取材者情報
大阪府で生まれ育ち、都会での生活に慣れ親しんでいた片岡さんですが、ある日突然夫の出身地である杵築市へ移住する事になったそう。はじめての田舎暮らしや農業を経て、子育てしながら起業したこれまでの経験をご紹介できればと思い、(有)オレンジ農園を訪ねました。
移住に至る経緯・大分県に決めた理由
生まれも育ちも大阪という片岡さん。一生大阪で過ごすだろうと考えていた彼女は、生命保険会社の事務として働き、サラリーマンの夫との結婚をきっかけに退社して子宝にも恵まれたそう。
片岡さん : 結婚後に家を建て、出産後落ち着いたら復職しようと考えていました。ところが、長女が2歳の時に、夫から郷里の杵築市で家業である農業をしたいと告げられました。
かなり迷いましたが、子どもの生活を一番に考え、1年半後の2002年に移住しました。
2022年3月に移住して20年目を迎えた片岡さん。移住について、今思えばという事があるそうです。
片岡さん : 都会での生活しか知らず、農業や田舎暮らしが全く未知のものだったため、移住できたのではと思います。事前に知っていたら移住できなかったかも(笑)。
仕事がないなら起業しよう
こうして杵築市に移住した片岡さん。当初は実家の農業を手伝っていたそう。
片岡さん : 移住後は子育てを中心に考えながら、今までのスキルを活かせる企業に就職しようと思い探しましたが、杵築市には事務系の仕事がありませんでした。求人がある大分市内には通勤だけで1時間かかってしまうので、まだ子どもが小さく急な発熱などに対応できないと考えて、断念しました。
そのため、できる範囲で実家の農園を手伝っていましたが、朝から晩まで頑張ってもわずかな収入にしかならないと身を以て知りました。大阪に暮らしていた頃と比べると収入が減少したので、移住2年後の2004年に一念発起して起業しました。
移住するまでは会社員としてキャリアを積んできた片岡さん。起業する事について不安はなかったかお聞きすると…
片岡さん : あくまで子育てメインで、大きな損を出さねければいいぐらいの感覚でした。自分の会社であれば、子どもに何かあった際も対応できると思いました。
起業後はまずハーブの栽培・販売事業に取り組んだという片岡さん。
片岡さん : 貝塚市に300坪のビニールハウスで栽培するハーブ農家の知り合いを視察し、採算が取れる事を確認しました。
夫や両親も好きに使っていいと言ってくれた、実家の農園内に余っていた1棟のビニールハウスを利用して、業務用ハーブの栽培に着手しました。スペアミントからスタートしたのですが、徐々に安定した売り上げが確保できるようになり、それだけで年商1,000万円に達するようになりました。
子どもが通っていた保育園のママさん繋がりで、常時6名・繁忙期には10名のパートさんに協力していただき、ハーブをパックして大阪中央市場に出荷しました。品質はもちろんですが、皆さんが丁寧に梱包してくれるので見た目も良く、大変好評でした。
順調だったハーブ事業ですが、2015年に終了したそうです。
片岡さん : 大手食品会社がハーブ事業に参入してきたことから、大量生産で低価格のため競争に勝てないと感じ、撤退する事になりました。
ハーブ事業を終了した後、何をはじめようか悩んだという片岡さん。
片岡さん : これからどうしようかと考える中で、家業の農園の規格外品に目を付けました。収穫の際には出荷できない規格外品がたくさん取れるのですが、規格品の3分の1の値段でJAが買い取ってくれる以外にマネタイズの手段がない状況でした。常々そういう収穫物がもったいないと感じていましたし、農業の6次産業化にも興味があり、加工品の製造販売に取り組む事にしました。
食品加工の経験はなかったので、大分県産業創造機構から講師を派遣して頂いたり、杵築市や杵築市商工会からは補助金を頂いて機械を導入したり、大分県から商談会に誘っていただいたりと、周りに支えて頂きながら事業化できました。
ハーブをパック詰めしていたスペースを加工所にし、2017年7月からかぼすゼリーの販売をスタートしたそうです。
岡さん : かぼすゼリーの試作を進めていたころ大分県が主催の「おんせん県おおいた味力おもてなし商品コンクール」に出品しました。すると、大分空港や別府湾SA様の担当者の方に気に入ってもらえ早速お取引きさていただくことになり、7月から販売スタート、1ヶ月で1500個販売できました。
令和元年7月には国から地域の農林水産物の利用促進に関する法律に基づいた総合事業計画の認定を受けました。
