取材者情報
- お名前
- 坂爪二郎さん
- 出身地・前住所
- 出身地:神奈川県
前住所:神奈川県
- 現住所
- 大分県津久見市
- 年齢
- 48歳
- 家族構成
- 2人
- 職業
- Dinig Bar 1973
- https://www.instagram.com/diningbar1973/
神奈川県横須賀市で育ち、いつか自分の店を持ちたいと思っていた坂爪さん。長い飲食業勤務の経験を経て、縁あって津久見市にて「Dining 1973」を開業しました。独立までの道のりは平坦ではありませんでしたが、背中を押してくれたのは津久見市の人たちだったと言います。そんな坂爪さんに、津久見市での暮らしや、開業ストーリーをお聞きしました。
飲食店開業を目指して頑張った若き日。縁あって津久見市へ。
神奈川県横須賀市で育った坂爪さん。歯科技工士の専門学校に行くも、あまり力が入らなかったところ、たまたま行った居酒屋で同年代のスタッフが生き生きと元気に活気良く働いているのを見て良いなと思い、飲食業界で働き始めたそうです。
坂爪:元々料理は嫌いではなかったし、飲食店をするのって楽だろうなと、最初は安易な気持ちで飛び込んだんです。そこから気づけばあっという間に10年ほどこの業界にいました。
その頃に結婚された坂爪さん。慣れ親しんだ横須賀市の町も良かったものの、なんとなく他の地域でも暮らしてみたいと思うようになっていた頃、子育て環境のことも考え、奥様のご実家がある津久見市へ引っ越すことが決まりました。
坂爪:別の地域に行きたいと言いつつも、全く知らないところよりも、知り合いが少しでもいる方が良いかなと思い、津久見市への引っ越しを決めました。
引っ越し資金や独立資金を貯めるために飲食店を退職し、2年半ほど大手宅急便会社に勤務しながらお金を貯めた坂爪さんは、33歳の頃に家族で津久見市へ移住しました。
辛いことも乗り越えながら、学び続けた日々。
移住後、縁あってうみえーるつくみにある汐の音の厨房にて勤務し始めた坂爪さん。3年ほど働いた後、地元で知り合った方の新しい事業などを手伝いながら、独立に向けてコツコツと準備をしたそうです。その間、苦しい時間を過ごしたと言います。
最初に勤務した食堂で、板前さんにしごかれたそうですが、知り合いもあまりいなくて何もできない自分はここで心折れてはいけないと、努力したそうです。
坂爪:しごかれないためには、成長するしかないと思いました。板前さんが仕事に出てきたときには、包丁を持ってすぐ魚を捌けるように下準備をしておいたり。「そんなことしなくてもいいんだぞ」って言われても、やり続けたことで認めてもらいました。
そんな風に頑張れたのも、やはり家族の存在があったからこそだったと語る坂爪さん。給料は安かったですが、知らない土地で生きていこうと必死だったと言います。
身内や友人のいない辛さを感じながら。
その後、残念ながら奥様と離婚することになった坂爪さん。その時初めて「ひとりぼっち」という感覚を味わったと言います。
坂爪:地元である横須賀市なら友人も先輩も後輩もいるので、いくらでも気を紛らわすことはできたかもしれませんが、ここには身内も友人もまだいなくて、職場には定年後の板前さんと、パートのおばちゃん、高校生のアルバイトしかいませんでした。同世代がいないから、なかなか友達らしい友達ができなかったし、話せる人もいなくて、正直辛かったですね。
そんな状況の中、横須賀市に帰ることは選ばなかった坂爪さん。1つの理由はお子さんでしたが、もう1つの理由はお世話になっている職場をそう簡単に辞めて良いのか、という想いだったそうです。
坂爪:地元に戻ってしまったら、もう一生子どもに会えないかもしれないという想いがありました。同時に、色々教えてくれてお世話になっている職場を、こんなことですぐに辞めてしまうのは失礼だと思ったんです。
縁が繋がって2019年に独立
