取材者情報
- お名前
- 吉武 琢磨
- 出身地・前住所
- 東京都
- 現住所
- 大分県玖珠郡玖珠町
- 年齢
- 41歳
- 家族構成
- 妻と3人の子供
- 職業
- 福⑧堂
東京でバイクのスタントマンとして活躍した後、玖珠町にUターンし、国内初の日本蜜蜂専門のはちみつ農家という、珍しい仕事に就いている吉武さん。仕事のことや移住に至るまでの試行錯誤をぜひ直接お聞きしたいと思い、秋の終わりに玖珠町を訪ねました。
バイク三昧の都会暮らし
東京でバイクのスタントマンとして働いていたという吉武さん。移住前の生活について詳しくお聞きしました。
吉武 : 玖珠町で生まれ育ちました。高校卒業後に田舎が嫌で、仕事も進学も決まっていない状態でしたが、都会への憧れがあって上京しました。上京して半年後には、東京で出会った友人達と歌舞伎町でバーを開業して、26歳までバーテンダーとして働いていました。
バイクが趣味だったので、いつものようにバーの営業後にお台場に走りに行ったら、そこでウイリー走行をする人がいて衝撃を受けました。「そんな事ができるのか」って感じで… きっと腕力のある外国人の方だろうなと思っていたら日本人で、また驚きました(笑)。その方がスタント関係の仕事をしていたんです。
そこからそれまで以上にバイクにのめり込み、半年後にはバーを辞めてバイクのスタントマンとして仕事をはじめたそうです。
吉武 : 1年間ほど毎日10時間ぐらいバイクに乗って練習していました。ある時、大黒埠頭で自分のアクションを披露していたら、スタント会社の社長に声をかけていただいて、映画などに出る様になりました。
日本蜜蜂が作るはちみつの美味しさに衝撃を受けて
バイク三昧の日々の中で、少しずつ今に繋がる変化が訪れます。
吉武 : 子供の頃からはちみつは好きでしたが、西洋蜜蜂を養蜂して作られた一般的な商品を食べていました。当時は有楽町の近くに家があり、週末買い物に出かけた際に立ち寄った物産展で、生まれて初めて日本蜜蜂のはちみつを食べ、あまりの美味しさに衝撃を受けたんです。
32歳ぐらいの時に玖珠町に帰省した際、たまたま日本蜜蜂のを売っていたので持ち帰って食べてみると、これまでの人生で食べたはちみつの中で一番美味しくて感動しました。本当に美味しかったので、東京の仲間や知り合いにも紹介したら、あっという間に購入希望者が増えていきました。
そのはちみつの瓶に書かれていた生産者の方に連絡すると、日田市在住のおじいちゃん(以下 師匠)で、販売の手間を増やすことは難しそうだったので、自分が購入希望者全員分をまとめて手配することになったんです。
移住前の悩みは「どう生計を立てていくか」
スタントマンとして活躍している頃に、東日本大震災が起こり、暮らしを見つめ直したという吉武さん。
吉武 : 東日本大震災の後に、妻が「関東から離れたい」と言うようになりました。私は今の生活のままでも何も問題ないかもしれないと思いつつ、20〜30年後に後悔するようなことが起きるかもしれないということで、今は離れたほうがいいかもと考えるに至りました。
スタントマンの仕事は関東ぐらいしかニーズがない状況なので、どうやって生計を立てていくのか悩みました。仕事の時は関東に来て、普段は地方に住んでバイトしながらだったら暮らせるかもしれないとも思いましたが、歳を重ねるとしんどいかなと。
移住先に関しては、地元に戻る選択以外はなかったそうですが、どう生計を立てていくかが課題だったそうです。
吉武 : 2011年から移住を検討し、実現するまでに5年ほど悩みました。どうやって家族を養っていくか、東京からの田舎暮らしに家族が対応していけるかなどを悩みました。そんな自分について来てくれた奥さんは「なんとかなる」と考えるタイプで、助けられましたね。
師匠に弟子入りし日本蜜蜂の専業農家へ
そんな中、好調に売れる日本蜜蜂のはちみつに携わる中で、ビジネスチャンスだと感じ、師匠に弟子入りしようと考えたそうです 。
