大分移住手帖

20代でUターン後、保育士から写真家へ。つくる喜びを味わう「半農半写」な生活。

Yufuko

取材者情報

お名前
谷 知英
出身地・前住所
福岡県福岡市
現住所
大分県国東市
年齢
30代
家族構成
妻、子ども2人
職業
写真家
Webサイト
https://www.warapic.com

国東半島で生まれ育ち、一度外に出たものの23歳の時にUターン。保育士として働きながら子どもたちの表情を写真に収める内に、写真に興味を持ったという谷さん。地域活動を通して写真家としての活動が拡がっていきました。今では仲間にも恵まれ、つくる喜びに満ちた「半農半写」の生活を送っているという谷さんの暮らしについてお伺いしました。

 

写真家である谷さんのHPのトップ写真。国東暮らしが垣間見える。

 

保育士の資格を取得後、ファッション関係の仕事に。

小さいころから川で釣りをするなど国東市の豊かな自然のなかで育った谷さん。小学生の頃には、壊れた舟を秘密基地にして、友人と一緒に駄菓子屋さんでお菓子を買って食べたりと自由に過ごしていたことも。国東市で過ごした幼少期はとても楽しかった記憶ばかりだとか。

 

「保育士になるための学校を卒業後、国東に帰ってくる前に興味があって洋服屋さんに1年くらい勤めていました。ファッションが好きだと思って入った仕事だったんですが、当時の僕は好きなことを仕事にすることに対して考えが甘くて、続かずに国東へ帰ってきたんです。

帰省したときに苔を採取しながら描いた壁画

 

20代で国東市に帰ってきた谷さんは、国東の自然豊かな環境をフィールドに、趣味で園芸やアウトドア活動を自由な発想で楽しんでいたそうです。

空き家の改修を頼まれ、リノベーションした室内公園プロジェクト「Growth」

 

ファッションの仕事からは離れたものの、国東市の暮らしのなかで“田舎でも面白いことができる”という体験をします。

「帰ってきた当初全くすることがなくて、実家で野菜を育てたんです。福岡にいるときに扱っていたガーデニングをコンセプトにした洋服のブランドがあるんですけど、実際にこの洋服を着てガーデニングする人はいないだろうなとふと思いました。そこで、当時あったZOZOPEOPLE(現在はWEAR内)というファッション投稿サイトでそのブランドの高い服を着て『こんな人参とれました!』『こんな茄子とれました!』と投稿をしてみたんです。」

現在の自宅の庭で

 

その投稿をきっかけに、雑誌に関わっているスタイリストと知り合いになり農作業に特化したファッションを発信するチームに誘われたり、地方のファッション関係の方と知り合うようになっていったそうです。他の人がやっていなさそうな面白いことを実際にやって発信することで意外な人たちが「面白い!」と反応してくれたことは谷さんにとって貴重な体験になったようです。

 

保育の仕事をきっかけにして写真に興味をもち始めた。

 

保育士時代の谷さん

 

国東市に帰ってきて7年ほど保育士をしていた谷さん。保育園の園児たちが見せる様々な表情をコンデジ*¹で撮っていたのが写真を始めるきっかけでした。子どもたちが笑った顔や喧嘩している様子、活動を頑張っている姿の写真を撮ってはプリントすることで、なかなか園での様子をリアルタイムには見れない親御さんたちからとても喜んでもらえたそうで、写真に興味をもち始めます。その後、国東半島アートプロジェクトを機に本格的に写真を学び始めました。

 

「当時、国東半島芸術祭が開催されていて友人づてにアーティストさんを案内する役目をいただきました。色んな作家さんやアーティストさんにお会いして、様々なところを回りました。僕もまだ国東の各地は知らなかったので、カメラを持って案内しながら写真に収めていきました。案内するゲストから『こんなところがあるんですね』『すごい!』と反応があり、もともと国東で生まれ育った僕にとっては新鮮に感じました。

 

こうした活動の中で、ゲストさんと国東半島について語り合ったりすることが、自分自身にとっても地元を見つめるきっかけになりました。また、パンフレットをつくるときに『谷君やってみらんかい(やってみないかい)』と声をかけられたことが写真の仕事のステップアップにもなりました。」

 

地元国東市の良さを発信し始めた頃

 

