大分移住手帖

転校後に故郷となった町を喫茶店とバーでつなぎ直す

Tomomi Imai

取材者情報

お名前
矢羽田健太さん
出身地・前住所
出身地:大分県日田市→福岡県春日市
前住所:岡山県岡山市
現住所
大分県日田市
年齢
28歳
家族構成
職業
喫茶&スナック数多、数多ききや店運営
Webサイト
https://note.com/chameleon_i
Facebook
https://www.facebook.com/%E6%95%B0%E5%A4%9A-111298084130190/
Instagram
https://www.instagram.com/kikiyaten_amata

福岡県春日市生まれの矢羽田さんは、日田市にルーツのある両親と共に、小学校低学年の頃に日田市に引っ越し、日田人として育ちました。大学の関係で岡山市にて一時暮らすも、日田市が好きで戻って来たいと切望し、地域おこし協力隊の制度を活用して戻ってきました。着任後3ヶ月で担当として入っていた大鶴地区で被災。復興支援もさることながら、まちづくりに奔走してきた矢羽田さんの暮らしについてお聞きしました。

転校生だけど故郷は日田市。

日田市内を流れる三隈川

父親の転勤の関係で日田市へ引っ越すことになった矢羽田さん。それまで暮らしてきた春日市では、休日に大型デパートに買い物に出かけたりヒーローショーなどを観に行ったりしていたのですが、日田市にはそれらがなく、子どもながらに溶け込めるか不安だったそうです。

矢羽田:春日市ではマンションで暮らしていて、年上と年下ばかりで同級生の友人がいなかったんです。日田市に引っ越してから急に同級生が増えて、どうやって関わったら良いのだろうと最初は不安でした。

とはいえ、持ち前のキャラクターもあってか、あっという間に友達ができたという矢羽田さん。高校3年生の頃にはこの町が気に入っていて、引っ越してよかったと思っていたそうです。

高校を卒業後、大学進学のために岡山県岡山市へ移った矢羽田さん。とても便利ではあるものの、なんとなく外にいるという感覚が拭えなかったそうです。

矢羽田:日田市では同年代の友人もあっという間に増えたのもあり、とても好きな町でした。高校を卒業して岡山の大学へ進学しましたが、日田市がホームだという感覚が強く、帰って町のためになることがしたいと当時から思っていました。

しかし、進路相談の先生に聞いても、「日田市には仕事はない」と言われたり、当時、大分県では希望する仕事を見つけられなかったそう。

その後、簿記の資格を取った矢羽田さん。計算することが好きだったため、岡山の税理士事務所に就職を決めました。仕事を通して、志があり自由で一生懸命な経営者たちに出会い、刺激を受けたそうです。しかし、会社自体は深夜早朝関係なく、休日も返上で勤務するようなハードな仕事だったために先輩社員もどんどん辞めていってしまったそうです。そんな状況で将来に不安を覚えた矢羽田さんは、このタイミングで日田市に帰ろうと決め、日田市での仕事を探し始めた頃に、地域おこし協力隊の存在を知ったそうです。

日田市に帰ってきてまず感じたのは「安心感」だったという矢羽田さん。自分の仲間も、家族も、知っている町並みもあり、駅前の飲み屋にいれば友人に会えるという環境が心地よかったそうです。

赴任後、担当地区で被災。

担当で入って被災した大鶴地区

日田市の地域おこし協力隊として赴任した矢羽田さんは、担当だった大鶴地区で2017年に被災。そこで1年間ボランティアセンターの運営避難所の運営などを行うことになりました。

ボランティアの仲間達

矢羽田:NPOの方々とともに民間のボランティア受け入れセンターを設立して、受け入れや派遣を行っていました。

この活動の中で、被災地の実情を色々と知った矢羽田さんは、1年でこのセンターを辞めました。

矢羽田:ボランティアをしてもらうばかりでは、地域がダメになってしまうと思ったんです。たくさんのボランティアさんが有り難いことに「なんでもします」と来てくれました。復興が進み、やるべき仕事は減っていきましたが、「せっかく来てくれたのだから仕事を与えないと」と思い、気がつけば仕事探しに奔走していました。「やってくれるのが当たり前」になっていたので、これからは「自分たちで」復興を目指して能動的に動いていかなければと思いました。

同じ被災者をめぐるツアーを行う

参加者とお米の袋詰め。

センターを辞めた矢羽田さんでしたが、被災地を取材に来たメディアの方々が自分の前を素通りしていく姿を見て「今の自分には力がない」と感じたそうです。

矢羽田:自分たちで復興を目指していこうと思ったけれど、団体の名前や肩書きが無くなると何もできない自分に気づきました。その後、西日本豪雨や佐賀水害などいろいろな水害が発生していく中で、大鶴地区の人たちと一緒に他の被災地に行こうと決めたんです。やってもらうばかりでは、やる大変さがわからなくなるし、やってくれる側の気持ちもわからなくなる。そこで、災害の翌年にできたお米を岡山県倉敷市で水害が起きた地域の避難所へ持っていったんです。気づけば100人くらいが寄付してくれて、お金は12万ほど、お米も300kgほど集まりました。運搬用のハイエースは日田市内の企業さんが貸して下さいました。平均年齢75歳のメンバー合計30名ほどと共に行ったんです。ボランティア作業をする為に愛媛、広島などにも行きました。

