取材者情報
- お名前
- 多々良 麻子(旧姓:小金丸)
- 出身地・前住所
- 福岡県福岡市
- 現住所
- 大分県臼杵市
- 家族構成
- 夫、息子、娘
- 職業
- 関青果 https://www.instagram.com/sekiseika.usuki/
関乃家 https://www.instagram.com/shunsai.sekinoya/
- https://www.facebook.com/asakokog
福岡市で生まれ育った多々良さんは、都会で過ごすよりも田舎の地域に根差した場所で住民の皆さんと共に考え暮らしていきたいと思い、臼杵市に移住したそうです。現在は結婚し育児に奮闘しつつ、嫁ぎ先の家業である関青果・関乃家を中心に活躍する彼女の、移住に至る経緯や日々の暮らしなどを直接お聞きしたいと思い、臼杵市へ足を運びました。
田舎に根差して暮らしたいと考え、臼杵市へ移住
現在は臼杵市の中心部で家族と暮らす多々良さんに、臼杵市へ移住するまでの経緯をお聞きしました。
多々良さん : 途上国の貧困問題などに取り組む国際協力に関心があったので、別府市の立命館アジア太平洋大学に進学しました。勉学や海外に足を運び経験を重ねるうちに、日本について知らないことがたくさんあると気づき、次第に国内に目が向くようになりました。日本の地方が元気であれば国内外により良いメッセージを送れると考え、農村漁村の再興や伝統文化の保護問題などの解決に役立ちたいと思いました。
大学卒業後は宇佐市安心院町でグリーンツーリズムの仕事に従事していましたが、しばらくして福岡市に戻ったそう。
多々良さん : 福岡市に戻り糸島の海辺にあるカフェレストランで働いていました。やりがいがあり充実して楽しい仕事でしたが、通勤に片道1時間程かかり、休みは週に1日だけとほぼ働くだけの毎日でした。この暮らしを続ける事に疑問を感じ、都会で過ごすよりも田舎に根差した場所で住民の皆さんと共に考え暮らしていきたいと思いはじめた矢先に、知人から紹介されたうすきツーリズム活性化協議会の方に「一緒に仕事をしませんか」とお声掛け頂きました。
他にも長崎県の方からも声掛け頂いたのですが、どうにもしっくりこなくて長崎県に住みたいと思えず、お断りしました。
臼杵市への移住については、大分県に住んでいた大学時代から新卒就職時に臼杵市に足を運んだ事もあり、すぐに決められました。
こうして臼杵市へ移住した多々良さん。地域に根差した様々な活動に取り組んだそうです。
多々良さん : 2013年10月からうすきツーリズム活性化協議会の事務局員として活動を始め、移住希望者向けのモニターツアーの企画運営や特産品の新規開発サポート、インバウンドの推進、グリーンツーリズムの事務局業務などを担当しました。人と人、団体と団体、資源と資源など、地域の点と点を線にするコーディネーターとして、グリーンツーリズムと地域内資源を組み合わせたコラボ企画を実施する事で、地元の人でも知らなかったような地域の魅力の再発見へのきっかけになり、その気づきが次の新しい活動に繋がる事が多かったです。
また、地元以外の方々が臼杵市に関心を持つきっかけになればと、農産物の収穫や釣り・日曜大工・竹細工など臼杵市に息づく日常や臼杵の暮らしを体験する参加型ツアー「種まく暮らし」なども実施しました。
仕事中でもそれぞれの地域の方々と仕事とは直接関係のない話をする時間も多かったです。ただ、農業にしろ商業にしろ仕事と暮らしを切り離すことが難しい事もあり、そうした地域の方々と話す中で仕事のヒントになったり、困ったら助けてもらえる関係性が構築できるなど、良い影響をもたらしました。暮らしの一部に仕事があるというイメージです。
2014年6月からは、コミュニティハウス「A・KA・RI」の運営をスタートした多々良さん。
多々良さん : 移住支援を担う地域おこし協力隊とも協働し、シェアオフィスや会議の場とするだけでなく、Iターン・Uターンなどの移住希望者の皆さんの拠点になるよう活動しました。行政からの積極的な支援も頂きました。地域に活力を呼び込むのも、移住定住を増やすのも、主体となるのは地域ですので、その地域に住む方が自ら魅力を見い出し広げていく手助けをしました。
結婚を経て、地域の顔に
結婚を機に、義母が営む八百屋「関青果」と、夫が営む居酒屋「関乃家」を手伝いつつ、子育てに奮闘している多々良さん。現在の仕事についてお聞きしました。
多々良さん : まだ子育てが忙しい事もあり、関青果ではほんまもん農産物の仕入れ・販売や経理などを手伝っています。その隣にある関乃家は夫が営んでいる居酒屋で、彼が苦手なSNSを使った情報発信などを手伝っています。関青果は開業して半世紀になる地域に根差したお店で、行き交う人達が足を止めて声をかけてくれます。小学校の通学路でもあり、毎日顔を見せてくださる方も多いです。