現在83歳の師匠が作る日本蜜蜂のはちみつは、味にムラやばらつきがなく、はちみつとして完成しているものしか瓶詰めしないため、大量生産はできませんが、もともと儲けようというよりは趣味の延長線上にあるとのこと。お年寄りの副業として充分な小遣い稼ぎになっていたようでした。
吉武 : 日田市で生産できるのであれば、隣の玖珠町でもできるだろうと考えました。たくさんの量は難しいですが、付加価値をつけて金額を設定することで、少ない量で勝負できるのではと考えました。
師匠には「年寄りの副業だからいいのであって、専業として日本蜜蜂のはちみつだけで食べていくのは絶対無理」と反対されました。実際に国内にも日本蜜蜂の専業農家はいませんでしたが、根拠はないけどどうにかなると感じていました。
若者が帰ってきやすくしたい
2016年に玖珠町へUターンした吉武さん。現在は実家の二世帯住宅に、奥さんと子供3人で生活しています。
吉武 : Uターンしてから5年になりますが、以前と比べてシャッターを閉めているお店が増えたり、お祭りの出店の数が少なかったりで、寂しくなったなと感じます。他にも、医療は救急病院や小児科が車で40分ほどかかる隣の日田市に頼らないといけない点や、魅力的な飲食店の数などが都会に比べて少ないのが少し残念です。
一方、豊かな自然と温かい地元の方々との生活は満足しています。若者が都会へ早く出て行きたいという気持ちは良くわかります。そんな若者が、地元に帰った際に「ここで何かやってやろう」と思える街づくりに取り組みたいと考えています。
自分の子供たちも、成長して進学や就職で玖珠町を離れても、そのうち誰か1人には帰ってきて欲しいなと。「父ちゃんと母ちゃんの面倒を見たいな」と自然に思えるような、思いやりがある人間に育てていきたいです。
軌道に載せることが当面の目標
創業時には公的支援をはじめ、地域や周りの人々の支えもあり、日本蜜蜂が作るはちみつ事業を軌道に乗せることができたそう。
吉武:創業時、玖珠町の支援事業である「創業補助金」を活用させていただきました。日本蜜蜂のはちみつ事業といった全国的にも前例の無い事へのチャレンジでしたが、理解を示してくれた玖珠町、協力してくれた方々、そして家族には感謝しかありません。
今年はなんとかはちみつ農家だけでも生活できる状況ですが、自然が相手なこともあり、収穫量が少なくて厳しい年もあります。また、はちみつ農家の多忙なシーズンは限られているので、暇な時期は家業の不動産賃貸の手伝いもしています。東京にいた時の仲間が、ハウスクリーニングやエアコン掃除などをやっていたので、勉強させてもらって、家業に活かしています。
お父様は現役ではありますが、兄弟も玖珠町にはいないので継いであげたい気持ちもありつつ、今は家業よりも自分の仕事をしたいと語ってくれました。
玖珠町の仲間たちと始めた新たな挑戦
仲間4人と一緒に「Towing Car Works(トーカーワークス)」という民間の町おこし会社を起業した吉武さん。「Towing Car」とは、飛行場で飛行機を引っ張る車のことで、飛行機を滑走路まで連れていくイメージ。同じ様に玖珠町を引っ張っていって、飛び出すためのきっかけを作っていきたいと考えているそうです。現在、玖珠町の人口は15,000人ほどですが、20,000人までに増やせる様に、町を盛り上げていきたいとのことでした。
今は事務所を準備中で、仲間と一緒に内装工事などを行っているそうです。事務所をはじめ、塾やカフェ、販売ディスプレイスペースなどを併設予定とのことでした。
吉武:私のはちみつは、購入前に商品の説明や工程を知っていただくためにも、お客さんにテイスティングしていただいてから販売しているのですが、現在は自宅で行っています。そういったことも新しい事務所で行えればと考えています。
立ちはだかる壁
目標に邁進する日々を送る吉武さんですがUターンとはいえ、地域の風習になかなかついていけなかったそうです。
吉武 : 近隣地域の出ごと(役割)が多いので大変でしたし、価値観の違いに慣れるのに時間がかかりました。部落の草刈りは率先して手伝っていましたが、お祭りの助けや消防団はやりたい人がやるべきではと考えていました。
