大分移住手帖

人と向き合い、自然と生きる場所として出会った中津市 ~「かたつむり学舎」の取り組み~

Tomomi Imai

取材者情報

お名前
福崎はる
出身地・前住所
出身地:東京都
現住所
中津市本耶馬溪町
家族構成
夫、子ども、犬、猫
職業
社会福祉学博士、臨床心理士、公認心理師、社会福祉士、精神保健福祉士
Webサイト
http://www7b.biglobe.ne.jp/~katatsumuri/

東京都で生まれ、父親の仕事の関係で幼少期から各地を転々としてきた福崎さんは、臨床心理士として長年様々な角度から人と向き合ってきました。そんな彼女が、移住先として選んだのは、中津市本耶馬溪町でした。現在は一人ひとりに合った社会とのつながり方を一緒に考えていく「かたつむり学舎」を開いています。そんな福崎さんの移住の経緯と、現在の活動や暮らしについてお聞きしました。

自分のような子どもを理解してくれる先生になりたくて

福崎:子ども時代、みんなが普通にできることが私にはできませんでした。前で先生が話していても、隣の子に話しかけちゃうんです。忘れ物や遅刻も日常茶飯事でした。文字を読むことも苦手でした。昔は「発達障がい」という診断がなかったので分かりませんが、多分私もそのような要素があるだろうと思います。親には一度も叩かれたことないですが、体罰が当たり前だった時代だったからか、先生方にはかなり叩かれました。

小学校の卒業文集で「将来の夢」を「小学校の先生」と書きました。「自分のような子どもを理解してあげられる先生になりたい」と思ったんです。それで大学では教育学部に進みましたが、教育実習で圧倒されました。朝と夕方の会議、授業の見学があり、始業前昼休み放課後は子どもと遊び、帰りは夜7時過ぎ。そこから授業の準備をして、寝るのが夜中の2時。また次の朝7時には学校に行って準備して…。そんな生活を2週間続けて「これは自分には無理だ」と挫折しちゃいました。

臨床心理学の世界へ

結局、小学校の先生は諦め、高校の教員になった福崎さん。しかし、20代後半に転機が訪れます。

福崎:家族がうつ病になったんです。最初は「少し休めばすぐによくなるだろう」ぐらいに思っていました。まさか、それから何年も治らず、本人も家族も長く苦しむことになるとは夢にも思っていませんでした。真面目に精神科病院に通って、お薬を飲んでいるのに全く良くならないんです。そのことが不思議でなりませんでした。病気は、病院に行って薬を飲めば治るものだと思っていましたから。

それで良くなるための方法やもっと良い病院はないかを調べたり、日常生活のさまざまな困りごとに対処するための情報を集めたりしました。今でいうセカンドオピニオンやソーシャルワークですね。当時はそういう支援が身近になくて、全部家族だけでするという手探りの毎日でした。そんな中で「精神疾患が心理療法で良くなる」と知って、臨床心理学を学びたいと思ったんです。

大学院で臨床心理学を学び、臨床心理士になり、精神科病院に就職しました。「どうやったら精神的な病は早く回復するのか?」効果的な療法を学ぶために給与の半分以上は研修に費やし、自分たちと同じように辛い思いをしている当事者や家族を支援したいという想いで働いていました。

本人がしたいことを一緒に取り組んでいく伴走者

「フランス語を習いたい」という希望が出て、フランス人からフランス語を習っているところ

一生懸命努力した甲斐があり、病から回復していく人たちを目の当たりにするようになってきた福崎さんしかし、その一方で回復してきた時に、行く先が無くて困っている人たちがいることが気になっていました。

福崎:クライアントのAさんがカウンセリングの中で少しずつ元気になってきて、「外出したい」と思うようにまでなったんです。ただ「一人はまだ怖いので、誰かに付き添って欲しい」と。でも、臨床心理士には倫理規定があって、付き添うことができませんでした。どうしたものか考えた結果、臨床心理士以外の肩書きがあればいいんだと思って、2008年に「かたつむり学舎」という団体を設立し、その団体のスタッフとして支援することにしました。こうして、Aさんが行きたいところに一緒に出かけたり、したいことを一緒にしたりするようになり、それにつれて、Aさんはさらに元気になっていきました。このAさんへの支援をきっかけに、他の方とも、「好きなこと」「したいこと」を一緒に取り組むようになり、今の「かたつむり学舎」での支援が少しずつ形作られていきました。

