大分移住手帖

木々に囲まれた工房で。地域に溶け込みながら、ものづくりを続ける。

廣瀨 凪里

取材者情報

お名前
戸高晋輔(とだか しんすけ)・朋子(ともこ)
出身地・前住所
晋輔さん:大分県津久見市/大分県玖珠郡玖珠町
朋子さん:福岡県春日市/大分県由布市湯布院町
現住所
大分県玖珠郡九重町
家族構成
長女、次女、犬と猫
職業
TODAKA WOOD STUDIO
晋輔さん:家具職人
朋子さん:木の器作家
Webサイト
http://www.oct-net.ne.jp/t-w-s/sub1.htm

大分県出身で家具職人の戸高晋輔さんと、福岡県出身の木の器作家で妻の朋子さん。それぞれ違う場所で活動していたふたりが、結婚と同時に九重町に移り住んで20年が経ちました。いまは、自分たちの立っている場所から、ほかの地域を知ることが楽しいと話します。そんな2人に、ものづくりこと、地域とのつながりについて話を訊きました。

はじめての土地で仕事と暮らしを

津久見市出身の晋輔さんは、ものづくりを関東で学び、北海道の会社に就職。4年間働いたのち、玖珠町にて独立。福岡県大川市や大分県日田市などの家具の産地に近く、移動にも適している玖珠町を選んだのだそうです。一方、福岡県春日市出身の朋子さんは、福岡で会社員をしているときに木工に興味を持ったのだとか。

 

朋子さん「最初は福岡で木工教室を探していたのですが、なかなか見つかりませんでした。たまたま見た由布院のパンフレットに『アトリエとき』が紹介されていました。木の器がいっぱい並んでいて、見た瞬間に「ここだ!」と思いました。福岡から月1くらいで通うつもりで問い合わせをしたら「教室はしていないけど、仕事にするのなら来てみたら?」と言われたのが始まりでした。その時は、まさか職業になるとは思っていませんでした」

当時、20代後半だった朋子さんは会社を辞め、旧湯布院町へ移住。アトリエときで働くことに。その後、同町で独立し3年が過ぎたころ、晋輔さんと結婚し九重町へ移り住むことになりました。

 

晋輔さん「工房と住居を建てられる場所を探していたときに、友人たちからこの場所を紹介されたのがきっかけでした。家具作りや木工は、大きな音がでるから近所に迷惑をかけてしまうこともあって、町中は難しくて。ここだと近隣の方に作業音で迷惑をかけることもなさそうでしたし、住まい(現在ショールームとなっている建物)と工房にできそうな建物もあったのでこの場所にしました

 

朋子さん「結婚と移住の翌年には子どもが生まれました。わたしは子育てをしながら、仕事をしたりお休みとったりしていました。主人はずっと家具職人をしながら、この家をセルフビルド(*1) しました」

移住する側と受け入れる側の双方の気持ちとは

九重町に移住した当初は、地元の人とのつながりがなかったお二人。地域の活動に積極的に参加しながら、少しずつ地域とのつながりを築いてきたと話します。そのきっかけのひとつとして、子どもたちの存在が大きかったそう。

 

晋輔さん「子どもが生まれてから、同じ集落の方からも『戸高さんたちは、この場所に長く住むつもりなんだ』と思ってもらえた気がします。ちょうど子どもが小学校に上がるころ『地域に小学校を残すこと』を目的に活性化協議会が動き始めました。そういうことも重なって、地域に参加しやすい環境でした」

 

「小学校は子どもたちの人数が少ないから、運動会などの行事に地域の大人も参加することになっていました。そこでいろんな人と知り合い、町のグループなどにも参加するようになりました。地区の区長も何回か担当しました。いまは、それなりに受け入れてもらっている気がしています」

朋子さん「集落で子どもの声がしている状況が久しぶりだったようで、地域の方々も喜んでくれていました。ここでは、みんなで子育てをしているような感覚なんです。いつの間にか、地域の役も回ってきて。そういった役回りが、ある意味『暮らし』であって、仕事は増えるのだけれど、少しずつ責任が出てきて…ようやく土着したな、と考えています」

