取材者情報
- お名前
- 奥 結香(おく ゆいか)
- 出身地・前住所
- 大阪府
- 現住所
- 大分県竹田市
- 年齢
- 30代
- 家族構成
- パートナー
- 職業
- NPO法人 Teto Company
竹田市の駅前通りにある一軒のお家。いつもたくさんの子どもたちやお年寄りが集い、賑やかな声が聞こえるここは、赤ちゃんからお年寄り、障がいの有無にかかわらず地域の方が気軽に交流できる場所、「みんなのいえ カラフル」です。
運営しているのは、介護施設や支援学校に勤めたのち、青年海外協力隊としてマレーシアで障がい児支援に携わるなど福祉・教育の現場で研鑽を積んだ奥結香さん。
「障がいを持っている方と地域との接点の無さや、偏見・差別がまだまだ残る現状を変えたい」という想いを抱き、2017年に少子高齢化や人口減少が大きな課題となっている竹田市へ地域おこし協力隊として移住しました。
高い志があっても、福祉の現状を一人で変えることはなかなか難しいことです。
しかし、彼女は自分のビジョンを発信し続けることで、たくさんの強力なサポーターを得て、移住早々に大きな一歩を踏み出すことができました。
そんな奥さんが竹田を選んだ理由、そしてサポーターを見つけることができた秘訣を、福祉にかける情熱的な想いとともにご紹介します。
福祉の現状を変えたいという想いを胸に
愛知県に生まれた奥さんですが、育ちは大分県。中学生の時に母親の実家がある大分市へと引っ越し、専門学校卒業後は別府市内で介護福祉士の職につきました。
そこで、彼女は障がいのある人が差別を受けている現状を目の当たりにしたと話します。
奥:20歳の時に障がい児支援の現状を知って、福祉の現状を変えたいと思うようになりました。そこで10年間は福祉や教育の現場で経験を積もうと決心し、働きながら通信制の大学で教員免許を取得して特別支援学校の教諭として勤務したり、発達障がいのある未就学児・児童の支援員を務めていました。
その後は青年海外協力隊員になり、2年間マレーシアで障がい児支援に携わった奥さんは、帰国後にパートナーが暮らしていた大阪へと移住。「10年間福祉や教育の現場を学ぶ」と決めていた奥さんにとって、その時がちょうど10年目でした。
そこで福祉以外のことも学ぼうと、ウェブやアート、デザインなど様々なセミナーを受講するようになったのですが、実はこれが竹田へ移り住む一つのきっかけとなったのです。
奥:私のビジョンは“福祉の現状を変える”こと。その活動の場所に関してはどこでも良いと思っていましたが、大分県内でセクシャリティに悩む人たちと繋がることや啓発活動を行うことを目的としたボランティア団体「SOGIE(LGBT)サポートチーム ココカラ!」を立ち上げ、講演やイベントなどの活動を行っていたこともあり、いつかは大分にUターンしたいと考えていました。その時に日田市在住の事業プロデューサー・江副直樹(えぞえ・なおき)さんが講師を務める「総合デザインとプロデュース」というセミナーを受講し、江副さんが「移住してきた若い人たちがいろんな挑戦をしている竹田市という面白い町がある」という話をされていたんです。でも、大分で暮らしていたときには竹田が面白い町という印象がなかったですし、「何があるんだっけ?」くらいの感覚だったんですけど、まずは行ってみようと思ったのがきっかけです。
早速、竹田市を訪れた奥さん。他にも大分県内でいくつか候補地があったそうですが、彼女が最終的に竹田市を選んだのは、市役所の方の対応だったと話します。
奥:竹田市役所の方々は距離が近く、とても丁寧に対応してくださり、真摯に私の話に耳を傾けてくれました。まず自分が地域でやりたいことについて話を聞いてくれるだけでもすごく心強いなと感じましたし、福祉に対する思いやビジョンを語ったところ、「まずは竹田の福祉の現状を知るために、地域おこし協力隊になった方が良いのではないか」と提案をいただき、協力隊に応募することにしました。
当時、竹田市では業務内容を市が定めるミッション型の「一般部門」と、応募者が竹田市で自分の得意なことを活かしてプロジェクトを提案する「企画提案部門」の2つの部門で地域おこし協力隊を募集していました。
「地域に入って、地域の方々と繋がりを持ちたい」と考えた奥さんは「企画提案部門」に応募し採用され2017年10月から竹田市での生活を始めました。
想いに共感してくれる方との出会い
