取材者情報
- お名前
- 早川 光樹(はやかわ みつき)
- 出身地・前住所
- 出身地:神奈川県相模原市
前住所:神奈川県相模原市
- 現住所
- 大分県佐伯市蒲江
- 年齢
- 24歳
- 家族構成
- 父、母、双子の妹
- 職業
- 道の駅かまえ Buri Laboratory 店長 (株式会社蒲江創生協会 代表取締役)
- Webサイト
- http://buri.fish
幼い頃から通ってきた父の故郷佐伯・蒲江。海も山も遊べるこの地に久しぶりに帰ってきたら、思い出の場所が少しずつ減っていっていることに気づき、魚屋経験もある自分に何かできないかと思うように。そんな時に大分合同新聞で見つけた道の駅かまえの指定管理者募集に、大学のゼミの先生に背中を押され応募し見事に受託。中国留学も経験し、世界を見てきた若者が今移住し起業してまで始めた自分の新たな故郷再構築とは?
「事あるごとに帰ってきていた父の故郷、佐伯。自然の中で遊んでいた子供時代。久しぶりに帰ってきたら、思い出の場所が少しずつなくなっていることに寂しさを覚え。」
今年24歳になった早川さんは、神奈川県相模原市で生まれ、お父様が佐伯市内出身。小さい頃からよく佐伯に帰ってきては、自然の中で遊んでいたそうです。高校の頃はずっと魚屋さんでバイトをしていたのもあってそこで魚が好きになったそう。アメリカンフットボール部に入ったのもあって、英語を学びたくて国士舘大学の国際系の学部に入り、1年次から中国の大連市の旅順(りょじゅん)に大学の学部のプログラムを使って1年半留学。留学生寮に住んでいたので、いろんな国の留学生と一緒に暮らした経験があります。
「留学から帰ってきたときに祖父が亡くなったのもあって久しぶりに佐伯に帰ってきました。5-6年ぶりに帰ってきて、寂しくなってしまっているところを感じましたね。昔は川に行けば子供もたくさんいたし、マリンカルチャーセンターも全盛期だったのですが、閉鎖していました。東京に戻ってからも佐伯が寂しくなっているのかなあと引っかかっていたんです。」
*マリンカルチャーセンターとは
かつて大分県佐伯市蒲江(旧南海部郡蒲江町)の元猿海岸近くにあった、海洋科学館、海水プール、宿泊施設等からなる公共施設。恋人の聖地に選定されていた。利用方法の抜本的な見直しのため、2018年4月1日から利用を休止している。
参考:wikipedia
「ゼミがきっかけ。祖母の家を拠点に通いながら、起業を学ぶつもりで町の人とも一緒になって計画書を作り、指定管理者の公募へ応募し、見事採択。」
3年次に、“起業”を扱うゼミがあり、勉強してみたくて入ったところ、先生が所属しているNPOの中で事業をつくるという実践ができることに。その前調査のつもりで祖母の家に何回か長期滞在しながらいろんな人と会ったり、紹介してもらったり、生産現場などにも行くうちに、「こっちで仕事がしたいな」と思うようになったそうです。
そんな頃に、佐伯にある3つの道の駅の指定管理者の公募を大分合同新聞で見かけ、「また佐伯からなくなろうとしているものがあるんだな」と思ったそうです。
「このことを先生に相談したら、『この公募、応募してみたら?通らないとしても、事業計画書とか事業や起業において大事な経験になるし、実際に審査になったらプレゼンなども良い経験になるから』と背中を押してくれました。自分の好きな佐伯だし、通るのは無理だとは思ったけど、やってみようかなと思ってトライしてみたんです。色々調べたりデータを見つけたりしながらだんだん本気になってきて、先生と何度も修正を重ねて行くうちに、最後は絶対やりたいと思うようになっていました。」
資料もできてきたので実際に応募し、審査もしてもらい、プレゼンも終えたら、なんと無事通過。2019年12月に告知があり、1月に佐伯に移住し、4月にオープンと、あっという間に道の駅駅長になったのでした。
「現場にずっといたわけではないので、アイディアをたくさん書いて、飲食店の原価率の高さなど課題を抽出していきながら、新しく人を呼ぶアイディアとしてブルーツーリズムなども勉強しつつ作って行きました。」
コツコツ佐伯に通いながら、加工業者さんも役員で参加してくれるなど繋がりを作りつつ、町を巻き込みながら計画書を書いていったそうです。指定管理を受けるにあたって、この施設も15年ほど経つので、一部は市の方でも手伝ってもらいつつ、自社負担もしながら2020年3月に飲食店の内装がリニューアルされました。
「過去の赤字をまずは見直しながら、スタッフみんなで一緒になって考え、生産者さんたちともコミュニケーションをとってよりよくしようと奮闘した1年。」
現在、アルバイトさんを含め15名の従業員が在籍。内社員は4名。スタッフと一緒にレストランの椅子の色も決めたりしているそうです。
「始めやすさはありましたが、改善すべきところは結構あったので、大変でしたが、ようやく営業利益も出始めてきました。指定管理が決まった時から何かしら問題はあるだろうと思っていたけれど、ワクワクしている自分がいました。運営が立ち行かなくなったこともあったので試行錯誤の連続でしたね。経費を見直し、小さな経費を少しずつ切っていくところから始めました。全盛期に比べて売上は大きく変わっているのに、人の数は変わってなかったので、人件費も見直したり。レストランでは原価率の改善に努めましたね。新しい料理長と共に、料理の内容含めじっくり見直して、それまで赤字経営だったのをこの1年で黒字まで持ってこれました。」