アーティストたちと会話している時「どういう写真を撮っているの?」と聞かれることがあったそう。既に自身の写真を紹介するウェブサイトをつくっていたのでそれを見てもらい、「いいね!」と反応をもらうようになったことが、写真を撮るモチベーションや、「国東地域を知ってもらうためにかっこよく見せたい」という想いにも繋がっていったそうです。多くの縁を経て、国東半島に特化したサイトもつくるようになりました。

 

「国東半島芸術祭のときもそうですが、活動をしていると面白い人達がやって来ていることを知るんですよね。地元の人たちとは違う部分で、良い刺激になって自分の写真もアーティスト寄りになっていきました。出会いの中で、『こんなアーティストになりたい』という気持ちもでてきました。」

 

谷さんが保育士をしていた時に、その保育園に子どもを預けていた縁もあり一緒に仕事をするようになった小野さん(よつめ染布舎)の存在も大きいそうです。

 

谷さんが撮影したよつめ染布舎の布

 

保育士を辞めて香々地青少年の家の職員へ。

 

趣味で始めた写真でしたが、地元の作家さんが谷さんに写真をお願いすることも増えてきて、徐々に仕事になっていったそうです。そんな中7年勤めた保育園を辞め、県の嘱託職員として香々地青少年の家へ赴任しました。

 

「当時保育園には正職員の空きがなく、臨時職員のまま勤務していました。既存の保育園では園舎の中だけで活動していることが多いですが、自然のなかで学べることもたくさんあるのではないかと思っていて。いつかは自然の中で保育をしたいと考えていたので、10年くらい前になりますが、旅をしながら日本各地の『森のようちえん』*²のような野外保育を実践している場所を見て回っていました。」

 

県の青少年の家での3年間は写真の活動と平行して、野外保育を見て学んだことを実践させてもらえたそうです。自分たちでいかだを作って浮かべてみるなど、谷さんがやりたいと思っていたことをさせてくれた環境に今でも感謝しているんだとか。

 

国東市で企画した野外保育の活動

 

見えない後押しを感じて、写真家の道へ。

 

青少年の家に勤めていましたが、任期は3年と決まっていて、結婚し子育てをしていた時でもあり次の仕事を考えていた谷さん。保育園に戻るのか別の道を進むのか悩み、辞める1年ほど前に写真の道に進むと決めたそうです。

 

「2番目の子が生まれるタイミングでもあり、『仕事が来なかったらどうしよう』と不安やプレッシャーもありましたが、写真の道に進もうと決めました。知人が高価なカメラの機材を譲ってくれたりと『見えない後押し』を感じられることができたのもありました。実際にお仕事を頼んでくれることも増えてきていたので『仕事としてできるかも』という感覚がありました。2〜3年写真でやってみてダメだったら諦めようと始めました。踏み出した後はやるだけでした。」

 

知人を介したお仕事の依頼は徐々に増えていき、生活ができるほどになったそうです。写真を通して喜んでもらえることや認めてくれる人たちがいることが嬉しく、写真家としてのやりがいを感じているという谷さん。シャッターは直感で「いい」と思った時に押すそうですが、思わぬヒットが出たときは嬉しいそうです。

 

2019年渋谷ヒカリエで展示された写真「内なるもの」

 

作品づくりにも力を入れていきたいという谷さん。上記の写真は「モンスター」というテーマで募集されたコンテストで入選したものです。日常でふと出現する息子さんの内なる怪獣を写真に収めたシリーズ作品とのこと。展示会のときの額縁は国東市の「くにさき六郷舎」の方に頼んで樹齢1000年の材を使って手間をかけてつくってくれたりと、ここでも国東市内でのものづくりの協力体制が伺えました。

 

森のようちえん「ほしのたね」の活動。

 

谷さんは現在、親子向け自然体験活動「森のようちえん ほしのたね」の主宰者でもあります。3年ほど活動して現在はお休み中ですが、新しい拠点整備に向けて準備しているとのこと。この森のようちえんは、月に1回程度、谷さんの自宅周辺等をフィールドに活動していました。最大10家族、総勢30人くらいの人数で活動する回もあったそうです。錫を溶かして彫金をしたり、スプーンを自作してアイスを食べたり、森の中で自由に遊ぶなど、体験を重視した自然が多い国東ならではのプログラムを行ってきました。

 

「いいことができているとは思っていたのですが、毎月やっていたので負担が大きかったのも確かです。今はコロナの影響もあり小休止して家族との時間を楽しんでいます。また再開したいと考えていて、少しずつ環境を整備しているところです。」

