大分移住手帖

ものづくりへの憧れから杜氏の道へ。第二の創業を経て、今なお続く新たなる挑戦。

Kg

取材者情報

お名前
中園 誠
出身地・前住所
出身地:鹿児島県鹿児島郡桜島町(現、鹿児島市桜島町)出身
前住所:福岡県
現住所
宇佐市四日市
年齢
50
家族構成
妻・長女・長男
職業
有限会社常徳屋酒造場 https://www.facebook.com/jyoutokuya/
Facebook
https://www.facebook.com/jyoutokuya/

ものづくりへの憧れから、宇佐市に移住して未経験だった酒造メーカーに飛び込んだ中園さん。様々な苦難を経験しながらも、第二の創業を成し遂げると共に、地元の宇佐産にこだわり抜いた商品の開発や海外への展開など、新たな道を切り開いています。そんな中園さんの話には、移住や仕事に関するヒントが詰まっているのではと考え、中園さんが営む有限会社常徳屋酒造場を訪ねました。

有限会社常徳屋酒造場

理想と現実の間

中園さんは大分県に縁もゆかりもなく、鹿児島県で生まれ育ちました。平成元年に鹿児島商業校等学校を卒業して、大学進学のため福岡県に移住。大学在学中に福岡市の短大に通っていた現在の奥様と知り合い、交際をはじめたそうです。

中園:就職も福岡市で、銀行に入行しました。銀行の仕事を通じて「みんなに夢を見せたい」と考えていましたが、ちょうどバブルが弾けた頃で金利も6%以上と高く、払えない方も多くて… 夢や希望をもって入行したのですが、実際の業務は集金や借り換えばかりで、鬱屈とした思いを持っていました。

そんな時に、奥様が実家の家業である有限会社常徳屋酒造場について詳しく教えてくれたことで、ものづくりに興味を持ったそう。

中園 : お付き合いしていた当時は、妻の実家が酒造メーカーということは漠然と知っていたのですが、詳しく聞くうちに、面白いと感じるようになりました。銀行の仕事を息苦しく感じていたこともあり、次第に惹かれていきました。

有限会社常徳屋酒造場の設備

婿入りしてものづくりの道へ

ものづくりへの想いが膨らんだ中園さん。ついに銀行を辞めて婿入りすることを決断します。

中園 : 有限会社常徳屋酒造場は、創業1907年(明治40年)から清酒「正直の誉」というブランドで、現在の3代目まで製造・販売を行なってきました。 昭和59年からは同じ宇佐市内にある酒造メーカー2社と協力し販売会社(大分銘醸㈱)を立ち上げて協業体制に移行しました。同時に常徳屋酒造場は清酒蔵から焼酎蔵へと生まれ変わり、自社ブランドの商品の販売を止めて、統一銘柄の麦焼酎などを販売していました。

そんな中で1番の問題は、跡取りがいないことでした。妻は3代目現会長の次女で、お姉さんは既に嫁ぎ、本来なら後継ぎであったお兄さんは、亡くなっていました。義父には「常徳屋を残したい。」という想いがあったそうです。私の実家は反対していましたが説得して、平成8年に結婚して婿入りしました。

こうして、宇佐市にて新しい生活をスタートした中園さん。最初は苦労の連続だったそうです。

中園 : 酒造業界のことは全く分からないド素人だった為、3代目に言われるがまま、日本酒造りの勉強のために広島県に行きました。そして、半年では到底覚えられなかったので延長を繰り返し、約2年間日本酒造り全般と利き酒の勉強をさせてもらった後に、平成15年に大分銘醸に入社しました。

お酒を熟成する甕(かめ)

第2の創業。独立してリスタート。

宇佐市に戻った中園さんは、着実に成果を上げていったそう。

中園 : 当時、焼酎の売り上げも右肩下がりの中、3代目が当時杜氏を行なっていたので、新製品を造り私はラベルを担当させてもらいました。

当時の私のマイブームが、清酒の「久保田」とか「八海山」みたいな和紙のラベルだったこともあり、印刷会社に「こんなラベルで新商品を出したい」と相談しましたが、「1升で1,200円ぐらいの焼酎にこんな高いラベルは合いませんよ。」と一蹴されてしまいました。

