取材者情報
- お名前
- 市川慎也
- 出身地・前住所
- 愛知県名古屋市
- 現住所
- 大分県国東市
- 年齢
- 27歳
- 家族構成
- 独身
- 職業
- 自営業
三重県出身の市川さんは、大学時代に工学部の機械科に所属していました。自動車の部品メーカーなどに就職する同期が多いなか、市川さんは農業など一次産業に興味があり、「農業を機械等で効率化する事業をしたい」と考えるようになり、起業を目指していたそうです。一次産業を応援したい気持ちから、まずは現場重視の地域密着型で国東市の募集している地域おこし協力隊に応募し、移住。そんな市川さんの移住秘話と現在の活動についてお聞きしてきました。
三重県の住宅地で生まれ育ち、大学は機械科へ。
三重県の新興住宅地で生まれ育ったという市川さん。都市近くの住宅街だったこともあり、近所付き合いも最低限という感じだったそうです。大学も三重県でしたが、移住前の2年間だけ名古屋市に住み、卒業と同時に新卒で国東市の協力隊になりました。
「地方で起業・創業をしたくて、移住を考えていました。移住する前は、起業に適した環境や制度があるかなど、自己利益を求めている気持ちが強かったと思います。当時の僕は、起業してお金持ちになりたいと思っていました。」
幅広く活動できる形態が魅力的だった地域おこし協力隊制度。
就活の際に見つけた「国東市地域おこし協力隊」の仕事。それまで国東市という自治体は全く知らなかったそうです。当時国東市にて募集がかかっていたのは所謂「三セク*¹」の企業。どこか会社に勤めたとしても、数年で辞めて起業をしたいと考えていた市川さんにとっては期限付きだったことも希望通りだったそうです。
農業系のメーカーや植物工場がある企業に就職しようかと思ったこともあるそうですが、農業は未経験で全く知らないことから、リアルな現場に入ってみたいという気持ちが強かったと言います。
「地域おこし協力隊の制度を使って募集している自治体を調べましたが、国東市の地域おこし協力隊は、地域振興や起業・創業をサポートする業務として幅広く活動できるように設定されていたので、それが決め手になりました。」
国東市での農業支援は、販路拡大に奔走。
国東市の地域おこし協力隊として活動するため移住した市川さん。住み始めた国東市の様子はイメージしていた田舎そのままだったそうです。
「“田舎だな”という印象そのままでした。人は温かく、環境はそれほど不便ではないなと感じました。今でもこのイメージは変わりません。人付き合いが深くて『飲みに行こう』と電話がかかってきたり、野菜をおすそ分けしてもらうこともありました。」
地域おこし協力隊になって農業の現場を知り、効率化を実践することが目的だった市川さん。実際に地域の農家を回って、自分が思い描いていた効率化は「あまり求められてない」と思ったそうです。商品流通のためにかけるコストを考えていなかったり、先行投資も考えていないことが多いという現状を知りました。
多くの農家からは「1円でも高く売るような販路を拡げてほしい」と言われ、市川さんは催事やスーパーに出向いて売り込みをするなど、飛びこみで売っていくことを重ねたそうです。売り場を見て、“不揃いな野菜が売れない現状”を知った市川さんは、農家と共にどのような商品が売れるかを一緒に考えていきました。
「規格外の野菜を売るためには、作り手の背景も含めた魅力を伝えるスキルが必要になるとも思いましたが、そういった専門家ではないので悩んだ時期もありました。売りやすいものを流通ルートに乗せるということはできたので、それは良かったと思っています。」
農業の効率化といっても簡単ではないことが分かった市川さん。国東市に来て地方の考え方に触れ驚いたことがあったそうです。もともと国東市に住んでいる農家さんは、先祖がその地域の水路を作ったことに誇りを持っていて、その水路も含め土地を守るために農業をしていると感じたそう。経済や流通のことだけではなくて、土地に根ざした感覚で判断されることがあり、とても新鮮だったといいます。
「僕はもともと、農業を機械化して効率よく利益を上げれば日本全体もよくなるだろうという考えを持っていましたが、先祖や土地を意識した農家さんの言葉を聞いて『そんな見方もあるのか』と思いました。最初は理解するのに時間がかかりましたが、国東市で生活していく中で今ではその考え方も理解できるようになりました。」
「協力隊を3年間国東市でやっていたこともあり、ここに残りました。」と話す市川さん。協力隊の3年間が助走の時間になり、信頼関係ができたそうです。「どこでも仕事ができる」と話しながらも、「今までお世話になった方や仕事ができる環境が国東市にはある」とその瞳は真っ直ぐです。
