取材者情報
- お名前
- 桜井高志/あまね
- 出身地・前住所
- 前移住書:東京都三鷹市/東京都小金井市
出身地:東京都/徳島県
- 現住所
- 大分県日出町
- 年齢
- 58歳/56歳
- 家族構成
- 2名
- 職業
- ゲストハウスSakura Beach Garden経営
人生は十人十色。移住に至るには人それぞれのそれまでの軌跡があります。桜井夫妻は別々に東京から移住して、大分県で偶然出会い、第二の人生を共に歩むために、穏やかな海が広がる日出町を選びました。海沿いに佇む古い別荘を譲り受け、ゲストハウス『Sakura Beach Garden』を開業。日出町に移住したい方々のお手伝いもしているのだとか。そんなお二人の移住にまつわるお話を伺いました。
杵築市にある土地に見惚れて。
桜井高志さん(以下、高志さん)と妻のあまねさん(以下、あまねさん)は、それぞれ東京と徳島の生まれ育ちで、それぞれ別のタイミングで大分県に行きつきました。
東京都で生まれ育った高志さんは、東京都民歴45年。教育関係の仕事で日本各地での出張の度にその地域を知りながら、人生の後半は東京以外の土地で暮らしてみたいと思っていたそう。
高志:北海道から沖縄まで、色んなところへ行く中で、どこも人は良いし食べ物は美味しいしで、最後の決定打がありませんでした。大分県にも数回来ていて滞在は大分市や別府で温泉も楽しみましたが、どちらも都会だったためそこ止まりでした。4年ほど行き来をした頃、たまたま東京からのパックツアーで「住吉浜リゾートパーク」に滞在した際に、朝散歩をしていて見つけた空き地があって、素敵だなと思って眺めていたら、お隣りの方がこの土地が売りに出されているのを教えてくれたんです。
ウィンドサーフィンや海に関わる方々が良く見に来ていたというこの空き地は、水道や電気が無く、後ろは崖。宅地ではないということでみんな諦めていたそうですが、なんと高志さんは購入を即決。所有者を紹介してもらい、すぐに電話して購入が決定。2008年より何もない空き地にテントを張り、東京都と大分県の2拠点居住を始めたのだそうです。
高志:夏はテントだけで大丈夫だったのですが、冬は寒いので中古のコンテナを買って、中にテントを張り、そこを拠点に生活を始めました。近所に友人ができ、田舎暮しのイロハを教えてくれる師匠ができました。そのうち東京の知り合いの設計士でコンテナハウスを作ろうとしている方が、練習を兼ねて製造してくれることになりました。師匠や友人にも手伝ってもらいながら整地や設置、雨水システムや配線などもして、翌年には住めるようになり、2010年より本格的に大分県へ移住しました。
大分県に住所を移したら、今までの仕事は減った。
移住当初、東京都に住民票を残していた高志さんは「東京都から来る先生」として仕事が続いていたそうですが、大分県へ住民票を移すと「大分県の人」となってしまい、仕事は少なくなっていったそうです。
高志:東京から地方に呼ばれている時は交通費の予算を取ってくれたのですが、大分県から別地域へ行くという構図になってからは、交通費の予算はほとんどないというのには驚きました。ただ、東京都から出たかったのが移住の1番の理由なので、結果としては良かったですね。
海の近くで暮らしたかった。
四国出身のあまねさんは、大学に上京して以来、25年間東京で暮らしていました。元々海外が好きで、就職した会社もアジアやアフリカの民芸品を輸入販売するところ。30代後半に初めて行ったハワイで大自然に触れ、『もっと自然の中で暮らしたい』と思うようになったそうです。
最初の仕事作りには悪戦苦闘。
2010年、移住した国東半島豊後高田市でグリーンツーリズム(民泊)のホストを経験したあまねさん。子供たちを家に泊め、一緒にご飯を作ったり、農作体験をしたり、温泉へ行ったりと“暮らすように旅行をする”民泊のスタイルが楽しくて自分に向いていると思ったそうです。
グリーンツーリズムのスタイルをベースにして徐々に東京時代の知人や繋がりを対象に「リトリート」(数日間住み慣れた土地を離れて、仕事や人間関係で疲れた心や体を癒す過ごし方)を提案するようになったのだとか。
あまね:自分が感動した自然のこと、食べ物のことをシェアし、喜んで受け取って貰えたことにやりがいを感じました。一方で、憧れていた田舎暮らしは慣れない事ばかり。畑や田んぼも鹿や猪に荒らされて思うようにはいきませんでした。
