大分移住手帖

土木から林業へ。母が守ってきた山を受け継ぎ、新たに紡ぐ日田暮らし。

Tomomi Imai

取材者情報

お名前
合原万貴
出身地・前住所
出身地:大分県日田市
前住所:福岡県
現住所
大分県日田市
年齢
40
家族構成
5人家族
Facebook
https://www.facebook.com/marumatamaki

日田市で生まれ育った合原さんは、大学進学と共に福岡へ行き、実家の家業である「マルマタ林業株式会社」を継ぐために戻ってきました。林業を一から学びつつ、お母様が守ってきた森を継いでいく中で感じていること、Uターンならではの悩みやアドバイスをお聞きしてきました。

福岡の大学では土木工学を学ぶ

合原さんのご実家は、林業と醤油製造業がメイン事業である「マルマタ林業株式会社」。1868年に醤油屋として創業。昭和42年に法人化と同時に林業をスタートしました。

大学進学のために北九州市へ引っ越した合原さん。大学ではまちづくり関係の研究室に入り、その流れで環境設計の会社へアルバイトとして入ったことで、まちづくり関係の業務経験を積みました。

日々忙しく過ぎていく中で、この頃から家の仕事を手伝わないかと親から相談があったそうです。

山を教えてくれたのは、母。

「林業」は、パワフルな男性が多い職種ですが、マルマタの林業を牽引してきたのは何よりも合原さんのお母様。毎日森山に入っては、熊本や大分中に広がっている山を長年守ってきました。また、守るだけでなく、横のつながりも必要だと考え、昔からいろんな企画も行うなど、かなり活発なお母様なのだそうでうす。

「母とベテラン社員の方が一緒に山を教えてくれました。結婚を機に戻ってきて、本格的に関わるようになりましたが、最初は男性職場でかなり戸惑うことばかりでしたね。山を見ながら管理をする感覚をつかむまで結構時間がかかりました。」

「山を守る」と一言で言っても、実際にどんなことをしているのか想像できない方も多いはず。

「山を見るということは、山を登るということでもあります。まず自分の管理する山の範囲を知るためにたくさん歩きましたね。『ここが範囲です』とわかりやすく壁があればいいですけど、ほとんど無いので、幹の皮を薄くはいで墨汁で屋号をつけたりしながら、何度も山を登る毎日でした。趣味の登山では無いので、数ヶ月目に挫折しそうになりました。」

現在、マルマタ林業は実働者が3名。きこり職として東京から1名最近移住してきて、2021年4月には女性のきこり候補も新しく入るそうです。

「最近の林業は大型機械を使うことが多いですが、大分の山では昔から小さな機械も使います。現時点では母が代表で、事務仕事や経営面は私も行っていますが、週2、3日は山に入るので、毎日結構忙しいですね。もっと人手は欲しいところです。」

由布院に作った「食べられる森」

今まで、杉と檜を学んできた合原さん。山にはそれ以外にもいろんな種類の木があり、それを学べる場所を作りたいと考え、6年ほど前に”食べられる森”をテーマに「やぶとら物語」という場所を由布院にあるマルマタ林業の所有する山の一画に作りました。檜の植林地の間に自然と生えてきた250種類の植物の中から選別し、日本古来の樹種も植林しながら、新しい山作りをしています。

「平成16年の台風が来た際に、湯布院の山で結構な数の木が倒れたんです。その場所は人の持ち物でしたのでマルマタ林業が購入しました。植生調査をして見るとそこに160種類ほどの植物が自然と育っていることが分かったんです。そこで、残したい植物と新たな樹種を入れながら、山を作ってみようと思い、始めました。そんな矢先に、京都で山椒の専門家と出会うことがあり、陰地にも強い山椒の木を植えた所、実がなりましたので、『山椒しょう油・山椒味噌』を開発しました。」

森林教室やツリーハウスを通して山を知ってもらう

山を守るだけでなく、山を作るマルマタ林業では、15年ほど前から年に1回森林教室も行っています。始めたのはお母様で、山の麓にある地区に知人が移住したことがきっかけでした。元々山が当たり前に近くにある地元の方向けではなく、移住してきたり、山が近くにない方向けに行っているそうです。参加者の多くは知り合いや友人とのこと。そんな中、2年ほど前に東京の建築士さんと日田市の建築士さんと大工さんと共にツリーハウスを作りました。

市場価値に左右される現在の林業

一見順風満帆のように見える林業業界ですが、実はなかなか苦しい現実もあります。かつては樹齢で価値が決まっていた時代もありましたが、現在は外国の木材等の方が価値が高く、丁寧に木を育てても価値が上がらないのだそうです。

 

「樹木というのはどの山で育ったからと言って市場で価値が上がるわけではありません。現在の木材の価値は買う人が多い方が高くなります。市場価格に左右されてしまう場合が多いので、薄利多売にならないように価値を上げて売りたいと考えています。手塩にかけて育てたものが適正価格で売れないという現状も、日本林業の衰退につながっていると感じます。山の手入れの仕事をする人もいなくなっています。林業は長いスパンで考えないといけない業界です。急に価値が上がっても木はすぐ成長するものでもないので、本来は市場に合わせることが難しい業界です。

