大分移住手帖

元SEが妻の実家の梨農家を継いで始めた日田暮らし

Tomomi Imai

埼玉県生まれの池川さんは、関東でシステムエンジニアとして20年以上働いていたそう。そんなITのプロが、結婚を機に奥様の実家である梨農家へと転身しました。農家になって3年目を迎える池川さんに、移住の経緯と今の暮らしについてお聞きしてきました。

義父が体調不良により廃業させようとした梨農家を継ぐ

池川さんの農園には500本ほどの梨の木がある

東京都で何不自由なく暮らしてきた池川さん。20年ほどIT業界にどっぷり浸かっていたものの、40歳を迎え、スキルやポジションなどを見直し、年齢と仕事量を考えて休みたくなったそう。そこで、心機一転、中小の自販機メーカーに転職しました。その頃に、現在の奥様と出会いお付き合いされたそうです。転職はしたものの、東京都を離れようとは思っていなかったという池川さん。そんな時、梨農園を営む義父の余命が短いことを知ります。

池川:義父が癌を患っており、長くないとは聞いていたんです。ただ、男手が必要な梨農家を娘には継がせるわけにはいかないと、廃業する準備をしていると知りました。先祖代々守ってきた梨農園を自らの手で閉じようとしている義父の気持ちを思ったら、僕にもできることがあるのではないかと思い、日田市に引っ越して継ぐことに決めたんです。幸い奥さんが移住の6年ほど前から梨農園の仕事を少し手伝っていたのもあり、それを頼りに始めました。

作業中の池川さん

それまで、大分県には別府八湯温泉道名人を取得するために東京都から通ってはいましたが、農家になろうとは全く思っていなかったし、大分県に住むとは想像もしていなかったそうです。とはいえ、大分県に通う中で知人ができていた池川さんにとって、日田市への移住はそこまでハードルは高くなかったようです。

池川:温泉道名人を取得するために、日本各地から大分に通っている方々も多く、面白い人たちに会えていたのもあったし、大分県の人はとても温かかったので、移住後の暮らしのイメージは案外できました。

義父が廃業を見越して木を切ってしまった土地に、改めて苗を植えた

49歳でも若手。

関東ではこんな大きな梨は見たことないのでびっくりしたそう。

日田市に移住した頃は46歳だった池川さん。49歳になる今でも地域の農家の中で“若手”であると言います。急に関東から移住してきたので、地域と何かしらハレーションがなかったかとお聞きしたところ、そういったものはなかったと話します。

池川:移住した頃は、僕は地域の中で若手ではあったものの、周りでも少しずつ世代交代が起こり始めていたので、歳が近い農家さんが何人かいて心強かったですね。年配の方々は多いですが、全然閉鎖的でなくむしろ色々なことを教えてくれたり、機材を貸してくれたりするなど親切な人ばかりで助かっています。

現在は梨農家業1本で食べていけている

剪定の甲斐あって広がっていく木々。

急遽、梨農家になって3年目を迎える池川さん。自然相手で難しいことは多いものの、毎日新しい知識を身につけられるため楽しいそうです。大きな失敗は今までまだないですが、小さな失敗は多々あったと話します。

池川:奥さんが経験者なので助かっていますが、木1本枯らすと、その分何十万円分、先を考えると何百万円分もの収入がなくなってしまうので、大変ですね。30年くらい経った木なら、500個くらい実がつくんです。

現在、池川さんの農園では幸水・豊水・あきづき・新高・新興・王秋・晩三吉を育てています。晩三吉(バンサンキチ)は日田市の梨として最も有名な品種で、義父の祖父が現在の地域へ一番最初に増やそうとしたものだそうです。

池川:この農園では、「3本主枝」という仕立て方で栽培しています。大分県が推奨している育て方です。苗は農協や苗屋さんから購入します。何もしないと上に上に延びていくから寝かせていくんですよ。横にすると揺れにも強くなります。グレードが高いと市場価格で1000円位の梨が収穫できます。

収穫された梨

市場価格の大体4割前後が卸価格だと言われる梨業界。池川さんの農園では500本ほどの木があり、この量なら贅沢をしなければ梨業1本で夫婦2人が食べていける仕事になるそうです。

