大分移住手帖

大人になって知った、この島の面白さ。ここが自分らしくいれる場所。

fujiwara

取材者情報

お名前
追崎 慎祐
出身地・前住所
出身地:大分県姫島村
前住所:千葉県浦安市
現住所
大分県姫島村
年齢
38歳
家族構成
職業
株式会社ブレーンネット
Webサイト
https://www.brainnet.co.jp

「何もない」と思っていた場所。だけど「ここにしかない」がたくさんある場所。「何でもある」と思っていた都会を離れて、今気づいたことは。

足りないものばかりに目が向いて、地元を離れ、都会で就職。「いつかは地元に戻りたい」とUターン、というのはよく耳にするストーリー。
姫島村出身の追崎慎祐さんも、高校時代から村外へ出て、福岡、東京で就職。
30代半ばに差し掛かり、「そろそろ地元に戻ろう」と会社を辞めようと考えていました。

そんな折に奇跡が!

勤務していた会社がまさかのタイミングで姫島村にサテライトオフィスを作ることになり、追崎さんも仕事を変えることなくUターン。

仕事を変えずに地元に戻れることになったこと、村に同年代の友人たちがUターンしてきたこと、大分に帰ったことで最愛の奥様と出会えたことなど、さまざまな偶然が重なり、地元に帰ってからは、働く環境も、プライベートも全てが好転したと話す追崎さん。

まさに順風満帆な彼は、以前に比べて随分とアクティブになったそうなのですが、これには大人になってから気づいた島暮らしの魅力が影響しているようで。
Uターンしたからこそ気づく、地元の本当の面白さとは。

IT会社への就職が大きな転機に。

「これからはパソコンの技術を持っていることが大事だ」と両親の勧めを受けて、高校は村を出て、大分県立情報科学高等学校に進学。大学は中退してしまったもののICTについて学んでいた追崎さんは、得た知識を活かすことができる職場で働きたいと考えていました。

そこで知り合いだった、姫島村と東京で二拠点で生活を送る、IT企業「株式会社ブレーンネット」の創業者・武田喜一郎さんに「ブレーンネットで働きたい」とアプローチ。そうして追崎さんは東京にある「ブレーンネット」のグループ会社で勤務を始め、後に「ブレーンネット」東京本社に勤めることになったのです。

その後13年間システム開発の仕事に従事していた追崎さんですが、次第に地元への思いが湧き上がるようになりました。

「将来は島に戻りたいという気持ちがあったのですが、島で仕事をするなら公務員が良いかなと漠然と考えていました。当時、公務員は35歳以下でないと採用試験を受けることができなかったこともあり、そろそろ仕事を辞めて戻ろうと思っていたんです」

覚悟を決め、上司に退職の話をしたところ返ってきたのは、「ちょうど姫島村にサテライトオフィスを作る話があるから、そっちで働いたらどうか」という思いもよらぬ提案。

まさかの奇跡に「NO」と言うはずもなく、2018年、追崎さんはブレーンネットの姫島サテライトオフィス立ち上げのメンバーとして、地元に戻ってくることになったのです。

生活コスト&通勤時間が大幅ダウン!

IT技術者の人材派遣・紹介業を柱に、アプリケーション開発、移動体通信事業者向けサービス、研修プログラムの提供など多岐に渡る事業を展開するブレーンネット。姫島村のサテライトオフィスでは、本社の仕事をリモートで請け負いつつ、村のホームページの改修や県からの受託案件などを受けているそうです。

その中で追崎さんのメインの仕事は、ICT支援。現在姫島村の小学校では1人1台タブレットが支給されているそうで、そのタブレットを使った授業を専属のICT支援員としてサポートするほか、先生たちに向けた研修などを行っているのだとか。

地元の仕事に携わることができる喜びにプラスして、Uターンしたことにより、追崎さんにはさらに嬉しい変化がおきました。

・通勤時間が10分の1!!

「東京で暮らしていたときは、会社へ行くまで1時間。遠くの現場へ出向かないといけないときは2時間くらいかかっていました。今は自転車で5分ですし、通勤ラッシュなんてないですから、すごく楽になりました」

・収入は変わらず生活コストがダウン!