マルシェに参加して、カフェの店員として注文を聞いているところ

福崎:かたつむり学舎がしていることは「本人の声にならない声を周りに伝えたり、一緒に模索したりしながら、その人の『生きる』をともに歩くこと」だと思っています。学校や仕事などで息苦しさを感じ、希望を失っている方たちも、自分がしたいこと好きなことを中心に活動していくと、生活全体が生き生きとしてきます。それは年齢性別国籍病気や障がいの有無など全く関係ありません。本人が「好きで、かつ、やりたい学び」を得ることのできる体験を実際にする中で、様々な人たちと関わり、その方のフィールドやチャンス、可能性が広がっていき、結果的に本人の自信や将来への希望につながっていきます。

優しい人たちのご縁でたどり着いた自然豊かな中津市

中津市耶馬溪での田植えの様子。農薬・肥料を使わず育てた苗を手で丁寧に植えていく。

こうして、「かたつむり学舎」で様々な方を支援していく中で、多くの方が「学校や会社、社会のペースに合わせるのではなく、自分のペースで生きていきたい」という希望を持っていることが分かってきました。そして、「自分のペースでいられる」感じることの多くは、ノルマのないものづくり農作業動物とのふれあいなど、田舎や自然の中での体験だったとか。 

福崎:北九州市で活動していた時は、自然を体験できる場所まで車で1時間以上移動していました。次第に「身近でそういう場を提供したい」と思うようになっていきました。

また、私自身、自然が大好きで、休日のたびに山や海や川に出かけていました。仕事でもプライベートでも自然と触れ合うことが多い中、それならいっそ自然に近いところに住めば良いのではないかと考えるようになりました。

自然豊かな環境を求めて、移住先を探し始めた福崎さん。しかし、なかなかしっくりくるところが見つからないまま1年が経過。そんな中、偶然、中津市が移住の候補地として急浮上したそうです。

福崎:中津市に遊びにきて、たまたま入ったカフェに「移住をサポートします」と書かれた紙が置いてあったんです。その場で電話したところ、すぐに会いに来て下さり、ボランティアで親身に相談に乗って下さって、その日のうちに空き家を何件も案内して下さいました。それだけでなく、移住してきた同年代の方々にも引き合わせて下さり、人とのつながりまで作っていただき、その方には感謝してもしきれません。 

その方のおかげで、全てがトントン拍子で進んでいき、今住んでいる家に巡り会えて、そのまま移住が決まったのだそうです。

マルシェの様子(現在休止中)

 

地元の公民館にて「地域通貨みけめぐり市」を開催した時の様子。

 

福崎:移住した後も、今に至るまで多くの方に助けられています。移住してきて最初に困ったのは水のことでした。井戸には水がほとんど溜まらず、川から水をひくしかなかったのですが、なかなか上手くいかず、それを見かねて沢山の方が助けてくれました。

「かたつむり学舎で田んぼを始めたい」と集落の方に相談した時も、空いている農地を快く貸して下さいました。集落の方以外にも、稲作のことを丁寧にアドバイスして下さる方、道具を貸して下さる方、一緒に作業を手伝って下さる方、色々な方に助けていただきました。

また、地域の人とのつながりを育むために月1回マルシェを開催していたのですが、お寺や神社の方々が場所を無料で貸してくださったり、地域の方たちに声をかけてくださったりと、多くの協力をいただきました。

この他にも様々な事で、沢山の方に助けていただいています。今の私たちの生活があるのは、中津市で出逢った温かく優しい方たちのおかげです。中津市に移住してからは、人とのつながりを実感して感謝の気持ちを感じることがより多くなりました。

 

「かたつむり学舎」でお借りしている田んぼの様子。作業が終わって、田んぼの一番上から景色を見て飲むほうじ茶は最高。


8年前に中津市に移住してきた福崎さん。現在は
羅漢寺の住職のご厚意で、智剛寺(ちこうじ)をお借りして、「かたつむり学舎」を運営しています。

現在管理させて頂いている智剛寺の中。

「かたつむり文庫」。これまでに出逢った面白い本や、本好きなスタッフが寄贈してくれたレアな本などが置いてある。


豊かな自然環境と、バラエティに富んだ人たち

智剛寺の目の前の参道から美しい夕日が見える。

中津市の素敵なところは「豊かな自然環境」と「多種多様で優しい人たち」だと話してくれた福崎さん。中津市には全国各地からの移住者がおり、多種多様な価値観の人たちが集まっているのだとか。そして、そうした方々とのつながりのおかげで「かたつむり学舎」の支援が充実しているのだそうです。

