取材者情報
- お名前
- 松島みき子
- 出身地・前住所
- 神奈川県茅ヶ崎市
- 現住所
- 大分県宇佐市
- 家族構成
- 4人
- 職業
- 島みき子温熱療法庵
宇佐市で生まれ、ご結婚後夫の転勤に伴い、日本各地で暮らしてきた松島さんは、夫の転勤が落ち着いてから、神奈川県茅ヶ崎市で長く暮らしました。子育てが落ち着いた頃、茅ヶ崎市の市議会議員として4期目の途中に、体調を崩した母親のお世話をする必要もあり、宇佐市で第二の人生を始めました。娘さんの死や、様々な苦労を経てもなお、逞しく生きる松島さんにお話をお伺いしました。
母親が脳梗塞で倒れたのをきっかけに。
宇佐市で生まれ育った松島さんがIターンすることになったのは、母親の脳梗塞がきっかけでした。父親は約11年前に他界し、母親は約8年間一人暮らしでしたが、病気後の独居は心配とのことで、子育てが落ち着いたのをきっかけに、宇佐市へ引っ越しました。
「夫の関係で日本各地を転々とした後、茅ヶ崎市で落ち着いていました。過去には高校の家庭科の教員などもしていましたが、縁あって市議会議員を4期勤めました。5期目も考えていたのですが、そのタイミングで母が脳梗塞で倒れ、要介護1で歩くこともままならなくなってしまい世話をするために帰ることになりました。多い時は1ヶ月に2回、茅ヶ崎市から宇佐市へ通っていたのですが、これがなかなか大変で。
宇佐市では車が無いと移動ができないのですが、車を購入しても、長期間乗らずにいるとバッテリーが上がってしまうので、近くの車屋さんにお願いして車のメンテナンスをしてもらいながらの2拠点生活を数年続けていました。ただ、移動と議会のスケジュール調整のストレスで疲れ、だんだん辛くなっていたんです。そこで、夫と話し、子育ても落ち着いていたので、宇佐市に軸足を置いて暮らすことにしました。」
空き家バンクにあった家に見惚れて、民泊を見据えて購入。
親と暮らそうと決めた頃、たまたま空き家バンクをみていた時に気に入った現在の古民家を購入し、ここで暮らすことにした松島さん。古民家は別荘のつもりだったそう。普段から物件情報を見るのが趣味で、宇佐市の空き家バンクを見ているうちに、その中で一際面白い物件に見惚れてしまい、今の家の購入を決意しました。
「物件情報の中に、お屋敷のような家があったんです。蔵や庭、果樹園など敷地内に色々な箇所がありました。今後民泊などもできそうだと思い、購入しました。」
購入した家の蔵は、税金がお米だった昔、町の米貯蔵庫でした。また、この場所が周辺の子どもたちの最初の小学校の機能も備えていたのだとか。そんなお屋敷を空き家対策の制度を活用して購入後、自ら冊子も作った松島さん。売主さんや町の方々からのヒアリングを元に、丁寧な文章が添えてあります。
「床がベコベコだったり壁や天井が汚れていたので、補助金なども活用し直しました。エアコンや、床の歪み、天井のクロス替えなどです。民泊も見据えてベッドなども用意し始めています。その他家電やタンス、ソファなどは元々あったものを使って良いということになり、状態が良いのでそのまま使っています。」
田舎だけれどアクセスの良さがある。
今の地域に暮らし始めてから、案外アクセスの良さがわかったと言う松島さん。徒歩圏内には大分空港へ向かうバスがあり、このバスが途中宇佐市役所を経由するため、ワイン祭のイベントにも行きやすく、都合が良いと言います。また、高速道路の乗り口も周辺にあり、暮らしやすいのだとか。
「民泊を始めたら、駐車場問題があるなとも思いましたが、近くの売地の持ち主に相談したら快く土地を開放してくださったので、来客がある際はそこを駐車場として使えるので便利です。宇佐神宮や四日市なども比較的近いので、観光面でも良い立地にあるなと感じます。」
ローカルルールの難しさや厳しさを経験。
