大分移住手帖

温かい姫島村の人々に支えられながら繋いでいく豆腐作り。

取材 : Kaori ライティング : Misaki

取材者情報

お名前
入江清信(きよのぶ)
出身地・前住所
東京都練馬区
現住所
大分県姫島村
年齢
60歳
家族構成
父・母・弟
Webサイト
https://damalish.com/portfolio/poster_irietofu/

父が姫島村で始めた入江豆腐店を継いだ入江さん。高校卒業後は、大阪府の大手飲料水メーカーに就職したものの最終的に選んだのは、姫島村にある豆腐屋の継承でした。故郷である姫島村へUターンするに至った経緯や、島での暮らしについてお話を伺いました。

入江さんの営む入江豆腐店

ある夢のために大阪へ

入江さんが大阪に住んでいた時に、それまで大工をしていた父が実家の隣のお豆腐屋さんを継承しました。その頃、入江さんは大阪府の大手飲料水メーカーで働いていましたが腰の手術をし、このまま力仕事を続けるのは難しいと判断したことから、23歳で姫島村へ帰ることになったそうです。

入江さんは手術後6か月ほど姫島村にいましたが、以前から「お笑い芸人」にチャレンジしたかったため、勝負すると決め再び大阪府に戻ったそうです。横山やすしさんに弟子入りしようと考えていましたが、家がわからず断念。とにかく住んでいる場所の情報が入れば家を探して歩く、まさに「門を叩く」という方法を取っていました。

入江さん:弟子になりたいっていう強い思いはあったけど、度胸がありませんでした。大阪府に住んでいた頃から、吉本興業のオーディションに声をかけられていたいたものの、会社から承認を受けられず、オーディションを断念して会社を辞めて戻りました。

そんな時、芸人の東八郎さんが東京でお笑い学校一期生を募集している雑誌広告を目にし、オーディションを受けて合格したそうです。

入江さん:30代はまるまる業界に残りながら、照明の手伝い等スタッフとして活動したり、ウエイターのバイトをしながら社員として生計を立てていました。そんな時に、弟から相談がありました。

入江さんが作る温かい生豆腐

島の豆腐への想い

自身の夢を叶えるために大阪へ行く際、「島も家も離れるから、親のことも頼むし、好きなようにしてくれ」と弟に話されたそうですが、弟は結婚したタイミングで家を出てしまい、「家の豆腐屋を継いで欲しい」と頼まれたと言います。

入江さん:あのまま弟が家を継いでたら、帰るところがなかったから、姫島村にUターンしてなかったと思います。父が70歳を超えた頃に、豆腐屋を続けるのは体力的に難しいと言い出し、大好物だった姫島村の海水で作る「生豆腐」が食べられなくなるのは勿体ないという想いから、姫島村に戻ることにしました。

近所の方は入江さんの豆腐について、「すごく美味しいし、揚げも美味しい。豆腐をこす際に水っぽくなりがちだけど、この豆腐はそんなことがない。」と絶賛します。昔ながらの作り方を受け継いでいる生豆腐は、気候に左右されるため簡単に技術を身に着けられないと話します。最初はどうして上手くできないのかさっぱりわからず、少しずつポイントを押さえながら覚えていったそうです。

入江さん:手作りの生豆腐は25丁を作るのに2~3時間を要し、大量生産が困難なので、姫島村でしか売っていません。豆乳に海水を入れると、水を入れたときと違ってしっかり凝固します。そのため調整が難しく、毎日同じ生豆腐を作るには技術が必要です。

姫島村の正月は豆腐の繁忙期で約1,000丁も売れるため、正月の度に帰省して父の豆腐作りを手伝っていた入江さん。帰省した際は島中を車で回って売ったそうです。そこで住民の方々と話す機会があったからこそ、顔を覚えてもらっていてUターンした感覚はあまりなかったと話します。