関青果では2020年から「ほんまもん農産物」も販売しています。有機農法で手間暇かけて美味しい野菜を作る農家さんと、その野菜を買いたい消費者を繋ぐ事がこの店の役目だと考えています。農家さんの野菜はそれぞれ味が違うので、私が実際に足を運んで味わい本当に美味しかった農家の野菜だけを取り扱っています。珍しい野菜もありますが、うちは町の八百屋なのでお客さんとの距離感が近く、レシピなどを直接お客さんに伝えられます。
他にも、地域で色々な活動をしている方と一緒に取り組みたいと考え、地域おこし協力隊で有機農業を育てている皆さんがスタートしたファーマーズマーケット「ひゃくすた」を立ち上げから手伝っています。
ほんまもん農産物は2010年から取り組み、給食で使用されたり、ひゃくすたもあり、認知度が上がり移住者も含めて若い方の新規就農が増えたと思います。草が生えたり虫が出たりで、理解がある地域でないと有機農業に取り組む事が難しいのですが、臼杵市は理解のある地域として認識が浸透していると感じます。
とはいえ、まだまだ市内でも知らない方もいて、市外の方が詳しかったりもしますので、これからが正念場だと思います。
毎日顔を見るおばあちゃんがしばらく顔を見せないと心配になって近所の人と話をしたり、困っている人を見かけたら声を掛けたりするという多々良さん。取材中も子供達からお年寄りまで話しかけられていて、側から見ても地域に溶け込んでいると感じました。
臼杵市での住まい
臼杵市に移住した多々良さんですが、市内でも色々な場所に住んだそうです。
多々良さん : 臼杵市での最初の住まいは、職場の方々が事前に見つけてくれた野津町の物件で、7ヶ月ほど1人暮らしをしました。当時、町には都会のような賃貸物件がなく、空き家バンク制度もなかったので、私1人で住まいを見つけるのは無理だったと思います。まだ今のように移住が一般的になる前で、東京で移住フェアなどがスタートした頃だったので、移住に関する助成制度などはありませんでしたが、市役所の担当者は手厚く対応してくれましたし、職場の家賃補助なども活用しました。
コミュニティハウス「A・KA・RI」を運営する際は、地域おこし協力隊の元担当者の家の前で物件を見つけましたし、次の転居は空き家になっていた張り紙の告知を見て応募しましたので、不動産屋や空き家バンク制度を利用したことはありません。
臼杵市に実際に住んでみると、人との距離感がちょうどよく暮らしやすいと感じています。また、モノを大切にしたり、食材を捨てることなく大切に食べるなど地域の方々の丁寧な暮らしぶりにも影響を受けています。今は子育て中心の暮らしですが、地域の皆さんが子どもを可愛がってくれ、抱っこしたり遊んでくれたりするんです。「人との触れあい」がある臼杵市で子育てができて良かったなと思っています。医療に関しても、小児科を含め病院がたくさんあり、病気に合わせて近所の人に評判を聞いて足を運んでいます。半径1キロ以内で生活する毎日ですが、特にストレスもなく、休日は家族で温泉に行くなど充実しています。
生まれ育った福岡市をはじめ、別府市や安心院町と臼杵市の住み心地を比較するとどうですかとお聞きすると…
多々良さん : まず何より温泉が素晴らしいです(笑)。温泉好きなので福岡市に住んでいた時も足を運んでいましたが、消毒用の薬品の匂いは苦手でした。大分県はたくさんの温泉があるので、行きたい時にパッと行けますし混む事も少なく、掛け流しの温泉なので薬品の匂いもしません。
臼杵市に住む人たちは他の市町村と比較すると、おっとりして誰に対してもオープンだと感じます。また、臼杵市は温暖で気候が良く災害も少ないと思います。台風が直撃する事は滅多にないですし、冬でも雪はほとんど降りません。安心院町の中心部に住んでいた際は、アパートの水道が凍る事もあるほどで、寒さが苦手な私には辛かったです。方言についても、チャキチャキして言葉がはっきりしている安心院町などの県北と、ゆったりして柔らかい臼杵市では随分と違う印象です。
自然と地域と調和した暮らし
すっかり地域に馴染んでいる多々良さん。臼杵市中心部の家から徒歩で綺麗な海岸まで15分、山まで10分と、自然に親しみながら暮らしているそう。
多々良さん : 遊具がある公園は少ないのですが、子供と一緒に家からすぐの場所にある臼杵城跡の広場に行きどんぐりを拾って遊んだり、夏はうちが持っている山の土地のすぐ近くを流れる川で蛍を楽しんだりと、市内中心部からでもすぐ近くに自然の中で遊べる環境があります。
夏の間は毎年3〜4回ほど、就寝前にパジャマで蛍を見に行くそうで、自然が家族の生活の中に溶け込んでいると感じました。
そんな充実した日々を送っている多々良さんに、臼杵市の生活で戸惑った事などがなかったかお聞きすると…
