大分移住手帖

高原がある場所での農的な暮らしを求めて。妻と2人、移住地を探す旅にでた。

廣瀨 凪里 廣瀨 凪里

京都でスポーツインストラクターをしていた山本幸雄さんが、大分県玖珠郡九重(ここのえ)町に移り住んで22年が経ちます。運動の指導をしていたことから環境や食について考えるようになり、地方での暮らしを決意。そこから、全国80自治体に自分たちの考えや経歴を添えて手紙を送り、返事があった地域を2年間かけて巡り、最終的に九重町で暮らし始めました。ここでの暮らしについて、伐株山(きりかぶさん)が見えるご自宅でお話を伺いました。

心と体の健康のために始めたスポーツを仕事に

東京のアパレルメーカーに就職。その後、広告代理店に移り、芸能界(スタッフ)の仕事をしていた山本さん。充実した日々を過ごす一方で、不規則な生活がたたり大病を患ってしまったそう。心と体の健康を取り戻すためにマラソン、トライアスロン、テニス、スキーなどのトレーニングを始めたことがきっかけで、スポーツインストラクターとして京都のジムで働き始めました。

インストラクター時代の山本さんと生徒さんたち

「僕は公営のジム、奥さんは民間のジムで働いていました。それぞれ体操やエクササイズの教室を持っていましたね。2人ともマラソンが好きだったので、いろんな大会に一緒に出ました。オーストラリアで結婚式を2人きりでした後も、その翌日にゴールド・コーストマラソンを一緒に走ったんですよ。走るのは、奥さんの方が速いかもしれません。(笑)運動指導をはじめて、環境や食べものがやっぱり大事だと思うようになりました。そのころから農的な暮らしを考えるようになって。ちょうど1997年に京都で『COP3(*1)』が開催されたことで、環境問題にも関心を持つようになりましたね。これも健康的な暮らしがしたいと思うようになったきっかけだったと思いますね。」

高原がある場所で、農的な暮らしを求めて。

地方への移住を決意した山本夫妻が最初に行ったのは、全国80自治体に自分たちの考えや経歴を添えて手紙を送ること。そうして返事があった自治体を2年間かけて実際に訪ねたのだとか。京都で仕事をしながら、休みの日には車で地方を巡る生活をされていたそうです。

「奥さんと旅行も兼ねて観光もしながら回っていきましたね。当時は、インターネットが普及する前で、こういう移住者向けのメディアはなかったですね。今でこそ、各自治体が移住者対象の取り組みをしているけど、僕ら夫婦だけでなく、そのころ移住した人たちは、自分たちでどうにかするって意識が強かったですね。」

キャンピングカーで全国をまわっていた

日本全国はもちろん、海外も視野に入れ、さまざまな土地を見てきたお二人。最終的に、九重町へ移住することを決めました。

「『高原のある場所』を条件に探していたんですよね。あとは寒すぎないところ。地域のしきたりみたいなものがあるところへの移住はあまり考えてなかったですね。大分県での候補は、九重町だけだったかと。もちろん京都にいる頃は、“九重”という名前さえも聞いたことがなくて、まったく知らない場所でした。たまたま担当してくれた役場の方が“マラソン好き”で波長があって、同じ京都マラソンに出ていたとかで話も弾んだんですよね。加えてこの町の人が興味を示してくれたこともあって、九重町に住むことを決めたんです。」

1998年、九重町へ移住「体操教室の先生」として地域に溶け込む。

多様な運動指導経歴を見た役場担当者からの依頼で、移住2年目から社会教育指導員として役場で働くことになった山本さん。得意分野のスポーツ教室、社会体育教室での指導の日々でしたが、9:00〜17:00の勤務時間がどうしても自分の性格に合わないと感じ、わずか半年で退職しました。

