大分移住手帖

お世話になった第二のホーム臼杵市で土と暮らす

Tomomi Imai

取材者情報

お名前
佐藤敦子
出身地・前住所
大阪府河内長野市
現住所
大分県臼杵市
家族構成
5人家族

大学進学と共に別府市で暮らし、その時の活動で臼杵市に出会った佐藤さん。国内外で植物関係のいくつかの企業に就職後、農業をするために臼杵市に移住しました。地域おこし協力隊として赴任後は3年間農業に明け暮れ、臼杵市のフグ料理屋「橋本屋」に嫁ぎました。そのまま臼杵市にて現在も暮らしています。そんな佐藤さんがこの場に出会い、今の暮らしに至るまでをお伺いしました。

学生時代にうすき竹宵を通して臼杵市と出会う。

現在嫁いだ先のフグ料理屋さん目の前の川

大阪府河内長野市出身の佐藤さんは、立命館アジア太平洋大学(以下APU)への進学を機に、大分県別府市に数年暮らしました。その間に臼杵市で行われるうすき竹宵の活動に関わったそうです。活動を行う中で出会う臼杵市の方々に大変お世話になったのだとか。その思い出が強く記憶に残っていると当時を振り返ります。

佐藤:大学内でもうすき竹宵のようなことがしたくて、臼杵市の方々を頼ったのが始まりです。皆さん優しくて、ご飯に連れて行ってくれたり、たくさん可愛がってもらったんです。学生時代にいろいろなところへ遊びにいきましたが、一番話しやすかったのが臼杵市の方々でした。

大学卒業後は東京都で植物関係の企業へ就職したものの、海外への憧れもあり、イギリスに渡った佐藤さん。イギリスでも植物に関わる仕事を続け、帰国後は一度地元である大阪府へ帰り、仕事に明け暮れる毎日。そうして30歳になる頃、自分の人生を振り返った時に、このままで良いのだろうかとふと思ったのだそうです。そんなときに友人から「久しぶりにうすき竹宵に行こう」と誘われ、10年以上ぶりに臼杵市を訪れたそうです。

程よく農業に関われる場所で生きたい

植物関係の仕事を続けてきた佐藤さんは、近い将来独立して自分でも農業や植物に関わる仕事ができないかと考えていました。しかし、関西圏にはピンとくる企業がなかったそう。そんな時にうすき竹宵に向かうフェリーの中で見た移住フェアのポスターを思い出し、行ってみることにしたそうです。会場では県庁の方とお話したという佐藤さん。その中でも臼杵市をおすすめされたのだとか。

佐藤:移住するなら農業関係の仕事に就きたいなと思っていました。現在の農業は無農薬と、農薬を使うものとで両極端に分かれている傾向がありますが、両方の良さも大変さも知っているので、私自身はそこにこだわりはありませんでした。ただ、作物を限定されてしまうのではなく、いろんな作物に全般的に関わっていけないかと思っていました。これがしたいから移住したい!というよりも、程よく暮らしたいなと。それなら有機農業をやっている臼杵市がおすすめだと教えてもらいました。

臼杵市の地域おこし協力隊では有機農業隊員という、農業を行う枠があります。1人でいきなり始めるのではなく、役場と協力しあって3年かけて取り組めるというところに魅力を感じた佐藤さん。今更知らない土地に行くよりも、過去にお世話になった場所で心地よく生きたいと思い、移住を決意しました。

女一人で農業をしながら暮らす

畑を耕す佐藤さん

臼杵市で3年間、農業にとことん向き合った佐藤さん。他の農家さんの様子を参考に、自分自身の農業がどうあるべきか色々試しながら進めていたそうです。農業一本、女1人ということで周囲もどんどん手伝ってくれたそうで、気づけば畑も増えていったとか。地域おこし協力隊卒業後も見据えて農業で自立できるよう邁進していたところ、ご縁あって臼杵市の方とご結婚。

県内の地域おこし協力隊の交流会に参加した際に他地域の話を聞いていると、臼杵市は困りごとがほとんどないなと感じたそうです。

佐藤:他の地域では若者に農業をしてもらいたく誘致しても、誘致されて来た若者が邪険に扱われたり、畑をもらえなかったり、コミュニティの仲間に入れてもらえなかったりしたそうですが、臼杵市でそういった話はあまり聞いたことがなかったですね。市役所の方も面倒見がよくて、よく畑に来てくれて「最近どう?」と聞いてくれたり、支援が手厚かったです。

