大分移住手帖

映画の美術スタッフとして全国を飛び回る多忙な生活から一転。たどり着いた豊後高田での田舎暮らし。

Kg

取材者情報

お名前
清成麻理子
出身地・前住所
東京都
現住所
豊後高田市河内地区
年齢
37
家族構成
夫、猫1匹

「恋空」「カラアゲ☆USA」「希望の翼」など、有名映画の美術スタッフを経て、豊後高田市に移住し暮らしている清成さん。大活躍されていた生活を置いて豊後高田市にどのように出会い、移住することになったのか、自然豊かなご自宅にお伺いしてお話を聞きました。

 

清成さんのご自宅の玄関先。庭には池や鳥居もある。

 

映画の美術スタッフとして過ごす多忙な日々

東京で生まれ育ち、高校卒業後に日活芸術学院に入学し、在学中からアルバイトで映画の美術スタッフや小道具などのセットデザインを行っていた清成さん。卒業後もそのままフリーランスとして活動を続けたそうです。

清成 : 中学・高校が美大附属で、その後日活の映画専門学校へ進学しました。入学した途端に映画撮影の現場に投げ込まれたので、10代から現場仕事が始まりました。実際に現場で見て覚えて学び、撮影所で暮らすような生活です。映画のスタッフという仕事はフリーが多く、私も専門学校卒業後はフリーになりました。撮影現場では時間に追われ、休みもなくほとんど寝ずに3ヶ月~半年働いて、撮影終了後に1ヶ月休むというようなルーティーンです。休みの間は旅行に行くなどしてリフレッシュしていました。映画の撮影なので、海外ロケや地方ロケもあり、インドなどなかなか行けない場所にも足を運ぶことがあり、貴重な経験ができました。

そんな清成さんに心境の変化が訪れます。

清成 : 映画のスタッフをして日本各地を撮影して回るうちに「土地に深く根ざして生きる」ということに憧れを抱くようになりました。2011年3月11日の東日本大震災の際には、都会での暮らしの脆さや危うさを感じようになりました。
インフラは簡単に止まってしまい、物資もなくなる中で、生きていく場所というものを考えるようになりました。都会での暮らしを見直す中で、エンターテイメントの役割は何だろうとも考えたそうです。

清成:日本から1回離れてみようと思い、以前、日韓合作映画に関わったこともあり、2012~2013年に韓国・ソウルへ語学留学に行きました。ソウルは昔の日本みたいなイメージで、人の距離が近く情があり住みやすかったです。それまでは「日本=東京」になっていましたが、ソウルにいる間に地方に住んでみたいと思うようになりました。

土地に深く根ざして生きたいと思うようになった中で、東日本大震災、ソウルでの留学経験が背中を押し、地方に移住したいという気持ちが高まっていったそうです。

 

清成さんのご自宅の内装。壁などは自分で塗ったとのこと。

 

仕事から繋がった縁

仕事を通して、大分には元々好印象を持っていたと言う清成さん。関東との感覚の違いには翻弄されつつも、その郷土愛が印象的だったそうです。

清成 : ロケで全国各地を回ってきたのですが、九州の方は地元愛が強くなかなか関東育ちでは分からない部分もありました。理解するまでに苦労することもありましたが、その反面、仲良くなればとても深く付き合うことができるなという印象でした。
また、同じ九州でも、大分だけ少し印象が違いました。九州の中では慎重な方で、最初は様子見をするけれど、干渉はしないイメージ。風通しがいいところが気に入りました。方言のイントネーションも標準語とそこまで遠くないので、東日本の人は住みやすいかもと感じていました。地元の東京は海が東にあり、大分も同じなので、そういった部分でも違和感がなかったのかも。

2007年「恋空」(大分市中心部・大在)、2009年「風が強く吹いている」(大分市)、2013年「カラアゲ☆USA」(宇佐市・豊後高田市)と、撮影で何度か大分県を訪れたことがある清成さん。そのことがきっかけで移住先を決めたそうです。

清成 : 2013年に宇佐市で撮影した「からあげUSA」で、宇佐市や豊後高田市で縁や繋がりができたんです。
後に移住しようと決め、豊後高田市の市役所の方に相談したところ、地域おこし協力隊の募集があることを知ったので、観光セクションで応募し、その制度を活用してすぐに移住しました。

大分県内でも色々な地域がありますが、その中で豊後高田市を選んだ理由があるそうです。

清成 : 近隣エリアは女一人(単身)で住むには少し“広い”と感じました。豊後高田市は街がコンパクトにまとまっていて、暮らすのにちょうど良いなと思いました。歴史や文化のある場所が好きなので、特有の風土豊かな国東半島を選びました。大分空港が近いのも、何かあれば東京にすぐ飛べるので大きな理由の1つでした。

 

清成さんのご自宅。綺麗にリノベーションされていて住みやすそうでした。

 

ある程度便利で田舎の良さがあるいいとこどりの今の暮らし

2014年の秋から豊後高田市に移住して、今年で7年目になる清成さんに、実際に移住した感想を聞いてみました。

清成 : 利便性もほどほどに高いのに田舎の良さはある、いいとこどりの生活で気に入っています。市街地まで10分以内で、生活する分には何も困りません。近所付き合いや出ごともありますが、高齢化に伴いスローペースになってきているので私の居住地区ではさほど大変ではありません。国東半島は特有の文化やお祭りが多く、それがとても楽しみです。あとは、行政がとても頑張っています。移住に際してのサポートや子育て支援が、都会では考えられないくらいきめ細かく手厚いです。

