取材者情報
- お名前
- 武井 啓江(たけい ひろこ)
- 出身地・前住所
- 東京都国分寺市
- 現住所
- 大分県国東市国見町
- 年齢
- 57歳
- 家族構成
- 娘(中学生)
- 職業
- 宿泊業
- Webサイト
- https://norbulingka.info
- https://www.instagram.com/norbulingka_
古い神社を抜けた先にある国東市国見町の集落に、武井さんの拠点であり住居 Norbulingka(ノルブリンカ)はあります。山も海もある国見地区で自然の恵みをいただきながら、自給自足的生活を謳歌する幸せ。人生を模索しながらたどり着いた、国東での暮らしについてお話を伺いました。
国内外で転職を重ねる中で思うようになった、ものづくりでの独立。
武井さんは教育に熱心なご両親のもとで育ち、慶應義塾大学文学部に入学。東京での大学生活では広告学研究会というサークルに入って葉山で海の家を経営したり、学園祭をひらいたりして楽しんでいたそうです。
「若いときは、これが天職!というものがあると思っていました。メーカーに就職し、その後転職を数回経験しました。仕事はそれぞれにやりがいはあり、高級車を乗りまわしている時代もありましたが、『一生やりたい』とか『お金がもらえなくてもやりたい』というものがなかったんです。」
時には1人でインドネシアに渡り、貿易関係の仕事で社長の代行役を務めたこともありました。しかし、折衝続きで人間不信に陥ったそうです。商談してその次の日には裏を取りに回るような、神経をすり減らす生活。責任感の強い武井さんは、そんな仕事もこなしていきました。
「インドネシアにいる頃からお休みが年に1日くらいになっていました。後半は良いお給料もいただいていたけど、自分の時間がない中で『もらっているお給料のために仕事する理由』がわからなくなっていました」
だんだんと自分の生き方に疑問を抱くようになった武井さん。30歳、東京にて飲食店を設計から運営まで手がける機会を得て、テナント探し、店舗設計、従業員の募集及び教育など開店までの全ての業務を担当しました。開店してからはマネージャーとして店舗に立ち管理指導、その他経理など全てを行ったそうです。
「当時、什器備品など市販にないものを自分でつくったりもしていました。私ものづくりが好きなんだと気づきました。いつかは何かものづくりで独立したいなと思うようになりました。店舗が軌道に乗り人気店となったタイミングで、お金も貯まったし会社を辞めました。」
自然の恵みとつながる幸せを知った沖縄暮らし。
仕事を辞めた武井さんは、沖縄県に移住しました。まず西表島に長期滞在し、友人の縁から久米島へと移り住みました。そこでの生活が武井さんの価値観や世界観を一変させました。
「貯金も使ってしまい沖縄ではお金が全くない状況だったので、ちいさな廃屋をトンテンカンテン直して家にして、たんぱく源を海に採りに行きました。その辺に生えているものや、近所の友達が持ってきてくれる野菜をいただきながら暮らすようになっていました。これが実に楽しくて幸福だったんです。人間って自然の恵みに生かされているんだなって心底感じたんです。」
沖縄で実体験した狩猟採集生活の楽しさと喜び。赤坂のど真ん中の高級マンションに住んでいたときには感じられなかった、絶対的な幸せがそこにありました。
「沖縄の生活を通して、お金がなくても自然の恵みと人とのつながりがあれば、幸せに生きられると、自信が持てたんです。」
したい暮らしのために学び直し、東京でできることをやってみる。
その後、武井さんは東京に戻り、家具・リフォーム工房に弟子入りしました。自分が思い描いていたキッチンをつくっている作家さんに師事し、ある程度の道具の使い方や技術を学びました。出産、結婚、離婚もこの頃に経験し、1人娘を持つシングルマザーとなりました。東京の多摩地区ではたくさんのものづくり作家さんとの出会いがあり、自身も家屋を手直しつつ、住みながら洋服のデザインや制作を始めました。