また、日田市には丸太加工ができる製材所や、それに伴う市場が7つもあり、林業が非常に盛んな地域です。この地域で林業を衰退させないためにも、人材も含め、業界そのものを育てていくことに貢献できればと思っています。」

林業をしたい人として欲しい山をマッチングできる「自伐型林業研究会」

林業は現在人材不足が続いていますが、複業として林業を考える人が少しずつ増えてきている現状もあります。そんな方々が気軽に学べる場として大分にも中津市耶馬溪を中心に、「自伐型林業研究会」があります。ここでは、林業の人材育成をメインとしながら、山を持っていて管理者を探しているような方々ともマッチングできるようなコミュニティがあるそうです。

「自伐型林業研究会は、林業を始めたい人にとっては良い窓口です。元々山を持っていても管理できていない方と、管理できる方とのマッチングをしています。林業を始めようとすると、機械など揃えようとしたらかなりの投資になり、新規参入しにくいため、担い手が減っているのも現状です。ただ、日本では大きな機械が使えるような山が全てではありません。日本の山に合った技術や知識を学べる良い場所なのでぜひ利用してもらいたいですね。

毎日林業を行おうとするとなかなか大変です。修行期間は必要ですが複業している人も結構いますので、こんな入り方もありだと思いますね。

マルマタ林業の管理する山も範囲が広くて、大分・熊本・福岡にあります。この山を一緒に守っていける担い手と出会いたいと思っています。」

地元ならではの縛りを乗り越えて。

15年前に日田市に帰ってきた合原さん。田舎の良さを感じつつも、人がいなくなっているなと感じるそうです。そこには受け入れ側の課題もあると考えます。

「田舎は人が欲しいけれど、自分と関係のない人が来た時に対応の差を感じますね。私は『マルマタ林業の娘』というのがあったから帰りやすかったけど、それが無い方はなかなか大変だとは思います。田舎が思う”変な人”とは、『都会の人で田舎のルールがわからない人』という感覚で、それはまだまだ残っていますね。地元に『責任持って俺が面倒みる!』というような人がもっといたらいいのになと思いますね。」

そんな合原さん。地元に帰ってきたと言いつつも、最初は知り合いがいない状態だったそうで、積極的に接点を持つために自身でイベントなども企画したとのこと。

「マルマタ林業』という肩書きだけの時期が続きましたね。そこで、イベントに参加してみたり、企画したことで友達が増えました。まちづくりも大学で学んでいたのも大きかったかもしれません。日田市出身の方とつながれて知り合いになったときに一緒に何かしたいと思ったのもあり、最近はうちの隣の『黎明館』で古い建物を活用する話し合いやWSをやったりもしています。まちづくりはワークライフ。自然にやれたら良いですよね。みんなが集まって話し合いをしながら課題抽出して、次のアクションを考えるというのが好きなんです。

情報は市役所で。町を知りたいならまずは歩いてみて。

移住を考えている方がもし情報を欲しているなら、ぜひ市役所へ行ってみて欲しいと言う合原さん。日田市役所の方々は丁寧なので安心して相談できるそうです。また、町を知ってみたい方は、まずはぜひ町を歩いてみて欲しいそうです。

「川沿いに住んでいるのですが、日田市にはいろんな場所があるのでまずは歩いてみて欲しいですね。暮らすことと働くことはつながっているので、仕事を既に持っている方は持ち込むといいし、見つけたい方は市役所で探したり、歩いていると気軽に町の方が声をかけてくれるので、遠慮なく聞いてみると良いかもしれません。

田舎は、入る時は少し難しいかもしれないけど、入ってしまえばバックアップがすごいので、伴走してくれる人を見つけられると思います。その反面、一回入るとなかなか出にくいかもしれないですが、田舎はいろんな人がいて面白いですよ。今私には子どもが4人いて、会社のこともあるので忙しいですが、森の幼稚園など日田市には子育て環境の良い場所が結構あるので、そこにも満足しています。」

 

土木工学やまちづくりを学んだ後、地元に帰ってきた合原さん。地元ならではの難しさも、お母様譲りの企画力と行動力で、自ら解決していく姿がとても印象的でした。また、林業がメインですが、そこだけに囚われず、柔軟な発想を持って新しい仲間を作り、時には商品開発もしてしまうバイタリティに脱帽です。今後も合原さんらしい暮らしの中に、移住したいと思っている方や新規移住者が加わることで、一緒に楽しい日々を作っていけそうな、そんな日田市の窓口のような方でした。

WRITER 記事を書いた人

Tomomi Imai

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25歳でフリーランスとして独立し、多様な分野にてプロデュースやディレクター業を経験。モノコトヒトをつなぐひと。多様な伴走を得意とする。絶賛子育て中。ヨガ・サーフィン・音楽・映画・コーヒー・日曜大工が趣味。

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