現在は、地元に根差した様々な活動を行っているそうです。

清成 : 宇佐市の地域おこし協力隊2人と仲良くなって、一緒にインバウンドのこと・翻訳・グリーンツーリスムなど困りごとを解決する交流会「Oneばうんど」を設立しました。3年間は任意団体として活動を続け、今年7月に法人化しました

この活動1本で食べていくのは厳しいので、私は支援員の資格がなくてもできる学童の先生をしています。今年は新型コロナの影響で、子供たちは毎日が夏休み状態で大変でした。「Oneばうんど」の他のメンバーはゲストハウスの運営などを行っています。映画の撮影の話も来ますが、短くても1~2ヶ月は拘束されるため、今の暮らしを優先したいので断っている状況です。

そんな中、なんとご縁がつながって地元の方とご結婚されたそうです。移住したての暮らしをサポートしてくれた方だったそう。

清成 : 移住当初、車無しで来たら困ってしまって、色々世話を焼いてくれたのが縁で、豊後高田市の観光課で働く夫と結婚しました。結婚式は豊後高田市のお寺さんで挙げました。旦那さんの実家は神道だけど、国東半島は神仏習合の文化があるので、問題なかったです。お寺の中で餅まきをして盛り上がりました。披露宴は富貴寺の横にある旅館「旅庵 蕗薹」で行いました。引き出物は、よくあるカタログでは満足できないので、ご当地のいいものを集めたギフトカタログを自分達で作って配りました。司会者には東京から豊後高田市に移住したプロの司会者で、現在はご家族で放牧牛の事業をしている佐藤さん、カメラマンには国東の移住者の方に来て頂きました。この場所だからこそできた結婚式でした。

 

リノベ前から家にあった年代物のステレオ。旦那さんがレコードを聞くなど、現在も使用しているとのこと。

 

間も無く訪れる転機

順風満帆な移住生活を送っている清成さんに、移住して大変だったことや、これからの課題などをお聞きしました。

清成 : 「車がないと生活できない」「草取りをしないと悪口を言われる」など言われますが、生活していけば当たり前のことになっていきます。困っていることや探し物などある時はとりあえず口に出してみると、案外すぐ解決してくれる人が現れたりします。

そんな清成さんが今少し心配しているのは、教育環境のことだそうです。

清成 :現在妊娠8ヶ月で、もうすぐ生まれます。少子化で近隣の小学校がなくなるかもしれないということで気になっています 。

また、田舎ならではの選択肢の少なさが問題で、教育の幅が狭いなと感じます。都会からの移住で、親からすると子供はのびのびさせたいのに、学校は詰め込んで勉強させたかったりなので、移住者の子供は、中学生などの段階である程度親元を離れているようです。のびのびした自主性を育みたいので、北九州にあるオルタナティブスクールの寮に子供を入れて、週末は親元に返ってくるような生活を送る子供もいます。

一人の大人ではなく、親として新たな生活に突入する清成さんに、今後についてお聞きしました。

清成 : 今後の暮らしでは、子育てがメインになりますが、「Oneばうんど」などの活動は続けていきたいです。
子育てで忙しくなるとはいえ、ここだからできることを突き詰めたいです。例えば、自分で竹を採取して、割って、竹細工をするなどの自然の恵みをいかした取り組みは都会ではできないので、そういったことに取り組んできたいです。

 

清成さんの家のリビング。

 

移住希望者へアドバイス

清成さんから、移住希望の方々へ、アドバイスを頂きました。

清成 : 思い描く生活ややりたい事を、あんまり固めすぎずにまずは飛び込んでみてはいかがでしょうか。移住してから広がる視野、やってみたくなる事が増えてライフプランがどんどん変わる可能性があります。いくら事前に調べても、地区で全然違ったりもするので、柔軟性も持っていた方がいいです。「私はこうです!」と強い意見を持ちすぎると、地域と溶け込みにくいかもしれないので、多少緩やかな部分を持っていると過ごしやすいかもしれません。

私の場合は、今でも地域おこし協力隊のOGとして色々な場所を周りますが、30代単身で乗り込んでいったので、「東京からわざわざ女ひとりで、なんでここにきた?」と周りには言われました。地域の方に言われたことを悪口としてとってしまう方も多いかもしれませんが、実はそんなことはないです。特に東京のような都会からくると、まるで宇宙人みたいな存在に思われることはありますが、長い時間軸で関わり合っていけばお互い理解しあえて暮らしやすくなりますよ。

 

清成さんの家の外観。畑や庭もあり、かなり広いです。

 

最後に

清成さんからお話を伺って感じたことは、今までのキャリアではなくこれから自分がどのように生きたいかを考え行動する瞬発力の大切さと、その場に合わせて対応する柔軟性を持つことでした。それまでの人生でコツコツと培った縁が、新たな土地で芽吹いたのではと感じました。

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  • 映画の美術スタッフとして全国を飛び回る多忙な生活から一転。たどり着いた豊後高田での田舎暮らし。
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WRITER 記事を書いた人

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株式会社モアモスト 取締役・一般社団法人まち元気おおいた 理事・Pdw 代表として、サイト・DTP・DTMなどディレクション〜制作をはじめ、ライターや撮影などの業務に従事。大分市府内5番街商店街振興組合の理事として、まちづくりにも携わる。

SC-RECS.com・クラブイベントインフォ・SCLS・DubRize・PLay・合同写真展などを主宰し、各種イベントのオーガナイズからDJやマシンライブなどまで展開中。テルミン使い。

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