「給料面では東京時代と同じままで、現在は実家に住んでいるため家賃がゼロに。使うお金も減って生活コストがかなり減ったのは嬉しいですね」

そんな追崎さんの働き方を見てか、ブレーンネットのサテライトオフィスで働く8名の社員のうち3名はUターン者。さらに地元から2名採用しており、半数以上が姫島村に縁ある人が働くという状態に! 研修制度がしっかり整っていることから、未経験者でも積極的に採用していることもあり、村で人気の職場となっています。

「休日が楽しい」、アクティブな自分へと変化

Uターンしてから2年。大分市出身の奥様と結婚し、幸せいっぱいの追崎さん。現在は奥様の住む豊後高田市と姫島村の2拠点で生活を送っています。

「妻は薬の販売資格を持っており、それを活かした仕事がしたいとの希望があったのですが、村では活かせる場所がなかったこと、私としては村の地域行事に積極的に参加したいという思いがあったことと、Uターンしてきた同級生たちも多く、村での暮らしが楽しいことから2拠点暮らしを選択しました」

姫島村から豊後高田市までは、船の所要時間も入れて50分ほどで通えることもあり、結婚後、2拠点暮らしを選んだ追崎さん。「頻繁に外に遊びに出かけるようなアクティブなタイプではなかったため、場所はどこでも生活はそんなに変わらないと思った」というのもUターンした理由のひとつだったそう。村に帰ってきてからというもの、東京にいたときには考えられなかった自分の中のアクティブな一面も出てきていると言います。

・イベントごとには積極的に参加!

「地域のイベントごとが大好き」な追崎さんは、盆踊りや『姫島車えび祭(*1)』[o1] などの地域のお祭りはもちろん、村民体育大会にも積極的に出席! 姫島村の秋の風物詩でもある『舟引き(*2)』[o2] では祝いの歌を唄う歌い手として活躍したそう。また消防団にも加入しており、取材の翌日には消防団の訓練に参加していました。

(*1)姫島車えび祭:毎年10月下旬に行われるお祭り。姫島村のブランド食材「姫島車えび」を刺身やフライ、お味噌汁などで食す賞味会やキツネ盆踊りなども鑑賞することができる。

(*2)舟引き:10月(体育の日の前々日)に姫島村にある神社大帯八幡社」の秋の大祭。男衆による祝いの歌や、子どもたちの太鼓ではやしや鐘を鳴らしながら、舟形の山車を引き、村内を練り回るお祭り。

・ウェイクボードに釣り、島ならではの遊びも満喫!

休みの日には移住者の方や地元の友人たちと一緒にウェイクボードを楽しんだり、釣りをしたり、中学校の体育館を借りてバドミントンやフットサルなどもしているのだとか! 東京時代のインドアな話とは結びつかないですが、そのどれもが村に戻ってきて、友人たちから誘われて始めたことなのだそう。

「海はあるけど、ここでできるマリンスポーツが少ないので、ITを駆使してマリンスポーツに関する開発がいつかできたら」と、都会にはない遊び場に魅了され、開発への意欲も滲ませていました。

10代の頃から地元を離れ、都会で就職し、さまざまな経験を積んだ追崎さん。

コンビニが徒歩圏内にあったり、「目薬がない!」と困り事あっても深夜に駆け込めるドラッグストアがあったり、大きなショッピングモールやデパートがあったり、24時間何か足りないものがあっても、困ることはないという生活が当たり前だった東京での暮らし。

仲間とともに深夜遅くまで飲み歩ける美味しい居酒屋さんの数も比べ物にはなりませんが、それ以上に、島で幼いころから知る友人たちと過ごす他愛もない時間や、地元の伝統的な祭りを盛り上げる一員となれることなど、楽しいことやうれしいことがたくさんあると気づいたそう。

なんでもあると思っていた都会、だけど意外とそうじゃない。
不便なこともあるけれど、地元にはまだまだ魅力がある。

新しいアクティブな自分を知り、素のまま、自分らしく生きられる場所へとたどり着いた追崎さんは今、人生の変化を喜んでいるようでした。

WRITER 記事を書いた人

fujiwara

大分県大分市出身。「見たがり」「聞きたがり」「知りたがり」の“たがり”精神で活動する、好奇心旺盛なライター。竹田市地域おこし協力隊として移住者支援、空き家バンクの管理・運営に携わった経験を持ち、自身も竹田市に小さな空き家を購入。大工さんと二人三脚でリノベーションを行い、現在は収益物件として賃貸中。大家さん業で一攫千金を夢みるも、うまくはいかない今日この頃。

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