取材者情報
- お名前
- 麻生 陽介
- 出身地・前住所
- 三重県松阪市、東京都江戸川区、大阪府堺市堺、別府市、杵築市、大分市
- 現住所
- 津久見市
- 年齢
- 42歳
- 家族構成
- 単身
- 職業
- 津久見あじまる
津久見市出身の麻生さんは、希望の職種で働くため都会に出るも、帰省の際に地元の良さを感じてUターンを決意したそうです。そんな彼から都会と地元の違いや現在の暮らしについてお聞きしたいと思い、彼が営む「津久見あじまる」に足を運びました。
望郷の想いを生んだ地元の花火
津久見市で生まれ育った麻生さんは、高校卒業後に大阪府に転出するも、20歳で地元に戻り、25歳から再び県外で就職したそうです。
麻生さん : 津久見市特有の石灰石・セメント産業関係の企業には、私が就職したかった事務系の仕事はありませんでした。そこで、希望の職種があった人材派遣会社からスタートし、その後県外企業の総務・人事部門に従事しました。
東京都や大阪府などの都会で10年間生活する中で、望郷の思いが湧いてきたそうです。
麻生さん : 都会は物価や家賃が高い上に日々の仕事に追われ、気持ちに余裕がない状態でした。更に年2回の帰省では移動にお金や時間が必要で、負担に感じていました。
そんな時、有名な「つくみ港まつり 納涼花火大会」で打ち上げられる花火を見て、地元の良さを実感しました。歳を重ねるにつれ、Uターンを真剣に考えるようになりましたが、仕事面では今までのキャリアを捨てる不安要素も大きく、最終的な判断までには長い時間を要しました。
仕事面については、近県の福岡県や熊本県は企業が多く、これまで培った総務・人事の求人が豊富で魅力的でしたが、せっかく思い切った決断をするのであれば、私が一番希望する大分県への移住を実現したいと考えました。
こうしてUターンした麻生さんですが、津久見市には戻らず、大分市・杵築市・別府市で事業を展開する企業に就職したそうです。
麻生さん : 大分県に戻ってきてからは、ご縁があって調理師の先輩の起業を手伝うことになり、介護施設の給食事業で調理を学びました。この時の経験が現在の飲食業に活かされています。
偶然からスタートした飲食店経営
こうして大分県に移住し、幅広い業務に従事していた麻生さん。たまたま津久見市に帰省した際に足を運んだ知り合いの居酒屋経営者から、閉店するという話を耳にしたそうです。
麻生さん : これまでの管理業務や調理の経験を基に、大分市や別府市での開業・独立を考えていた頃で、まさに渡りに船の話でした。居抜きで引き継げるように話をして、津久見市へUターンし2018年に開業しました。その際は、津久見市の商工観光移住定住推進課の方々にアドバイスを頂くなど大変お世話になりました。
コロナの影響もあり、引き継いだお店は2022年に閉店しますが、2020年に「津久見あじまる」を開店し、一時期は二店舗を経営されていたそうです。
麻生さん : 「儲けよう」と考えると厳しい部分があるので、潰れないお店を作って、多店舗展開したいと考えています。また、地元で開催されるイベントに出店して、地域を盛り上げたいと思います。
空き家バンクで見つけた住まい
念願だった故郷の津久見市へUターンした麻生さん。現在の住まいは空き家バンクで見つけたそうです。
麻生さん : 物件を見つけた当初は、土地・建物付きで50万円と破格過ぎて、事故物件かと勘違いしたほどです(笑)。事情を伺うと、売り手の方は他に住居があり、処分したくてたまらなかったとのことでした。
また、中心市街地から自転車で10分ほどの立地で駐車場がない物件なので、県外の移住者希望者の利用が多い空き家バンクでは、土地勘がなく周辺の生活環境が把握できないため、売れ残るのではと所有者の方は心配されていたそうです。
築40年の2階建て一軒家を土地・建物を売買で取得し、風呂場やトイレ等の水回りをリフォームしました。その際は、津久見市移住者居住支援事業補助金を利用させていただき、少ない自己負担で住まいを確保することができました。
こうして新しい生活をスタートした麻生さんですが、予想外の出来事もあったそうです。
麻生さん : 裏に山があるためか、そんなに離れていない実家では見たことがなかった百足やゲジゲジなどの害虫が家の中に現れ、衝撃を受けました(笑)。
地域の担い手として
県内外での暮らしを経てUターンした麻生さんに、改めて津久見市の魅力をお聞きしました。
麻生さん : 生活面では、新鮮な食材が身近で手に入ることだと思います。街のスーパーや鮮魚店では、他の地域と比べるといつも新鮮な魚が安く手に入ります。海が近くにあるので、釣りを気軽に楽しめます。
