取材者情報
- お名前
- 島あずみ
- 出身地・前住所
- 前住所:東京都練馬区江古田
出身地:岐阜県中津川市
- 現住所
- 大分市
- 年齢
- 39歳
- 家族構成
- 独身
- 職業
- フリーランス(イベント企画運営・写真)
- https://www.facebook.com/azumi.shima
- https://www.instagram.com/7grwb/
愛知県生まれ、岐阜県中津川市育ち。現在はイベント企画運営やカメラマンを営むフリーランスとして、忙しく働く島さん。自らの直感を信じて都会での暮らしから離れ、単身大分市へ移住してきました。地方ならではの苦楽もあったとか。そんな彼女から、移住に至るまでの経緯や移住してからの暮らし、都会と地方の違いなどをお聞きしました。
東京での暮らし
大分市に移住するまでは、東京で暮らしていた島さん。月曜から金曜の日中はIT企業でプログラマー・テクニカルサポートとして働き、夜はライブハウスに顔を出し、土日はストリートライブやライブハウスに足を運び仲の良いミュージシャンを撮影するなど、仕事や趣味を満喫していたそうです。
島 : もともと新宿が大好きで、新宿への愛だけで上京したくらいなので、どこかに移住したいという気持ちは全くありませんでした。
仕事はとても順調で、人間関係は良好、趣味もそれなりに充実していたので、悩みはありませんでした。ただ、出身が田舎ということもあり、東京の狭いマンションでの暮らしが辛く感じるようになっていました。
そんな島さんと大分市の縁を紡いだのもまた、音楽を通じた出会いでした。
島 : 新宿の行きつけのライブハウスで好きなミュージシャンのライブを聞いていたところ、その方の知人であるミュージシャンが大分から来ていて同じ場所でライブをしていました。歌がとても良かったので話しかけたところ仲良くなり、「大分にライブを見に行きます」と約束し、半年後に大分に旅行したのがきっかけで大分が好きになりました。当時は「老後にでも引っ越したいな」と思うくらいでしたね。
その頃、体を壊して半月休職した島さん。この後の人生について以前より深く考えるようになったそうです。
島 : 30歳を過ぎて、「東京で一生暮らしていく元気はないかも」と思い始めました。とはいえ、今は親と仲が良いですが、当時は折り合いがあまり良くなかったため、地元の岐阜県には戻りたくなかったんですよね。
直感からはじまった移住への道のり
島 : 移住を決意したのは大分県を初めて訪れてから約1年後の3回目の大分旅行の時です。羽田空港を出発する際に東日本大震災に遭い、何時間も遅れてどうにか飛行機が発ったものの、到着後の大分空港のテレビで津波による甚大な被害の様子を知りました。東京に戻った後も食料品の品薄が起こったり、いつまでも続く余震に怯えたり、東京で暮らす人の中でも考え方の違いで人々の間に亀裂が生まれるのを目の当たりにしたりと、「これまで当たり前に来ると思っていた未来が来ないこともあるのだ」と強く感じたんです。そこで、「いつかではなく、今引っ越そう」と決めました。
ところが、大分県への移住を決めてから実際に移住するまで、思いもよらぬ壁が立ちはだかったそうです。
島 : 東京ではずっとITの仕事をしていたため、大分のIT企業に履歴書を送ったのですが、ことごとく書類選考で落ちてしまいました。10年前は移住といえば「就農」か「リタイア後の田舎暮らし」と思われがちだったので、30歳の女性が出身地でもない土地に移住して「普通に会社で働く」ということ自体が怪しく見えたのではと思っています。
大分県に近く、企業がたくさんある福岡県内を検討した時期もありましたが、妥協して後悔したくなかったのでやめました。
結局、移住を決意してから実際に移住するまでに1年かかりました。迷いはありませんでしたが、仕事がなかなか決まらなかったのと、あまり貯金をしていなかったので、土日に副業として運動会やサッカー大会の販売写真の撮影バイトをして、移住費用を工面するまでに時間がかかってしまいましたね。不思議なもので、この時の副業が今では本業になっています。田舎に暮らしたいというわけではなかったので、利便性を考えて大分市に住むことにしました。
移住に至るまでには、大分県の職員の方の手助けもあったそうです。
島 : 移住に関する情報があまりにも少なかったので、東京にある大分県の移住相談窓口に相談に行きました。色々と話ができたので活力になりました。