大変なことはと聞くと、「人との関係」と語った早川さん。自分とスタッフ、スタッフ同士もそうですが、直売所なので、なかなかパワーが強い生産者さんたちのとつながりも増えていくと、お互いの想いや考えの部分で合わなかったりすることも。
「やりとりのバランスが今の課題ですね。僕はできるだけみんなで作っていくイメージがあって、どうやったらみんなのバランスを取れるかなと考えるのが大変ですね。」
「道の駅の中でも差別化したい。実はブリの生産量全国2位だった佐伯を“ブリの店”として覚えてもらいたいと立ち上げたBuri Laboratory」
全国に1200ほどある道の駅は、ほぼ全て後ろに地名がつくだけで、どこも同じような雰囲気というのが現状の中、人を外から呼ぶならまず看板から変えようと思ったそう。
「佐伯は1800ある市町村の中で養殖ブリ生産量全国2位。いろんなブランドもあるから、ブリに特化してみようと思い、去年「道の駅かまえBuri Laboratory」というのを始めました。」
他の道の駅と差別化するために、内臓の料理や、酒粕を与えた美人ブリとの食べ比べ、日替わりでいろんな種類を使ってみたりしながら、ブリの魅力を伝えています。。
「お客さんからもあのブリが食べたいと言われるようになりましたね。ブリ自体が11月から3月が旬なので、この魚はまだ冬のイメージなので、春や夏ではどう売り出していけるだろうかと模索していますが、もう1〜2年やっていたら通年楽しめるような企画が出来上がると思いますね!」と意欲的に語ってくれるその目はとってもキラキラしていました。
「素晴らしい生産者さんにも会えたので、試しに夏に旬が来るブリ属であるカンパチを使ってみたら結構喜ばれましたね。」
一言で“ブリ”と言っても、実はその範囲はとても広く、アジ科ブリ属としてカンパチは位置しているとのこと。こんな知識は魚屋さんを踏んだ早川さんならではの発想です。
「今後はブリの可能性をもっと広げて、蒲江を拠点に海外に向けて積極的に伝えていきたい」
ブリの研究をもっとしていきたいという早川さん。去年は初めて表参道で行われた佐伯の食材をピックアップしたポップアップレストランに、美人ブリを持って行き、キッチンスペースにてワークショップ形式で説明しながら佐伯のいろんな食材と共に楽しんでもらうという企画を行ったそうです。
「道の駅って基本的にはその地に来てもらって、実際に観光してもらうことが大事だけれど、水産業を含め、佐伯ではいろんな食材をいろんな人が作っているから違いもあって、そういったことを蒲江以外に伝えていくことをもっとしたいですね。」
今後はここを拠点にしながら東京や海外にも行きたいと語る早川さん。中国留学時に出会った内陸の友人が同じ歳なのに海をみたことがない上に、海の魚を食べたことがなかったと知ったとき、そういえば初めて海を見たのはいつだっけ、初めて魚を食べたのはいつだっけ?と思ったことがきっかけだったそうです。
「育った場所が違えば経験も違うのだなと知れた大事な経験でした。その人と初めてお寿司屋さんに行った時に、僕には普通のことだけど、その方は意を決して食べた生の魚に感動して、『こんな文化がある日本はすごい!』と言ってもらえたんです。僕も魚を説明するのが楽しかったし、こんな仕事をしたいなと思ったんです。日本にいて魚の説明をしても、当たり前としか思われないけれど、海外にはこんなにも感動してくれる人がいるから、face to faceで会えるような伝え方をしていきたいですね。」
「海から直送。この環境で食の裏側が好きな人や広報力がある人は一緒に楽しめそう。」
佐伯はどんな人が楽しめそうですか?とお聞きしたところ、「食が好きな人、食の裏側が好きな人ならより楽しめそう」と話してくれた早川さん。
水産業に関して、大分県の中でも佐伯市がその生産をほぼ占めています。特にブリの生産量は全国2位ですが、そこには大きな会社が入っているわけではなく、地場の人がたくさんいて、みんなそれぞれに強い想いがあります。その想いに向き合っていけることが、ここに暮らす醍醐味のよう。
「目の前の市場から直送してきた魚を仕込むとき、あまりにも綺麗すぎていつも驚くんです。」
今後はここのいる生産者や想いなどを発信できる人、広報・PRを総括してできる人がいたらより蒲江は盛り上がるのでは?と語った早川さん。食材を伝えるという部分で一緒に広げてくれる人がきたらいいなと思っているとのことでした。
■最後に
大学卒業と同時に移住・起業し、思い出の地蒲江を拠点に新たな挑戦を始めた早川さん。決して豪腕を振るうような起業家ではなく、一緒に働くみんなと足並みを揃えながらここにいる人々とどう共存して行けるか、自ら実験しつつ失敗と成功を繰り返しながら作り上げている様が伺えました。新しいことを始めているようで、実は良さの掘り起こしをしていて、“海辺の優しくて爽やかな革命”はまさに彼の人柄あってなのだろうと感じました。ランチでもみたこともないような美しい刺身をいただき、嬉しそうに説明してくれた早川さん。好きこそものの上手なれ。ぜひそんな人がまたここにジョインできたらもっと楽しい場所になりそうですね。