洋裁教室やカフェなどを主催し、洋裁本も出版しました。チベット語で「宝の庭」という意味のNorbulingka(ノルブリンカ)という屋号もその頃に生まれ、本格始動していきました。友人たちとイベントやワークショップを開催しました。同じ頃、以前から考えていた田舎暮らしを叶えるため、キャンピングカーで静岡県、岡山県、福岡県、大分県、沖縄県など日本各地を見て回ったそうです。充実した日々だったと、武井さんは当時を振り返っていました。
田舎暮らしをしたいと思い始めて10年。思い出したのは国東地域の人々の温かさ。
田舎に移住したいと考えだした当初は、関東近辺も候補地にしていましたが、原発の事故をきっかけに西に拠点を求めるようになったそうです。福岡県糸島市を第一希望にしていましたが、物件が少なく、あっても価格が合わなかったそうです。糸島を後にして訪れたのが国東でした。
寒い時期に見て回ってしまったので、「寒くて寂しかったし、ここはないかな。」という印象だった国東。改めて沖縄にも訪れましたがピンと来ず、また振り出しに戻り東京で子育てをしながらもコツコツと探し続けました。
娘さんは覚えていないそうですが、ポンと武井さんの背中を押してくれることがあったそうです。まだ保育園に通っている頃に「お母さんは田舎に引っ越したいと思う」と武井さんがビジョンを話すと「東京の小学校にも少し行く。そうしたら、引っ越すところと東京とお友達が倍になるでしょ?」と言われたそうです。それから毎年夏休みに移住地探しを兼ねて娘さんと長期旅行をしていましたが、2年生の秋に突然「3年生になるときにお引越しするから」と言ってきて、武井さんの決断を後押ししてくれたそうです。
「そのときに思い出したのが国東でした。何もなくて寂しい印象はあったものの、国東で出会った人たちがとても親切で印象に残っていました。空き家バンクで見て家があることは知っていたので改めて見直したんです。私は古い家に自分で手を入れて住みたかったので、物件がとても安いということも魅力でした。」
武井さんが今住んでいる家にたどり着くまでに、国東市内でも10軒ほど見ていたそうです。この物件に決めた際、大家さんが東京の住居のご近所さんだったり、偶然国東で紹介された方もその近くのご出身だったりと、偶然が重なったのも不思議だったと言います。
「子どもが育つ環境、働く環境、どれをとっても私の求める暮らしは東京にはありませんでした。実際移住するまでには10年くらいかけているんですけど、必要な期間だったと思います。私のなかには今やりたいことがたくさんあるんです。実際に国東に来て『想像と違った』ということはありませんでした。ワクワクした気持ちのまま今でも暮らしています。子どものためにも、生き生きと働いている母親の姿を見せたかったんです。」
自分で改修した古民家「ゲストハウス民宿 Norbulingka」で営む、自給自足的暮らし。
実際物件を手に入れ移住してきた武井さんですが、この家の改修イメージはすぐには湧かなかったそうです。地元の大工さんに来てもらっても全く意見が合わず、苦労したそう。
「図面を書いてみたんだけど、初っ端から変更を余儀なくされました。片づけと改修を同時にやっていたので、その場その場で作業しながら決めていきました。片づけるのには1年かかりましたね。」
改修後の現在の家屋はゆったりした雰囲気と、ダイニングキッチンが印象的。東京での修行時代に学んだ技術と武井さんのセンスが随所に見える、ときめきと味わいのある空間になっています。
「ご近所さんとは親戚のようなお付き合いをしています。季節毎にどこで何がとれるかというのも教えてもらえます。野菜、果物、魚、海藻、お肉などなど。鹿肉とか猪肉とかたくさん頂きます。ここは1年を通じて食材があり、本当に豊かだと感じます。」
ノルブリンカの庭にはほどよい広さの畑が広がっています。武井さんはここで無農薬無肥料の自然栽培にも取り組んでいます。東京にいる頃から食べ物、健康のことを考え、化学的なものが入った日用品はほとんど使っていなかったという武井さん。自然由来のものは身体にも環境にも優しく、経済的だといいます。