豆腐作りの一コマ

姫島村は周りの人が良い

夢を抱き都会に進出したもののUターンした入江さんに、姫島村の魅力を聞いたところ、本当にいい場所だと話します。

入江さん:物静かで、人当たりもいいし、生まれ故郷で知った人も多く想像とのギャップはありません。自営業だから人に使われることがないし、組織ではないのでストレスもないです。それまでの都会での昼夜逆転の生活から一転したため身体が慣れず、20時頃には寝られませんでした。このままだったら豆腐も作れないし、どうなってしまうんだろうって思いがありましたが、周りの人に引っ張ってもらえたから豆腐屋を継ぐ決心がついたんです。本当、人との出会いだな、これがUターンのいいところだなと思いました。生まれ育った場所だから、周りや気心知れた人との関係に支えられていたのだと感じます。

東京は好きなことができてお金になるというのも良いですが、その分仕事は厳しくいきなりゼロになってしまうこともあるとのことでした。そんな華やかかつ落差のある世界を経験した入江さんにとって、Uターンは結構面白いものだと感じているそうです。

入江さん:一旦巣に帰ると、第2の人生を送ってるつもりだけどそうじゃなくて、自分を見つめるときかなと考えます。Iターンだと腹括ってこないといけないイメージだけど、Uターンは地元だから、もう一回旅立つこともできると思います。

フェリー乗り場のお土産コーナーにある入江さんの豆腐販売所

移住希望者へアドバイス

姫島村への移住を考えている人に向けたメッセージを伺ったところ、まずは何をしたいのかを決めてから来てもらいたいと話します。

入江さん:例えば、単なる骨休めで「ふらっと田舎生活をやってみたい」のであれば、お金もかからなくて良いと思います。「人との出会い」を求めて来るのもいいですし、アウェイになるのかホームになるのかは自分次第だと感じます。かといって、自分を見つめ直すのにちょっと田舎暮らしをするのも良いかなと思って来る分には、住みやすいし良い場所です。お金を使うところもあまりないし、船の時間が終わったら姫島村から出ることもできないし、夜中に考える時間があっても、1日寝たらもう1日頑張るかって思えたりもします(笑)。

入江さんの母方の実家は山の中にあり不便だそうですが、姫島村は船さえ出ていれば必要なものは揃えられ、テレビやネットも使えるため不便だとは思わないと言います。島暮らしをする中で価値観が変わり、物欲もなくなったことでお金を使いすぎることもなくなったそうです。ある人との出会いの中で電気のない生活、テレビのない生活も良いと教え込まれ、その出会いも大きかったと話します。

入江さん:私は日々の暮らしやお酒の席で姫島村の住民の方々との良い出会いがあったから、とにかくそれが良かったと思っています。商売をしているから近所付き合いが大変だとも思わないし、全員お客さんだから嫌だとも言ってられないけど、それが結果良かったです。これまでの仕事の経験が生きていて、苦労はしていません。

趣味で育てている椎茸の原木

最後に

紆余曲折あってUターンを決意した入江さんが何度も話してくれたように、姫島村は人が良いというのが最大の魅力なのかも知れません。大自然とともにゆったりと流れていく時間の中で、自分探しをしたり伸び伸びと子育てをしたり、老後を田舎で過ごすのも良いのではないでしょうか。

WRITER 記事を書いた人

取材 : Kaori ライティング : Misaki

取材 : くろき かおり
豊後大野生まれ豊後大野育ち。高校卒業後は横浜・東京にて、外資コスメ会社で経営学・マネジメントを学ぶ。その後、石垣島・オーストラリアへの移住。オーストラリアでも同ブランドで勤務したのち、2019年に大分へUターン。現在はフリーランス。趣味は映画を見ること・旅行・サウナ。

ライティング : あべ みさき
東京生まれ大分育ちで、趣味は手芸。介護福祉士として働き、長男出産を機に退職。現在は、子育てをしながら在宅でライターとして働いている。

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