大分移住手帖

とりあえずやってみないと、の精神で着実に夢をカタチに。ものづくりの楽しさを伝えていきたい。

eiko

「綿を作りたい」という想いから、移住先を探し始めた今村さん。地域おこし協力隊の制度を活用して移住しようと考え、行き着いたのは津久見市。縁もゆかりもない津久見市への移住の決め手は「人」だったそうです。持ち前の多彩なスキルと、次々と新しいことにチャレンジする行動力で、協力隊として地域に溶け込み活動してきました。2020年9月に協力隊を卒業した後も、津久見市に住み続けながら新しい活動を始めています。そんな今村さんの移住秘話をお聞きしました。

もともと好きだった布や糸に携わりたい。

大阪出身で、子供の頃から布や糸に興味があった今村さん。専門学校に進み、アパレルの仕事をしていましたが、身体を壊して一度その世界から離れました。その後、ハーブ園で働きながらも、趣味で服を作っていたとか。材料から作りたくなる性分で、いつからか洋服の素材である綿を作りたいという想いが強くなったそうです。

「身につけるものって、自分の機嫌や体調に影響が大きいと思うんです。“着る薬”とも言われるほど、肌が感じるものって大きいんですよ。」

その後、東京の証券会社で働いていましたが、「本来自分が身を置きたいところと真逆のところに自分がいる」という認識はあったそうです。「ずっとこのままでいいのか」という想いを抱えていた中で起こった東日本大震災。「明日がある保証はない」という確信を持った時から、自分の人生を真剣に考え始めたと言います。そこで、自分が良さを実感しているオーガニックコットン*1から作ってみようと思い、まずは東京で小さな畑を借りて綿作りをスタートさせました。

今村さんの畑で育った綿花たち

 

移住フェアでの津久見市役所職員との出会いが移住の決め手に。

東京で開催された全国合同の移住フェアの様子

 

「綿をつくりたい」と強く思うようになった頃、親しい友人が地域おこし協力隊として活動を始めました。「3年間は仕事と家があっていろんな人と知り合えるし、全然知らない土地に1人で行くよりも良いと思う」と勧められ、協力隊に魅力を感じ始めた今村さん。地域おこし協力隊について調べると、綿作りを活動ミッションとしているところや、既に綿作りをしている地域を見つけましたが、問い合わせてみても、ピンとこない状況が続きました。

 

そんな中で知った全国合同の移住フェア。せっかくなので会場へ出向き、一通り話を聞きましたがそこでもパッとせず。決め手に欠けていたと感じていた時、振り返った先に、今村さんのことを見ていた津久見市の担当者がいたんだとか。話をしてみると、綿作りのことを面白がってくれ、いろいろ質問もしてくれたりと、自分に興味を持ってくれているのを感じたのだとか。その担当の方の印象はよかったけれど、その時は津久見市の協力隊の募集要項の年齢に合わず、諦めたそうです。

 

しかし、なんとその担当者がこっそり上司に掛け合ってくれたそう。その事に感動した今村さんは再度別日のイベントへも参加し、一度津久見市に行こうと決めたそうです。

 

一生懸命情報を共有してくれたり案内してくれる津久見市のホスピタリティに感動した今村さん。現地に行った際も、立ち寄った展望台で感じた風の気持ちよさが忘れられなかったとか。その後、担当者の熱意が伝わり、年齢制限が撤廃され、無事応募に至ったそうです。

初めて津久見市を訪れた時に連れて行ってもらった、四浦展望台からの眺め

 

着任直前に台風による被害を受けた津久見市へ移り住み、新しい生活がスタート

予定した9月末の引越しの10日程前に、津久見市が台風による大規模な被害を受けました。ニュースが流れ、東京では詳しい情報が随時更新されず不安は募ったものの、予定通り引っ越しました。

移住初日、津久見市は電車がまだ復旧していない状況。いたるところ泥だらけ。こんな非常時でも、当時の担当課長が「こんな時によく来てくれたね。もう行きませんって言われるかと思ったよ。」という言葉をかけてたのがうれしかったそうです。

着任直後は、市役所で罹災証明の手続きの手伝いなどからスタートしました。その合間に、畑の候補地を見せてもらい、今の畑は一目惚れで即決したのだそうです。

今村さんが一目惚れしたという畑。津久見湾が眼下に広がるとても気持ちのよい場所

 

「つくみのみかん応援団」がきっかけで地域に参加。

 

津久見市はみかんの産地ですが、ちょうど9〜10月はみかんが出回り始める時期なのに、畑や家が被害にあった農家の方々は出荷作業に全然手が回らず、作業や販売のタイミングを逃していました。それを聞いた今村さんは、市役所の担当の方と相談してボランティアを募り、販売のお手伝いを始めたそうです。その名も「つくみのみかん応援団」。このメンバーで、「お正月につくみのみかんを食べてもらおう!」と、その年の年末に大分駅で販売したそうです。応援隊の活動は今でも続いていて、みかんジュースの商品化へ広がっています。また、この活動のおかげで、地域に入ることができ、気持ちも楽になっていったそうです。

 

つくみのみかん応援団でイベントに出店した際の様子

 

手探り状態の中で活動をスタートさせ、徐々に地域に入っていきながらも困ったこととは?