そんな苦しい時期を乗り越え、ついに2019年7月に海が近い都町の商店街の中にお店を構えた坂爪さん。ここで開業できたのは、津久見市での縁が繋がったからだと語ります。
坂爪:集客を考えたら、当初の候補地は別府市でした。でも、勤務していた食堂や他の仕事のおかげで知り合いも増えていたし、新たに地元の方と結婚することにもなったので、この地を選びました。いつの間にか僕が開業するという話を聞いたと声をかけてくれる方が増えていきました。みんな「津久見市でやって欲しい」と言ってくれたのが心の支えになりましたね。
開業した場所は、地元では昔靴屋さんとして知られていた場所で、ご自身の長男の同級生のご家族が大家さんだったのがきっかけ。その方も飲食店をしている方だったため、すぐに理解してくれ、自由にやっていいと許可してくださったのだそうです。
また、食堂で勤務していた時に出会ったお客様が同年代の設計士さんを紹介してくれたことで、少ない資金の中でも理想を具現化できたのだとか。
坂爪:僕がお願いしたのは倉庫のような場所にしてくれという抽象的なことだけでしたが、理想的な空間が出来上がりました。津久見の人は最初は冷たく感じていたんですが、慣れれば良くしてくれます。3〜4人と繋がれば徐々に人の輪が広がっていきます。年齢層の幅が広くて、例えば81歳のおじいちゃんおばあちゃんが来てくれるのはありがたいですね。スナックのような温かい雰囲気もあります。
気づけば津久見市の頼れるお兄さんに
身内も友人もいなかった坂爪さんですが、ご自身のお店をオープンする頃には、町中からお花をもらうほどに。また、地元の活動にも呼ばれるようになり、特に若い世代から頼れられることが増えたと言います。
坂爪:C-Lab.TSUKUMI(シーラボツクミ)というイベントをするときに声をかけてもらってて、バルに出てたこともあります。市役所の方からの誘いで、テントサウナをやることがあって、その際に食べる“サ飯”(サウナに入った後に食べるご飯のこと)として漬けバーガーを作るなど、町の活動に関わるようになりました。最近では、30代の若い子達に頼ってもらえることも増えて嬉しいですね。
お店をオープンした直後、満席が続いてびっくりしたという坂爪さん。坂爪さんがどれほど津久見市に受け入れられているかがよくわかります。坂爪さん自身も、今までの苦労が報われたと思った瞬間だったそうです。
わかってもらえるように伝えられるようになりたい
第一印象で怖いと思われてしまうこともあるという坂爪さん。津久見市で開業し、店で津久見市の若者を雇う中で変わってきた感覚があるそうです。
坂爪:今までは自分のことをみんなに分かってもらわなくても良いと思っていましたが、自分を慕ってきてくれる若い子たちと関わるようになって、分かってもらえるように伝えることも大事だなと感じるようになりました。好き勝手やってきたけれど、頭を下げないといけない場面もあるよと伝えられるスキルをもっと身につけたいです。今の子は見て覚えろというのではなく、見せて教えることが大事だとも感じています。
どんな業種でも古いやり方を押し通してたら取り残されるのは自分の世代だなと思ったのがきっかけです。自分は必死にしがみついて行ったけど、今はそういう時代ではないですからね。津久見市の素直な若者たちに、好きなことができる力をつけてもらいたい。この店がその入り口になれば嬉しいですね。
最後に
縁あって津久見市に移住し、移住の辛さも良さもたくさん味わって来た坂爪さん。身内も友人も全くいない中でしがみついてきた津久見市で、その努力が花開き、地域にとって大事な存在になっています。お話を聞いている中でも、ここで暮らしていくからこそ味わう日々の喜怒哀楽を全身で受け止めつつ、それを活かしてなお強く楽しみながら生きている姿に、とても心を打たれました。商店街の中でもダントツでおしゃれな大きい扉を開けて、ぜひ坂爪さんの出してくれるおいしい食事を堪能しながらお話ししてみて欲しいです。