そのご縁で、当時の東京事務所の担当の方から「おおいた暮らし塾in東京」の企画運営の話をいただき、2019年12月に東京で実施しました。大分県出身の俳優石丸謙二郎さんと劇団立見席の岩男座長のトークショーや、石丸謙二郎さんと移住コンシェルジュの座談会を行うなど、当時の出会いが今に繋がっています。
大分市での新しい暮らし
食材が豊富で安くて新鮮なので、食に関しては大満足と話す島さん。色々とびっくりしたこともあったそうです。
島 : からあげだけを販売するお店があることに驚きました。東京で生活していた当時は、からあげはおかずとして弁当に入っているもので、単品で買うという発想はありませんでした。他にも食に関しては、とり天・マテ貝・りゅうきゅうなど知らないものが多かったです。かぼすの存在は知っていましたが、何にでも絞って入れるのには驚きました(笑)。
海の食材も山の食材もすぐに手に入り、野菜も種類が豊富、果物が安くて美味しいのは本当に嬉しいです。大分県出身の人はピンと来ないようですが、魚の美味しさは格別ですし、からあげのクオリティが高いです。「これが普通」と言われると本当にびっくりします。
あとは、車さえあればどこにでも行けるのが楽しいです。県内どこに行ってもそれほど時間がかからないので便利です。地元の岐阜県にいた頃は、同じ県内でも行ったことのない市町村がとても多かったのですが、大分市に居住してから姫島村以外は全て行きました。思い立ってすぐ、日帰りでドライブできる距離なのがとても良いです。
これも大分の人はピンとこないようですが、緑の色が綺麗です。春の緑は最高です。実家がある地域は山が全体に深い緑色だったので、大分の鮮やかな新緑や山桜を見ると「移住してよかった!」と幸せな気持ちになります。
大分市はコンパクトで暮らしやすいです。最低限必要な施設も自然環境も揃っています。「ほどよく都市、ほどよく田舎」なのが良いです。
仕事としては、イベント企画運営・カメラマンを主軸にフリーランスとして働いています。イベントに併せてスケジュールを立てるため、不規則な生活ではありますが、その分自由がききますし、変化に富んでいるので自分に合っていて、働き方へのストレスが少ないと感じています。
一方で、移住前には予想できなかったこともあるそうです。
島 : 生活面では、予想していたよりお金がかかっていて、生活費が安くなった実感はないですね。国内どこでも衣料品の価格は変わりませんし、食費が安く収まっても車の維持費やガソリン代がのしかかります。修理も含め、車関係のコストは凄まじいです。ただ、休みの日にレジャー施設に行かなくても、少し車を走らせれば海も山も直売所もあるので、「オフを楽しく過ごすためのお金」はかからなくなり、お金の使い方が変わりました。
文化面では、大都市では当たり前のように触れられる最新の文化になかなか触れることができないのが痛手です。特に、エンタメ系の文化・テクノロジーが入ってくるのはとても遅いと感じます。入ってこないこともあります。福岡に遊びに行けばいいと考えていましたが、車でも電車でもけっこうな移動費がかかりますし、気軽に行ける場所ではありませんでした。「都会が遠い」です。最新の文化に触れないことが当たり前になってしまい「どこもこんなものでしょ」と思っているうちに時代に遅れを取っているような事態になりがちです。意識して新しいものを取り入れるようにしないと、世の変化に付いていけなくなります。
文化面だけでなく、働き方の面において、都会ではホワイト企業を目指す流れが強いですが大分県では変化が乏しく感じられ、時代の流れに取り残されているところが多い気がします。また、文化に触れるためにはお金がかかりますが、東京で会社員をしていた頃と比較すると所得が大きく下がったことでコンサートのチケットがすごく高く感じたりもして、そこはつらいところだなと。
人との距離感に悩む
大分市での暮らしを楽しんでいる島さんですが、移住当初は東京とは違う「人との距離感」に悩んでいたそう。
島 : 東京にいた頃は「理論的に正しいことを伝えれば同意を得られる」という感覚が強かったですが、大分では「まず人間関係。理論的に正しいだけではうまくいかない」というのを強く感じました。コミュニケーションのとり方が違うというか、人間関係の状態によって、受け入れ方にずいぶん差が出ると感じます。言っていることは間違っていないはずなのに、受け入れてもらえない、反感を持たれる、というのを最初の数ヶ月で経験しました。
人間関係を大事にすることに取り組んだ島さん。次第に周囲に溶け込むことができたそうです。
