大分移住手帖

西村幸洋さんと妻の啓子さん

定年退職後に選んだのは、温かい人々の住む玖珠町での暮らし。

取材 : Kaori ライティング : Misaki

取材者情報

お名前
西村 幸洋(ニシムラ ユキヒロ)
出身地・前住所
福岡市南区高木
現住所
玖珠郡玖珠町大隈
年齢
62歳
家族構成
妻(啓子)子供3人(長男、次男、長女)
玖珠町へは妻と2人で移住。子供3人はそれぞれ福岡市内在住です。

福岡市南区の自宅を手放し、玖珠町に骨を埋める覚悟で引っ越した西村さん。話の節々で、玖珠町の人の優しさや温かさについて語ってくれました。定年を迎えた西村さんが玖珠町移住を決めたきっかけや、現在の暮らしについてお話を伺いました。

春は自宅裏の桜が美しく咲く

春は自宅裏の桜が美しく咲く

大分県は身近なところ

福岡市南区で物流関係の会社に勤めていた西村さんは、趣味のキャンプや釣り・登山のために家族で大分県に訪れていたそうです。庄内町にあるキャンプ場によく足を運び、道中にある玖珠町を見る度に良い場所だなという印象を持ったと話します。

西村さん:キャンプは家族みんなでよく行っていました。最初は「なんでキャンプ行かなきゃいけないの」「虫がいるのに!」と話していた妻も、実際に体験すると「楽しかった!」と言ってくれました。無理にキャンプに連れて行ってトイレが汚い・足元が悪い雨の日に行く・テントを一緒に立てて喧嘩するなどの嫌な思いをさせたくなかったので、最初は天候が良く綺麗な場所を選び、テントも自分で設営し、子ども達は自由に遊ばせるなど、家族が満喫できるように心掛けました。各地の親戚や友達もいないところに飛び込んできましたが、大分県内を頻繁に利用することが多かったことから身近に感じていました。

南区の家は結構大きく、近隣には大型商業施設ができたことで土地価格が上がるだろうと考えていたので離れ難かったのですが、60年間突っ走ってきたのでゆったりと田舎暮らしをしたいと思い手放しました。家庭を持つ子ども達が福岡市内に住んでいるので、当初は福岡市近郊の一戸建てを探したのですが、通勤県内だと中古物件でも高くて断念しました。それから筑前町、八女市など視野を拡げていく中で玖珠町に辿り着いたんです。

現在の家

インターネットで物件を探している時に、庄内町にある不動産会社のサイトで現在の住まいを見つけたそうです。初めて見た時は、何の手入れもされておらず酷い状態だったと話します。

西村さん:5年ほど無人だったため、周囲はジャングルのように雑草が生い茂り、お風呂はカビだらけで、玄関がわからないほど荒れ果てていたので、以前からこの家を知る知人にはには「この家、怖かったよね」「入口はここにあったの?」と言われるほど家全体がボロボロでした。前の持ち主の私物が全て放置されたままだったので、地元工務店の方に指導を受けながら5ヶ月かけて今の状態まで改修し、あとわずかというところまで漕ぎ着けました。

現在の家を改修している様子

移住した2022年1月頃は寒すぎて暖房が効かず、ボイラー止まってお湯が出ないためお風呂入れませんでした。室温がマイナスの日は、部屋を暖めると結露して朝起きると結露で凍って窓が開かないこともありました。ここまで寒いとは予想できず、南区の家で充分賄えていたファンヒーターを一台持ち込んだだけ不十分な防寒対策でしたが、塗装屋さんからダルマストーブが良いと教えてもらってからは愛用しています。自宅周辺は南区では考えられないほど閑静で緑豊かな木々に囲まれ、毎日ウグイスなどのさえずりで目を覚まし、夜になれば蛍も乱舞しています。

冬の自宅裏は一面雪景色

事業をしていなくても移住はできる

職責上すぐに退職することができなかったために、移住するまで約1年半かかったそうです。多少の不安はあったものの、期待も感じていたと話します。

西村さん:田舎には閉鎖的な地域あるので、「よそ者」ということで上手く馴染めるのかという不安はありました。仕事を辞めて移住するため、移住後も仕事をしようと思っていたものの、小さな町で60歳を過ぎて就職できるか、また緊急を要する医療体制は十分か心配していました。

