大分移住手帖

2人で1つのチーム。「星庭」が育ててきた耶馬溪での自分たちらしく心地よい暮らし。

Tomomi Imai

取材者情報

お名前
吉浦毅
出身地・前住所
前住所:京都府左京市
出身地:京都府長岡京市
現住所
中津市耶馬溪町
家族構成
4人家族
職業
庭師
Webサイト
https://www.hoshiniwa.com/

現在パートナーと二人で、「星庭」という造園とデザインの事務所で活動している庭師の吉浦さんは、耶馬溪地域に移住して10年になります。東日本東日本大震災をきっかけに移住してきた吉浦さんがどうやって今の暮らしをつくっていったのか。子育て奮闘ストーリーも交えつつ、お話をお伺いしました。

以前から関係のあった耶馬溪へ、東日本大震災をきっかけに移住。

家のキッチンや窓も全て自作。

神奈川県生まれ、転勤族の後、京都府で育った吉浦さん。パートナーとは京都にいる頃からシェアハウスで一緒に暮らしてきました。

耶馬溪を知ったのは、パートナーの家族が下郷地域に移住した方と元々友人だったから。パートナーは小学校の頃から毎年耶馬溪に遊びに来ていたそうで、吉浦さんも20代前半から一緒に訪れるようになりました。

パートナーが単身でデザインを学びに東京へ修行に行った後、2011年に東日本大震災が起こり、彼女が所属していた会社も一時休業状態に。2人で改めてこれからを考えることになりました。

歳を取ったら田舎暮らしをしようかとは話していたそうですが、東日本大震災の影響や原発問題なども含めると、東京のような都会暮らしは果たして良いのかと考えるようになったそうです。

吉浦:自分の食べるものは自分で作ったり、エネルギーのことももっと考えたいと思うようになりました。たくさんの方々が亡くなったのを知り、やりたいことはすぐやった方がいいとも思ったんです。

19歳からずっと庭師を続けている吉浦さん。始めてから9年目で仕事を任されるようになってきたころでもありましたが、これからの暮らしを考えたことで、耶馬溪に移住することを決めました。

住みたい集落で空き家を探し、自分たちでセルフビルド。

▶︎

2012年移住した時の状態、右も左も分からないままに手前の内壁を作ったところ。

2014年夏 足掛け2年半で完成したセルフビルドの家

吉浦さんが作ったアプローチ。川から拾ってきた石をひとつずつ並べて作った。

2012年に下郷へ移住を決意。その決め手は「お世話になっていた人がいる集落である」ということでした。空き家もこの集落の中だけで探し始めたのだとか。

吉浦:古くて広い空き家は、なかなかボロくて直すのが大変そうで。そんな中お世話になっている方を尋ねたら、新築なのに、柱と屋根だけの状態で止まっている今の家を紹介してもらいました。私達が来る前に別の方がアトリエ兼自宅として大工さんに途中まで作ってもらっていたそうで。なかなか完成まで進まずにいた家でした。

焼杉を活用した外観。顔が真っ黒になりながら、一枚一枚、2人で半月ぐらいかけて施工した。

この家の大家さんから、自分たちでお金を出して直すのであれば好きにしていいよということで、借りてつくり始めたのだとか。作っている間、隣の大家さんの工房に住まわせてもらいながら、足掛け2年半かけて今の家を完成させたそうです。

吉浦:震災後に移住者は増えたようですが、2012年頃はこの地域への移住はまだ珍しい方でした。現在は移住者が増え、、空き家があればすぐに入りたいという方もいます。下郷農協もあるので、食などに興味がある方々からの注目が高まっているようですね。

夫婦で話し合って決めて取り寄せた風呂のタイルや浴槽。

大工さんの設計を活用しつつも、玄関に想定されていたところを洗濯機置き場にしたり、大工さんに柱を抜いてもらったりしながら、制約がある中でも自分たちなりに間取りを変えてたそうです。

吉浦:元は1人で暮らす想定の家だったので、間取りはよく考えましたね。2階も天井が低かったので、厚い板をそのまま床にするなど工夫してなるべく天井高を稼いだり。最初はゆっくり作っていたのですが、途中から子どもの妊娠がわかり、生まれる前に完成させたいと思い、最後はばたばた急いで作っていました。あと、私の父親も木工が好きで、家づくりが夢だったので、京都から通いながら一緒に手伝ってくれました。

