取材者情報
- お名前
- 衛藤嵩史
- 出身地・前住所
- 東京都中野区
- 現住所
- 大分県津久見市
- 年齢
- 36
- 家族構成
- 両親・姉
- 職業
- グラージベンチャーズ代表 https://www.garage-ventures.com
CloudBCP代表取締役 https://www.cloud-bcp.com
- Webサイト
- https://www.cloud-bcp.com
14年間の東京生活を経て、仕事や生活でのダウンサイズのために、故郷の津久見市へUターンした衛藤さん。都会でも田舎でも同じようなライフスタイルを過ごしているという彼に、移住に至るまでの経緯と、現在の暮らしをぜひお聞きしたいと思い、彼の会社を訪ねました。
都会で音楽やカルチャーに囲まれながら開業。
津久見市四浦半島で生まれ育った衛藤さん。進学のために上京したそうです。
衛藤 : 高校を卒業後に印刷デザインの専門学校に入学するために上京し、そのまま東京で14年ほど暮らしました。音楽やカルチャーが好きだったのですが、子供の頃は身近にはCDショップも映画館もなかったですね。
15年ほど前に、カフェとレコード屋を併設するような業態に魅力を感じ、友人が音楽担当、自分がカフェ担当で分業して開業することにしました。専門学校を中退し、カフェでバイトしながら経営を学び、バリスタの資格取得や飲食の修行をしました。恵比寿や中目黒、自由が丘などにおしゃれなカフェが増え、Nujabesなどのサンプリングを多用するアーティストや、ミクスチャーの音楽が流行った時期で、音楽業界がかっこよく見えた記憶があります。
21歳の時、同年代の仲間達が企業に就職していきました。置いていかれたような気持ちもあり、23歳の頃に「飲食は定年してからでもできることかも」と思いはじめました。
また、アートに携わる知り合いが増えていきました。彼らはまだアートだけでは食べられないため、色々なバイトに勤しんでいましたね。その影響でMacBookを買って勉強したところ、半年ぐらいでwebサイトが作れるまでになったので、IT企業へ就職することにしたんです。
就職するも、働き方を見直す
こうしてスタートした会社員生活でしたが、業務量が多く激務だったそうです。
衛藤 :毎日終電で帰っていましたね。現在はなくなりましたが、当時の特定労働者派遣で、大企業の業務に従事して大部屋でプログラミングを行っていました。収入はいいものの、窓から見える景色は決して綺麗ではない川。移動のストレスや人や車の多さ、会社内に知らない人が多いなど、精神的に苦痛でした。仕事を通じて「フリーランス」という働き方を知って、こういう働き方もあるのだなと感じていました。
フリーランスとして独立。
激務で精神的にも削られていく毎日の中で、ある日ふと「1週間後にフリーランスになろう」と思い立ち、実行したそうです。
衛藤 : 思いつきで独立したのもあり、その後半年は仕事が安定しませんでした。自宅で仕事をしていましたが、賃料が月5万円ほどかかるので、どうしたものかと悩んでいました。
東京で独立後、またもや苦労が続く中で、たまに帰省した際に会う友人や知り合いがみんな幸せそうだと感じたそうです。
衛藤 : 都会の生活コストの高さや煩雑さにストレスを感じていたこともあり、たまに帰省すると、地方の人達は幸せそうだなと感じました。所得に差もなく、都会の暮らしより豊かに見えたんですよね。何より笑顔が多いなと感じました。
田舎暮らしが幸せに思えた衛藤さん。フリーランスを始めて半年後には、田舎に拠点を移すことを考えたそうです。
衛藤 : 当時の自分の実力では、東京の常駐フリーランスと競ってリモートで仕事を請ける自信がなかったので、地方移住のために準備を進めました。現在はリモートワークも一般的になりつつありますが、2015年時点ではそこまで認知されていなかったので、工夫が必要でしたね。
東京にIT 業界の仕事の99%が集中していると思っていましたが、実際には地方にも結構あることが分かりました。住んでいる場所が問題ではなく、営業力が課題なのだと気づかされましたね。地方だと都会より生活費を抑えることができ、ランニングコストを抑えられるので、リスクのある案件でも調整できるし、経営リスクは工夫次第で分散できるなと考えました。沖縄やポルトガルへのITでの移住事例を知って憧れましたが、生活コストを下げる事を優先して、最終的に地元を選びました。
こうして衛藤さんは、2016年4月Uターンを果たしました。
不便はないけど、刺激は自分で求めていく
津久見市にUターン後の生活についてお聞きしてみました。