「時間の縛りがどうしても自分には合わなかったんですよね。退職してから少しの間、夫婦2人でバリ島へ行ったりしていました。そしたら、役場時代に教えていた教室の生徒さんたちが役場側に『なんでやめさせたんだ』って言ってくれたようで。勝手に辞めたんですけどね。(笑)ありがたいことに、教室の時間だけ講師として行く形でまた働き始める事になったんです。」

「町の依頼で体操の先生として九重町のほぼ全部の地域を回らせてもらいました。そんなこともあって移住者なんだけど、すぐに地域の人に覚えてもらえましたね。『あの人、体操の先生や!』って。地方への移住例があまりないとのことで、テレビや雑誌の取材も多く、夫婦そろって顔を覚えてもらえたから、他の移住者より地元と馴染むのが早かったかもしれません。」

仕事をしながら、自然と地域に溶け込んだ山本夫妻。環境が変わったことから奥さまの考えにも変化があったそう。

「移住を決めた時点で、慣れない田舎暮らしで収入も安定するかわからない、それでも夫婦2人でやっていこうと決めて、ここまで来ました。奥さんがある日、自分(山本さん)が死んだときに知らない土地で一人は嫌だと言っていて。自分が奥さんより年上だったこともあって、確かにそうだなと思ったんです。それで、子どものことを考えるようになり、移住して1年後に息子の笑太郎が生まれました。せっかく田舎で生まれたんだから、のびのびと、野原を駆け回って育ってほしいと思っていたら、その通りに育ってくれましたね。」

3度の引っ越しと田舎暮らしと、ご縁。

移住して一軒目のお宅(よく見ると今も使っている表札が奥さまの右上に)

現在住んでいるお家は、移住して3軒目。最初に住んでいたお家はモダンな一軒家。しかし、住んで3年目になる頃、急に大家さんが家を売ってしまったんだとか。

「都会じゃありえないですよね。お風呂まで自分たちで作ったんだけど。それを大家さんから言われたのが冬で、家を探すから春まで待ってくれと言いました。指導していた体操教室の各地域の生徒さんたちに家を探しているって話をしていたら、そのうちの一人が『うちに来るか?』と言ってくれて、行ってみると築100年以上の立派な家だったんです。」

移住して二軒目のお宅

「そこには13年ほど住んでいたんだけど、雨漏りするようになって。その雨漏りが電気に移ってしまって、一回頭上でバチバチバチとなったこともあったり。(笑) 思い切って子どもの高校進学に合わせて、通学しやすいところへ引っ越すことにしました。また体操教室の生徒さんたちに家を探していると言ったら、別の1人が『うちの隣が空いているよ!』と紹介してくれて、教室の帰りに今住んでいる家を見に行ったんです。場所も良かったし、すぐに決めましたね。最初は借りていたけど、後に購入してデッキを作ったり畑をしたりしています。初めて自治会にも入りました。」

「今住んでいる家を買うまでは、そこにずっといるって感覚ではなかったから、今まで自治会には入らなかったんです。前の家のときに使っていた共同浴場の清掃はもちろん行っていたけれど、いわゆる自治会議みたいなものには参加してなかった。嫌なものは、嫌だから仕方ないですよね。だけど、それまでそういうことをする人がいなかったみたいで、女性陣たちが言い出せなかったことを僕が言ったみたいで、『山本さんよく言ってくれた』みたいなこともあったりしましたね。」

仕事も家探しもすべて“ご縁”だったと話す山本さん。また、田舎暮らしでも自身の考えを貫き、地域の方々に思いを伝えることができる信頼関係を築いていることが伺えます。田舎で暮らすことのハードルにも思えるご近所付き合いは、「こうでなければ!」と、思いこまなくてもよいのかもしれません。