人との関わりや雇用、地域医療に不安を感じていた西村さんに、実際の玖珠町での暮らしについて伺いました。

西村さん:玖珠町はみんな良い人ばかりだと聞いていましたが、本当に温かく迎えてくれました。庭で育った梅やお野菜、お米を頂いたり、梅酒の作り方を教えてもらったりしています。ジビエに接することがなかったので最初は不気味に感じていましたが、捌いたばかりで絶品の鹿肉をもらうこともありました。

また、100円や200円で入れる銭湯が多くあり、南区では考えられない金額なので驚きました。今の家は各戸に温泉引いている万年山温泉別荘地にあるので、自宅で温泉を楽しめます。必ずお風呂があるキャンプ場を選ぶようにしていた私からすると、毎日いるかの様な気分に浸れています。

工務店さんに誘っていただいた梅酒・梅干し作り

虫など色々悩まされるものはあるものの、玖珠町での暮らしは想像以上に快適だと話します。

西村さん:自然の中に住まわせてもらってるという謙虚な気持ちでいます。冬は寒いし雪の予報が出ていなくても、朝起きたら一面真っ白だったりすることもあります。あえて寒い時期を選んだわけではないのですが、季節的に過ごしやすい時期に移住していたら、厳しい冬を乗り越えられなかったかもしれません(笑)。

また、玖珠町は緊急を要する重篤な疾病に対応できる医療体制が整っていないと思います。日田市内の病院へ向かっても車で約50分はかかるため、もしもの時どうしようという不安はありますが、その分健康に気を付けたいと思います。温泉に入って美味しい空気を吸えば長生きしますよ。見た目が70代の近所の人が実際は80代で、未だに鹿を狩って捌くほど、元気で驚きました。

自宅のお風呂から見える景色

また、現在就活中の西村さんはどのように仕事を探しているのか伺ってみました。

西村さん:玖珠町にはハローワークがありますし、60歳以上・仕事を辞めて1年以内の人を対象に無料で対応してくれる公益財団法人産業雇用安定センターで、再就職に向けて手厚いサポートを受けています。スタッフがマンツーマンで対応してくれて、気になる仕事を伝えれば職場環境を調べたり、マッチングする仕事を探してくれます。生活の足しとして雇用保険をもらっていますが、受給条件である月2回の就職活動は、センターの面談もカウントされるので助かっています。このような施設や制度を利用すれば、自身で事業をしている人ではなくても仕事面の不安が多少払拭されるのではと思います。

万年山トレッキングでの1枚

有難かったみんなのサポート

移住先を決める際、色々な空き家バンクに登録して待っていたそうです。他にも似たような移住先がある中で、玖珠町への移住を決めたのは、役場担当者の手厚いサポートと熱意だと話します。

西村さん:別のエリアと比べた際に、生活する上での利便性・自然豊かな場所・福岡市内からの移動時間などを考慮して総合的に判断しましたが、何かあれば役場担当者が親身に相談に乗ってくれ、工務店さんの名前リストを作ってくれるなどしっかりサポートしてくれたおかげもあり、玖珠町に好印象を抱いて移住を決めました。親切な対応をしてもらえてなかったら、玖珠町に移住していなかったかもしれません。

また、工務店さんが「西村さんと知り合って良かった、人懐っこい西村さんの人柄が気に入った」と話していたことを妻から聞き、良いご縁にも恵まれたと思います。

日常の中の非日常生活

玖珠町は、スーパーや仏壇屋などどこに行っても、移住してきたことを伝えると「ようこそいらっしゃいました」と言ってくれるので、「温かい街、温かい温泉、温かい人に魅せられてやってまいりました」と伝えています。「福岡県から何でこんな田舎に?」と言われることもありますし、子ども達は近くに住んで欲しかったそうで心配していましたが、家族会議を開いてきちんと説明すると理解してくれました。福岡市から玖珠町までは高速で1時間弱の道のりですが、例えば福岡市内で渋滞にはまったら市内西区から東区に移動するのに1時間は直ぐにかかってしまうので、あまり変わらないんですよね。子ども達はみんな仲が良くてよく遊びにきてくれますが、お世話になった工務店さんが有名旅館の檜風呂を手掛けていて、年に一度お客さんを招待しているらしく「今年は西村さんを!」と招待状をいただいたので、追加を手出しして家族みんなで泊まって満喫しました。