佐藤さんが臼杵市に来る前から、市役所の方が地域の方々へ丁寧に説明し、地域の方々も連携してくれていたのが印象的だったとか。区長や班長などが自分たちのコミュニティで情報共有をし、歓迎会なども計画してくれたことで、スムーズに地域に入れたと言います。

距離感が案外難しい

佐藤さんが少し苦労されたことは、人との距離感のバランス。コミュニティに入らなくても、地域の方々がたくさん関わってくださるので、その対応だけでいっぱいになってしまうこともしばしばだったとか。また、移住者同士で深く繋がったりすることは安心感がある一方、人と関わる時間に追われすぎると、自分の生活リズムのペースが崩れてしまうとも感じたそうです。特に佐藤さんのように、やりたいことが多くなると、限りある時間の中ではやれなくなることも多くなるので、取捨選択が課題だったと言います。

佐藤:臼杵市は移住者同士が仲が良い方だと思うんです。でも私は生活スタイルでは自分のペースを守りたいところもあって、そこが少し難しかったです。畑の仕事だけでもいっぱいいっぱいで、地元の方々との関わり、移住者との関わり、他のコミュニティとの関わりなど結構大変で、柔軟にこなせない自分がいたので、途中で減らすようにしました。畑にいると同じ人とばかり会いますが、基本的にはそれで良いと思っていました。

人との関わりは大事ですが、自分の暮らしとのバランスを取るために減らすことも大事だと語る佐藤さん。

佐藤:移住先でも腹を割って話せる人が5人いれば十分生きられるのではないかなと思ってます。ちょっと煮詰まった時は別府に行っていました。畑仕事の軽トラのままAPUまで行って、学食を食べて、学生さんたちを見て思い出に浸って、心の中で笑いながらリフレッシュして帰ったり。県内にはAPU時代の友人もいるので、会いに行くこともできます。同じ人とばかり会っていると刺激不足になることもありますが、移住後は逃げる場所をつくることも大事です。頼れる人は年齢問わずに頼るのも良いと思います。

一生土は触っていきたい

明治9年創業の橋本屋

ずっと植物に関わってきた佐藤さんは、農業に限らず花なども含め、どんな職業であっても土と関わり続けていきたいそうです。ご結婚された旦那様のご実家は地元でも有名なフグ料理屋さんで、名物女将が迎えてくれる場所ですが、女将もまだまだ現役なので、代継ぎなどを考える前に子育てをしながらも植物や花に触れる活動ができないかと考えています。臼杵市では80代の方もまだ現役で農業をされていますが、他の地域と同じく高齢化は進んでおり、耕作放棄地が増えたり、使われない機械も増えていくだろうと予想されます。そんなところも、関わり合いの中で支え合いつつ、自分がしたいことともリンクさせていけたらいいなと語ってくれました。

最後に

植物にずっと関わってきた佐藤さん。臼杵市との出会いがまた縁をつなぎ、10年以上の月日を経ても、自分がしたいことができるフィールドであったというのは、素敵なことですね。お話を聞いている間も、臼杵市の人との思い出がどんどん出てきて、ここは佐藤さんにとっての第2の故郷なのだなと感じました。そんな場所に移住し、農業をし、結婚も、そしてこれから出産とライフステージの多くをこの場所で経験していく佐藤さん。これからもこの地に根を張って活躍されていくことでしょう。

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不定休

橋本屋

臼杵市井村1921-2-1

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WRITER 記事を書いた人

Tomomi Imai

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snufkiins LLC. 代表社員
離島移住計画 代表
Re-harmo PJ オーナー
25歳でフリーランスとして独立し、多様な分野にてプロデュースやディレクター業を経験。モノコトヒトをつなぐひと。多様な伴走を得意とする。国内外問わず事務局代行・企画編集など多様な業界を経て2018年に法人化。長崎県上五島にてキャンプ場兼カフェ「Re-harmo PJ」を展開し、島に仕事や場を作ったり。絶賛子育て中。ヨガ・サーフィン・音楽・映画・コーヒー・日曜大工が趣味。

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