大分移住手帖

奥豊後・白山川(はくさんがわ)に導かれて

廣瀨 凪里 廣瀨 凪里

豊後大野市三重町。小道に入り木々のトンネルを抜けると赤い扉の木造建築が現れます。ここは、福井県出身の米澤さんが代表を務めるTAO ORGANIC KITCHENの工房。1991年に、この町に移り住んだ彼女は、当時のことを振り返りながら「はじめて九州へ来たときのこと、よく覚えています。こりゃあ、すごい!と思いましたね。」と、話す。都市部での暮らしを経て、今年で移住して30年目。これまでのこと、そしてこれからのこと、いま肌で感じている自然の変化について伺いました。

自然の中での暮らしを求めて

米澤さんは進学と就職をきっかけに20代を関西で過ごしていました。会社員として日々忙しく働いていましたが、ある日、世界一周旅行へ行くことを決めます。そのときの海外での体験をきっかけに、自然の中での暮らしに興味を持つようになったそうです。

「11年くらい兵庫に住んで、大学卒業後は大阪で働いていました。広告の仕事をしていたのですが、何だか経済の仕組みだとか色々なことがイヤになっちゃって。格安世界一周航空券を見つけて衝動買いをしたんです。1986年から1987年にかけて1年近く1人でバックパック一つで世界一周しました。始めサンフランシスコに飛んで一周。旅の半分以上はアジアで過ごしました。」

インドカルカッタで・1987年1月

「帰国後、もう都市部には住めないなって思うようになり、食べ物も自分で作って自然の中で暮らしたいと考え始めたんです。それから、仕事が休みの日に隣県の田舎の方を回ったりして関西の中で自給自足ができそうな場所を探しました。」

まずは、周辺の京都・奈良・和歌山を候補に次の住まいを探し始めた米澤さん。そんな中、大分県出身のご主人と出会い、初めて九州を訪れることになりました。

はじめての九州。『ここだ』と思った。

初めて訪れた九州の雄大な自然を体感し『ここだ』と、直感的に思ったのだそう。それから大分県内のいくつかの地域を周り、住む場所を探しているうちに豊後大野市に流れる白山川(はくさんがわ)に出会い、そこで蛍を観た時のことを忘れられずにいたそうです。

「初めて九州に来た時に、命がさかんでエネルギーの密度の濃い感じが、バリ島に似てると思いました。『ここだ』って。はじめは空き家を探していたのだけど、なかなか条件の合うところが見つからず、家を建てることを前提に土地を探し始めたんです。最初に『ここがいいね』って夫婦で話した場所があったんですが、そのことを地主さんに伝えたら、『よそ者には売れない』と言われてしまって。『仕方がないから他を探そう』って色んな場所をまわっているときに、地域の方に『あの人に聞いてみるといいよ』と白山川を守る会の当時の会長さんを紹介されたんです。」

「出会って話をしていくうちに『若い夫婦が来てくれるのはうれしい。わしが面倒みるけん』って言ってくれたんです。そのまま案内されたのが、最初に『ここがいいね』って話した場所。会長さんが持ち主の方に話をしてくれて、そこに家を建てられる運びになりました。白山川の蛍を復活させたのも白山川を守る会*1 でした。いろんなご縁が重なっていたんだと思います。」

夫婦二人三脚で開墾するところから住まいづくりをスタート。クヌギの根っこを掘り上げて整地したり、山から水をひいて、電気を整備し、木材を運んで親戚の大工さんと一緒に家を建てました。家までの道は住み始めてから3年かけて整備したそう。

開墾当時 ユンボを借りて整備をしているところ

田植えと稲刈りは友人たちと手伝いあって

「この土地に縁もゆかりもない若い夫婦が急に田舎で暮らそうとしているって、地元の方たちは少し不安だったのかもしれません。『なんでこんなところに?』と言われることもよくありましたが、その度に『こんな良いところだから!』と答えていましたね。当たり前のことなのかもしれないけど、住んでいると案外慣れてしまっていて、目の前の良さになかなか気付かなくなってしまうんだと思います。」

「移り住んできた当時、Iターンって言葉はなかったんです。移住に対しても、変わっている人や特別な人のすることというイメージがあって、地域との壁をよく感じていました。それから少しずつ移住者も増えてきて、実際に移住する前に住む場所を探している方たちがうちによく来るようになりました。」

薪ストーブのある生活 お父さんのお手伝いをする娘さん

子どもを育てるには自分も地域も変わる必要がある

移住して数年後に娘さんふたりを出産した米澤さんは、自然育児やシュタイナー教育*2 に興味を持つようになったそう。自らの子育てをきっかけに地域の方々と教育について考えたり、同じように子育てをしているお父さんお母さんとの情報共有の場をつくるようになりました。

「当時は移り住んできた人間として、地域の方と距離を取っていたところもあったかもしれません。自分たちを理解してもらおうとはあまり思っていませんでしたが、子どもは家庭や学校だけでなく地域で育つものだと気付きました。子育てをきっかけに自分も地域も変わる必要があると感じ、それから、教育に関する講演会や映画の上映会など、いろいろと企画してみたら、大人たちは毎回学ぶことばかりでした。その後、シュタイナー教育のエッセンスを取り入れた無認可保育園、おひさまのたまご*3 も始まりました。」

夏の遊び場は白山川・2003年

ふたりの娘さんたちと一緒に・2020年 ©Mio Yonezawa

TAO ORGANIC KITCHEN の はじまり

自給自足生活を送ってきた経験を生かし、九州産の有機栽培や無農薬栽培で作られた野菜を使い、手作業でシロップや焼き菓子、ペーストなどを作っているTAO ORGANIC KITCHENは、立ち上げから今年で7年目。ホームページの『タオ・オーガニック・キッチンについて』の文章に米澤さんの思いがすべて綴られています。