 

「20年住んでようやく分かった移住の大変さは、結構あるかもしれません。移住してくる人を受け入れる側となり、今思えば受け入れる側も相手がどんな人が来るのかわからなくて不安だったんだと思います。移住する人も不安だと思うけれど、受け入れる側も同じ気持ちだったのだなって。田舎は、馴染もうとしないと馴染めないところがほとんどだと思うんです。地域の人たちがこれまでしてきたことを大切にしながら、わたしはここで暮らしていきたいと思っています」

晋輔さん「どこかでずっと『よそ者』と思われていてもいいかなと思うところはあるかもしれません。どうしてもこの土地にもともと住んでいる人とは違うんです。仕事柄もあるだろうけど、ずっとここに居ることができるかどうかは自分たちもわからない。流動的でいたいという思いはずっとあります」

 

朋子さん「正直、この場所にずっと住む覚悟で移住したかというとそうでもなかったかもしれません。地域の方との良いご縁に恵まれて、いまもここに住むことができています」

自分の生活は、自分の中で楽しくできる

長く住んできたからこそ見えてきた移住と地域との関わり。この20年、地域との関係性を時間をかけてゆっくり築いてきた戸高さん夫妻。今では地域の方との交流や活動が、ここでの生活の楽しみのひとつだと話します。

 

朋子さん「地域の方との楽しみの一つは「野矢ごはん部」。この活動は、地域の人から郷土料理や味噌などの調味料の作り方を教えてもらうんです。梅干しやラッキョウなど昔は当たり前に家で作られていたものを今ならまだ受け継ぐことができると思っています。嫁姑の関係ではないので、あちらは教えたい、こちらは教わりたいの良い関係で数時間を過ごすんです。昔話を聞いたりなんかして。やっぱり地域の方との活動は楽しいですし、学ぶことも多いです。常に楽しいことはないかって思いながらいろいろと企てようとしていることが面白いんです。田舎暮らしでは、人と違う視点を探して楽しもうという気持ちも大切なのかもしれません」

 

晋輔さん「そう考えると十分みんな楽しんでいるような気がします。住んでいる人が楽しんでいるから移住してきても楽しいと思うんです。ないことは仕方ない部分もあるし、人を変えるのは難しい。だけど、自分の生活は、自分の中で楽しくすることができます」

 

朋子さん「私のもう一つの楽しみに、月1の読書会があります。この町には本屋がないとか、映画や演劇が気軽には観られないとか、できないことがあるんです。だからこそ文化的な活動が盛んになる部分があります。福岡の友人にそのことを話すと、『すごく文化的なことをしているね。』と言われますが、そうしていないと…。文化をとりいれたいという渇望があるんだと思います。本はあまり読むほうではなかったけれど、みんなで同じ課題図書を決めて読むようにしています」

 

晋輔さん「ひとつの本についてみんなで感想を話し合うのはなかなか面白いんですよ。情報が多いことが必ずしも良いことではないのかもしれません。都会では毎日どこかで演劇だとか映画を観ることができますし、情報も溢れています。それを処理することが得意な人には良いかもしれないけれど、情報が多すぎると疲れてしまうこともあります。田舎に住んでいるとむしろ情報が足りないから、僕はインテリア雑誌などいろいろな本を読みます。都会の真似したいとかではないんですが、今なにが流行なのか、など情報として知ることはできます」

 

朋子さん「情報のないところで、自分たちに必要な情報だけを選ぶから、吸収しやすいのかもしれません」

TODAKA WOOD STUDIOのいま

ここへ移住をしてから始めた『TODAKA WOOD STUDIO』。家具はオリジナルのプロダクトから、作品的なものまでを制作しています。お客様は、建築関係や設計士さん、一般の方や行政関係などさまざまなのだそう。

 

