取材者情報
- お名前
- よつめ染布舎 小野豊一(おの とよかず)
- 出身地・前住所
- 広島県山県郡北広島町
- 現住所
- 大分県国東市国見町
- 年齢
- 38
- 家族構成
- 妻、長女(6歳)、長男(1歳)
- 職業
- 染色作家・デザイナー
- Webサイト
- https://www.yotsume.co
広島出身の小野豊一さんは、広島の山県郡で家業の染物屋を手伝う毎日から一転、作家として独立を決めました。自分らしい「染め」の表現ができる場とあたたかい場所を求めて夫婦で相談したどり着いたのは国東市国見町。デザインスキルも活かし、「染め」と「ブランディング」を両立する日々。国東市国見町の穏やかな風土のなかで伸び伸びと制作活動をする小野さんご夫婦にお話しを伺いました。
ご主人:小野 豊一さん(以下、豊一さん)
奥様:岡 美希さん(以下、美希さん)
ゆったりとした古民家に色とりどりの暖簾や作品が出迎えてくれるギャラリー「すずめ草」兼工房「よつめ染布舎」
「もともと実家が広島で染物屋をしていて。広島のデザイン系の専門学校を出たあとは、染めの見習い4年を経て実家の染物屋を手伝っていたんです。そのうちオリジナルで作品を作っていき、先輩作家でもある妻の助言もあり、独立を決意しました。」
豊一さんの染めの作品は「型染」という手法によるもの。型染は日本の伝統的染色技法のひとつで、型を使って布や和紙に模様を施していきます。「よつめ染布舎」では防染用の糊に餅米と米糠を使います。インドネシアではロウを、中国では大豆を使うというように、身近な素材を使って技術が継がれていることが特徴のひとつだそうです。
工房を見せていただくと、宙に張った布に染料を引いていく引き染めの工程が行われていました。お話ししながら、サッサッと手を動かし色を入れていく豊一さん。型に沿って糊がのっているところを避けて色が染まっていきます。
現在小野さんご夫婦は、国東市国見町に「すずめ草」という工房兼ギャラリーを構え、夫婦ともに作家活動をしています。同じ広島県出身で美希さんは陶芸作家として個性豊かな作品を生み出しています。
雪深い広島よりも暖かいところを求めて。独立も視野に入れての移住先探し
移住先のリサーチは妻・美希さんが率先して行動したそう。候補として絞り込んだのは実家にも近い九州地方です。そのなかでも福岡、熊本、大分の3県で物件を探しました。最終的に福岡や熊本にはご夫婦が移住の条件として思っていた項目をクリアする物件自体がなかったために候補から外れていきました。
美希:実際に各市町村の役場に電話して、対応が良かった自治体のひとつが国東市だったことも決め手の理由の一つでしたね。国東や豊後高田は過疎地域でありながらもウェルカムな感じで対応がよく、行政担当者からアートに強い方をつないでもらったのも好印象。
当時、豊一さんは実家の仕事を辞めて独立したので、子育ても考えるととにかく早く事業をしようと思っていたそうです。経済的なことも考えて、最初は大分県ならどこでもいいと探し始めましたが、結局対応の良さなどから国見に行きつきました。現在もご自宅の裏に20年以上住んでいるという先輩移住者から「ここは大丈夫よ」と言ってもらえたことも大きく、移住を決めた小野さん一家。小野さん一家が住む国見エリアにはアートやものづくり関係の移住者も徐々に増えてきているという状況も一家の移住を後押ししたそうです。
「広島の地元は閉鎖的なところもあったけれど、ここはひらけていて『やってみなはれ』という寛容な感じが良かった。」
豊一さんの独立と新しい環境での生活のスタートした小野さん一家。
実際、国東に移住してからの生活はどうだったのでしょうか。移住後のお仕事や暮らし方についていくつか質問をしながら伺ってみました。
ー 移住は順調に運んだと伺いましたが、お仕事はいかがでしたか?
豊一:移住・独立と同じタイミングでしたが、つくりたいものやアイデアが溜まっていたので、最初からガンガン作品をつくっていました。でも「染め」だけでご飯を食べていくのは難しいと思っていたので、実家にいるときからやっていたデザイン業も同時に始めたんです。商品パッケージやチラシなどはもちろん、会社のコンセプトワークやブランディングにも携わります。現在は、国東や大分だけでなく、福岡の会社からも依頼が来るようになりました。依頼だけこなしてると仕事がなくなると思うので、何かしらつくりたいものをつくっています。“貧乏暇なし”ですね。
美希:生き生きとものがつくれるってすごいと思いますよ。それをどんどんやれてるから尊敬。私はずっとひとりで作陶していて、もやもやする時期とかなかったのですが、以前の彼は実家の家業と自分のやりたいことの中で葛藤している時期もあったので今はこれで良かったと思います。
ー お仕事で、一番楽しいときは?