人間関係やコミュニティの面では、私の周りの若い世代をはじめ、まちおこしや地域の活性化などに取り組む団体・個人が多く、みんなで津久見市の将来について積極的にアクションを起こし、様々なイベントなどを行っています。どの団体も参加の意欲さえあれば「来るもの拒まず」で受け入れており、様々な活動を通じて多くの方と知り合うことができました。時には、地域のお祭りに御神輿の担ぎ手として参加することもあります。コンパクトな街なので、市長や市議会議員や市役所職員の方々が相談できる距離にいて、私達の声や想いを伝えることもできます。
また、大分県は全国的にも珍しい「隣保班」の付き合いが残っており、地域の祭りや昔ながらの行事などが残り、身近に参加できる色々なコミュニティが溢れています。その中でも津久見市は狭い町なので、人と人が繋がりやすく皆さん良くしてくれます。都会では人が多いと近所付き合いが希薄になりますが、田舎ならではで気に掛けてくれる方が多いと感じます。
そして、私が思う津久見市ならではの魅力といえば、高校野球だと思います。過去に甲子園春夏優勝経験がある津久見高校を応援する津久見市民は、高校野球の熱が強く、県大会の決勝戦の際にはみんながテレビに釘付けになるため、市内の交通量や人流が目に見えて激減するほどです。街で高校球児を見かけるといつでも元気に大きな声で挨拶してくれます。身近に感じる高校生たちが頑張っていることが、私達の励みになります。熱心な方だと日々の練習や週末の練習試合を欠かさず見学される方もいるくらいです。高校野球ファンにはたまらない町かもしれません。
最後に、私自身のUターンを決断する一つの材料になった、県内外から人が集まる「つくみ港まつり 納涼花火大会」は大きな魅力です。迫力ある花火をぜひ一度見に来てください。
今後はより一層、街の活性化に注力したいと麻生さん。地域の少子高齢化や人口減少、中心市街地の空洞化などの問題を解決したいと考えているそうです。
麻生さん : 地域の担い手の減少や商店主の高齢化に伴い、商店街はシャッター通りになり、商店街組合の活動の機会が減っています。その上、コロナの影響で停滞を余儀なくされ、今こそ地域を盛り上げていかないと、いずれ街の衰退により自分達の店に影響が出るかもという危機感があります。
地域活性化のために、私のお店がある海岸通に新たな商店街組合を作ろうと話し合いを行っています。フォークグループ「かぐや姫」や「風」で活躍した津久見市出身のシンガー・ソングライター 伊勢正三さんの楽器・楽譜・レコード・写真や愛用品等を展示するミュージアム「海風音楽庵」の開業に合わせて、海岸通に整備された角崎公園のプレオープン記念イベントを開催する中で、長らく途絶えていた夜市を復活するなど、新たな活動が実を結んでいると思います。
また、津久見市飲食店組合の副組合長としての活動にも取り組んでいます。元々理事だったのですが、古株の先輩方から「素早く物事を判断できるポジションの方が良い」との助言をいただき、副組合長に就任しました。2年目になりましたが、情報発信など積極的に展開しています。
津久見市には大企業がありそこで働く若者はいるのですが、隣接する臼杵市や大分市を中心に暮らしている方が多く、津久見市の土地に生活基盤がないケースもあるようです。今後は地元の住民だけでなく、こういった津久見市に所縁のある方もまちづくりに巻き込んでいきたいです。
移住希望者へアドバイス
県外での暮らしを経て、津久見市で飲食店経営からまちづくりまで精力的に活動を続ける麻生さんに、移住を希望される方へのアドバイスを頂きました。
麻生さん : どの地域でも、困ったことがあれば相談できる地域住民がたくさんいます。色々な方々を紹介してつないでくれたり、時には力を貸してもらえるはずです。移住候補地の市町村の窓口に相談したり、事前に補助制度を調べるなども大切だと思います。
津久見市に関して言えば、私にとっては生まれ育った街で、ただの地元自慢になりますが、温かい人々・美味しい食材・高校野球・花火大会・釣り好きには海・山好きには豊かな自然があり、とても良い田舎です。魅力溢れるところだと思うので、ぜひ体感してみて欲しいです。
最後に
県外からの帰省時に感じた地元の良さをきっかけに、津久見市へUターンした麻生さん。縁や偶然で新たな展望を切り拓いたように話す彼ですが、しっかりした想いを紡ぎ行動していたからこそ、実現できたのではないでしょうか。移住やまちづくりについて話を聞きたい方は、ぜひ海岸通にある「津久見あじまる」へ足を運んでみてください。