 

今村さんが移住に際して困ったことは2つあるそうです。

1つは車。必要最低限の物は近場で揃っても、車が無いと持って帰れない物や郊外に行かないと買えない物が必要な時は困ったそうです。

 

もう1つは、気軽にコーヒーを飲める場所がないということ。必ずみんなが知り合いで見られてしまったり、こちらは知らないけど相手は知っているという状況がなかなか窮屈でしたね。東京にいる時は、仕事帰りにちょっとコーヒーを飲んで行くことできましたが、そうはできず。煮詰まって、大分までコーヒーを飲みに行っていたこともあったそうです。誰も知らない中でほっとしながらコーヒーを飲んで、少し買い物をして帰ってくることもあったのだとか。

 

「生活が変わるというのはもちろん分かって移住しているけど、その変化に自分が慣れて普通になるまでに、思っていたよりも時間がかかりました。自分の想像を超えた変化だったので、あまりに違いすぎて辛くなったんだと思います。この気持ちは、地域に住む人にはわかってもらえないだろうと思ったし、気軽にコーヒーを飲める場所がないと言うと、それが津久見市を批判していると誤解されたくなくて。誰にも伝えられず、悩みを言えなかったことが結構しんどかったですね。」

 

とはいえ、1年も経てばその辛さは抜けていたそうです。今でも悩むことはありますが、息抜きの仕方もわかってきたと話してくれました。

 

荒れた畑を開墾するところからスタート。『津久見くらしの体験博覧会「津っぱく」』に参加。

 

綿は5月初旬に種を植えるため、着任した10月からはひたすら荒地の開墾をしていたそうです。ハーブを植えたり、少し植えては広げてというのを繰り返してくうちに、順調に収穫もできるようになっていったとか。「自分で作って採った綿で、身につけるものを作る」という目標に向けて織りを学び、糸紡ぎの練習も行っていたそうです。

 

着任して半年後頃、津久見くらしの体験博覧会「津っぱく」*2が始まりました。もともとものづくりのワークショップなどの経験も豊富だった今村さん。「河津桜の塩漬けづくり」や「スマホで桜を撮影する」講座を開催したり、その後、会が催される度に様々なメニューを作って参加していたそうです。徐々に「糸紡ぎ体験」や「畑の収穫体験」など、自分のメインの活動を取り入れながら、綿のことも知ってもらう取り組みもしてきました。ワークショップ参加者は、趣味趣向が近い人たちも多く、いろいろな情報をもらうことも。楽しみながら繋がりを広げていけました。

ダーニング※3 のワークショップで指導する今村さん

 

夢だった工房も構えて、オープンに向けてますます忙しい日々

 

協力隊の活動を終えた後から、観光協会に所属して移住定住を支援する活動を始めた今村さん。自分自身の移住の経験を踏まえて、津久見市に移住する人がもっと気軽に問い合わせたり、人に出会える場所を作りたいと動かれています。

 

また、昨年の10月から海がすぐ近くにある物件を工房として借りました。その工房では、自分自身のものづくりをメインとしながら、ワークショップを開催していくそうです。今はオープンに向けて準備中という段階。協力隊の任期中に取得した、織りのインストラクターの資格をつかって教室を開催する準備が整った頃、正式にオープンしたいと考えているそうです。今村さんにとってこの場所は自分と向き合える場所なのだそうです。ものづくりが好きな自分だからこそ、その楽しさを知るきっかけの場所でもあってほしいという思いが強くあります。

新しくできた工房で作業する今村さん。とても穏やかで落ち着く空間です。

新しい工房「こひる」の前に広がる海

 

「移住して本当に良かったです。」と笑顔で語ってくれた今村さん。もちろん、今が全く不安がないわけではないけれど、周りの人々の生きる強さを見ていると、なんとかなるなと感じるそうです。なんでもとりあえずやってみるようにしているそうです。

 

「移住も同じこと。行かなきゃわからないし、住んでみないと実際のところは分からないですよね。だから、移住はもっと気軽で良いんじゃないかと思っています。もちろんいろんな事情はあるだろうけど、動いてみたら意外となんとかなることにも気づけますよ。一生懸命な気持ちがあれば、周りの人は手を差し伸べてくれるし、なんとかなる!。」

 

最後に

 

にこやかでゆったりとした穏やかな空気をまといつつも、自分の畑を鹿に荒らされたことをきっかけに、狩猟免許をすぐに取るような行動派でもある今村さん。思ったらすぐに行動できるのは、しっかりとした想いと変化に対応する柔軟な気持ちの持ち主だからだと感じました。今村さんの工房「こひる」から生まれるものや、たくさんの人がこの工房をきっかけにものづくりの楽しさに出会って行く姿が思い浮かびます。

 

※1 オーガニックコットン

農薬や化学肥料に頼らず、有機肥料によって生産するオーガニック農法の基準に従い、認証機関に求められた農地で作られた綿のこと

 

※2 津っぱく

津久見市ならではの風土や文化、産業、そこに住む人の「くらし」に触れることができる、様々な魅力的な体験プログラムが行われるイベント。

 

※3 ダーニング

ヨーロッパで伝統的に行われている、衣類の穴あきやすきりれたなどを修繕する針仕事のこと。

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WRITER 記事を書いた人

eiko

プランナー / ディレクター
合同会社 NOOK、竹田市地域おこし協力隊 
食品流通でのマーケティング、プロモーションの経験を経て、 (株)電通九州へ。特に食や女性、暮らし視点を必要とするクライアント業務に従事し、2011年退職。出産を機に食や環境への関心が高まり、2018年6月に主人の郷里・大分県竹田市に移住し、地域おこし協力隊として活動しながらこれからの暮らしを模索中。
2020年7月に主人と共に合同会社NOOKを立ち上げる。
”キッチンから暮らしをハッピーに”をコンセプトにしたwebshop「itonami kitchen」を運営中。
50度洗いと低温スチーミング調理インストラクター
上級麹士、ホールフードシニアコース修了
国際薬膳食育師

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