地域の人に助けられることはあっても、こちらが役に立つ事は何もない、と徐々に苦しくなっていったあまねさん。 自分が人の役に立ったり、人と交流したり、気軽にコーヒーが飲める環境にいたいと思うようになり、思い切って海が近い別府市へと引越しを決意します。
あまね:縁があって一軒家を借り、温泉や観光やマッサージを盛り込んだ「リトリート」を続けました。 徐々に人気が出てきましたが、生計を1人で立てるようになった当初は仕事作りに悪戦苦闘しました。
“暮らすように旅をする”がキャッチフレーズの海外の旅行サイトAirbnbの民泊スタイルに共感したあまねさん。 大家さんに許可を貰い、海外へと顧客の門戸を広げます。 別府に来て飼うことになった猫たちが宿業にネックになるかと悩みますが、これを逆手にとって『Cats &Breakfast(Bed&Breakfast の真似)』と命名。 地獄巡りに近い立地と、三毛猫と手作りの朝食が当時急増したインバウンドに受けが良く、様々な国から良いレビューを読んだお客さんが来てくれるように。 だんだんと収入が落ち着いていったそうです。
お互い第二の人生のパートナーとして。
お互いに別々の理由で大分県へ移住してきた高志さんとあまねさんは、国東半島の両子寺のイベントで顔見知りになりました。自然林を取り戻す植樹活動や、農薬を使わない稲作りには、東北の震災後に移住した多くの人たちが集まり、会う機会も多くなっていったのだとか。
あまね:宿をもっと良くしていくために、webサイトやAirbnbなどに出していきたかったのですが、パソコンさえ持ってなかったんです。それを相談したら、すぐに1台貸してくれた上に、すぐにページを作ってくれたんです。
高志:2人とも海が好きで人が好きで、若い頃には海外を放浪していたりと価値観が合ったんです。若いカップルのような盛り上がりはないけれど、遠い話しではない老後も助け合って生きていけそうだなと。
2016年、民泊法が変わると聞き、杵築市と別府市の真ん中あたりで海辺の物件がないかと探したところ、たったの2ヶ月ほどで運命的に現在の『Sakura Beach Garden』となる場所に出会い、この場所で一緒に宿を始めることになりました。
6年前にゲストハウスをオープン。
コロナ以前は外国人顧客が7割だったそうですが、現在は日本人がほとんど。旅行のスタイルの違いから、運営面でも新しい取り組みを始めたのだとか。
高志:日本人は休みが少ないので、1日に全てを詰め込もうとします。チェックインとチェックアウトが同じ日にあれば、その間の時間での清掃などでてんてこ舞いになります。結構体力を使うので、2人がどこまで持つかなと。自分たちらしいスタイルを掴むまでにはもう少しというところです。
海が目の前ということで、景色の良さは説明要らずですが、だからこそ大変なことといえば“毎日のビーチクリーン”だとか。ゴミだけでなく、海藻なども漂着しやすいとのこと。また緑豊かな森に囲まれているからこそ、草刈りや庭の手入れにはかなり労力を要するそうです。
あまね:私たちがこの場所を管理できるのは、体力的に考えたらあと10-20年だけ。その間だけでも綺麗な状態を保てたら良いなと思っています。次に譲り受ける人たちがまたこの場所を良いなと引き継いでくれたらと思って日々活動しています。
アーティストが移り住む面白い町。
現在2人が宿を営む日出町の糸ヶ浜海水浴場をはじめとする大神(オオガ)海岸沿いには、様々なアーティストが移り住み、小さな美術館やカフェ、有機農の農園や平飼いで卵を育てていたりと、掘れば掘るほど面白い人々がいる町だとか。
あまね:日出町の大神海岸線に住む事業者達のメンバーに入れてもらい、マップ作りに参加したり、お祭りをしたり、地域を盛り上げようとしています。大神海岸線は太陽が燦々と降り注ぐ海辺のエリアで「関東でいう鎌倉や葉山」と思っています。アーティストやリタイアした人たちが移住して、ゆっくり暮らしているイメージです。
最後に
百人百通りの人生がある中で、ご縁が廻って大分県で出会い、パートナーとなったお二人の、波乱万丈だけれど、だからこそ今を楽しんでいる姿に元気をもらえる取材となりました。順風満帆でない時間があるけれど、工夫をしながら自分たちらしい暮らしを少しずつ作りながら、価値観の近い人たちがまたこの地で心地よく暮らせるよう、自ら足掛かりになって移住のお手伝いをするなど、積極的な桜井夫婦。海からの心地よい風を受けながら登る帰りの坂の途中でも、笑顔で手を振ってくれる明るさに背中を押されるような気持ちが沸きました。大分県で新たな暮らしをしようと迷っている方は、ぜひ訪れていただきたい場所の1つです。