取材者情報
- お名前
- 寺尾 悠司
- 出身地・前住所
- 出身地:福岡県北九州市若松区
前住所:福岡県北九州市戸畑区
- 現住所
- 豊後高田市
- 年齢
- 41歳
- 家族構成
- 妻 娘2人
- 職業
- 悠々クリーン
- https://www.instagram.com/yuuyuuclean/
都会で会社員として働きながら子育てに奮闘していた寺尾さんは、より良い環境を求めて豊後高田市へ移住したそうです。様々な地域活動やイベントに参加して繋がりを作り、今では地域社会にすっかり溶け込んでいる彼から、移住に至るまでの経緯や現在の暮らしについてお聞きしたいと思い、彼の元を訪ねました。
より良い子育て環境を求めて
寺尾さんは北九州で生まれ育ち、福岡市内にある大学を卒業後、福岡市や長崎県諫早市で営業職として働いていたそうです。休日は釣りなどの趣味を楽しみながら、後に結婚する交際相手と出会うなど充実した日々でしたが、利益を追求しなければいけない会社員の生き方に疑問を感じていたそうです。
寺尾さん : 24歳の時に、偶然交通事故を目撃しました。信号待ちで停車していた車に、後続車が追突し、被害者は施設で暮らす身寄りのない障がい者でした。現場から逃走した加害者のナンバーを目撃していたこともあり、少しでも被害者の助けになればと思い、全面的に協力しました。その際に、被害者に大変感謝され充実感がありました。その経験から、社会や人の役に立ちたいと考え、警察官を目指しました。
仕事をしながら1年間勉強し受験したものの、結果は不合格。仕事を辞めて更に1年間集中して学んで受験するも、残念ながら不合格だったそうです。
寺尾さん : 警察官になるという夢を諦め、北九州市に戻り製鉄所関係の会社員として働きました。長崎県で暮らしていた交際相手と暮らし、結婚して子宝にも恵まれました。
こうして自らも生まれ育った北九州市で子育てをする中で、新たな悩みを抱えたそう。
寺尾さん : 管理職候補になり仕事は順調でしたが、住んでいる地域は喘息持ちの子どもにとって適した環境か疑問を感じるようになりました。父親がキャンプやアウトドアが好きで小さい頃から自然に慣れ親しんでいましたが、時代的なものもあり、私の子どもは公園で花火やBBQなどを楽しめていませんでした。そこで自然豊かな環境への移住を考えるに至りました。
移住について調べる中で、縁もゆかりもない豊後高田市を知ったそうです。
寺尾さん : スマホを使って「移住」をキーワードにして調べていたら、豊後高田市が上位に表示されます。田舎暮らしの本にも同市への移住者の記事が多数掲載されており、自然と興味を持ちました。北九州市から豊後高田市まで2時間ほどの距離というのも気に入りました。
当時、豊後高田市で開催されていた移住体験バスツアーへの参加を含め、移住するまでに10回ほど現地を訪ねた寺尾さんは、足を運ぶ度に魅了されたとのことです。
寺尾さん : 豊後高田市は海や山に恵まれ、町の雰囲気も良く、自然豊かで住みやすい田舎だと思いました。中心部には官公庁やスーパーがありコンパクトで利便性が高く、道路も整備されていて、北九州市や大分市や別府市などへのアクセスが容易で大分空港も近い。市役所の移住担当者の対応も素晴らしく、好印象でした。
私が子どもの頃に家族で出かけた島根県への移住も考えたのですが、最初に足を運んだ豊後高田市があまりに良かったため、訪れることはありませんでした。
妻は都会的な生活を好み移住に前向きではなかったのですが、時間をかけて自然と都市が調和した豊後高田市の良さをアピールし、説得しました。
こうして、2015年に7年間住んだ北九州市を離れ、豊後高田市への移住を決断した寺尾さん。当時の心境をお聞きすると、こんな答えが返ってきました。
寺尾さん : 強いて言えば、地域の人々との人間関係や収入、私達家族に田舎暮らしに馴染めるかという不安はありましたが、それよりもワクワクする気持ちが大きかったです。
移住の際には、子育て世代いらっしゃい引越し応援事業・ウェルカム未来の高田っ子応援金・空き家バンク事業・空き家リフォーム事業を活用したそうです。
会社員から起業するまで
豊後高田市で新生活をスタートした寺尾さん。当初は会社員として働いていたそうです。
寺尾さん : 豊後高田市で最初に就職した企業は、ハローワークで見つけました。収入は移住前の仕事と比べると大幅に減りましたが、子育て環境を最優先した結果ですので、仕方ないと割り切っていました。
そんな中、寺尾さんが将来を考える中で、新たな想いが生まれたそうです。
寺尾さん : 私はまずゴールを設定してから、物事を考えます。2016年に自分のこれからの人生について考えた時、終の暮らしの際は「孫と中央公園で遊んで、商店街で買い物して、自宅で眠るように死にたい」と思いました。