福崎:子ども時代に出会える大人は、家族親戚、ご近所の人たち、学校の先生たちと限られています。けれど子どもは周りの大人たちが持っている経験値とは違ったことを望むかもしれません。子どもが「画家になりたい」「海外でミュージカルをやりたい」「いろんな仕事をいくつも同時にやりたい」「ずっと旅をし続けたい」と思っても、周りの大人たちにそのような経験がなかったり、それらの活動にマイナスな印象を持っている場合には、子どもをどうサポートしたらいいか分からず、大人の不安や心配だけを伝えて、子どもの希望を諦めさせるかもしれません。

私たち大人が子どもや若者にできることは、自分が経験したり既に知っている中から選択肢を出して「この中で決めなさい」と言うことではなく、子どもがしたいことをする機会やフィールドを与え、なければそれらを一緒に作っていくことだと思っています。なぜなら子どもの夢や希望は、大人の経験値では計り知れないほどの素晴らしい可能性に満ち溢れているからです。子どもたちがやりたいことをやれる環境を大人が整えてあげさえすれば、自ずと子どもや若者は生き生きしてきます。そんな姿を目の当たりにできる喜びは他の何物にも代えられません。

今、私たちが行っている「かたつむり学舎」の仕事やライフスタイルも、当時の親や高校大学の先生たちは誰も想像し得ないことだったと思います。なぜなら当時そのようなことは日本にまだほとんどなかったからです。先のことは誰にも分からない。大人に、子どもの将来は予測できないのです。だから、せめて子どもや若者たちの声にしっかりと耳を傾け、子どもが自分の夢や希望を語れるような大人でありたい。そして子どもたちが「やりたい」ことで私たちが出来ることは何でも協力してあげたい。先に生まれた者として私たち大人ができることは、私たちの経験値を使って、そのためのフィールドやチャンスを作ることだと思うのです。

中津市に移住してきて、人との出逢いがとても楽しいです。自分の軸を持って緩やかに繋がって支え合えるいろんな人たちがいて、仕事や活動もバラエティに富んでいてとても面白いですよ。「かたつむり学舎」で支援している子どもや若者たちにとっても、生き方や仕事に対して多様な選択肢があることの見本になっています。多くの人が、何足もの草鞋を履いていて、どんどん引き出しが増えていくので、その変化も楽しいです。

カウンセリングなどにも使う部屋。

周辺には山の花がたくさん咲いている。


最後に

縁もゆかりもなかった中津市に、「豊かな自然」を求めて移住し、「多種多様な人とのご縁」を得て、感謝の日々を送る福崎さん。そんな福崎さんが言う通り、自然と共存しながら、自分の軸を大切にする暮らしがしたい方には、中津市が合っているかもしれません。かたつむり学舎智剛寺)の場所は、羅漢寺に抜ける美しい山道の入り口でもあり、木陰から入る日差しが綺麗でした。ゆっくりとした時間を過ごしに中津市を訪れてみてはいかがでしょうか。

(*智剛寺及び「かたつむり学舎」見学は事前予約が必要です。)

おもてなしとして出してくれた台湾茶。

FACILITIE

お寺で穏やかな時間を過ごしながら自分と向き合える場所

智剛寺(かたつむり学舎)

大分県中津市本耶馬渓町跡田1516

人と向き合い、自然と生きる場所として出会った中津市 ~「かたつむり学舎」の取り組み~
WRITER 記事を書いた人

Tomomi Imai

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snufkiins LLC. 代表社員
離島移住計画 代表
Re-harmo PJ オーナー
25歳でフリーランスとして独立し、多様な分野にてプロデュースやディレクター業を経験。モノコトヒトをつなぐひと。多様な伴走を得意とする。国内外問わず事務局代行・企画編集など多様な業界を経て2018年に法人化。長崎県上五島にてキャンプ場兼カフェ「Re-harmo PJ」を展開し、島に仕事や場を作ったり。絶賛子育て中。ヨガ・サーフィン・音楽・映画・コーヒー・日曜大工が趣味。

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