大分移住手帖

町全体が実家。ものづくりと自然を嗜む竹田暮らし。

Tomomi Imai

取材者情報

お名前
黒阪 旅人
出身地・前住所
出身地:東京都杉並区
前住所:千葉県
現住所
竹田市
職業
地域おこし協力隊

東京生まれ、竹田育ち。歌手を志しつつ、機械工学を学ぶために上京した黒阪さんは、少年期を過ごした竹田市にUターンしました。ものづくりと自然が大好きで、笑顔が素敵な元気な町のお兄さんとして、町から愛されている彼にお話を伺いました。

父の転勤で移住した竹田市で自然を嗜む。

高校山岳部時代、同級生と山頂にて。

生まれは母親の実家である東京都杉並区。自転車で海外も旅するような父親のおかげで、福島県、宮城県、東京都での暮らしを経て、黒阪さんが小学校1年の時に、家族で縁もゆかりもない竹田市に移住することになったそう。

「父親の同級生がたまたま竹田市内の高校で演劇関係の活動をするということで、それに興味をもった父が移住を決めたようです。父のルーツは北海道、母方は東京都なので、九州について何の知識もないままの移住でした。」

中学の頃はソフトテニス部だったものの、竹田市内の中学校の文化で、部活後に有志が集まって駅伝の練習をするということも。高校では山岳部に所属。黒阪さんが通っていた竹田高校には、本格的なクライミング練習施設があり、周辺の山にもよく登っていたそうです。

竹田城下町内の夏越し祭りにて。太鼓を叩いているのが黒阪さん。

 

歌手の夢を辞め、機械工学を学びながら、地域に関わる。

ボーカルスクール時代の写真。

高校卒業後、歌手を目指して上京を決めた黒阪さんはボーカルスクールに通うなど頑張っていたそう。オーディションを受けましたが、いまいち花咲けずに断念。好奇心豊かな黒阪さんは、これをきっかけに海外1人旅をしつつ、フランスで話題になっていた巨大な動物型ロボットを作る工房も訪れました。

フランスの造形製作団体 La Machine の工房を訪れた時の写真

その後「機械工学に加えてデザインも学んでみたい」と大学院進学を決意。ちょうどその頃、「西千葉工作室」というものづくりができるファブスペースが大学の近くにあることを知り、ここに関わるようになったのだとか。

「メーカーズムーブメントと言って、3Dプリンタのような本格的なものづくり機器を一般の方が気軽に使えるような施設が増え始めた頃に、大学の先輩が自分の通っていた大学の近くに作ったのがこの工作室でした。ここでワークショップを企画したり、機械の使い方を教えたり。学生時代に限らず、社会人になった後も、ここに通って活動をしていました。」

この活動を通して、徐々に“まちづくり”や”地域”ということに興味を持ち始めた黒阪さんは、ぼんやりと「“まち”に関わるのであれば、育った地元の竹田市にも関わりたいな」と思っていたそうです。

西千葉工作室でオリジナルミニ四駆大会を仲間と開催したときの写真。左奥の黄色ハチマキが黒阪さん。

帰省する度に、変わっていく地元が楽しそうで。

同じような頃、地域おこし協力隊制度が始まった竹田市では、この制度を通じて移住してくる人たちが町を盛り上げ始め、またUターンで戻った先輩がレストランを開くなど、徐々に面白さが増していたそう。帰省する度にそんな人たちとも交流する中で、就活で迷っていた黒阪さんにとって、とても刺激になったのだとか。

「ゲストハウスを開業したり、まちづくり会社ができたりと、すごく面白いことが起こり始めていて、ワクワクしたんです。直ぐにでも地元に戻って活動したい!と思いましたが、相談した竹田市の先輩方から、少し社会経験を積んでから戻っても遅くはないよとアドバイスをもらったので、もう少し関東で頑張ることにしたんです。」

学生時代に学んだことや、ヨーロッパ渡航の経験をきっかけに東京にあるオモチャ会社に就職し、商品の企画開発に携わりながら、引き続き西千葉工作室に通う日々を過ごしていたそうです。

帰ってきた時にどんな仕事をするかが悩みだった。

帰省の中でお付き合いが始まった今の奥様と結婚したのを機に、帰るイメージも徐々についてきた黒阪さんですが、帰ってくる上で悩んでいたのは「仕事」だったのだとか。地元に残っている多くの同級生はほとんどが公務員になっていましたが、好奇心旺盛な黒阪さんにとって、拘束時間が決まっている仕事にいきなり就くことに違和感があったそうです。