「身体にいいことの究極は“自分でつくること”ですね。畑に行ったら1日中やることがあるけど、不思議と時間はのんびりしています。ここで採れたものは美味しいです。今まで食べてきたものは何だったんだろうと思いました。」
畑で食べ物を育てながら、衣・食・住を紡いでいく。今日採れた野菜で何を料理しようか考える。豊かな自然と人との繋がりがあれば幸せに生きられるということを実践できるよう、生活を体験してもらうようなゲストハウスを営むことにした武井さん。
「暮らしのための仕事で1日のスケジュールを組みたかったんです。生活全般を自分の手で作りたかったので、それがそのまま仕事になることがしたくて体験型のゲストハウスをすることにしました。」
Norbulingkaは体験型宿泊と素泊まり宿泊ができるゲストハウス・民宿として現在も稼働しています。開業してこれまでたくさんの方が宿泊され、ここでの畑仕事や保存食づくりなどを体験していかれたといいます。
人が温かい国見で、図工クラブや日曜カフェなども主催し自ら楽しむ。
東京から移住して、やっと思い描いていた田舎暮らしを始めた武井さんですが、都会と田舎のギャップなど、大変なことはなかったのでしょうか?
「ここに来ての苦労はあまりないです。特にここ国見町の人は穏やかで、人で嫌な思いをしたことはありません。」
「まだ東京に住んでいるときに国東に家を決めたのに落ち込んだことはありました。『友人知人たちと楽しくやっているのに、私は何をしようとしているんだろう』と。少し寂しかったんでしょうね。当時、国東に来たら寂しくて引きこもりになるかと思っていたけど、いざ来てみたら全然寂しくなかったんです。」
すっかり国見町での暮らしに慣れて楽しんでいる武井さん。今は市の中心地、国東町に出るともう都会だと感じてしまうそうです。「国見町は気候が穏やかなので、人も穏やかなのかも」と語られていました。今はもう中学生になった娘さんも仲良く過ごせるお友達に恵まれ、よく一緒に遊んでいて楽しそうなんだとか。
幼いころから芸術系に興味がある娘さんですが、国東の中学校には文化部がありませんでした。そこで、武井さんは図工クラブを主宰しているそうです。数人の生徒さんが参加して、絵を描いたり工作をしたり、時には屋外で立体物をつくったりして活動しています。家屋の中にも図工コーナーがありました。
「地域の支え合い組織で日曜カフェというイベントを主催した際、地域の子供たちにも手造り品などで出店してもらいました。これからは子供も高齢者も一緒になって参加していく仕組みが大切だと考えています。今は、お声がけがあり国東市地域支援サポーターとして高齢者支援、地域活性のお手伝いをする活動もしています。」
国東でも過疎が進んでいる現状はありますが、武井さんは子どもからお年寄りまで関われ、地元の人が「ここに住んで良かった、楽しい」と思える地域づくりがしたいそうです。そのためにも子どもたちに現状を知ってもらいたいし、大人が楽しく暮らしていることも知ってもらいたいと思っているそうです。
国東での暮らしは、自然が豊かなことと、人との繋がりが感じられるところが一番のポイント。武井さんの地区は地下水を利用されているので、災害があっても自然に湧いているところがあるので困らないと言います。
「国見地区は自治会もしっかりしていて安心です。お互いの見守りもあって安心しますよ。人付き合いが苦手な人はこの距離感は気になるかもしれませんが、私は全然平気です。私は自治会や隣保班に入ったおかげで断然楽しくなりました。でも、距離感は人それぞれで受け入れてくれるのも国東市の魅力です。」
最後に
今までもこれからも、じんわりとした幸せを感じる力に導かれ、暮らしを選び取っていく武井さん。これからはますます地域から必要とされる方になられそうで、ご活躍が楽しみです。忙しいけど、のんびりした暮らしがこれからも恙無く続きますように!