取材者情報
- お名前
- 前原博信 / 妻 前原ローズアン
- 出身地・前住所
- フィリピン・セブ島
- 現住所
- 現住所:大分県別府市
出身地:大分県大分市
- 年齢
- 33歳
- 家族構成
- 妻と私。なお両親と他兄弟の6人兄弟。
- 職業
- 立命館アジア太平洋大学職員
フィリピン・セブ島での海外生活を経て、ローズアンさんと出会い結婚。その後別府市へ移住した前原さん。社会人になってからも異文化交流を目的とした団体を設立・運営し、外資企業で働くなど、グローバルな取り組みを行ってきたそうです。芝生が気持ちの良い「かんたん港園」にて、前原さんの海外での暮らしぶりや別府市での生活などをお聞きしてきました。
公私ともに充実したセブ島での暮らし
大分市出身の前原さん。別府市にある立命館アジア太平洋大学(以下 APU)を卒業した後、2015年4月にセブ島に移住したそう。
前原 : 27歳の時にセブ島で営業の仕事に就きました。その後大手コンサルティング会社に転職し、翻訳・通訳や現地フィリピン人社員とともに、日本のクライアントのシステム管理の業務に従事していました。
世界的にも有名な大企業の中で、たくさんの社員の中から選ばれる80名のアンバサダーのひとりとして、Youtubeチャンネルやポスターなどでの広報活動などにも従事されたそうです。
充実した社会人生活を過ごしつつも、フレキシブルな勤務形態の職場環境だったこともあり、余暇を利用して様々な活動にも取り組んだのだとか。
前原 : もともとセブ島に行く前は、国際交流を行うOita Language Exchangeを企画していました。私自身がAPUで異文化理解の大切さを感じていたので、社会人になってからも私の周りの人たちにも同じ感動を共有したいという思いからイベントを企画していました。
セブ島に移住をした時も、せっかく新天地に住むのであれば普通のことをやっても面白くない。誰も思いもつかない新しいことを始めたいと強く思っていました。そこで、フィリピン・セブ島の現地にて英語留学や駐在でフィリピンに来ている日本人や、現地のフィリピン人、そして様々な国の人たちを巻き込んだ “誰もが主役になれるコミュニティー”をつくりました。異文化交流をしつつ国際交流が出来るようなイベントをかなりの回数企画しました。このコミュニティの面白いところは、イベント主催者に誰でもなることができるということ。全員が主体的にイベントに参加するので、誰も受け身な人はいないわけです。このようなコミュニティですから、参加者から様々なアイディアが寄せられ、国際交流だけに留まらず貧困問題・教育問題、環境問題にも取り組むイベントを参加者のみんなで共に企画しました。「参加者全員が主役である」というコンセプトの元、楽しく現地で企画運営を行うことができました。
様々な活動を通じて、前原さんはかけがえのないものを得ることができたそうです。
前原 : セブ島での経験は、自分の人生に大きな気づきを与えてくれたと思います。
多くの人が自分の弱さって隠しがちですよね。完璧にちゃんとしていなきゃいけない義務感を感じるというか。でも私たちは常に完璧で強くあり続けるなんて不可能だと思うんです。失敗したり自信をなくしたり、苦しかったり弱音を吐きたくなることは、きっと誰でもあるはずです。もっと素の自分を出せる、そういった社会だといいなと思うんです。他人に優しい人でありたいですね。それが巡り巡って自分に戻ってくると信じています。
そんな活動が、かけがえのない人と出会うきっかけにもなったそう。
前原 :この国際交流のコミュニティの活動の中で、その後妻となるローズアンと出会いました。当時彼女は日本語を学んでいて、自然と距離を縮めていきました。セブ島は海が綺麗なので、休日には一緒にリゾートなどに足を運んで楽しんでいました。
両親の近くで暮らしたい
前原さんは、セブ島で充実した生活を送りつつも、心の中に両親への想いを抱いて2018年9月に帰国しました。
前原 : セブ島で働いている際に、30歳になったら親の近くで生活したいと思っていたので、故郷に戻ってくるのは必然だったのかもしれません。親が元気なうちに自分なりの精一杯の親孝行をしたいと思っていました。
特に海外で暮らしていると、「あと何回親に会えるのだろう」と考えることがありました。今幸せなのか、この生活を続けて後悔しないのか、そう自問自答することがとても多かったです。今は毎週のように親と会い、家族で何気ない話ができることに幸せを感じています。