今は逆に、参加して内側から変えていくことで、誰にとっても魅力的で参加したくなる組織にできればと考える様になりました。
玖珠にはいろいろな方がいますが、基本優しくていい人たちばかりなので、うまくやり取りして相乗効果で盛り上がっていけば、もっと面白い町になるのではと考えています。朝起きたらワクワクして飛び出していく様な気持ちになればと思います。
はちみつに関しては、師匠に教えてもらっても、なぜか同じ味にはならないということが続いたそうです。色々と試行錯誤する中で、蜜蜂の越冬群からはちみつを採取したところ、初めて味が近づきそこから改良を重ねて、現在の味に至ったと言います。
吉武:一般的な養蜂は、西洋ミツバチと言う蜂を育てて蜜を採取します。私は山の中に巣箱を設置して、野生の日本蜜蜂からはちみつを分けてもらっています。
僕の日本蜜蜂との付き合い方はネットや本に掲載されている方法とは異なり、マニュアルもありませんし、師匠から教えてもらった事をもとに試行錯誤の繰り返しをして納得出来る方法を探っています。
多方面で悩みは多く。
将来を考えると、家族の心配事もあるそうです。
吉武 : 両親は元気なのですが、すでに70歳を過ぎています。今のところ痴呆などないですが、年齢的に10年後も健在かと言われるとわからないので心配です。子育てに関しては、特に不安はありません。「子供は勝手に育つ」と考えてて、口やかましく言わない様にしています。
また、私は玖珠町にルーツがありますが、妻は帰国子女で思い入れもない土地ですし、ここに縛られたくないという想いがある様です。例えば、成長した子供と共に海外を転々とするような生活も面白そうとか。子育てがひと段落したら考えようと思います。
更に、この土地ならではの悩みもあるそうで…
吉武 : 想像以上の気温の寒さです!九州ということもあり、ここまで寒いとは予想外でした。
情熱の向かう先を探して
今後も玖珠町を中心に活動を続けるという吉武さんに、これからについてお聞きしました。
吉武 : 日本蜜蜂のはちみつ農家として、しっかり成功事例を作って行きたいと思います。成功しながら玖珠町で生きていくことで、長い目で見て人が増えていくことに繋がると思います。
事務所作りが落ち着いたら、セルフビルドで自分の家を建てたいと考えています。10年ほどの期間を見込んで、 55歳までには完成させたいです。作る過程の情報発信なども楽しいかなと。
色々なことに取り組む吉武さん。そこにはこんな想いがあるそうです。
吉武 : 何か一つだけに執着する生き方をしたくないと考えています。気軽な感じでスタートしても、一所懸命やって結果を出したいなと。性格的に凝り性で興味があるものに突き進むので、自分が面白いと感じることに取り組めば、きっとうまくいくと思います。
はちみつの繁忙期以外にもそれと同じぐらい情熱を注げることを見つけたいです。
責任を持って行動すること
都会から田舎へのUターンを成功させた吉武さんに、移住希望者の皆さんへメッセージをいただきました。
吉武 : まずは、行ってみないとわからないと思います。現状の生活に不満や不安があるから移住したいのだから、思ったらまずは行動に移すと良いと思います。
周りとか人のせいにする人は、移住しても上手くいかないと感じます。どれだけ周りに溶け込めるかが、幸せに暮らせるかの分岐点になると思います。駄目だったら別の方法を考えるぐらいの柔軟性は持ちつつも、自分で責任を持って行動して欲しいです。
玖珠町は地域の方々もあたたかく、何事にも挑戦させてくれる、とても、とてつもなく良い町で、これからますます素晴らしくなります。ぜひお越しください!
最後に
家族や仲間の支えを受けつつ、誰もやったことのないことない日本蜜蜂の専業農家を事業として邁進している吉武さん。自分の直感を信じる大切さと、情熱を注いで努力すれば道は拓けるということを体現している様でした。冬の凍てつく寒さの中、自らが設置した巣箱の前で夢を熱く語る吉武さんの充実した笑顔から、この仕事が好きで楽しくてしょうがないという想いが溢れていました。