地域おこし協力隊になってからは、配属された地域包括支援センターで竹田市の福祉について学びつつ、居場所作りのための拠点探しを行っていたという奥さん。移住して半年ほど経った時、人生を変える出会いを果たしました。
奥:自分のビジョンを叶えるためにはまずは自分のことを知ってもらわないといけないと思い、プロフィールと、竹田でやりたいことを書いたA4の紙を地域のいろんな人に配っては説明していました。そんなある日出会ったのが竹田で「社会福祉法人やまなみ福祉会」を立ち上げた川口芳之(よしの)さん。川口さんも福祉の現場にいて「障がいのある方が施設ではなく気軽に集える場所が欲しい」と思っていたそうで、すぐに意気投合。「あなたの想いは間違っていない」と川口さんが所有していた古民家を改修し、使わせてくださることになりました。
移住してちょうど1年後の2018年10月に「みんなのいえ カラフル」が開所。
誰でも自由に来て一緒にお昼ごはんを作ったり、おしゃべりをしたり、自由に過ごすことができる空間です。
まだ地域の方との繋がりが少ないままに開所しても人が来てくれるのか不安もあったそうですが、川口さんのサポートや地域おこし協力隊が運営しているという信頼もあり、開所してから1年で0歳から102歳まで、延べ4500人を超える方が訪れ、地域の方の意識を変える場にもなっています。
奥:子どもや高齢者、障がいの有無など関係なく、みんなで過ごすことができるため、「町で挨拶をしてもらえて嬉しかった」という声が届くようになりました。
奥さんはこの活動だけにとどまらず、2019年9月に「ひとりぼっちをつくらない地域・社会をつくる」をビジョンに掲げる「NPO法人 Teto Company」を立ち上げ、「みんなのいえ カラフル」内で“遊び”を通じて学ぶ子ども向けのデイサービスや児童発達支援事業もスタートしました。
奥:誰かの居場所になるということは、責任もあります。継続性があって、働く人もボランティアではなく、安定して働くことができる場所にしたいと考えていました。また、カラフルを利用される方から子どもの発達に関する相談も数件受けるようになっていたことから、今までの経験を活かすことができる子ども向けのデイサービス事業を始めることにしたんです。少子化が進む竹田市でどれだけニーズがあるのかわからず最初は不安でした。
不安をよそに、ニーズは高く、すぐに定員に達した奥さんの新事業。運営は順調にスタートしましたが、ここで新たな課題が浮上しました。
奥:子どもたちの受け入れが増え、嬉しい反面、子どもたちが元気よく遊んだり走り回っている中で、お年寄りが寛ぎにくいのではと感じる場面がありました。畑があって、のんびり過ごせる広々とした場所がいつか見つかれば良いなと思っていたんですけど、空き家バンクに相談に行ったらなんと3日後に見つかりました。今自分たちでリノベーションをしながら拠点作りを進めています。
竹田市の荻町にある築40年ほどの古民家は庭も畑もあり、奥さんの理想にぴったり。通所介護、放課後デイ、地域の集いの場としてなど様々な活用を考えているそうです。
奥:介護が必要だったら施設に入ったり、病院で最期を迎えるというのが今や一般的になりつつありますが、そうではない選択肢があっても良いと思うんです。介護が必要であっても地域の中で生活し、最期まで誰かが作る料理の音や子どもの声を聞いたり、匂いを感じたり、散歩にでかけてみたり。五感で生活を楽しむことができたら幸せなのかなと思っています。
移住後に苦労したことは
福祉にかける熱い想いを聞いた後に、「“ひとりぼっちをつくらない地域・社会をつくる”って決めちゃったから、とにかく進むだけなんですよ」と笑う奥さん。
運よく竹田市のことを知り、協力隊になり、そして川口さんと出会って拠点を作ることができた奥さんに、最後に順調に歩んできた移住生活の中で大変だったことや苦労したことはなかったのか伺いました。
奥:移住して困ったことは家の中に大きなムカデが出たことと、「みんなのいえ カラフル」の工事に想定外の費用が掛かったことですね。竹田市は家同士がくっついてるので、隣に配慮して工事をしなければならず、その分工事費用が高くなってしまいました。事業の方は順調で、竹田市外から事業を手伝いたいと4名の方が移住し、スタッフとして働いてくれています。大阪からパートナーも移住してきてくれて、たくさんの方に支えてもらいながら楽しく過ごせています。
明確なビジョンや志をしっかりと地域の方へ伝え続けたことで、協力してくれる方や、サポートしてくれる仲間を見つけることができたという奥さんは今、竹田の福祉に新しい風を吹き込んでいます。