町に暮らし始めるにあたって、実は苦労が多かった松島さん。空き家対策の制度を利用し、宇佐市の担当者に連れられて、区長などに挨拶し、郷にいれば郷に従えとの思いで、当初言われた通りに対応していたそうです。しかし、独特の風習や、俗人的なルールなども多くあり、かなり苦しんだそう。
「移住してすぐの頃、宇佐市の担当者が区長へのご挨拶を促したので、一緒に行きました。その際に変なところはありませんでしたが、その後関わっていく中で、結構苦労することが多く起きました。例えば、この地で市議会議員になったら良いと言われ、頑張ってみようと思いました。古い風習を理解しないままに通常の選挙と同じように出馬しましたが、惜しいところで落選。その他にも、今まで住んでいた地域では全く考えられないことが多く起こり、一時は自律神経失調症のような症状が出るなど、疲弊していました。」
町の古い風習に慣れず、トラブルへの対応をしている最中に、カナダで暮らしていた娘さんが、病気により亡くなってしまいました。精神的に追い詰められた時があったという松島さん。夫や理解のある宇佐市民の方々、以前からの友人などに助けられながら、町に浸かりすぎないことが、自分らしく暮らせる一つのコツだと語ります。
「距離感を大切にすることで、お互いが暮らしやすい範囲を担保できていると感じています。」
娘さんの病気をきっかけに学んだ温熱療法と管理栄養士の仕事。
ローカルルールに翻弄されながらも、先住していた移住者などに助けられながら、現在は自分のサイズを少しずつ見出して暮らしている松島さん。2016年に資格を取った温熱療法と、元々持っている管理栄養士の資格を活用し、移住前から個人向けに続けてきた「温熱療法庵」と近くのデイサービスで管理栄養士としての勤務が、現在の生業の中心です。
「市議会議員にはなれなかったのと、移住初期のトラブルと、母の介護、娘の死などでかなり疲れ果ててしまったため、自分の暮らし方や仕事について見直し、もっと自分らしい生業で暮らそうと思うようになりました。その頃、母の介護の関係で通っていた病院で紹介してもらったのが、子供からお年寄りまで通う共生型デイサービス施設でした。ここで管理栄養士をする中で、良い人に囲まれ、塞ぎ込んでいた気持ちも少しずつ明るくなってきました。また、休止していた温熱療法は、食材が豊富な宇佐市で育ったものを使って改めて再スタートしようと思い、ようやく準備が整ったところです。」
自分サイズで心地よく暮らしていきたい。
トラブルを乗り越えながらも、逞しく暮らしに向き合ってきた松島さん。今後は、町の古い風潮に囚われずに、周辺の方々とも良い距離感を保ちながら、自分らしく暮らしていきたいそうです。そんな松島さんのご自宅のお向かいにも、新しい移住者の方々が増え始め、町にも新しい空気が少しずつ入って来るなど、町自体も変化の時を迎えているようです。
「古い風潮に振り回されて暮らし辛くなるよりも、潔く捉えて自分の暮らし優先で行こうと決めました。良い文化は取り入れつつ、同じ移住者や、価値観の合う町の方々と共に、自分らしく自由に暮らしていこうと思っています。移住にはトラブルが付き物だとは思うので、1人で解決しようとせずに遠慮せず周りを頼り合いながら、少しずつ暮らしやすさを作っていきたいですね。」
最後に
娘さんの死や、町とのトラブルなど多くの苦難を乗り越えながらも、逞しく自分らしくあろうとしている松島さんの凛とした姿に、とても元気をもらった取材でした。移住は良いことばかりではなく、悔しいことや困りごとも大小多くあります。解決しにくい環境や昔からのルールなどにより、一筋縄では行かないことの方が多いかもしれません。そんな中でも、松島さんのように、頼るべき人を頼りながら、自分でも知恵と知識をつけて行き、手に職を持つなどして、自分の暮らしを手応えを持って作っていくパワーも大事なのだと感じました。