有名旅館へ家族で宿泊

玖珠町での暮らしに不便は感じていない

南区に住んでいた頃は家からすぐの場所に福岡空港・天神駅・博多駅などがあり便利だったそうですが、玖珠町での暮らしも遜色ないと話します。

西村さん:家の近くにはスーパーたくさんあるし、便利なぐらいに感じています。また、都会では希薄となっていた人間関係が玖珠町では充実しており、みんな優しい人柄で全ての人を迎え入れてくれる土壌がある気がします。至る所に温泉が出ているので、地域の方々の心が温かいのかもしれませんね。移住してまだ半年ほどで、最近はコロナの影響で、年に数回ほどある地域の寄り合いは経験していませんが、ご近所とはすぐ打ち解けて飲み友達になり、お隣さんの弾く三線を聴きながら飲むこともあります。

また、余暇ではないのですが、就活以外の空いた時間で自宅のDIYを行ったり、玖珠町の魅力を日々探して回っています。 

玖珠町へ移住する際にお世話になった方や、使った制度についても聞いてみました。

西村さん:玖珠町役場移住担当課、後藤工務店・佐藤塗装店の方、万年山温泉別荘地管理組合の揚野さん、相良電気商会・くじゅう環境企画の方など、お世話になった方・なっている方は沢山います。

住民票の移動に伴う移住奨励金など、移住に関する手厚い助成制度があったのも玖珠町を選んだ理由のうちの一つです。現在は自宅のトイレを汲み取り式から合併浄化槽の工事を行う予定で、この工事も町から補助金が出るため手続き中です。

夜の自宅の階段

移住希望者へアドバイス

大分県や玖珠町への移住を考えている方に向けて、アドバイスをいただきました。

西村さん:九州での田舎暮らしを迷ってる方は、まず第一候補として大分県や玖珠町への移住を是非お勧めします。経験者のひとりとして、ここには暖かな暮らしや全てを受け入れてくれる土壌があると伝えたいです。もしかしたら想像するものとは違うかもしれませんが、何も行動せず分からないままでいるよりも、今まで見られなかった・感じられなかった・触れられなかった世界を体験して欲しいです。知らずにいた生活環境に接する事ができただけでも大きな財産になりますし、玖珠町は間違いなく移住する価値があります。

子ども家族と玖珠町でいちご狩り

最後に

西村さんから伺うお話の一つ一つから、新しい生活拠点として選んだ玖珠町は、温泉も人も温かい素敵な町であることが伝わってきました。

また、自身で事業を起こしている人ばかりではなく、西村さんのように会社勤めを続けていた方も、安心して移住できると身をもって教えてくださいました。

自然豊かで温かい地域の皆さんとの田舎暮らしを考えている方は、ぜひ一度玖珠町を訪れてみてはいかがでしょう。

PHOTO

  • 定年退職後に選んだのは、温かい人々の住む玖珠町での暮らし。
  • 定年退職後に選んだのは、温かい人々の住む玖珠町での暮らし。
  • 定年退職後に選んだのは、温かい人々の住む玖珠町での暮らし。
  • 定年退職後に選んだのは、温かい人々の住む玖珠町での暮らし。
  • 定年退職後に選んだのは、温かい人々の住む玖珠町での暮らし。
  • 定年退職後に選んだのは、温かい人々の住む玖珠町での暮らし。
  • 定年退職後に選んだのは、温かい人々の住む玖珠町での暮らし。
  • 定年退職後に選んだのは、温かい人々の住む玖珠町での暮らし。
WRITER 記事を書いた人

取材 : Kaori ライティング : Misaki

取材 : くろき かおり
豊後大野生まれ豊後大野育ち。高校卒業後は横浜・東京にて、外資コスメ会社で経営学・マネジメントを学ぶ。その後、石垣島・オーストラリアへの移住。オーストラリアでも同ブランドで勤務したのち、2019年に大分へUターン。現在はフリーランス。趣味は映画を見ること・旅行・サウナ。

ライティング : あべ みさき
東京生まれ大分育ちで、趣味は手芸。介護福祉士として働き、長男出産を機に退職。現在は、子育てをしながら在宅でライターとして働いている。

記事一覧を見る

POPULAR ARTICLES 人気記事

CONTACT お問い合わせ

運営:おおいた移住計画

FACEBOOK

INSTAGRAM

運営:大分県