島 : 仕事関係の人であっても、まずその人を知り、その人と仲良くなることに力を入れました。私が「大分が好きで引っ越してきた」と言うと皆さんとても嬉しがり、色々な雑談をしてくれたり大分のことを教えてくれたりしました。移住当初はしゃべると「冷たい感じがする」と言われたこともあり、私も大分の言葉で話ができるようにと、大分の方言を覚えました。今では実家の親と話すときでさえ大分の方言が出ます。
努力が実ったのか、移住して半年した頃から「受け入れてもらえている」という感覚を覚えるようになりました。東京に住んでいた時は考えられませんでしたが、仕事関係の人であってもかなりプライベートな雑談をするものなのだなという意外な発見がありました。また、人間関係がしっかりできていれば、その人にあまりメリットのないような無理も聞いてくれるなど、損得とは違う基準で親身になってもらえることが多く「親しくなったら兄貴・姉御のよう」というのも知りました。
東京は、日本全国から人が来ているので「他人は自分とは違う考え方やバックボーンを持っている」という前提で人とコミュニケーションを取ることが多いです。一方、大分は「自分と人は違うもの」という感覚は薄いように感じます。
どちらが良い・悪いではなく、それはその土地の個性だと思います。受け入れられないから嫌いになる前に、「これまで住んでいたところとは違う場所だから接し方も違って当然だよね」と気楽に構えてほしいです。
良い意味で「郷に入れば郷に従え」だと思います。自分の本質を曲げる必要はありませんが、その土地のスタイルを取り入れるのは慣れればなんてことはありません。
自らの感性を活かして
これからは「今までのものをベースに、自分の感性などを世に出したい」と考えている島さんに、今後についてお聞きしました。
島 : もっと自由に自分が楽しいと感じることを自分が一緒にいて楽しいと思う人達とやっていきたいと考えています。今までは大分県の中だけで活動してきましたが、リモートなどで県外などとも繋がることができるようになったので、県外の方々とも繋がっていきたいです。
大分に移住してよかったと思うので、まずはその想いを発信したいです。移住者目線で、地元の人にはない自分の感性を出していきたいです。例えば、地元の岐阜県と違い、山と海があり贅沢に感じることや、植生の違いで緑が明るいなど地元とは違う自然の美しさを感じること、空も綺麗で連なる山々が水墨画のように見えることなどです。
ジャンルを絞らずに、大分県の中で自分がマッチすると思うことで、携わる人が楽しいと感じるように、イベント・写真・言葉などを組み合わせて、美しいと感じる世界を表現したいです。せっかく自由に動ける働き方なので、やりたいと思うことをとことんやっていきたいです。
そんな想いを胸に、今後も大分で生活したいと語る島さん。
島 : これからもずっと大分で暮らしたいです。母親が大分に遊びに来た時、食べ物も風景も喜んでくれたので、いずれは大分市に親を呼んで、大分に骨を埋めたいと思います。
移住を希望する皆さんへのアドバイス
最後に島さんから、移住希望の皆さんへ、アドバイスを頂きました。
島 : 移住というと「そこで実現したいこと」がなければいけないような気になりますが、「なんとなく大分が気に入ったから」「大分で暮らしてみたい」という軽い気持ちでも良いと思います。
移住したらすぐに馴染めるとは限りませんが、だからといって「移住して失敗したかも」と不安になる必要もありません。移住したからといってそこにずっと住み続けなければならないわけでもなく、違ったなと思ったら別の土地に移住してもいいので、自由な気持ちでいてほしいです。その土地の個性が分かってくるまでには少し時間がかかります。焦らず、気長に構えてほしいです。
「所得が減っても地方は生活費が安いから大丈夫」は幻想です。仕事面でいえば、持ってこられる仕事があるなら持ってきた方が良いです。とりあえず仕事を持って移住しておいて、移住後の繋がりの中で仕事を探してもいいかもしれません。
大分市は程よく都会・程よく田舎なので、暮らしやすいです。仕事もあるし、商業施設もあり、欲しいものはだいたい手に入ります。私のように移住の際に明確な目的がなく、農業をしたいなどのこだわりがなければ、大分市への移住はおすすめです。
最後に
趣味をきっかけとした出会いから大分市への縁を紡ぎ、自らの直感を信じて移住した島さん。当事者しかわからない移住のリアルな話は、移住を希望する皆さんの参考になったのではと思います。喜怒哀楽を体験しつつも、今後も大分市で暮らして可能性を広げていく彼女の姿を、これからも応援したいと思います。