一緒に行った方々は同じ被災者と思うと話しやすかったそうです。気づけば連絡先を交換して、いまだに文通している人もいるのだとか。

みなし仮設にいる町の人たちが気がかりで。

そうしてあっという間に2年が終わり、3年目を迎え気がかりだったのは「みなし仮設」に入居した町の方々でした。

矢羽田:日田市の仮設住宅制度はみなし仮設というものでした。日田市内の町中にあるアパートやマンションで空いている部屋を市が借り上げて、入居希望者を募るというもの。ボランティアセンターの運営に携わっている頃に、ここに関わっていました。たまに物資を持って行ったりすると、70歳のおじいちゃんが4階建てのエレベーター無しのところに住んでいたり。

今までは近所の人たちと一緒に野菜とか分け合ったりしながら生活してたのに、近所に誰もいなくて、「故郷の仲間と再会したい」とみんな言ってました。

みんなが会える場として喫茶店を開業。2店舗目も。

コンテナをDIYして作った「喫茶&スナック数多」の様子

この状況を知って、故郷の仲間ともう一度会える場所を作ろうと考えた矢羽田さん。お金は無かったそうですが、ボロボロのプレハブ小屋を改装し、地元の元大工だった方々の支援もあり、3ヶ月で延べ300人ほどが関わって2020年3月に喫茶店「喫茶&スナック数多(あまた)大鶴本店」を大鶴地区にオープンしました。

その後、日田市内にもこんな場所を作りたいと思い、ちょうど空き店舗となった元バーを借り、「数多ききや店」として2020年11月に2店舗目もオープンした矢羽田さん。バーである2号店には、昼間に子どもも気軽に遊びに来てくれるようです。

矢羽田:地元の若手でこれから家業を継ぐ人、いつか起業したいと考えている人などがここに集って人脈を広げたりシェアできると良いなと。バーテンダーも僕だけでなくて、いろんな方々に立ってもらいたいですね。今はお坊さんをしている友人と交代でバーに立っていて毎週末に喫茶を開けています。

こうして、地域おこし協力隊卒業後の仕事も決まった矢羽田さんは、他にもホームページを作る仕事などを請け負いながら、岡山で遠距離となっていた今の奥様ともご結婚され、今は2人で日田市で暮らしています。今後は美容師である奥様の目標である訪問型美容室を始めるなどしていきたいそうです。

矢羽田:いろんな理由で週末しか店を開けられなかったり、色々な仕事をしているっていうのがなかなか地域の方に伝わらない難しさはありますね。どこでもできる仕事スタイルを持って、奥さんの故郷岡山市と日田市を繋げられるようなこともしていきたいですね。

何をやったかではなく、どれだけ一緒にいたかという文化が課題。

バーには昼間に子どもも遊びにくる。

地域おこし協力隊時代から、いろいろな方々とコミュニケーションを取ることを大切にしてきた矢羽田さん。お酒を介した場にも、お金が無くなるほどに参加してきたそうですが、家族もでき、ここにきてその文化に課題を感じるそうです。

矢羽田:コミュニケーションを大切にしてきたので、飲み会にも積極的に参加してきましたが、何をやったかではなく、どれだけ一緒にいたかという文化に課題を感じています。多様な暮らし方や仕事の仕方が増えてくると、今までのようなコミュニケーションの仕方では時間や体力のバランスが取れないかも知れない。自分の暮らしのどこに重点を置くのかということが、移住やUターンでは大事だなと感じます。自分が作った場はそういった方々が気軽に相談できる場であって欲しいなと思っています。また、日田市に移住する人はそれなりにいますが、僕らの世代が全然いないんです。だから、同世代は大切にしていきたいですね。

最後に

故郷である日田市に帰り、被災を機により深く地域と関わった矢羽田さん。地域の人とつながる時間と、プライベートや仕事の時間のバランスに新たな課題意識があるのだなと感じる取材でした。災害からの復興というフェーズを通して、見直していく日田市での自分の暮らしは順風満帆ではないけれど、この苦境さえも仲間達と楽しんでいる矢羽田さんと話していると、なんでも笑い飛ばして行けそうな気分にもなります。移住前に町をディープに感じたい方はぜひ矢羽田さんのお店を訪れてみてください。

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FACILITIE

喫茶&スナック数多

〒877-1106 大分県日田市大肥本町1218

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WRITER 記事を書いた人

Tomomi Imai

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snufkiins LLC. 代表社員
離島移住計画 代表
Re-harmo PJ オーナー
25歳でフリーランスとして独立し、多様な分野にてプロデュースやディレクター業を経験。モノコトヒトをつなぐひと。多様な伴走を得意とする。国内外問わず事務局代行・企画編集など多様な業界を経て2018年に法人化。長崎県上五島にてキャンプ場兼カフェ「Re-harmo PJ」を展開し、島に仕事や場を作ったり。絶賛子育て中。ヨガ・サーフィン・音楽・映画・コーヒー・日曜大工が趣味。

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