 

今の時代は子どもだけでの自然遊びは難しいかもしれないけれど、今後は人が自然の中に入りやすいように環境をつくる大人が必要だと感じているそうです。そういう野外活動こそ、田舎で上手くやったほうがいいと語ります。

 

「田舎の良さはもちろんありますが、そのままでは限界があると思うから田舎の環境を使って都会の人にも求められるようなものをつくることが国東市にも必要だと考えています。誰もやっていなさそうなことを自分の解釈でできることはなんだろうと考えだしたのが『森のようちえん ほしのたね』を始めたきっかけです。」

森のようちえんでの活動風景

 

Uターンして思うこと。

谷さんは20代で国東市に帰ってきましたが、地元では珍しい存在だといいます。Uターンで帰ってくる移住者はまだ少なく、国東市に帰ってきて自分で事業をしている谷さんの存在は地元にとっても貴重な存在と言えます。また、集落で子供が生まれたのがなんと30年振りだということもあり、谷さんのお子さんはご近所からも可愛がられているそうです。

国東市の仲間たちと

 

「近所の方が子どもたちにお菓子を持ってきてくれたり、『鹿がとれたぞー!』と分けてくれたりします。この辺りは固定費がとにかく安くて、お野菜も自分で収穫したり他の方からいただいたりするので調味料しか要らないというくらい生活しやすいです。」

 

Uターンして一定期間が過ぎていたので当時は空き家バンクを使うことができず苦労したそうですが(空き家バンクは当時、移住して1年以内など利用制限があった)、保育園時代の知り合いが紹介してくれた空き家があり決めることができたのだそうです。改修も大変だったそうですが、地元の方や国東市の移住者の方々に手伝ってもらいながら片付けや資材集めなどをしていったそうです。国東市は家屋改修をしている方が多いので、色々と相談にのってもらえるのだとか。

 

近くに住んでいる移住者、作家、事業者の方々と一緒に仕事をする機会も多く、近くに仕事でも頼れる、また頼ってもらえる方々がいるのは本当にありがたいとのこと。最近では国東市の取組みである「移住者手作りウェディング応援事業」*³にプロデュースと撮影で関わったり、「国東半島仁王輪道」に撮影で関わったりしているそうです。

 

国東半島仁王輪道の写真

 

「これからはデジタルだけでなく、フィルムカメラでも作品を作ってみたいと思います。改めて写真を通して地元と向き合いたいですね。国東市は昔から山岳練行の行場であったということもあって、自分の足で見て回ることをやってみたいです。仁王輪道*⁴も関わっているので、自転車で旅しながら回るのもいいかなと思っています。家族に理解を得られれば、1週間以上ゆっくりと時間をかけて写真を撮りたいですね。地元の自然や暮らす人の息づかいを感じて、自分が何を発見するかを楽しみたいです。」

 

最後に

和風の羽織にちょんまげを結って、柔らかいサムライのような出で立ちの谷さん。

「“和洋折衷”がテーマなんです」と語る佇まいは、楽し気です。どんな場所でも「面白いこと」は見つけられるけど、それが地元国東市だからなおさら面白がれる。そんな谷さんの暮らしと作品がこれからも楽しみです。

 

注釈)

*1 コンデジ・・

コンデジは、コンパクトデジタルカメラの略称。携帯性に優れたカメラのこと。

*2 森のようちえん・・

自然体験活動を基軸にした子育て・保育、乳児・幼少期教育の総称のこと。

*3 移住者手作りウェディング応援事業・・

国東市の事業で、県外からの移住者で諸事情により結婚式を挙げることのできなかったご夫婦や今後婚姻予定のカップルに、国東らしい結婚式をプレゼントするというもの。

*4 仁王輪道・・

国東半島振興対策協議会が新たなツーリズムの創出に向けて策定した国東半島サイクルルートの通称。

WRITER 記事を書いた人

Yufuko

大分県日田市に恋して移住。ヨガ講師やキャリア教育関係などの仕事をかけもつパラレルワーカー。数年前に行ったフィンランドで自分が楽になる体験をし、多様な価値観や個性をもつ人が幸せに生きるための知恵をシェアしたいと活動している。「喜んで生きる」がモットー。

記事一覧を見る

POPULAR ARTICLES 人気記事

CONTACT お問い合わせ

運営:おおいた移住計画

FACEBOOK

INSTAGRAM

運営:大分県