大分移住手帖

両親が選んだ場所が私の人生の「故郷」に。姫島村から繋がる未来への想い。

KAORI

取材者情報

お名前
大嶋 和香子
出身地・前住所
東京都
現住所
大分県姫島村
家族構成
父・母・姉・兄
Webサイト
http://astericonsultant.com/free/greetings-profile)

東京生まれの和香子さんが、アメリカ、ヨーロッパでの滞在を経てたどり着いたのは、大分県の北東部にある小さな離島、姫島村。そこで温かく優しい人々とご縁が繋がり、姫島村で余生を過ごそうと決めたご両親と一緒に、移住を決意。そんな和香子さんに、移住に至る経緯や現在の暮らしについて、お話を伺いました。

アメリカ進出

アメリカ勤務時代の和香子さん

東京生まれの和香子さんは、高校生まで家族の転勤で全国を転々としながら過ごしたそうです。

和香子さん : 東京の大学で声楽教師をしていた母が、全国を移動するうちに、障がい児や高齢者へのミュージックセラピーに出会い、50歳を過ぎた時、アメリカで障がい者向けミュージックセラピーを勉強したいと言い出しました。私も高校卒業後はアメリカの大学に進学したいと考えていたので、夏休みの短期間だけ母と一緒にアメリカへ。母は短期留学を終えて一旦帰国しましたが、私はそのままアメリカに残り、大学に進学しようと決めました。

国際ジャーナリストになることを夢見てアメリカの大学に進学した和香子さん。大学在学中の体験から、歴史や文化、価値観が異なる世界中の国や地域を司法の世界で繋ぐ仕組みづくりに貢献したいと感じ、国際貿易紛争に携わる弁護士になろうと決意しました。

大学卒業後、アメリカのロースクールに進学し、ワシントンD.C.でWTO(世界貿易機関)の弁護士としてキャリアをスタートした和香子さん。帰国後、外資系企業数社で法務部長として勤務をする中、CSR(企業の社会的責任)、SDGs、持続可能なこれからの地球について研究する機会を得たそうです。
和香子さん:CSRやSDGsといった「司法の世界とは異なる舞台」で、地球レベルの様々な課題を解決するための研究や活動を進めるうちに、「100年後の地球のために今の私たちにできることは何か」、「世界中の「人、事、心」を繋ぐことで持続可能な社会を目指し、新たな価値を創造していきたい」という想いが強くなっていったんです。そこで、国際貿易紛争の弁護士活動は一旦休止し、自分の会社(アステリ株式会社(http://astericonsultant.com/free/greetings-profile))を起ち上げ、ライフワークとして活動していこうと決めました。

姫島村だるま山にて

姫島村との出会い

そんな和香子さんが、どうやって姫島村にたどり着いたのかを尋ねてみました。

和香子さん : 日本と世界を繋ぐ活動の一環として、東京オリンピック・パラリンピック関連のお仕事に携わりました。その関係で姫島村に出張をする機会があったので、当時、博多に住んでいた両親を誘いレンタカーで姫島村を訪れました。

姫島村に初めて訪れた3日間の滞在において、姫島村の方々と交流もでき、ゆったりとした楽しい時間を過ごせたご両親と和香子さん。その帰りのフェリーでご両親が「私たち姫島村が好きになったから、姫島村で残りの時間を過ごしたいわ。姫島村に移住したい。」と言い出し、私たちは移住について、前向きな話をしながら岐路に着きました。

和香子さん : その時は、「決断早いね!」と驚きましたが、両親が「残りの時間を姫島村で過ごしたい」と決めたのであれば、私も自分の経営する会社の支社を姫島村に開設し、一緒に移住しようと決めました。決断の速さに自信のある私たち家族(笑)は、「じゃあ家を探そう!」ということになりました。

東京オリンピック・パラリンピック時のZoomの様子

 

姫島村での家探し

初めて姫島村を訪れたのが2021年4月末。まずは姫島村役場に連絡し、6月には両親の家探しを始めました。

和香子さん : 姫島村役場の担当者や、出会ったばかりの姫島村の方々がとても親身に協力をしてくださったおかげで、両親の家は約2ヶ月で決まりました。

引越業者もすぐに手配して、両親は10月に引越完了。初めて訪れてから、わずか6か月で、姫島村への移住を実行しました。

和香子さん:家探しは、姫島村の方々の口コミ情報に助けられた部分が大きかったのと、移住を検討している方にはこれから始動する「空き家バンク制度」がとても役立つのではないかと思います。

姫島村の自宅前で、ご両親と和香子さん

なぜ姫島村だったの?

