取材者情報
- お名前
- 猪熊博之(いぐまひろゆき)
- 出身地・前住所
- 大阪府
- 現住所
- 大分県津久見市
- 年齢
- 40代
- 家族構成
- 独身
- 職業
- 遊漁船オーナー
- Webサイト
- https://www.ig-marine.com/
- https://www.facebook.com/marine.ig.5
大学時代「釣りのプロ」になると決めた猪熊さん。数々の釣り大会で優勝するほどの実力を持ち、雑誌やテレビ・ラジオにも出演しています。しかし、2019年に22年間勤めた会社を退職して津久見市に移住を決意しました。その背景には「釣りという大分の魅力を盛り上げていきたい」という熱い思いがありました。
キッカケは父と出かけた和歌山県への釣り旅
大阪府出身の猪熊さん。もともと負けず嫌いな性格だったこともあり、中学は野球に熱中し、高校では陸上でインターハイに出場しました。その後、理系だったこともあり九州工業大学に進学します。大学進学後に釣りに目覚めたと話す猪熊さん、そのキッカケとなったのは大阪の子ども時代の体験でした。
「もともと親父が釣り好きで、小学校の頃は大阪にいたから、よく和歌山とかに釣りに出かけていたんですよ。だけど12歳のときに大分の豊後大野市に引っ越して。中高は部活に入ったので時間がなくて、内陸から自分の足で海に行くことがなかなかできなかったんです。だから釣りのことは忘れてましたね。大学生になって、アルバイトで自分のお金ができて時間に自由が出てきた時に、馴染みがあった釣りを久しぶりにやってみたんです。そこから本格的にのめり込んでいきましたね。」
釣り生活を謳歌していく猪熊さんですが、大学を卒業する頃にはある目標ができていました。
「就職活動をする頃には、『俺は釣りで飯を食うんじゃ!』くらいの勢いでしたね。釣りの技術が高くなって有名になれば、スポンサーについてもらうこともできるので。」
釣りのプロになるため、大分の地場企業に就職
当時は、「大手企業に就職すれば安定的な生活ができる」と言われていた時代。しかし、猪熊さんは釣りのプロになるために、あえて大分の地場企業に就職することを選択しました。そこには猪熊さんならではの、ある明確な理由がありました。
「大分は磯釣りがすごい盛んなところで、全国でもかなり良いフィールドなんです。例えて言うと、関東からサーフィンが好きで宮崎に移住してくるみたいな、そんな感覚ですかね。大分は本当に海に恵まれているから、自分が目指す釣りの環境にぴったりでした。もちろん大企業に就職するっていう道の方が安定的だけど、転勤からは逃げられないかもしれないし、目指しているプロになるには無理だなと思ったんです。だから大分に定住して一生懸命釣りをやりたくて、地場産業で転勤のないところを選んだんです。」
大学進学を機に一旦は大分県を離れた猪熊さんでしたが、釣りを中心に生活を組み立てることを決めて大分にUターン。そこまでするほど惚れ込んだ大分の海は、全国でもかなり魅力的だと語ります。
「大分では、色んなメーカーごとに釣りの全国大会を開催されるんですよ。例えば佐伯市の『鶴見(つるみ)・米水津(よのうず)・蒲江(かまえ)』は本当に良い漁場だと思います。釣り業界で大分から全国に名を轟かせている人は何人もいますね。少なくともトップクラスに追いつくには、一流の環境に揉まれないとやっぱりたどり着けないと思いました。そういった意味もあって大分で頑張ろうと決めたんです。」
22年勤めた企業を退職。遊漁船で開業をするために津久見市へ移住。
cap:みかん畑から見える長目港
サラリーマンをしながら毎週必ず釣りに出かける日々を過ごし、数々の大会で優勝を成し遂げ、まさに順調といえる釣り人生。しかし一方で、時代の流れとともに磯釣りよりもルアー釣り*が釣り業界の主流になってきたことに、猪熊さんは危機感を覚えていました。
