取材者情報
- お名前
- 岳本希世子(たけもときよこ)
- 出身地・前住所
- 高知県
- 現住所
- 大分県杵築市
- 年齢
- 40
- 家族構成
- 夫、犬1匹、猫2匹
- 職業
- 植物調査
仕事で人里離れた山間の集落を通ったとき、畑を耕して生活する人の姿に惹かれて、いつかは田舎暮らしをしたいと望んだ岳本さん。移住した杵築市・大田地域で自らの暮らしをつくりながら目指すのは「大田のお母さん達のように暮らすこと」。地域おこし協力隊という入り口から地域に溶け込んだ岳本さんの、移住の経緯と、今とこれからの暮らしを伺いました。
大学教授の影響で植物の世界へ。
以前は高知県で植物調査の仕事をしていたという岳本さん。実家が植木屋だったこともあり、子供の頃は植物好きのお父様に連れられ、森林公園や植物園によく行かれたそうです。当時は植物には特に興味がなかったそうですが、動物好きだった岳本さんは大学で生物学を学ぶことに。そのとき出会った教授の影響で植物の魅力にはまったと言います。
「動物に関わる仕事に就きたいと思って生物学を選んだのですが、大学で受けた植物の教授の授業がとにかくおもしろくて、その教授の研究室に入りました。最初は植物の世界で働くなんて思ってもなかったですが、恩師の紹介で植物調査の仕事をすることにしました。」
建設コンサルタントの会社で植物分野を担当していた岳本さん。どんな仕事なのか伺うと、例えば道路やダムを建設する公共事業において、山を切り拓くなど改修工事を行うことで周辺環境にどんな影響を及ぼすか、建設予定地に希少な植物が生息していないかなどを調べる仕事なのだそう。山や川に入り、何百種類もの植物を調べるため、時には身の危険を感じる場所にまで行くのだとか。
「崖っぷちや急斜面を進むこともあるし、ハサミ片手にイバラ道を切り拓いて『こんなところにも行くの?!』と思われるところにも行きますよ。鹿やイノシシに遭遇するのは日常茶飯事です。」
広い道に惹かれ、移住先に選んだ小さな集落。
移住した現在、同業のご主人とともに会社を立ち上げ、今も植物調査の仕事を行っている岳本さん。同じ職種であるにもかかわらず、働き方と住む場所を変えたのには理由がありました。
理由の一つは、当時住んでいた高知県は南海トラフ地震によって大きな被害を受けると予想されていたことから、少しでも安心、安全な場所で暮らしたいという思いから移住先を探していたのだそうです。もう一つの理由は、”限られた時間を有効に使いたい”という思いからだそうです。
「植物調査の仕事は好きだったんですが、仕事柄どうしても季節によって忙しい時期とそうではない時期があるんです。会社勤めの時は、閑散期でも出勤しなければならないし、会議も多い。もっと有意義に、自分のやりたいことに時間を使って暮らしたいと考えるようになって、働き方を変えることにしました。」
実家である広島県と、ご主人の故郷である長崎県に行きやすい場所への移住を考えていたお二人。そんな中候補に上がったのが九州北部でしたが、中でも大分県はどの自治体も移住支援のホームページが充実していたり、イメージがよかったため大分県の各地を見て回ったと言います。
杵築市といえば、武家屋敷の立ち並ぶ城下町を思い浮かべる人も多いですが、岳本さん夫妻が惹かれたのは杵築市の中心地から車で30分、スーパーやコンビニが一軒もない、旧大田村でした。各地の空き家バンク物件を見て回った時、運転が得意ではなかった岳本さんは、大田地域の広い道を走ってみて「道がいい」と思ったそう。こうして、お二人は人口1,200人ほどの集落にある家に決めました。
人見知りなので地域おこし協力隊へ。ちょうどいい距離感の心地よさ。
植物調査の仕事はご主人が主でされていたため、軌道に乗るまでは移住先で仕事を探そうと思っていた岳本さん。そんな矢先、市役所の空き家バンクの相談窓口で地域おこし協力隊の募集を紹介されました。
「実は人見知りなので、自分から地域の中に入っていけるか心配していたんですが、地域 おこし協力隊なら必然的に地域の方に出会えるし、同じ境遇の友達もできるかなと思って応募しました。」
活動内容は、大田地区の地域振興。地元の地域づくりを行う団体や公民館活動の手伝い、お祭りの実行委員などその活動は多岐に渡ります。活動を通じて、周辺地域で顔が知られるようになった岳本さん。任期を終えた今も地元の有志団体に所属して活動を行うなど、今や「大田の岳本さん」として多くの方に名前を知られる存在となりました。
「個人で仕事をしていると、基本的に家にいながら過ごせてしまうんですよね。でもそんなのつまらないなと思って、できるだけ地域行事に参加するようにしています。同年代の方は日中外に勤めに出ている人が多いので、自分よりひと回りふた回り上の方とお会いすることが多いです。野菜の苗を分けてもらったり、お家でお茶をいただいたり。畑仕事や料理、生活の知恵まで皆さん本当にお上手で、教わることばかりですよ。」
ここは距離感がちょうど良い。“田舎の付き合い”と聞いて都会の人が思うような大変さは感じないという岳本さん。構いすぎず、構わなすぎず、とても心地よい距離感なのだそうです。
道沿いで目にした人と助け合って生きる“健全な暮らし”。
「植物調査の時は山間部に行くことも多いので、ここに来る前も人よりは田舎に行く機会が多かったと思います。山奥に入る通り道には集落があって、そこに住む人たちが道沿いの畑にちょっとずつ野菜を植えていて。そういうのを見た時に、こんな老後にしたいなと思ったんです。」
畑仕事をするお母さんの姿を見て、その暮らしがすごく健全に見えたという岳本さん。災害時に食糧を求めて店に行列ができたり、人が物資を取りあったりする様をテレビで見て、自分はもっと平和に穏やかに暮らしたいと思ったそう。ここでの暮らしは、自分でもなんとかできる、そして何かあってもお互い助け合えるという気持ちで暮らすことができると話してくれました。
「自給自足を目指しているわけではないけれど、近くに湧水があって畑には野菜があって。都会ではずっと働いて稼がないと生きていけないけど、仕事がなくても最低限の生活ができる環境にいたい。目標は『大田のお母さんたちのように暮らすこと』」。自分が思い描いていた理想の暮らしに、今、少し近づけているような気がします。」
最後に
移住して、住まいと働き方を変え、「いつかしたい」と思っていた田舎暮らしを営む岳本さんの姿は、暮らしをつくる歓びに満ちていました。「周りの方々にはもらってばかり」と話していましたが、地域のお祭りや催しには欠かさず参加する岳本さんは、この地域になくてはならない存在になっているようです。きっと今日の岳本家も、自分で育てたたっぷりの野菜と、大田のおばあちゃんに教わった故郷の味で食卓が彩られていることでしょう。いつかの岳本さんが憧れた“健全な暮らし”は、これから先もっと色濃いものになっていくのかもしれません。