豊一:アイデアが浮かんだときです。仕事を依頼してもらってたくさん考えている中でアイデアがパッと浮かんだときは嬉しいですね。でも、パッと浮かぶことはまだその時点で浅かったりするから、働く人のこと、商品のこと、市場のことなどを考えながら深めます。深めるためにヒアリングに徹するので、デザインの仕事は時間がかかります。その会社の考えそのものを変えていく必要がある場合は、スタッフとの軋轢が生じることがあるので、社長からトップダウンで言ってもらうことも多いです。クライアントと一緒につくる感じなので、楽しいしやりがいがあるけど、一方で大きな変化を起こす必要がある場合などは緊張します。染めの仕事はどちらかというと気楽で没頭できる仕事なので、全く感覚は異なりますね。
ー 染めの仕事の面白さは何ですか?
豊一:一からものがつくれるっていう創造的なところですね。妻に出会うまでは、工芸というものが全然わかってなかったんですよ。見方を変えれば、自分にとって当たり前だったことを「すごいな」って思えました。自分の憧れている世界みたいのがあって、それしか見えてなかった時期がありました。日田の小鹿田焼にも感動しましたけど、人がものをつくる過程や作り手、ものの在り方に価値がある。そういうものに気づける人になりたいと思っています。型染めひとつとっても、多様なものを伝えられるかもしれない。企業に行ってデザインの話をするときも、箍(たが)を外すよう心がけています。
ー 国東の子育て環境はいかがですか?
美希:今、上の子が6歳で、下の子は1歳なのですが、国東市は保健師さんも良く動いてくれるし、子育てはしやすいです。幼稚園も田舎の雰囲気があり、先生たちが手慣れてて過保護すぎない感じがいいですね。困るのは、子どもの病院関係です。なかなかいい小児科がなくて、国東市民病院はここから1時間かかるの。救急のときは別府までいかなきゃいけないので大変です。
ー 家族で休みの日はどんなふうに過ごしているのでしょうか?
豊一:別府にご飯食べに行きがてら温泉とか行ってましたね。夏は毎週近くの海に行ってました。すぐ近くに海があるのでありがたいですよ。
ー 国東に来てよかったことは何でしょうか?
豊一:暮らしていけること自体がありがたいですね。四季それぞれに食材があることも、広島から来ると当たり前ではないです。この前長野の方が「九州は採れる果物量が違う」って言ってたのですが、国東は海の幸もあって、ワカメやアオサがたくさん採れたりして本当だなと感じています。気候もすごく過ごしやすいです。
何かがあったというわけじゃないけど、じわーっと暮らしやすいなっていう感じです。情報を探しているときも、知り合いの方が繋いでくれたり。今になって、地域の祭りに参加したり行事の手伝いをしていてよかったなと思います。総じて良い人が多くて、特に大変なことはないです。“みんなでやっていこう”という柔らかな空気を感じます。
ー 今住んでいる国見地域に関わることはありますか?
豊一:この地域に「国見アートの会」というものがあって、時々イベントをやっています。「ギャラリー巡り」という、まちを開いていくイベントもやっていて、最近では小中学校にものづくりを教えにいくプログラムもやってます。今まで単に人を集めてまた来年もやろう、という感じが多かったんですけど、その価値観をやめて積み上げて価値になっていくもの探しませんかって話してます。今は30~40代の人が地域に関わろうとしています。国東地域の「お接待文化」*はこの年代層の取組みにもにつながっている気がします。芸術文化の役割を模索しながら話し合っています。
ー この先どんなことをやっていきたいですか?
豊一:まず工房の場所を移して新しくして事業も少しずつ変えていきたいと思っています。工房を広くして技術を教えることもできたらいいなと。長期的に「型染め」というものを仕事にする人を増やして、独立まで応援できたらと考えています。「型染め」の技術を残したいです。「型染め」そのものを知ってもらって、その中の多様な価値や世界観に触れてもらい味わってもらう必要性も感じています。今後も国東を拠点にして活動を続けたいです。
最後に
「よつめ染布舎」と「よつめデザイン」という肩書きを置いて、ものづくりの仕事を通して小野さん夫婦が培ってきた感性と手仕事は確かに国東の地で花を咲かせ、人々を喜ばせています。これからは人材育成や教育分野にも積極的に関わっていきたいと語る豊一さんの目にはまっすぐな光がありました。国東で伝統の技を継承し伝えながらも新しいものを模索していく気鋭の存在感も感じました。これからますます発展していく創作活動から目が離せないですね。
*お接待文化
四国のお遍路さんへのお接待が有名だが、国東地方においても3月21日と7月21日は弘法大師のお接待といって廻り番で米を集めて炊き、お参りの方に接待する。各家庭や集落で様式は異なるが、近隣の住民の寄合の場ともなっている。
photo by 谷知英(一部除外)