「自分が始めたときは、磯釣りがとても盛んだったんです。一番多い遊漁船で一日100人とか乗せていました。だけど今は、時代の流れと若い子たちの感性が変わってきて、疑似餌を使ったルアー釣りが主流になってきました。磯釣りは餌を餌屋さんで混ぜて、船が出る時間に合わせて準備しなきゃいけないんだけど、ルアーなら『ちょっと今から釣りに行こうか』で友達と釣りに行くことができる。その手軽さが人気につながっているんじゃないかなと思っています。」
さらに当時は若かった遊漁船の船長たちも、いまでは60〜70代と高齢化。跡継ぎがいなくてに辞めてしまう人も出てきているそうです。受け入れが少なくなってしまうと、磯釣りに興味を持つ人がどんどん減ってしまい悪循環に陥ってしまうと考えた猪熊さんは、2019年に22年勤めた会社を退職し、瀬渡しやガイドといった遊漁船を行うために津久見市へ移住を決断。翌年の2020年1月、思いを伝える瀬渡し船として「IG marine」を開業しました。
cap:実際に使用している瀬渡し船「IG-MARINE 1号」
「渡船のサービスって特殊なんです。お客さんと船長の関係が普通のサービスとは逆になってしまうことも多々あります。そうなると若い子たちには少し面倒な感じがするのか『それならいいや』って行かなくなると思うんです。若い子にも磯釣りの楽しさを体験してもらいたいので、今の磯釣りの環境を変えたいんです。メーカーさんにもお世話になっているし、自分が情熱を注いできた磯釣りという文化を絶やしたくないんです。自分でやってもいないのに、『こんなサービスにした方が良いですよ』って外から言うのはおかしいと思うんです。だったら今の時代に合わせたサービスをする渡船を自分でやってみせようと思ってやり始めました。」
猪熊さんはこれまでの経験をもとにお客さんのレベルに合わせた最適な岩場を選んで渡船を行っています。SNSには実際の釣果報告もアップされており、お客さんの笑顔がその満足度を語ります。
磯場の見回りをしながら大分県内では珍しい「お昼ごはんの配達」を行ったり、お客さんが睡眠をしっかり取って体調万全で釣りに望めるように渡船の集合時間をあえて遅く設定するなど、時代や顧客に合わせたサービスを行っています。
津久見市はリスクも大きい分、その地域ならではの繋がりもある。
大分県内では佐伯市の漁場が良いことは猪熊さんもよく知っています。それでもあえて津久見市を選んだ理由は、「お世話になった場所に商売敵として入りたくない」という思いからだったそうです。とはいえ、津久見市は天候が荒れることも多く、リスクは大きいといいます。
「津久見市は北に面しているから、冬の北西風が吹くと海が荒れます。そうなったらなかなか船は出せないんです。佐伯市の方は南向きに良い漁場が多いから、この風を避けられるけれど、少しリスクがある中でやる方が燃えるなと思ったんです。『なんであんな釣り場であんなに人が行くのだろう』って言われるくらいまで頑張ってみたいと思っています。」
津久見市という土地で始めた新しい挑戦は、今では乗船券がふるさと納税になったり、団体の遊覧を観光協会から紹介されるなど行政からのサポートも手厚いそうです。それだけではなく、津久見ならではの地域住民の方のバックアップも大きいと猪熊さんは話してくれました。
「外から来たからいろいろ言う人もいたりはします。だけど、それ以上にこの地域の方々が守ってくれるんですよね。ここの地域の方々は本当に温かいです。それこそすぐ近くの班長さんが津久見みかんを作っていて、その方が『これ配っちゃれ』ってお客さんにみかんをくれるんですよ。それをもらったらお客さんだって嬉しいですよね。やっぱり地元の人間の協力なしにはできないです。」
最後に
「釣りのプロになる」という夢を持ち、大分にUターンした猪熊さん。持ち前のパワフルさと努力を積み重ね、現在では釣り具メーカーに猪熊さんモデルが販売されるほどになりました。そんな猪熊さんは、もうすでに次の夢を追いかけています。「人生をかけた磯釣りをもっと多くの人に知ってもらいたい」という強い思いを胸に、渡船に“乗る”側から“乗せる”側になるという挑戦は、地域の色々な方々に支えられながら、津久見という町だけでなく、大分県に新しい波を起こしていくことでしょう。
*ルアー釣り
疑似餌(ルアー)を用いて行う釣りの方法