それならば「ラベルを自分で作ろう」と思い、和紙を文房具店で買ってきて手作りしたところ、手掛けた商品が大当たりして毎年売り上げが伸びていき、お客様からの「美味しい」という声も頂け、酒造メーカーとしての醍醐味を感じるようになりました。

こうして、仕事で結果を出した中園さんですが、そのことがきっかけでジレンマに陥ったそうです。

中園 : 売り上げが伸びれば伸びるほど焼酎の量が足りなくなり、酒類業界では昔から当たり前の行為である「桶買い(他社の焼酎を買い自社の商品に混ぜ販売しないと供給出来ない状態)」になってしまいました。私にはどうしても「桶買い」が理解できず、お客様に「美味しい」と言われても素直に喜べなくなりました。プライベートでは跡取りとなる子供も生まれましたが、この会社のままではバトンを渡せない気もしました。

そんな折、大分銘醸が手狭になり移転する事になりました。「今しかない」と考えて、思いっきって3代目に「独立して1からやっていきたい!!」と想いを伝えました。すると3代目からは「お金の心配はするな。」と言って頂けました。

こうして、平成15年7月に約20年余り世の中から消えていた有限会社常徳屋酒造場は「第2の創業」に至りました。3代目のこれまでの清酒造りから焼酎造りの経験を忠実に引き継ぎ、家族と新人2名の蔵人でリスタートしたのでした。

カルヴァス樽とピート樽

販路を求めて海外へ

杜氏・営業・販売まで3人で行っているという中園さん。多忙を極めているようです。

中園 : 毎年9月から仕込みをはじめて、年末に少し休んで、1月から7月までまた仕込みを行います。お酒をより美味しくするために、特に熟成・貯蔵に力を入れ、味わいがありながら喉越し(キレ)良い本格麦焼酎の製造を目指しています。

酒造りに際して常に痛感させられるのは、“酒は生き物”であるということです。生き物であるが故に今必要とされていることに 過不足なく対応することが大切です。醸したお酒がいつも今の私の能力を評価する訳ですが、その酒に対する評価を励みに、より一層の良酒を醸すべく経験と精進を重ねています。

造り手としてだけでなく、営業・販売のため、3月から8月お盆前までは、休日返上で関東・関西に出張し、週末開催される試飲会などの酒屋さんのイベントに参加します。問屋さんを通さないため、同じような顔ぶれで情報交換ができる貴重な場となっています。同時に、今売れている日本酒のリサーチや、お客さんの好みなどを知るために、各地の飲食店や酒屋さんを回って情報を集めています。

また、弊社が卸している酒屋さんが飲食店や一般客に商品を紹介してくれ、その方々が一度は足を運んでくれています。時には、県外の飲食店の方が「他の店にはない商品」「地元にしかない商品」などを求めて熱心に視察に来られます。そういうチャンスを大切にしていこうと思います。

そんな中、将来に向けて新たに海外にも目を向けているそうです。

中園 : ドラッグストアやコンビニなどのおかげで、お酒を扱うお店自体は増えているものの、酒屋の専門店は減る一方です。商品販売の独占などしがらみも多く難しい点もあります。また、若者のお酒離れも深刻です。リキュールなどで興味を引くアプローチを行っていきますが、いずれにせよ国内市場は限られていると考えています。

そこで、海外に目を向けています。イベントでJETROの方と知り合う機会があり、ゼロから一緒に作ろうと頑張っています。今でもリキュール類は香港に輸出していますが、こちらからの発信ではなく受け身なので、これからは私達から仕掛けたいと思います。現在大学生の息子も海外に興味があり、いい流れを感じています。

海外でも「寿司といえば日本酒」と言われるように、ワインに近い感覚で日本酒は日本食ブームと共に拡大できたと思いますが、焼酎はまだ海外に根付いていません。そもそも、海外には日本のように食事をしながらお酒を飲む文化がないことも一因だと考えています。そこで、入り口としては「ジャパニーズスピリッツ」としてカクテルベースにするなどの工夫をしていきたいです。