多々良さん : 地域の清掃などの出事があり、仕事で参加できない場合は不参加金を払うなどのルールがある地区もあり、驚いた事があります。他にも、地域によっては決まり事が口伝のみで受け継がれていたり、臼杵市郊外の農業の盛んな地域の寄合は男性主体でしたが、市内中心部の商業地の寄合は女性主体などの違いがあり、特色を感じました。
また、臼杵市は田舎ですので、ものの選択肢が少なくて価格が高いように感じられますが、付加価値がちゃんと含まれているように思います。例えば、地域の電気屋さんの商品は、家電量販店のように安くはありませんが、その分アフターケアがしっかりしているし、うちにお客さんを紹介してくれます。野菜についても、スーパーよりは高くても作っている人がわかるので、安心して買えます。電気は社会貢献ができる会社に、ガスは家の数件先のガス屋さんから購入しています。お金に対する考え方や価値が都会と違うというか… 必要な買い物を顔がわかる地元で行う事で、自分が使ったお金が地域内で循環していると感じられます。
他にも、田舎は車が必須ですし、ガソリン代や維持費は高いですが、買い物は近所で事足りますし、家から駅も近いので不便はありません。
困った事としては… 強いて言うなら、移住当初、臼杵市内で飲みに行く場所がわからなかった事です(笑)。地域の方に聞いた話では、武家文化の名残りらしいのですが、何の店かわからないように店の表に看板やメニューを出さないという風習があるそうです。その上、同様の理由で外から店内を見せないのが基本で、ガラス張りで中が見えるなどは好まれませんので、ドアを開けてみないと何の店かもわかりません(笑)。店の作りにも特徴があり、店内を入るとまずカウンターでその奥に小上がりがあり、大事な話はその小上がりで人目につかないように行うそうです。移住当時はSNSなどもなく情報収集ができなかったため、仕事終わりに飲みに行こうとしても難しかったです(笑)。
未来を見据えて
臼杵市に移住して以降、出身地の福岡市など他の場所に住む気は無くなったという多々良さんに、今後についてお聞きしました。
多々良さん : 結婚してから、日々の暮らしの中にしっかりした土台ができたと感じています。ずっと自らが人と人とのつなぎ役をやりながらも、自身の足が着いている場所がないような感じがしていたのですが、結婚して落ち着いたと感じています。この場所で田舎の良さを体感したので、都会に戻る事は考えていません。
夫の祖父の代から 50年以上続く関青果は、ただ単にものを売るだけではなく、地域の方々の繋がりや見守りの場所だと思います。通行量の多い道路に面しており、友人や知り合いもよく通るという環境の中で、地域の防災をはじめ、体調が悪い方をケアするなど、何かあればここに来て頼ってもらえる存在として、これからも役割を担っていきたいです。
移住を希望する皆さんへアドバイス
子育てが落ち着いたら自分に何ができるか考えて新しい事を始められれば良いなと笑顔で語る多々良さんに、自らの経験を踏まえて移住を希望する皆さんへアドバイスをいただきました。
多々良さん : まず、どう暮らしたいかをしっかり考えてください。移住先の地域で採れる美味しい野菜が食べたいなど明確な柱がないと、移住してもまたブレて引っ越す事になるかもしれません。揺るぎない柱ができれば、比較のために色々な地域を見ておいた方が良いです。私はグリーンツーリズムなどを通じて九州内を見て回ったので、感覚が研ぎ澄まされました。色々な移住候補地を自分の目で見て確かめて感じる事で、間違えのない選択をして欲しいです。
他にも、都会では問題ないですが、田舎だと人脈がないと色々と難しい事があります。例えば物件探しですが、田舎であればある程、市役所の担当者と一緒にその地域の区長さんに挨拶して探すなどが必要となります。元々住んでいる住人目線だと、新しい移住者を迎えること自体日常が変わってしまう不安などもあるため、コミュニケーションを取って払拭しないといけません。私のような移住者が地域の人と連携して活動していくためには、人脈と信頼関係を築いていく事と、やりたい事を実現するための適度な自由が大切です。移住先の地域に受け入れられたいと思うのなら、まず移住先の地域を心から受け入れましょう。日々の挨拶を欠かさず、野菜を頂く際にはきちんと感謝を伝えるなど、日々の積み重ねが重要だと思います。
最後に
家族をはじめ友人やお客さんに恵まれ、臼杵市で理想の暮らしを手に入れた多々良さん。繋ぎ役として、地域の誰もが気軽に立ち寄れる縁側みたいな感覚の店づくりをしていき、この場所から色々な事を発信したいと語る彼女からは、地域や周囲の方々への深い愛情を感じました。皆さんも臼杵市に足を運ぶ機会があれば、ぜひ関青果・関乃家に立ち寄って、彼女の言葉に耳を傾けて下さい。きっと面白い話が聞ける事でしょう。