池川:梨は収穫できるまでに最低でも3年(3本主枝仕立てだと5年以上)はかかるんです。僕はたまたま農園があったから手出しもそこまでなく始められましたが、1から作るとなると結構大変な仕事かもしれません。現在は義父の友人が手伝いに来てくれて成り立っているのもありますね。

感覚でやってきたことがわからず苦戦することも

農薬散布用の機械は相当大きい。

池川さんの穏やかな人柄もあって、地域とも上手くやりながらどうにか始めた梨農園ですが、経験不足で困ることもあるそうです。先輩方が感覚でやってきたことや記録にない作業が実は大切だということもあるそう。

池川:例えば、消毒(防除)作業は、なかなか苦戦しました。農協から、時期ごとに虫の情報などが出て、それを見ながら各家が毎年独自のやり方で農薬散布作業をするんです。若い人は情報は共有しがちだけど、昔の人はあまりしないので、どうやってやっていたのかわからず。農薬って何種類もあるし、希釈率も違うし、あっているのか教えてくれる人がいないのでかなり苦戦しましたね。自分の農園だけならまだしも、病気が出たら周りの園にも迷惑をかけてしまいますし。

整備に使う機械を動かす池川さん

経験がある娘さんでもわからなかったというこの消毒(防除)作業。なぜかというと、その機械がとても大きく、男性でないと動かせないため、義父がやらせなかったそうです。過去に事故で亡くなる方もいたそうで、こういった作業での女手・男手という役割分担があることも、始めてみてわかったことでした。

池川:農薬散布作業は全部僕。一番重要で、年30回近く、早朝に行うんです。撒く量も一定にしないといけないし、速さもコントロールしないといけないので、結構大変です。

もう1つ大変だったのは「剪定作業」だそうです。11月から3月まで、ひたすら毎日行います。そうして気づけば4月。交配作業をしないと実がならない梨のために、手作業で良いものだけ残していきます。剪定作業に明け暮れていると、気づけば夏にさしかかり、秋に向けて収穫作業が始まります。傷に弱い梨は1つずつ丁寧に採っていきます。10月後半にようやく少しだけ作業が落ち着きますが、この時期こそ園内整備を行わないと、すぐにまた次の作業がやってきます。こうして梨農家の1年はあっという間に過ぎていくそうです。

参考:梨農家の1年のスケジュール

収穫用の機械もかなり大きい。

休みはないけれど、自分のペースでできるのが良い

丁寧に育てられている梨

SE時代は週休2日だった池川さん。梨農園は全く休みがないですが、自分のペースで働けるのが良いのだとか。また、最近病に倒れたご自身の父や、関東に住むご家族へ自分が作った梨を送り、楽しんでもらえているのが嬉しいと語ります。整然と木々が並ぶ梨農園は、日々池川さんが整備されているので、とても歩きやすく、快適な木漏れ日がのぞきます。

池川:梨園内は、木々が茂っていて日陰になるので、夏休みになると子どもたちがここにきては楽しそうに走り回るんですよ。木陰が涼しいので、今後はこの気持ちよさを体験できる企画なども行っていきたいですね。

最後に

全く畑違いの業種へ飛び込み、奥様のご実家の環境へ移住した池川さん。穏やかなその人柄と日田市の閑静な自然環境、梨の心地よい香りが合間って、居心地の良い空間がそこにはありました。3年経った今でもまだまだ初心者だと語る池川さんですが、その梨の味は絶品。関東ではなかなか見れない大きな梨は、ご友人などを伝って売れていくのだとか。梨の木々の説明をしてくださる姿はまるで「梨博士」。時代と逆行するかのようにデジタルからアナログを生業にし再出発した池川さんの暮らしは、都会からの移住ならではの暮らし方かもしれません。

WRITER 記事を書いた人

Tomomi Imai

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25歳でフリーランスとして独立し、多様な分野にてプロデュースやディレクター業を経験。モノコトヒトをつなぐひと。多様な伴走を得意とする。絶賛子育て中。ヨガ・サーフィン・音楽・映画・コーヒー・日曜大工が趣味。

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