取材者情報
- お名前
- 高瀬ゆきのぶ
- 出身地・前住所
- 京都・大阪・東京・大分市
- 現住所
- 大分県津久見市
- 家族構成
- 4人
- 職業
- 一級建築士他
日本には「セメント町」というちょっと変わった地名が2箇所あります。1つは山口県、もう1つは大分県津久見市にあるのをご存知でしょうか?そんな津久見市セメント町へ移住したのは、津久見市出身で京都・大阪・東京で暮らしてきた夫・ゆきのぶさんと、大分市生まれの妻・あゆみさんご家族。移住して4年半が経った高瀬家の暮らしについてお話を伺いました。
独立とともに津久見市へUターン。
ゆきのぶさんは、京都の大学を卒業後、大阪・東京で一級建築士として働いていました。都会で忙しく働いているうちに「田舎で暮らしたい」と思うようになったのだとか。また、徐々に年老いていく親の様子も気になっていたそう。ちょうどその頃、大分市で暮らすご兄弟の家を設計することになったこともあり、大分市へ引っ越し、独立して事務所も構え、新たな暮らしをスタートさせました。その後、あゆみさんと出会い結婚。2人のお子さんに恵まれたこともあり、子育て環境を考えて津久見市へのUターンを決めました。
築100年以上の古民家を住みながら改修し、カフェもオープン。
津久見市へUターンするために、事務所は借りていたもののなかなか家を見つけることができなかったという高瀬家。そんな中、事務所の大家さんが見つけてくれたのが、100坪以上ある敷地内に、大きな母屋、倉庫、蔵、庭、畑ができるくらいの空き地がセットになった現在のお家でした。
ゆきのぶ:築100年以上と古い物件でしたが、庭や空き地付きで100坪以上の面積があります。建築の仕事をしているので住みながら自分たちで改修をしました。セットで付いていた倉庫は、昔は火薬倉庫だったそうで、かなり傷んでいましたが、カフェを開こうと思い、壊さずに改修することにしました。築100年以上ということで、壁や道具などにも趣があり、改修しがいがありました。
そんな倉庫ですが、売買契約を締結した約2週間後に津久見市に来た台風により、屋根が吹っ飛んでしまったのだとか。屋根を抜く手間が省けたと話すお二人のポジティブさに脱帽しました(笑)。日中仕事をしているゆきのぶさんですが、住みながら夜な夜な倉庫や蔵などの改修を進めたそうです。
母屋の改修とともに、倉庫の方も整備していき、2018年7月にカフェ「セメント町かやく舎」をオープンしました。
ゆきのぶ:田舎だからと消極的にならず、積極的に情報発信の場を作りたいと思い、カフェをオープンしました。古い家や道具を大切にしながら、ゆったりと暮らしていきたいという自分たちの思いや暮らし方も伝わると良いなと思っています。
蔵も改修したゆきのぶさん。2階建てで元々雰囲気が良い蔵から荷物を出し、今後ギャラリーとして使っていけるように棚を設置したりドアを直したりしています。
また、空き地になっていたのを活用して、見よう見まねで畑も始めたというあゆみさん。広い畑ではないですが、家族で食べられる分の野菜や米に至るまで様々な食材作りに挑戦しているそうです。
自然が豊かで見守る風土があるから子育てに向いている場所。
津久見市で、古民家の改修やカフェのオープンなど充実した新生活を始められた高瀬さん一家。津久見市の良いところをお聞きしたところ「自然環境」と「子どもの見守り風土」だと言います。髙瀬さんの家から歩いてすぐの場所にはつくみん公園という大型遊具や広い芝生が魅力的な公園があります。海・山に囲まれた自然豊かな環境で子どもを遊ばせられるのは、都会ではできない経験だと語ります。
また、地域の方々や大学生がボランティアで勉強を教えてくれる土曜寺子屋・つくみ塾がとても良い取り組みだと感じているそうです。お子さんに良い影響があったとのこと。
あゆみ:子どもが学校だけでなく、地域の方との繋がりが持てる場所があるというのは、とても良い環境だと感じています。公民館にボランティアの方が来てくれて勉強を教えてくれることもあります。子どもも自分から土曜寺子屋・つくみ塾に行くようになって、勉強はもちろんですが、人や地域との”関り方”を学べています。
子育て環境だけでなく、津久見市には豊かな自然を活かした“仕事”についても可能性があるとのこと。
ゆきのぶ:津久見市には、農業や漁業などの一次産業を行うための豊かな資源があるにも関わらず「きついから」などの理由で事業承継があまりされていないようです。実は足下に宝がいっぱいあるまちだから、担い手が少なくなっている現状にもったいなさを感じています。