「子どもたちが大きくなってきて、これから何をしようかと考えるようになりました。当初はカフェをする予定でしたが、お客様がどのくらい来るか分からない中での仕込みや決まった曜日に店を開けることが自分の生活には合わない気がして、今のこの形になりました。『これならできる』と思ったんです。大地のエネルギーをしっかり吸収した農産物を、手間ひまかけて加工しています。」

TAO ORGANIC KITCHENスタッフの石井愛子さん

「豊後大野市は『おおいたの野菜畑』と言われるほど農業が盛んな地域です。小規模でも長年農薬も化学肥料も使わず、実直に農作物を育ててきた農家さんたちも沢山います。わたしたちは、ほとんどの食材をそういった農家さんから直接買っています。」

変化の中で感じていること

豊後大野市に移り住んで30年。その間に社会だけでなく身の回りの自然環境も大きく変化したと話す米澤さん。これからの町のことについても考えることが多いそうです。

「30年前はもちろん自分も周囲の人も30歳若かったのですが、当時50歳だった人も今は80歳になりました。草刈りなどの地域の活動もあと何年続けられるか分かりません。一方、子どもたちは進学や就職を機に一度市外や県外へ出てそのままのことがほとんど。豊後大野市に帰りたいと思っても仕事がないのが現状です。そうなったときに、自分で仕事をつくるという選択もある。そんな風に考えて、私はTAO ORGANIC KITCHENを始めました。今は自分の好きな場所で自分に合った仕事を出来ることは本当に幸せなことだと感じています。これから移住をする人のために、移住した人の中にはこんな暮らし方をしている人やこんな仕事をしている人もいるということを伝えることができたらいいですね。」

「自然環境のことで言うと、以前は、自宅のすぐ下を流れる白山川にも蛍がもっといました。でも最近は、自然がどんどん少なくなっているなと肌で感じています。濃度が低くなっているというか。その原因は、森林伐採や農薬散布など様々。この町のなつかしい里山の風景は、みんなで守っていかなければならないと思うんです。そのためには、一人だけでなく多くの方が意識を変えることが必要だなと。今まで普通だと思っていたことに疑問や違和感を持つことや、知らなかったことを知ることから始めていきたいですよね。自分たちが住んでる町がこれからどうなるかは他人事ではなく、“自分ごと”ですからね。」

最後にこの町の好きなところを尋ねてみました。

「30年前に比べれば、大きな通り沿いにはお店が並んでいるし、確かに便利になったと思います。ただ、そこから少し離れるだけで、まだまだ何もないところがあって、この『なんにもなさ』が良いんです。町の光も少ないから、星も綺麗に見えます。子どもたちにはこういった自然の中での日々を原体験として持っていて欲しいんです。」

奥豊後の豊かな自然の中で自分らしく暮らしてきた米澤さん。これからも彼女らしく日々を紡いでいくことでしょう。

*1 白山川を守る会
昭和40年代、高度経済成長期、出稼ぎ、日稼ぎ者が増加し、水稲は農薬依存の捨て作り、川はゴミ捨て場となり、洗剤等の影響で汚染され、名物のホタルは減少したため、「川を守りホタルを救え」の合言葉として、旧白山村地域全体で、白山川を守る会を結成し、ホタルの里づくりを目指してとりくんできた。

引用元:おおいたNPO団体情報バンク「おんぽ」(任意団体 白山川を守る会)
https://www.onpo.jp/npolist/item_4468.html

*2 シュタイナー教育
ドイツを中心に活躍したシュタイナー教育の提唱者、ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)
は、知的な経路を通じた学習は教育のほんの一部に過ぎないと考え、感情や意志に働きかける総合芸術としての教育を構想していきました。芸術となった教育により、すべての子どもに共通する心身の発達プロセスを適切に整え、その上でひとりひとりのまったく異なる個性をそのプロセスの中に調和的に導き入れる。そのようなプロセスを通して、個性はとらわれのない自由を獲得できると考えた教育法。現在では、世界60数カ国に1,000校を超える広がりをもつ。

引用元:日本シュタイナー学校協会(シュタイナー教育の概要)
https://waldorf.jp/education/

*3 おひさまのたまご
2004年春「子どもたちを自然の中で育てたい」「その子のありのままの成長を見守りたい」というおもいから哲学者ルドルフ・シュタイナーの思想に学びつつ、週1回の共同サークルとして始まった。現在は、毎日開園している。

引用元:豊後大野市(ぶんごおおの子育て応援サイト なないろ)

取材者情報

お名前
米澤 陽子(よねざわ ようこ)
出身地・前住所
福井県福井市
現住所
大分県豊後大野市
職業
TAO ORGANIC KITCHEN 代表
Webサイト
https://www.taoorganickitchen.com/
Facebook
https://www.facebook.com/taoorganickichen
WRITER 廣瀨 凪里 記事を書いた人

廣瀨 凪里

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ひろせ・なぎり/1993年、大分県生まれ。
学生時代、映画評論を学び卒業後に渡仏。帰国後、芸術祭事務局や文化施設事業担当を経て、現在は由布院駅アートホール、NPO法人由布院アートストックの事務局を務めるほか、個人 [ 藝術新社 漂泊 ]でも展覧会企画や作家のマネジメントなどを行う。趣味は映画を観ること、エッセイを書くこと。

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