「帰る上で、自分らしく自由なスタイルで働けないかと考えていました。既存の仕事にはそういった場所は見当たらなかったので、もう少し時間をかけて模索したいと思い、地域おこし協力隊制度を利用することにしました。」

竹田市の地域おこし協力隊制度では家賃補助も出るそうで、これを活用して市内に夫婦2人でアパートを借りて住んでいるそうです。

「城下町内の物件価格は比較的高いですが、この家賃補助でまかなえています。竹田に移住した先輩に紹介してもらい、賃貸アパートに決めました。家族世帯が住むくらいの広さがあるので、暮らしやすいです。」

この町に帰ってきたことが夢みたい。

城下町を背景に奥さんと。(画像:©️KOJIMA NAOTO)

竹田市に帰ってきて、まず思ったのは「本当に地元に帰ってきたんだなぁ」という黒阪さん。当時就職していた会社は比較的大手で、かつ企画開発という部署は専門職でもあるので、仕事自体は面白かったものの、自分の育った故郷のまちでもう一度生活したいという思いが強かったそうです。

「高校を卒業して竹田を出たときは、この町にはしばらくは戻らないだろうと思っていました。子供の頃お世話になった方々が、白髪混じりになったけれども当時と変わらず町を歩いている光景を見て嬉しさを感じました。」

竹田市自体も変わっていて、昔幼稚園だったところに新しい図書館ができたり、景色は変わったなと思ったそう。同時に、移住して自営で新しいことを始めた人たちが作る新たな町並みに、楽しさを覚えたそうです。

「高校まで育った家は賃貸で、今はそこに住んでいないので実家に戻ったという感覚は無いですが、それでいうとこの町全体が実家みたいな感覚なんです。細い道も大好きです。まさにホームタウンですね。」

ものづくりとアウトドアをキーワードに。

竹田市で育った若手カメラマン3人が手がける「TAKETA Channel

地域おこし協力隊卒業後の進路を模索している黒阪さん。市が開催したインタープリター(アウトドアガイド)講座などにも積極的に参加したことで、ものづくりとアウトドアをキーワードに、活動していけないかと模索しているようです。

現在も日頃から山登りや釣りにはよく行っていて仕事に繋げられないかと考えています。最近、城下町の仲間が面白くて写真を撮る仲間が竹田の日々の写真を撮ってインスタで発信していたり、イラストを描く仲間が展示会をしたり、スナック街のど真ん中でシェアハウスを始めたりと面白くなってきています。」

伸び伸びと自分らしくいられる今の環境が心地よい。

戻ってきてよかったことをお聞きしたところ、自分で考えたことを、自分でスケジュールを立て、町の仲間達の力を借りて形になっていくことと、町を歩けば声をかけてもらえるような今の環境のおかげで、安心して暮らせているところが良いと語ってくれました。

「戻ってきて苦労したことはあまりありませんが、帰ってすぐの頃は昔見ていた光景がなくなっていたり、シャッターが閉まっているところなどもあったので、少し寂しさは感じていました。でも、最近はシェアハウスやゲストハウスがあることで、若者や外国人などが来るようになったり、城下町内に住む20代の仲間たちが仲間を呼んできてくれるので、新しい活気が増えてきました。このおかげで、同じような価値観を持って、心地よく暮らせる仲間が増え、お互いの活動を手伝いあえるこの環境が、とても心地いなと感じます。」

最後に

一番多感な時期を竹田市で過ごし、この町に戻ってきた黒阪さんも、現在ではこの町の良きお兄さんとして多くの方々に慕われている存在の1人です。分け隔てなく関わる彼の愛嬌の良さもあって、一緒に町を歩くと色々な方々に声をかけられます。多様な経験と知識のある黒阪さんが、今後町の担い手としてどんなことを展開してくれのか、興味津々です。

WRITER 記事を書いた人

Tomomi Imai

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snufkiins LLC. 代表社員
離島移住計画 代表
Re-harmo PJ オーナー
25歳でフリーランスとして独立し、多様な分野にてプロデュースやディレクター業を経験。モノコトヒトをつなぐひと。多様な伴走を得意とする。国内外問わず事務局代行・企画編集など多様な業界を経て2018年に法人化。長崎県上五島にてキャンプ場兼カフェ「Re-harmo PJ」を展開し、島に仕事や場を作ったり。絶賛子育て中。ヨガ・サーフィン・音楽・映画・コーヒー・日曜大工が趣味。

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