大分移住手帖

27年勤めた国家公務員を辞めて、豊後高田へ移住して得た笑顔があふれる生活。

高畑圭司 Kg

27年間続けた国家公務員の職を辞して、豊後高田市に移住して「えほん 月波や」を営む金谷さん。安定した仕事・生活から一転して、新しい土地・新しい仕事に挑戦してきた金谷さんにお話をお伺いすべく、豊後高田市の昭和の町の中にある金谷さんのお店を訪ねました。

 

「えほん 月波や」の外観

 

刑務官としての27年間

移住するまでの金谷さんは、刑務官として全国各地の任地を巡り、27年もの月日を過ごしたそうです。

金谷 : 国家公務員で刑務所の幹部職員でした。業務に関しては、刑務業界の中では比較的自由にやらせてもらっていましたが、全国を対象に2年に1回転勤があり、松山・高松・広島・福岡など色々な地域に転居して、それ自体がストレスになっていました。

そんな中で27年仕事続けましたが、子育ても終わって子どもたちも独立していき、仕事が嫌になってくじけてきた感じです。最後の任地は福岡で、53歳の時に退職しました。奥さんは理解があり「退職金がなくなるまでは遊んでいいよ」と言ってくれて、退職金がなくなるまで遊べたらいいなと思いました。

 

たくさんの絵本が溢れる店内

 

単身で豊後高田市へ移住

退職し単身で移住を考えるようになった金谷さんですが、最初は豊後高田市に移住するとは考えていなかったそうです。

金谷:転勤が多かったので、定住したいと思っていました。でも、できれば人に使われるような仕事はしたくなかったので、個人で何か事業をしたいと考えていました。移住するのであれば、商売を行うにあたって有利かどうかを考えて、もっと大きな街を想定していました。結局、自分に縁があるとか、町が気に入るとか、そんな感覚的なことで決めてしまいましたが、決断に至ったのはここで知り合った方に親切にされたからだと思います。豊後高田市に住んだことはないのですが、父の出身地で先祖の墓もあるなど地縁やルーツがある豊後高田市周辺で、何かできればと考える様になったんです。豊後高田市の移住の担当課が誠実に対応してくれるなど大変よくしてくれました。施策なども詳しく教えてくれたし、具体的に担当者に繋げてくれました。起業の担当課も誠実に接してくれました。手厚いサポートで、店を作る前も、作った後も足を運んでくれました。移住先を決める上で、場所も当然入っていますが、出会った人と関わる中で、ここなら大丈夫という安心感がありました。

 

絵本を説明する金谷さん

 

自分と向き合う生活

豊後高田市に単身で移住した金谷さんは、自分自身を見つめ直す時間を取れるようになったと言います。

金谷 : まず、付き合いの飲み会が少なくなりました。前職では管区組織の研修や偉い人、各施設の人をもてなすために週に2回ほどあったのですが、仕事の一環という事で楽しくなく苦痛でした。以前は仕事のことばかり考えていたのですが、現在は夕方5~6時には店を閉めて、自分のことができます。前職では逆に夕方5〜6時から仕事ということも多かったですね。自分は何ができるかを考える時間が増えました。

今までは周りの評価に引っ張られていましたが、今の自分にはそれがなくなって楽になりました。その代わり、結果が全て自分に返ってくる状況ではあります。儲かることでも、やりたくないことはしたくないです。やりたいことができる方が人生では大事だと考えています。仕事を辞めて何もないと思ったところからスタートしましたが、やっているうちに何か出てきます。楽しくやってれば周りから声がかかってくるし、不安や悩みなどがあってもみんなが心配して助けてくれます。お金は儲けようと思ったら頑張ればいいですが、時間は取り返しがつかない。だからこそ楽しいことをしたいと考えています。

移住してストレスのない生活を送るようになって、自然と笑顔が増えたそうです。

金谷 : 前職を50代中頃で辞めたので、退職金も減りましたが、辞めてよかったと思います。楽しんで遊んで、周りにもいい顔になったと言ってもらえます。奥さんに言わせると、元々はそういう人で、役所勤め向きではないなんて言われました。場所や環境を変えたことで、生きていて良かったなと実感できました。自分にとってここは最高です。

子供にも楽しい事ばかりしてニコニコしている姿を見せて、人生楽しいよと教えてあげる事で、いい影響を与えていると思うそうです。奥さんからも「表情が充実しているので嬉しい」と言われるようになったとか。まだ気力・体力があるからこそ、色々展開できるのではと感じているそうです。

店内にある黒板には子供たちが絵を書いています。

 

そんな充実した生活を送る金谷さんには、お店以外の仕事もあるそうです。

金谷 : 平日は他の仕事をしています。近くにある封部小学校で学童保育をしたり、前職の経験を活かして刑務所出所後の保護観察を行う保護司*をしています。未来ある子供たちの成長していく姿を見守りつつ、刑に服した後に社会復帰していく方の人生に関わるなど、振れ幅が広い経験をさせてもらっています。

ボランティアで他の小学校に読み聞かせに行き、子どもたちと触れ合うこともあるそうです。そういった経験も自分のためになっていると感じるそうです。

 

店内には訪れた子供たちの写真が貼られています。

 

初めての商売

笑顔溢れる充実した生活を送る金谷さんに、実際に移住して感じた率直な感想をお聞きしました。

金谷 : 生活で困ることは全くありませんでした。移動も買い物も問題ありません。夜の付き合いがなくなったので規則正しい毎日です。仕事上のストレスもありません。地元の方との付き合いは楽しいです。よく田舎は近所付き合いが難しいと言われますが、通勤とか仕事上の様々なプレッシャーと比べたら、何てことはないと思います。