晋輔さん「お客様のメインは大分県内。地域の方々に木工で認めてもらうようになったのはここ数年かもしれません。最近は、九重町の行政や教育機関の仕事も来るようになりました」

 

朋子さん「何事も続けるということは大切なのかなと思います」

晋輔さん「当時、同じような仕事をしている家具職人は県内にはほとんどいなかったんです。最初はそれがさみしかったけど、いまは職人さんが少ないからこそ発信したいと思っています。地方にいたからこそ繋がることができたご縁もたくさんありました。無理をせず健全で良い関係性を保ちながらいろんな人と会うべき時に会っている気がします。そのつながりから、仕事になったり友人になったりします。今は逆に、あれもこれもしたいことがありすぎて時間が足りないです。それはうれしいことですし、ありがたいことです。誰かの企画に参加する機会や、自分たちで企画する機会も増えてきました」

自分たちの立っている場所から、他のまちを知る

普段はこの場所でものづくりをしているお2人。最近では県内外のつながりから仕事が始まることもあるそうで、移住や地域づくりのコミュニティから、他の自治体の活動を知り、どのようなかたちで自分たちの住む地域に落とし込むのかを考えることが増えてきたそうです。

 

晋輔さん「この地域は、いろいろと行き詰ってはいるけど、楽しく過ごしている人も多い気がします。この地域の人たちは、自分たちが暮らすこの場所が一番良いところだと思っているんです」

 

朋子さん「本当にそう思います。でも、どこかで危機感は持っているようです。だからこそ活性化協議会での活動がいろいろとあって。田舎は、自助・共助・公助の共助の部分がものすごく大きいんです。何かあったらお互いに支え合うのが当たり前なんです。そこは都会とは違うかもしれません」

 

晋輔さん「自分たちが立っている場所があくまでも中心で、そこが気持ち良い場所であることが大事な気がしています。自分たちが住んでいる場所を中心になるべく広い範囲のことを知りたいと思っています。動き回っていろんな人と関わることは楽しいです。ものづくりだとか、まちづくりだとか、共通の話題でのつながりも増えてきました。これまでは、まちづくりのことをあまり考えたこともありませんでした。仕事に追われていたこともあるだろうけど、今は自分たちも移住者としてなにか協力できることがあるのなら、積極的に協力したいと思っています。そして、地域の人たちには、人が出入りすることに慣れてほしいなと思っています」

 

朋子さん「都会の人から見ると『えっ?』と思うことも、ずっとその地域にいるとそこに気付かないこともあって。地域に来て気になったところを言ってみると少しずつ変わることもあります。移住の形はこれからどんどん変わっていくと思います。それが『パソコンさえあれば仕事できます!』かもしれないけど、地域は高齢化が進んでいるのも事実です。『住むからには、地域の草刈りと清掃と、あれとこれはお願いします!』みたいな折り合いがつくといいと思いますね」

 

晋輔さん「少しだけ覚悟を持って来てほしい気持ちと、あまり考え込まずに肩の力を抜いて来てほしいという気持ちの両方があるかもしれません。自分たちは、たまたま九重町の自然豊かなところに住んでいて、南斜面で日当たりもいいですし、とても気に入って住んでいます。流れ者と思われていていいかなと思っているスタンスは今も変わっていないかもしれません」

 

朋子さん「でもこれから引っ越すのも、なんだか面倒くさくなってもいるよね(笑)」

*1 セルフビルド

住宅を自分自身で建てること。

WRITER 記事を書いた人

廣瀨 凪里

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ひろせ・なぎり/1993年、大分県生まれ。
学生時代、映画評論を学び卒業後に渡仏。帰国後、芸術祭事務局や文化施設事業担当を経て、現在は由布院駅アートホール、NPO法人由布院アートストックの事務局を務めるほか、個人 [ 藝術新社 漂泊 ]でも展覧会企画や作家のマネジメントなどを行う。趣味は映画を観ること、エッセイを書くこと。

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