取材者情報
- お名前
- 鈴木 恵
- 出身地・前住所
- 出身地:愛知県田原市
前住所:愛知県津島市
- 現住所
- 豊後大野市清川町
- 家族構成
- 夫、長男、次男、三男、四男
- 職業
- 有限会社お花屋さんぶんご清川
愛知県出身の鈴木さんは、21歳の時に結婚し22歳で出産。長男出産後7ヶ月の時に会社を立ち上げたという、なんともパワフルな方です。そんな彼女が愛知県から大分県へ移住した経緯や、現在の生活で感じていることなどをお聞きしたいと思い、彼女が暮らす豊後大野市清川町を訪ねました。
心機一転!新たな暮らしの場を求めて豊後大野市へ。
愛知県で生まれ育ち結婚を経て、育児や家事をしながら実父と立ち上げた有限会社お花屋さん(愛知県津島市)で経理事務をずっと担っていた鈴木さん。多忙ながらも充実した日々を送っていたそうです。
有限会社お花屋さんは順調に成長を続け、日本のみならず海外からも様々な方が農業を学びに足を運んでいたとのこと。その農業研修生の中のひとりが大分県佐伯市出身で、その方を通じて大分県と繋がりができたそうです。
その繋がりから、豊後大野市清川町への企業誘致の話があったそう。周囲からは「わざわざ大分県に移住して農業しなくてもいい」との反対の声もあり、迷っていたところ、父親に頸椎狭窄症が発覚し、その後手術を受けなければならないという事態に直面したとのこと。
鈴木 : 父の病気を受けた一連の流れが、会社を今後どうしていくのかを改めて見直す機会となり、最終的には父の療養のためと広大な農地で効率的な施設の運営をするために、豊後大野市への移住を決断しました。
私の夫はもともとサラリーマンだったのですが、いろんな苦悩があった末に後継者として一緒に農業をしてもらうこととなりました。夫は長男ですので、親を残して妻の実家を継いで大分へ移住するという選択肢は苦渋の決断だったと思います。本当に感謝しています。
こうして鈴木さんは、豊後大野市に一家全員で移住をすることになりました。
“楽しい”が盛り沢山の農園
元々IT分野が得意だった鈴木さんは、豊後大野市でも愛知県にいた頃と同じ仕事ができるようにネットワーク環境を構築したそうです。そのおかげで移住後もスムーズに仕事が進んだとのこと。
また、豊後大野市の現地法人として新たに有限会社お花屋さんぶんご清川を立ち上げ、のれん分け事業で新規就農者を育て、11名が豊後大野市で営農を行っているそうです。販路も拡大し、関東や東北、北海道まで展開しているとか。
豊後大野市で鈴木さんが管理する農地は6.7ヘクタールと広大で、菊の花を専門とする農家の中では日本一の規模を誇ります。その広さを活かして栽培を行うため、年間を通じて安定した出荷ができるようになったそうです。
閃きを大切にすぐ行動
「余った土地を生かして何かできないだろうか?」
メインの菊の花の栽培以外にも鈴木さん達の新しい挑戦は続きます。大分県が誇る名産品である「カボス」を始め、ハロウィーンで飾る可愛い「カボチャ」、秋の味覚「栗」、クリスマスに欠かせないツリーの「もみの木」などを栽培しているそうです。
周囲からの声も聞きながら、新たな作物の栽培や販路拡大・オンライン販売の取り組みなど、閃いたアイデアを一つずつ着実に実践していき、確かな手応えを感じている鈴木さん。その結果、移住前より収入は上がっているとのことでした。
地区の集まりには必ず参加する
移住者にとって、新しい土地でその土地ならではの慣習や近所付き合いなどに上手く馴染めるのかという不安はつきもの。鈴木さん一家はどのように乗り越えたのかお話を伺いました。
鈴木 : 何度か愛知県から豊後大野市へ遊びに来ていたので、地理や風土などは理解していました。ただ、地域の全ての方が今回の誘致事業に賛成されていなかったことも知っていたので、夫婦でたくさん話し合い、地区の集まりやPTA活動などに必ず参加しようと決めていました。
そんな鈴木さん一家の努力もあり、地域の方は非常に温かく迎え入れてくれたそうです。
鈴木:ある表彰を頂き新聞に載った時も、地域の方々がまるで身内のことのように喜んでくれました。「元々ここが地元だったのかも」と錯覚するぐらい、温かい人々に感動したのと同時に、こんなにも応援してくれるのは、私たちが日々努力を続けているからだとも感じました。今後も豊後大野市を盛り上げていけるように頑張ります。
地域ぐるみで子育て
4人のお子さんがいらっしゃる鈴木さんですが、豊後大野市での子育てについてお話を伺いました。
豊後大野市は自然豊かでのびのびと子育てできる良い環境だと思います。移住当時中学生だった長男は、愛知県に住んでいた頃の気軽に商業施設に遊びにいけていた生活から一変したため、最初は戸惑っていましたが、今では海や山が身近にある大分県でのアウトドア生活を満喫していますね。ただ、車がないと行けないところも多く、送迎など、親の力を借りなければ部活や遊びが成り立たない地域でもあります。学校の生徒数も少ないので、PTA活動等保護者一人あたりの負担も大きいと思います。しかし、裏を返せば、保護者や地域との学校の距離が近いので、地域ぐるみで協力して子育てをしている実感があり、それは移住したからこそ味わえる醍醐味だと感じています。
郷に入れば郷に従え”の心で
豊後大野市には大きな産業はありませんが、今はどこにいても様々な仕事ができる時代なので、暮らしを大切に出来るこの地は移住先としてお勧めだと鈴木さんは感じているそうです。
鈴木:愛知県に住んでいた頃にはお金を払って見ていたプラネタリウムが、豊後大野市では夜空を見上げれば良いですし、頑丈な地盤と高い海抜に守られており、ありがたいことに大きな災害にも見舞われることなく、安心安全に農業が継続できています。生活の拠点をどこにするのかは人生を豊かに過ごす上で大きなポイントとなると考えています。
これは人生においても同じで、どんな時でも文句ではなく、自分がどのようにより良く変えていくかがとても重要だと思います。
また、郷に入れば郷に従えとあるように地域の方々と互いを尊重し合うことが大切だそう。地区の集まりやPTA活動などに参加し交流を深めた結果、暮らしやすい大切な場所になったと実感しているとのことでした。
最後に
現在は自社の経営をはじめ、PTAや地域の活動、さらには今までの経験や実績を請われて大分県教育委員・事業評価監視委員・長期計画推進委員など多岐にわたって活躍されている鈴木さん。農園を散策しながら取材をしていた際も「仕事がとっても楽しいんです!」と、まるで子どものように天真爛漫に話す姿を見て、彼女から途絶えることのないパワフルなエネルギーを感じました。そんな彼女のお話を聞いているうちに、私たちの未来はそれぞれの行動や想いで切り開けると感じました。この先の未来についてもさまざまな想いを巡らせていた彼女。これまで以上に大活躍する姿を見るのがとても楽しみです。