昔の趣が残る建物

ALL USA(宇佐産)にこだわる

活躍の場を広げている中園さん。新たな試みとして、地元宇佐産のハダカ麦を使用した焼酎造りのチャレンジをはじめているそう。

中園 : 広島での修業時代の同期に、静岡の蔵元のご子息がいました。彼に「蔵に帰って何をするの?」と軽い気持ちで聞くと、「自分で酒米造りからして、その酒米で日本酒を仕込む」と言われました。「地元の酒米で、地元の水を使い醸す」。これこそ「地酒」だと思ったのを印象強く覚えています。私もすべて地元の原料で揃えたいと思いました。

平成15年の「第2の創業」の際に、ふと腹の底に眠っていたこの思いが蘇りました。会社のある宇佐市の宇佐平野は、大分県でも1番の穀倉地帯で、春は麦刈・秋は稲刈りと二毛作を行なっていて、小麦・二条大麦(ビール麦)・六条大麦(ハダカ麦)の3種が栽培されています。「この宇佐産の大麦は何に使われているのだろう?」と思い、購入できないか調べてみたところ、焼酎製造に適している二条大麦(ビール麦)は、日本最大手の麦焼酎蔵が大分県や農協を巻き込み買い取ろうとしていた為、残念ながら手に入れることはできませんでした。

残されたのは酒造りには向かないと言われる六条大麦(ハダカ麦)でしたが、中園さんはそこにチャンスを見出したそうです。

中園 : 残された六条大麦(ハダカ麦)はもともと食用の麦で、「麦みそ」の原料や五穀米に入っている押し麦であるため、焼酎製造用としては粒が小さく、アルコールの収得量(原料㎏あたりのアルコール収得量)も少ないです。でも、「地元宇佐の原材料を使い、宇佐の水、宇佐の風土、宇佐の醸し人で造る」ことにより、大手にも真似のできない一番の差別化になるのではと考え、これで酒造りをしようと決断しました。

ALL JAPAN(国産)よりも…
ALL KYUSYU(九州産)よりも…
ALL OITA(大分産)よりも…
ALL USA(宇佐産)に、こだわる!!

そう思ったんです。

こうして、宇佐産にこだわることにした中園さん。仕事に邁進する日々 ですが、苦労を分かち合える仲間もいるそうです。

中園 : 現在の移住者の横のつながりはあまりないですが、別府市を中心とする「婿養子の会」に参加しています。メンバーはみんな県外出身の婿養子で、義実家の家業を受け継いでいます。そこで、婿養子ならではの気苦労を分かち合っています。

瓶詰めの工程

大分県を盛り上げよう

「第二の創業」を経て、精力的に活動を続ける中園さんから、これから移住を検討されている皆さんへメッセージを頂きました。

中園 : まずは、移住先に溶け込むように頑張って欲しいと思います。あとは、自分達をアピールできる発信力があった方が良いです。

大分県は海も山も豊かですが、今はこれというものがない気がします。一村一品運動は凄かったですが、基本的に各地域でそれぞれ分かれていて、まとまりは薄いと感じています。良いものはたくさんあり、県外から見ると恵まれているのに、もったいないなと。これからは、大分県を盛り上げていくため、みんなで一緒に手を携えて頑張っていければと思います。

店頭には自社製品が並ぶ

こだわりの中で

杜氏として酒造りに邁進する中園さん。憧れだったものづくりの道は決して平坦ではありませんでしたが、様々な経験の中で進むべき道を見つけ出し、第二の創業を成し遂げ、ALL USA(宇佐産)の商品を生み出しました。自分達がこだわるべくものを見出し、情熱を持って取り組めば、いつしか道は拓けると教えてくださった気がしました。

PHOTO

  • ものづくりへの憧れから杜氏の道へ。第二の創業を経て、今なお続く新たなる挑戦。
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WRITER 記事を書いた人

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株式会社モアモスト 取締役・一般社団法人まち元気おおいた 理事・Pdw 代表として、サイト・DTP・DTMなどディレクション〜制作をはじめ、ライターや撮影などの業務に従事。大分市府内5番街商店街振興組合の理事として、まちづくりにも携わる。

SC-RECS.com・クラブイベントインフォ・SCLS・DubRize・PLay・合同写真展などを主宰し、各種イベントのオーガナイズからDJやマシンライブなどまで展開中。テルミン使い。

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