APUに通っていた前原さんには、別府市が多文化を受け入れられる場所という認識もあり、移住に関して迷いはなかったそうです。
前原 : 妻が外国籍なのもあり、初めて住む場所には気を使いました。私も海外での移住生活には苦労しましたから、外国人が住みやすい環境があることは、安心して家族で暮らすための大事な条件の1つでした。
そんな中、別府市は外国人への理解があるグローバルな街と知っていたので、迷うことなく移住先として決めました。様々な価値観や文化を持った人たちがここに住んでいます。まさにダイバーシティな街。お互いに理解しあい、受け入れてもらえる環境がこの街にはあります。
外国人も日本人も暮らしやすい環境
現在は母校のAPUで職員として働いている前原さんに、現在の暮らしについてお聞きしました。
前原 : 平日は学生の半分が外国籍という国際色豊かなAPUで働いています。学生たちは異国の日本にきて、故郷を離れて暮らしています。私も海外移住をしていましたから、自国を離れて暮らす大変さが痛いほど分かります。だからこそ、職員として、卒業生としても、少しでもサポートをしてあげたいと思うんです。ここ別府市には、同じようにAPUの学生を支えてくれる温かい市民の方がたくさんいることにとても感謝しています。
別府市には「やさしい日本語」で防災まち歩きを行う活動があったり、文化紹介をするコミュニティがあったりと、外国人の方を受け入れてサポートする環境が整っています。また週3〜4日開催される無料の日本語教室があるので、妻も勉強ができ、教育機会にも恵まれているなと感じます。
奥さんが外国籍でも、ご家族のサポートを得て問題なく順調に過ごせているそうです。
前原 :最近では、フィリピン・セブ島は英語留学やリゾート地として有名になってきましたが、まだまだフィリピンのことを知らない方も多いと思います。
私の家族も例外ではなかったので、フィリピンで結婚式を挙げ、両親、兄弟家族に実際に来てもらい、フィリピン人の温かさや文化・社会に触れてもらうことで、ディープなフィリピンを知ってもらえたことは良かったと思っています。
私も妻も自然が好きで、毎週土日はハイキングやキャンプに出かけて満喫しています。大分県は思わず自慢したくなるほど海と山に恵まれていて、自然が豊かで食べ物も美味しいです。
そんな前原さんに現在の悩みや課題をお聞きすると、こんな返答を頂きました。
前原 : 元々日本語を話せなかった妻がうまくやっていけるのかなと多少心配はしていましたが、別府市にはやさしい日本語を使った情報提供もあり、妻をはじめ外国籍の方にも配慮されていてとても住みやすい街です。
食文化に違いはもちろんあり、その点でも最初は心配していましたが、妻も日本料理を一生懸命勉強してくれていますし、最近では日本の食材でフィリピン料理を作るなど、工夫して楽しく過ごしています。
未来へ向かって
充実した日々を過ごす前原さんに、これから思い描く未来についてお聞きしました。
前原 : 両親に私達の孫の顔は見せたいです。
私はセブ島での暮らしの中で、家族の関係性について学びました。日本だと他人に迷惑をかけないようにしなくてはいけないという風潮があると思いますが、フィリピンでは、お互いを支え合うという文化があります。こういう経験を生かして、私たちなりに温かい家庭を作りたいです。
移住希望者へアドバイス
海外生活を経て別府市での暮らしを満喫している前原さんから、移住を希望する皆さんへアドバイスを頂きました。
前原 : 場所も大切ですが、結局は「誰と出会うか・誰と行動するか」だと思います。もちろん、自分自身も積極的に行動しなければいけません。きっかけを得るために、移住先の街を歩くなりイベントに参加するなりして、そこで自分の想いを口に出すことで形にしていく。心に秘めたものを周りの人に発信することで、夢を実現する仲間が増えていくことに繋がると思います。
新しい街に移住をする事は新しい人と出会い、新しい環境の中で生きると言うことだと思います。その環境の中で、あなたにしか作れない人間関係やコミュニティーがきっとあるはずです。私もまだまだ試行錯誤の毎日ですが、ぜひ楽しみながら新しい環境だからこそできるチャレンジをしていってくださいね。
最後に
前原さんを取材して感じたことは、奥さんをはじめ接する人を何よりも大切にして行動しているということです。相手のことを慈しみ思いやって誠実に接すれば、国籍や生活習慣の違いなどを乗り越えて、家族や仲間の暮らしを豊かにできるのだなと感じました。異文化交流を推進していく前原さんの活動にこれからも注目していきたいと思います。