姫島村に移住することになった理由を、和香子さんは終始明るい笑顔で話してくれました。

和香子さん :姫島村では下の名前で呼びあったり、住民同士の関係性がオープンな感じが海
外の生活に似ていて、とても温かく感じました。幼少の頃は転勤族で、10代から海外に行き、その後も移動を続けてきたので「故郷」というものがありませんでした。姫島村に出会ってから初めて「帰る場所」、「故郷」ができたと感じています。これから姫島村の方々と一緒に素敵な時間が増えていくと幸せだな、と思っています。また、姫島村の方々や移住者の方が悩みを抱えたら、解決できるようお役に立ちたいなと感じています。

離島は独自の文化があったり、人との距離感が近いことを懸念される方もいます。都心から、姫島村に移住することで、不安だったことなどがないか聞いてみました。

和香子さん : 都会に比べると、人によっては距離感が近いと感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、それが良くない意味での”近さ”だと感じることはありません。私たち家族は住民同士の関係性の「近さ」が心地よくて、「ビッグファミリーができた!」と喜んでいます。例えば野菜をいただくことがあります。お礼にその食材で料理してお返しするなど、姫島村は良いエネルギーが循環している文化なんですよね。昔ながらの古き良き日本がある場所は、私が人生で初めて得た故郷。両親も毎日とても楽しそうで、私もそんな両親の元気な姿をみられて幸せです。

姫島村でのお仕事

和香子さんは東京の日本橋でアステリ株式会社を経営しています。ご自身で経営される会社について、想いを語ってくれました。

和香子さん : アステリ株式会社は「100年後の地球のために今の私たちにできることは何か」を基本理念の軸として掲げています。昨年7月、姫島村に支社を開設しましたので、姫島村の次世代人材育成を通じて姫島村から世界へ。姫島村、大分県、ひいては日本と世界を繋いでいくという活動にも力を入れていきたいという想いについて、色々な方々とお話しをしています。

2022年5月現在ではまだ東京との2拠点生活ですが、2022年の夏頃を目処に、ご両親の家とは別に、古民家を購入・リノベーションし、姫島村での時間を満喫する予定です。

姫島村の港に帰って来るフェリー

最後に

これからの姫島村でのビジョンについて聞いてみました。

和香子さん :おおいた姫島ジオパークと連携して、中学生の次世代人材育成プログラムを作りたいです。ジオパークは、地球を学び、まるごと楽しむことができる場所。自然と触れ合って、歴史や文化を理解することで、姫島村の良さを表現できるようになるプログラムを作りたい。それが叶うことで将来的に、”姫島村に行ったらこのプログラムを受けられるんだ!”という移住者や関係人口が増えたら素晴らしいな、と思います。

リモートでの仕事が増えたからこそ、たどり着いた姫島村。
常に”つなぐ”ことにこだわり、人と人をつなぐ、国と国をつなぐ、人と地球をつなぐことを考えてきた和香子さん。最後にこんなことを話してくれました。

和香子さん : 私はYogiboになりたいんです(笑)。どんな形でも居心地のいい場所にできるように受け止められる人になりたい。

姫島村で過ごす最高の瞬間は、海に足をつけながらフェリーに「おかえり」っていう瞬間だという和香子さん。Yogiboとして自分のビーズが無くなったときは、海でアーシングして、エネルギーチャージをするそうです。

色々な国でチャレンジを続けてきた和香子さんだからこそできる姫島村での挑戦が今後も楽しみです。

※アーシングとは、靴やソックスを脱いで、裸足や素肌で地球の大地と直接つながること。電化製品をアースするのと同じような原理で、体をアースすることで身体電気を地面に逃し、体の電気のバランスを保つことを指す。

PHOTO

  • 両親が選んだ場所が私の人生の「故郷」に。姫島村から繋がる未来への想い。
WRITER 記事を書いた人

KAORI

  • Facebook
  • Instagram

くろき かおり
豊後大野生まれ豊後大野育ち。高校卒業後は横浜・東京にて、外資コスメ会社で経営学・マネジメントを学ぶ。その後、石垣島・オーストラリアへの移住。オーストラリアでも同ブランドで勤務したのち、2019年に大分へUターン。趣味は映画を見ること・旅行・サウナ。

記事一覧を見る

POPULAR ARTICLES 人気記事

CONTACT お問い合わせ

運営:おおいた移住計画

FACEBOOK

INSTAGRAM

運営:大分県