住においてどこで何をするかという選択はもちろんですが、その前に、1人でない場合‘‘誰とするか‘‘ということも移住してよかったと感じることができるポイントではないでしょうか。

最後に

白井さんご夫婦が居心地のいいと感じる場所を求めてたどり着いたのが別府市への移住。決断から移住、そしてお店の開店まで短い期間ですが、ご夫婦ともにお互いを信頼し、常に目の前にある現実に精一杯の努力で向き合ってきたからこそ、今の幸せな日々を手に入れることができたように感じました。

もうすぐ迎える新しい家族とともに、白井さんご夫婦の別府市での生活がますます充実していくことが楽しみです。

大分県で新しい飲食店を始めたいとお考えの方は、別府市にふらりと遊びに来ては火鍋をつつきつつ白井さんご夫婦にお話を聞いてみてはいかがでしょうか?

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  • 都会での会社員生活から別府市で飲食店経営へ。移住先で得た穏やかで幸せな日々
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WRITER 記事を書いた人

Tomoe Sato

大分生まれ、大分育ちの根っからの大分人。現在は子育てをしながら趣味の延長線でライターとして活動している。

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