移住して初めて商売を手掛けた金谷さんですが、そこから学ぶこともたくさんあったそうです。

金谷 : 今まで商売をしたことがなかったので、いろいろと試行錯誤をしましたが、大変といえば大変ですが楽しみながらやってきました。その過程で、地元や移住してきた人など様々な方と知り合いになり、それが今の財産です。また、地域の小学校の読み聞かせボランティアに参加したり、毎朝、児童への交通安全指導で横断歩道に立ったりさせてもらっています。結果、自ずと地域に愛着が湧いてきます。

前職では立場や役割が用意されていますが、辞めた後はそれまでの積み重ねが通用しません。企業では、仕事のために自分が気に入らなくても付き合うなどのしがらみがあって、それも給料に含まれていると思います。独立して商売をはじめたら、経営など何もかも自発的にやらないといけませんので、それがつらいとか、口を開けて待っている人は向かないと思います。自分から居場所を求めて動ける人。自分で作ったもので自分以外にはできないことをやることが大事だと思います。移住して市役所の人たちがよくしてくれても、自分から頑張らないと居場所はできません。それを楽しめるかどうかだと思います。税金で補助してもらって愚痴ばっかり言っていたら、移住先に受け入れられません。もらったものは返したい。ここで生きていくのだと頑張っていきたいです。

豊後高田市は2万人ぐらいの小さな街で、みんなが見ていて繋がっているので、すぐに結果が自分に返ってきます。しっかり個性を立てていかないとできないですよね。とにかく、自分で物事を動かさないと何も進みません。楽しくしたいなら動きましょう!

 

開放感がある店内の天井。

 

楽しい暮らしサポーターズ事務局を結成

単身で豊後高田市に移住してきた金谷さん。広島に残してきた奥様も近々移住してくるそうです。

金谷 : まだ広島にマンションがあるのですが、引き払わずに奥さんが移住してくる予定です。以前は看護師だったのですが、現在は支援相談専門員の仕事に従事しており、同種の仕事を豊後高田市でも探す予定です。あと3年、年金までは食い繋ぎたいと考えています。

色々な仕事に携わり多忙な金谷さんですが、新たな活動も行っているそうです。

金谷 : 今度は自分達が移住者を支えていきたいと考え、移住してきた4名のメンバーで「楽しい暮らしサポーターズ事務局」という団体を結成して、移住者と地元の方との交流の場を提供したり、マルシェや古本市を行っています。移住した際に、豊後高田市役所の移住担当者や移住してきた人や地元の方にお世話になって、この町に愛着が湧きました。そんなことを継続的に推進したいと立ち上げた団体です。この活動を行うことで私も新たな出会いを楽しんでいます。

 

店内1階のディスプレイ。

 

22回の転居と自分の故郷を作るための移住

金谷さんから移住希望者の皆さんへ、メッセージを頂きました。

金谷 : 私は人生で22回の転居をしてきているので、今回の移住は「自分の故郷を作りたい」という気持ちで来ました。地域の面白そうな集まりには貪欲に顔を出しましたし、どんどん知り合いを増やしていきました。そこから自分の生活に役立つことや楽しそうなことを探して追求する一方、興味のないことからは距離を置くようにしました。そのおかげで、今ではこの土地に凄く愛着がありますし、地元の役に立つことならどんどん協力したいと思っています。自分が「ここだ」と思ったところで頑張れば自ずとうまくいきます。

一方で「ここじゃないな」と感じたら、無理をしないことも大事だと思います。納得して移住生活を楽しまないと、地域にも自分自身にもよくない影響が出ます。移住先はどこがいいか悪いかは本人次第で、合わなかったら別の場所に行けば良いだけの話だと思います。居場所ができるまで迷うのも人生かなと感じています。

自分もそうだった様に、移住する人には移住する理由があります。今の自分に無いものを探しているのかもしれません。移住サイトなどを見る方は、今の人間関係に疲れている方も多いかもしれないですよね。楽しもうという気持ちがあるなら、余計な心配はせずに、飛び込んでみましょう。みんな助けてくれます。楽しいことだけしていきましょう!

 

「えほん 月波や」がある豊後高田昭和の町の玉津商店街入り口。

 

最後に

いつもニコニコして朗らかな金谷さん。包容力があり柔らかい人柄という第一印象でしたが、お話を聞くうちに、きっかけとして縁を大事にしつつも、物事をしっかりと考えた上で、決断が早く実行力のある方なのだとわかりました。移住生活を希望する皆さんが望む日々を送るためには、楽しみながら積極的に行動し環境を作っていくことも大切だなと思いました。

 

*保護司
保護司法(1~5条、7~9条、11~18条)・更生保護法(32条、61条、64条)に基づき、法務大臣から委嘱を受けた非常勤の国家公務員で、犯罪や非行に陥った人の更生を任務とする。
via : https://bit.ly/3ny5tx9

取材者情報

お名前
金谷どうはん
出身地・前住所
出身地:北九州市小倉 前住所:広島市
現住所
豊後高田市玉津
年齢
56歳
家族構成
広島に妻を残して単身赴任 娘1人既婚 息子1人群馬
職業
えほん 月波や
Webサイト
http://tsukinamiya879.com
Facebook
https://www.facebook.com/tsukinamiya879

PHOTO

  • 27年勤めた国家公務員を辞めて、豊後高田へ移住して得た笑顔があふれる生活。
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WRITER 高畑圭司 記事を書いた人

Kg

自営業。Pdw代表/シロバーガー統括、府内5番街理事、SC-RECS.com/クラブイベントインフォ/SCLS/DubRize/PLay/合同写真展など主宰、サイト・DTP・DTM制作、ライター/DJ/ライブ/テルミン使い。
https://twitter.com/_pdw

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