情報が無いことにかなり困った。
逆に津久見市に来て困ったことをお聞きしたところ、最初に困ったのはとにかく「情報が無いこと」だったのだとか。
一番困ったのは「習い事」の情報なのだとか。津久見市には大手の学習塾などは無く、個人が家で勉強や習字などを教えているパターンがほとんどで、習い事の情報は人づてに聞かないと分からないのだとか。積極的にコミュニケーションを取って情報を得ることができる方ならどうにかキャッチできるかもしれませんが、移住してきた方で、知り合いもおらず、消極的な方は情報取得が難しいのではと懸念します。
あゆみ:私はまだリサーチが好きな方だから良かったですが、そうでない人にとっては情報を得るハードルが高いと感じます。当時、唯一の情報網は子どもが持ち帰るチラシくらいでした。何か困ったことがあったときにどこで何を聞けばいいかわからないし、聞いてもイマイチ教えてもらえなかったり。だからとても“よそ者感”を感じて少しショックで、落ち込んだこともありました。今でこそ笑えますが、時にはスーパーのレジのお姉さんの笑顔で泣きそうになるくらい、笑顔を忘れてしまったこともありました。
学校に行かない選択をした息子。転校で解決。
そんな矢先、転校したばかりの小学校が合わず、息子さんが不登校になったのだとか。新しい土地で「友達を作るぞ!」と楽しみにしていたのも束の間、クラスに馴染めず、学校とも上手くいかず、本来の校区ではない別地区の学校へ転校することになったのだそう。転校先の小学校では徐々に学校に通えるようになったそうです。
自分なりに情報を集めたり、繋がりを作ろうと頑張ったあゆみさん。すると、同じく移住者で似たような境遇の方が訪ねて来てくれるなど、いろいろな人と話す機会が増え、徐々にあゆみさんや息子さんにも笑顔が戻っていったそうです。
あゆみ:息子も“よそ者扱い”されたのかなと、自分と重ねて辛い時期でした。話す人もいないし、気にしてくれる人もいなくて、当時は孤独で、思わず津久見市が嫌いになりそうでした(笑)。でも、今出てしまったらもう2度と津久見市に戻って来ない気もしたし、もしかしたら自分の気の持ちようで大好きになるかもしれないと思い、踏ん張ってみることにしたんです。辛い時期があり体当たりでしたが、徐々にいろいろな人と繋がっていって状況が開けていきました。
気持ちがあれば伝わる。表現の仕方が違うだけ。
最初はショックを受けたものの、徐々に「表現の仕方が違うだけなんだ」と思うようになったと言うあゆみさん。
あゆみ:津久見市の人が閉鎖的なのではなくて、その言葉がぶっきらぼうに聞こえたり、言い方を冷たく感じていたりしただけだと気づいてきました。少しシャイなのかな。受け取り方次第なのかなって。近所の方にも「慣れるまでに3年は必要なのよ」と苦労話を教えてもらったり、徐々に自分たちのことをわかってくれる人も増えてきました。
あるものを見つけるためにまちづくり会社を設立。
自分が生まれ育った津久見市に久しぶりに帰ってきたら、町にあった賑わいが無くなってしまっていることに寂しさを覚えたというゆきのぶさん。無くなっていくものよりも“今あるもの”を見つめ直すことで、自分たちの暮らしに楽しさを増やしたいと思い、仲間達と共に2018年3月に「NPO法人まちつくりツクミツクリタイ」を設立しました。『つくみのカンヅメ』というフリーペーパーを発行したり、つくみん公園に誰でも気軽に立ち寄れる無料休憩スペースコンテナ293号を設置したり、津久見市の情報発信や広報活動を行っています。
ゆきのぶ:のんびりやってはいますが、少しでも津久見市を盛り上げるきっかけになったらいいなと思い、始めました。カフェ「セメント町かやく舎」にもイベント情報や求人案内など様々な情報が載っているフリーペーパーを置いているので、津久見市に興味のある方はぜひフラっと寄っていただけたらと思います。
最後に
移住初期の苦労をバネに、同じような苦労をしている人たちに向けて、自ら場を開いて情報発信をしている高瀬夫妻。その道のりは決して平坦ではないようですが、簡単に諦めるのでは無く、前向きな捉え方と創意工夫をされているのが印象的でした。また、そんな活動によって新たに人と出会えることが嬉しいのだとか。苦労話も辛かったこともここなら笑って話せる。セメントの町にはそんな温かい場があるようです。