現在は起業し、「官民クラウド」*²というサービスを展開しながら野菜や加工品等の卸しの仕事を軸に活動しています。「一次産業を支えたい」という思いは今も一番大切にしているという市川さん。農家と細やかに話を重ねながらも自ら農業をしないのは、あくまで農家を継続的にサポートしたいからと語ります。「農家さんには栽培に100%力を注いでほしい。」という言葉から、強い信念を感じました。
田舎の感覚を理解し、自分のペースで暮らす。
新卒で名古屋市から国東市に移住してきた市川さん。国東市に住んでみての感想は、最初の印象から現在まで「良くも悪くも、田舎です」と語ります。
「移住のとき大変だったことは、不動産屋さんが少なくて物件を選べなかったことですね。部屋を案内されて、扉を開けたら虫がたくさん死んでいたこともありました(笑)。僕は国東市のなかでも安岐町(あきまち)という地域に住んでいますが、この地域では家賃が1万円ほどという物件も多いです。仕事では人と会うことが多いので、休みの日は家にこもって過ごしたり、夜は飲みに出たりします。スナックに行っておばちゃんと喋ったりとか。みんな可愛がってくれて嬉しいですね。」
市川さんと同じようなミッションで来た協力隊は他にも2人いたそうですが、一人は戻って就職をし、もう一人はIT業界で独立して国東市に残っているそうです。
「農家さんや生産者さんとは繋がっているし、支援は続けられるので、やりたかったことに対して国東市を出ていくという選択肢はなかったですね。」
新たな試み、官民クラウドに希望を託す。
現在、官民クラウドという仕組みを考えて実行している市川さん。協力隊を経て行政職員の課題や苦労も一緒に経験できたことで、その課題解決を図っています。WEB上にプラットフォームがあり、民間企業から年間登録料をもらって運営しています。自治体は無料で使えます。自治体の課題に対して民間企業が提案していく形のマッチングサービスです。
「地域の課題に対して、農業の分野からしかアプローチしていなかったけど、僕ひとりではあんまり変わらないなって思ったんです。地方がもっとよくなるには協力し合うシステムがあると良いのではと思い、考えました。」
現在は国東市にある創業支援センターの一角に席を置き、これらの仕事を行っている市川さん。創業に際して、このセンターで協力隊の頃から支援を受け、経営や資料の作り方などについて教えてもらったそうです。今後は新事業である「官民クラウド」を推し進めつつ、新しい取組みとしてリキュールの製造を開始したいと意気込んでいます。
熱意を持って進める理由は、経済的に余裕がでてきたら、一次産業への投資をしていきたいからなのだそうです。
「今後も国東市に住んで、自分がきちんとご飯を食べられるようになった後は、他の人もご飯が食べられるような仕事を提供していきたいんです。国東市に来た頃はこんな考え方はできませんでした。周りの方に育ててもらって、今があります。すごくお世話になったと感じているので、少しずつでも返していきたいです。」
人を知ることで、住んでいる地域が好きになった。
「移住して5年目ですが、本当に関わる人によって地域の印象や住み心地が違うと思います。移住して日が浅いのなら、色々な意味で先入観は持たないほうが楽しく生活できると思います。『こんな人もおるわな、こんな時もあるわな』と柔らかく受け止めていくと良いですよね。気質の傾向はあると思いますが、個として寛容に捉えて生活すると毎日ハッピーだと思います。」
特に地域に思い入れがあって移住したわけではない市川さんですが、いつのまにか関わった人が好きなり、その人が好きな地域が好きになり、住んでいる地域が好きになるといった変化を経験したそうです。
「色々と大変なこともありますが、”ひと対ひと”の関係性と捉えて、その都度向き合えば必ずプラスになります。」
最後に
20代で地方に移住し地域おこし協力隊として活動後、起業した市川さん。国東市で色々なことを経験し、様々な人と出会ったからこそ今の自分があると言います。困難なことがあっても諦めず、柔軟な発想で提案を続けていく姿がとても頼もしく見えました。これからますます地域の課題解決が必要になっていく中で、こんな若者がいてくれる地域は明るいですね。挑戦はまだまだ始まったばかり。これからの活躍を楽しみにしています。
注釈)
*1 三セク・・
第三セクターの略。国や地方公共団体と民間が合同で出資・経営する企業のことを指す場合が多い。
*2官民クラウド・・
民間の会社が運営しているWEB上のサービスで、官民連携を進め自治体の課題解決を目指すプラットフォームのこと。