日々を楽しみ 田舎で暮らす。

移住歴22年。今でも毎日いろいろと発見があるそうで、町内を散策することが日課とのこと。集落を“ウロウロ”するのが趣味だとか。

「みんな自分たちの住んでいる町のことを“何もない”って言いますよね。そんなわけないですよ。日常すぎて気がついていないことがたくさんあると思います。それが、町を歩いているとわかるんです。町を歩きはじめたのもまちづくりで観光のことばかり考えていたらだめだなって思ったことがきっかけで。住んでいる“人”、暮らしている“人”たちが楽しそうにしていることで、外から人も来るんだと思います。僕だって京都に住んでいるときに、町のことを知っていたかというと、そうでもなくて。知ろうとすることがはじめの一歩かも。そこで、地域の文化や歴史を学びながらのウォーキングを企画するようになりました。もう100回以上もやってます。町を歩き回っていることを地域の人も知ってくれているから、写真を撮りながらウロウロしていても、怪しくは思わないそうです。この植物はなんだろう? この野鳥は? と色々発見があるんですよ。」

これまで、ウォーキングだけでなく、山登りやトレッキング、カヌーなどさまざまなネイチャースポーツの指導をしてきた山本さん。ありとあらゆる形で自然を楽しんできました。

「いまはね、『ここのえ低山部※2』というのをつくって、これが一番楽しいですね。メンバーは住んでいるところも、仕事もバラバラ。低い山を登って、登った先でランチを食べたり、コーヒーを淹れたりするんですよ。なんてことはないんだけど、一緒にいると、他のメンバーからいろんなヒントをもらうこともあったりしますね。年に1回する低山部の会合も楽しみの一つ。毎回、シェフを招いての食事会をしているんですよ。」

キャッチフレーズは「標高と志の低い、ここのえ低山部」 ©Naoki Ezoe

メンバーには同じころに移住をしてきた方もいるそうで、住んでいる地域は違うものの、同じ時代に同じ移住の道を選んだ仲間たちとは価値観もよく合うようで、それぞれがそれぞれの形で自分らしい暮らしをしているそうです。

「移住をして大変だったことはありますか?」とお聞きすると、「大変なことなんてないですね。嫌だったらとっくに引っ越していると思います。奥さんも同じこと思っているはず。」と、語ってくれました。

最後に

自分の好きなこと・得意なことを仕事に、軽やかに地域に溶け込んだ山本さんは、22年前に選んだこの地での暮らしを今も日々愉しんでいる様子。「最近は、息子が大分に戻ってきたいとか言ってて困ってますよ。」と話す表情は、とてもうれしそうに見えました。

*1 COP3(気候変動枠組条約第3回締約国会議)

1997年12月に京都で開催された気候変動枠組条約第3回締約国会議(通称:COP3、京都会議)では、先進国及び市場経済移行国の温室効果ガス排出の削減目的を定めた京都議定書が採択された。引用元:外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/kiko/cop3/index.html

 

*2 ここのえ低山部

大ざっぱに言えば、山登りのクラブ。名前の通り頂上を目指すのを必ずしも良しとしていない。キャッチフレーズは、「標高と志の低い、ここのえ低山部」。(西日本新聞社(2016年)、季刊のぼろ 九州・山口版vol.13、P141、「ここのえ低山部 愉しみはここかしこ。(文=江副直樹)」)

取材者情報

お名前
山本 幸雄(やまもと ゆきお)
出身地・前住所
京都府京都市
現住所
玖珠郡九重町
家族構成
妻・長男(大学2年生)
職業
九重舞台サービス代表
総合型地域スポーツクラブ・ここのえ“夢”クラブ講師
WRITER 廣瀨 凪里 記事を書いた人

廣瀨 凪里

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ひろせ・なぎり/1993年、大分県生まれ。
学生時代、映画評論を学び卒業後に渡仏。帰国後、芸術祭事務局や文化施設事業担当を経て、現在は由布院駅アートホール、NPO法人由布院アートストックの事務局を務めるほか、個人 [ 藝術新社 漂泊 ]でも展覧会企画や作家のマネジメントなどを行う。趣味は映画を観ること、エッセイを書くこと。

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