スタートして5年になりますが、全て杵築市産の原材料を使用しながら、商品アイテムを増やしています。経営者として私が他の方に対して気を遣ってしまう性格なので、機械を積極的に導入するなどして、従業員1名・繁忙期にはJA女性部や学校のママ友の方などにパートさんとして手伝ってもらいながら製造販売しています。
移住後の住まいについて
現在は杵築市に密着した事業に取り組む片岡さんですが、移住前は田舎に住む事への抵抗があったそうです。
片岡さん : 移住にあたって、大阪の生活とのギャップを考慮して、当初は大分市や別府市に住もうと考えていましたが、夫が農業に取り組むにあたり、市外から農園まで通うのは大変だという事で、杵築市に住む事になりました。
両親とは別居かつ私は農業をしない条件で、幼稚園から高校に至るまでの子どもの通学を一番に考え、実家から車で5分くらいの八坂地区に家を建て移り住みました。
杵築市は市内に駅が3ヶ所あり、大分空港に車で20分ほどで足を運べるなど、田舎の割に交通の便が良く、特に私が住んだ八坂地区は学校やJR特急停車駅の杵築駅の駅が近いので、別府市や大分市の学校に通学できるのが一番の魅力だと思います。
杵築市での暮らし
元々登山やキャンプなどが趣味という片岡さん。大阪に住んでいた頃から、年に数回大分県へ帰省する度に、山を見ただけで興奮していたそう。
片岡さん : 現在はくじゅう連山などにグループで登山やキャンプに足を運んでいます。大分県は自然豊かで、色々な山があるので満喫しています。
杵築市はアクセスが良いため、もう一つの趣味であるロックのコンサートにも、県内のみならず福岡県や愛媛県、遠くは大阪まで足を伸ばして楽しんでいます。
残念ながら義父は亡くなりましたが義母は元気そのもので、介護などはないので、好きにさせて頂いています。
仕事に趣味にアクティブに活動する片岡さんに、杵築市についてお聞きしました。
片岡さん : 移住して最初は地域の慣習に驚きました。今はだいぶ簡略化してきたのでほっとしています(笑)。杵築市は昔ながらの城下町なので、保守的で男性が強く、独特な文化が色濃く残っていると感じる事もあります。
大都市と比較すると教育のペースはのんびりですが、JRを使えば大分市内の高校や塾に通え、病院やスーパーなどもあり、日々の生活に事欠きません。災害も少なく気候も良いので、暮らしやすい土地だと思います。一般的になったテレワークなどに最適な場所ではないでしょうか。
杵築市内には、地元の人が気づいていないようなポテンシャルが高い資源がたくさんあると言う片岡さん。そんな彼女に、これからの展望をお聞きすると…
片岡さん : 杵築市は農業、漁業が盛んで市内のスーパーには一年中柑橘類が並んでいます。ハウスみかんの生産高は全国上位で、いちごの生産高は県内で一位、漁業ではハモや牡蠣の漁獲量も多く驚くほど安価で購入できます。明治時代から続いている味噌醸造元や木製品、履物屋など古くからの技術を受け継いだ商店も健在です。このようにポテンシャルが高いのに、地元の人たちは気づいてない方が多く、道の駅のような大型直売所がないのがとてももったいないと思っています。
(有)オレンジ農園の「農家のもったいないを解消して食品ロスを削減する」という企業理念を実践して、社会課題であるフードロス問題の解決の一翼を担いたいと思います。
今までの活動が浸透したおかげで、規格外品などを持参してくださる農家さんが増えてきましたが、現在の作業場のスペースでは限界を感じています。いずれは拡張し、より多くの農家を受け入れて事業規模を拡大する事で、地域に貢献していきたいと考えています。
移住希望者へアドバイス
移住先の杵築市で農業の6次産業化に取り組み、活躍を続ける片岡さんに、これから移住したいという方へのアドバイスをいただきました。
片岡さん : 子どもさんがおられる方は子育てがしやすいところを選ぶと良いと思います。その際は、子どもが小さい時だけではなく、高校を卒業するまでの事を考えてください。大分県では高校から下宿するケースが珍しくありません。先々まで見通して移住先を選定した方がいいと思います。
病院が近いなどライフラインの利便性や、交通アクセスの良さなども重要だと思います。
また、就農を希望する方には、ファーマーズスクールで農業研修を受けながらお給料を頂ける制度もありますので、是非利用して欲しいと思います。
私のお勧めは、杵築市のような便利な田舎です。
最後に
移住者だからこそ持ち得た視点を活かして、地域で埋もれていた資源に目を向け、農業の6次産業化に取り組み、フードロスという社会問題の解決に取り組んでいる片岡さん。それまでの地域の慣習を打ち破り、新たな道を切り開いてきたその姿は、移住者だからこそ輝ける場所があると教えてくれるようだと感じました。