衛藤 : 地元のお店は食材が豊富ですが、少し凝ったお菓子などを作ろうとすると材料の取り扱いが少なく、選べないところは少し悩みどころですかね。洋服を作るにしてもボタンのパーツが売ってないですし、希望の革靴を手に入れようにも店がないです。大きい本屋も無いですし、外食のジャンルも限られます。
ですが、今までネット通販を活用してきたので、買い物には困らないですし、不便はないです。ただ、趣味が尖っていたら表に出にくいかもしれないとは感じます。
本屋やCDショップなどがないため、都会の本屋のように発掘できるようなものがなく、文化的に受け身になる気がします。自分が知らなかった何かに触れる機会が少なく、多様性がなくなってみんな価値観が似通ってしまうので、そこはたまに補っていかないといけないと思います。私の場合は、時々東京に行くので、その際に刺激を吸収しようとしてますね。
移動手段が車に変わり、その分高速代やガソリン代がかかるので、移動コストは特に変わらないですね。住まいにかかるコストはだいぶ下がると思います。
何よりも移動時に精神的なストレスが少ないのは本当に大きいですね。
都会ではあまりに人がいるので思わず「障害物」と思ってしまうことが多かったですが、今はすれ違う人を「知り合いかも?」と自然に確認するようになったのは大きな変化かもしれません。
津久見のまちづくりにも参加し、知り合いも増え、人生的には豊かになっている気がします。
海のすぐ近くで生まれ育ったこともあり、海付近に位置する今のオフィスは快適ですね。
居場所を作りつつ励むまちづくり
Uターン後、まちづくりにも関わるようになった衛藤さん。津久見市の花火大会の際のローカルラジオの放送や、津久見商工会議所青年部の活動にも積極的に参加しているそう。
衛藤:私もITの技術者として居場所があります。イベントを表立って担うというよりは、裏方で頑張るイメージです。
2021年には津久見市でハッカソンを開催する予定です。
公私ともにまちづくりに取り組む衛藤さんは、仕事でも新たな挑戦に取り組んでいるそうです。
衛藤 : 2020年にCloudBCPという会社を立ち上げて、プログラマーからベンチャー企業の経営者になり、従業員を雇うようになりました。
津久見市をワールドワイドに捉えたい
これからも津久見市を拠点に様々なことを発信していきたいと考えている衛藤さん今後の計画についてお尋ねしました。
衛藤 : まずはしっかり会社の業績を伸ばしていこうと考えています。 日本をターゲットにすると東京が拠点になるかもしれませんが、海外をターゲットにするとどこが拠点でも同じだと考えています。津久見市は最寄りの空港からも遠い場所にあるため、都会にも地方にも偏らないのが逆に利点だと思います。
津久見市だと自分次第でどこにでも所属できると思います。「九州」と名乗っても「アジア」と名乗っても良いと思うんですよね。周りの影響がそれほどないので、自分が入る枠やスタイルを決められます。スーパーローカル=スーパーグローバルとして津久見市を世界へ発信していきたいです。
移住希望の皆さんへ
津久見市発のベンチャー企業経営者として挑戦を続ける衛藤さんから、移住を希望する皆さんへメッセージを頂きました。
衛藤 : 個人的には、日本から出ない限り、どこに住んでもそこまで変わらないと思います。住む場所よりも、「そこで何をするか」ではないでしょうか。移住したからといってその人自身が変わるのではなく、それまでに住んでいた地域と新しく住む地域の人達の人柄や優しさの指標が変わると思うんです。仕事や子育てといったライフスタイルに合わせて、都会も田舎も自由に選んでもいいと思うんです。「自分の仕事は都会でないとできない」と思っている方は、一度調べてみるのをお薦めします。
また、移住したら地域に積極的に関わるのをオススメします。例えば、アメリカに留学したとして、アメリカ人の友人を作らずに、日本人コミュニティーに通うような状態だと勿体ないのと同じかなと。
私の住む津久見市は、外から来る人におおらかな土壌があるので、積極的に関わっていけば受け入れられると思います。移住先の候補として、気軽に訪ねてきてくださいね。
最後に
プログラマー兼ベンチャー企業の経営者として、津久見市を拠点に活躍の場を広げる衛藤さん。地域の担い手としてまちづくりに携わりながら、都会で培った感性をアップデートし視野を広げ続けています。どこに住むかが問題ではなく、どう人と関わるか、その中で自分がどうなりたいかが大切だということを教えて下さいました。彼のように、移住するにあたって明確な目的を持ち目標を立て、自分ができる手段や方法を用いて実践することで、思い描く移住生活へ自らの暮らしを導くことができるのではと思いました。