豊後高田市の知り合いに聞くと、仕事が少ない田舎での就職は難しい面があるため、ほとんどの子どもは都会で就職し、そのまま帰って来ない様でした。
それを踏まえて、我が子には大学などでまず外の世界を知ってもらい、その上で豊後高田市に戻って欲しいと思いました。企業での就職が難しいのであれば、豊後高田市で起業してもらえればと。
そうなった際、子供に起業した大人の姿を見せられるように、自ら起業したいと思いました。そこから4年間は意識を高め時流を見ながら、何で起業するか色々と検討しました。
2019年にハウスクリーニング業が伸びると商機を見出して、大分市で同業を営む先輩に弟子入りしました。普段は会社で働きながら、休日のボランティアとして経験を積み、エアコンクリーニングなどのノウハウを学びました。2020年1月にコロナの影響で一旦保留しましたが、リモートワークの普及により需要の伸びを実感し開業を決意して、2020年9月に起業しました。
こうして新たな世界へ飛び込んだ寺尾さん。豊後高田市は競合他社が少なく、リピーターが多いため、順調に業績を伸ばしているそうです。
タイミング良く出会った一軒家
豊後高田市に移住してからは、ご家族で同じ一軒家にずっと住んでいる寺尾さん。タイミングに恵まれ、すんなり決まったそうです。
寺尾さん : 移住体験バスツアーに参加した際に、その直前に空き家バンクに掲載されたばかりの物件を実際に見学することができました。住居は6DKで、160坪の敷地に畑や倉庫があり、すぐに気に入りました。
以前の住人が20年間住んで、その後15年空き家だったそうですが、当時の管理者がこまめに足を運んで手をかけていたおかげで、綺麗で家の傷みがあまりありませんでした。そのため、畳と襖の交換のみを行い、水回りを中心としたハウスクリーニングを入れる程度で住むことができました。3年間は賃貸で、その後購入しました。
理想の家に住むことができた寺尾さんですが、苦労している部分もあるそうです。
寺尾さん : 広い敷地のため、庭の草刈りに四苦八苦しています(笑)。最初は手作業でしたが、あまりに大変だったので草刈機を購入しました。
積極的に地域と関わる
生まれ育った北九州市での生活では、隣近所とは挨拶程度だった寺尾さんですが、現在は積極的に地域と関わっているそうです。
寺尾さん : 豊後高田市ではコロナ前までイベントが沢山あり、祭りで神輿を担いだり、消防団として活動したり、地域行事に子どもと足を運ぶなど、積極的に地元と繋がっていきました。色々なことに積極的に参加することによって、様々な世代の皆さんと知り合うことができました。子どもに様々な人と接し広い視野を持つ機会を作れたことが、豊後高田市に来て一番良かったと妻と話しています。更には、様々な行事に参加することで自然と顔が広がり、結果的に起業後の仕事に繋がっています。「毎日が人生で一番楽しい」という暮らしを日々更新しています。
他にも、豊かな自然や行き届いた行政支援が、子どもに良い影響を与えているそうです。
寺尾さん : 豊後高田市は空気が綺麗です。子供がハウスダストのアレルギーを持っていて、北九州市で暮らしていた時は喘息の服薬が必要でしたが、移住後に自然と完治しました。妻や子どもに「そういえば最近薬を飲んでいないけど、大丈夫?」と確認したら「そういえば… いつの間にか完治している」と言う状況でした。
更に、豊後高田市は子どもの教育に力を入れており、市が運営する無料の学びの21世紀塾を利用しています。他にも、医療費が高校生まで無料で大変助かっています。
移住希望者へアドバイス
豊後高田市で理想の暮らしを手にした寺尾さんに、移住希望者の皆さんへアドバイスをいただきました。
寺尾さん : 私の場合は、子どものイベントから消防団や祭り、有志で行っている草刈りボランティアなど、様々な地域活動に積極的に参加し繋がりを広げています。
同様に、自分から地域に溶け込む意識を持って行動しないと苦労すると思います。アピールして自分から飛び込む勇気や、コミュニケーション能力が必要です。まずは、自分がどんな人間か伝えていきましょう。
移住者は転校生と一緒だと思います。こちらから心を開かないと相手は心を開かないと思うので、自分から積極的にアプローチすることを忘れないで欲しいです。
最後に
将来を見据えて自ら模索し続けた結果、豊後高田市で理想の暮らしを手に入れた寺尾さん。積極的に地域と繋がりを持つ行動力は、目を見張るものがあると感じました。取材時に、自分の話をするだけでなく相手の話に聞き入っていた彼の姿勢は、コミュニケーションを取ることが大切な移住に関して、最も大切なことではと思いました。彼が愛する自然豊かでコンパクトで便利な暮らしができる豊後高田市へ、機会があればぜひ足を運んでみてください。