居候させてもらっていた工房に木工の機械があったため、家づくりはしやすかったと言う吉浦さん。地域にある製材所と仲良くなり、不要になった木材を格安で譲ってもらったりするなど材料は比較的近くで手に入ったのだとか。

数年前に増築した風が心地よいウッドデッキ。子どもたちが昼寝したりBBQしたりと活躍している。

自分で食べるものは自分で作りたくて。

借りている田んぼで無農薬・無化学肥料で毎年お米を作っている

田舎に移住したかった理由の1つが「自分の暮らしはできる限り自分で作る」ということだった吉浦さんは、工作放棄地になってしまう田畑を管理したりサポートしている「樋桶の里」の活動を手伝いながら、田んぼ仕事や畑仕事を学んで行ったそうです。

吉浦:自分が移住した頃同じような想いで移住してきた人がいて、一緒に学んでいきました。庭師と田んぼの繁忙期が一緒だったので、マイペースに学ぶことができました、おかげでそれなりに畑仕事ができています。今は樋桶の里が管理していた畑の1つをお借りしています。田舎では草刈りなど管理業務でお仕事をもらえることあります。

木材を燃やしてお風呂のお湯を沸かしたり、床暖房を温める薪ボイラー。

田舎暮らしでは、野菜や家賃は安いことが多いけれど、車は必須で、ガソリン代など他の必要なものは変わらないので、それなりにお金は必要ではあるとのこと。

吉浦:田舎でも求められる仕事って、大工や職人の仕事だと思います。庭師もそうですね。いきなり仕事があるかはわからないけれど、どこも手が足りてないんです。やりながら自分の仕事を増やしてから独立でもいいし、所属しながらでもいいし。選ばなければ仕事はあります。職人こそ田舎は暮らしやすいですね。3時と5時にお茶が出る文化も残っていますしね(笑)。みんな話がしたいから、その中で色々また教えてもらえるし。それが煩わしい人もいるようですが、私は作業員Aよりも吉浦さんとして覚えてもらえるのが嬉しいです。

庭師仕事の後には燃料にもなる薪が手に入る。

羅漢寺や地域活動を通して広がった交流

トレッキングガイドの様子

吉浦さんが暮らしている集落には、移住前から知り合いがいたこともあったため、地域活動を通して少しずつ交流が増えていったのだとか。その流れから、隣町の羅漢寺というお寺の庭の手入れを通して、より活動範囲が広がったそうです。

吉浦:当時、羅漢寺は現在の住職が帰ってきてからまだ数年で、掃除を担う人も少なかったのですが、移住者に声をかけてくれたのもあって、羅漢寺を中心に交流が増えていきました。

現在活動している「羅漢寺フィールド文化倶楽部」もその1つ。羅漢寺で一緒に働いていた歴史好きで、関わっているうちに一緒に活動するようになったそうです。現在は庭師の経験も活かしながら、住んでいる地域にある山々を案内する形で、周辺地域の方々とトレッキングを楽しんでいるそうです。

吉浦:耶馬溪は古くから修験道の道も多く、埋もれてしまっていたのを再発見しようという活動が発端で、トレッキングしてみたのが始まりです。耶馬溪で生まれ育った方を中心に日々活動しています。

手に職がある者同士で役割分担をしながら。

下の娘が生まれたころ。

最初はあまり仕事はなかったという吉浦さん。とはいえ、夫婦共に手に職があったので、仕事はどうにかなるだろうと焦らなかったと言います。

吉浦:家ができるまでは、仕事をしてしまうと家づくりが進まなくなってしまうので、むしろ良かったかなと。とはいえ、地域の米づくりの活動などに誘ってもらうなど、毎日家づくりをしていたわけでもなかったです。

元々開業資金を少し貯めていたという吉浦さん。家づくりにそのお金を使い、材料費は全部で300〜400万円ほどかかったそうです。

吉浦:焦っていなかったと言いながら、途中で資金も尽きてきたので、デザイナーであるパートナーが福岡の広告制作会社に所属。今でいうリモートワークをして資金を稼ぎながら、私は家づくりを進めました。

現在は、パートナーと造園とデザインの事務所「星庭」で活動をしている吉浦さん。お互い別々に仕事をすることがほとんどですが、パートナーが仕事を持ってきてくれることもあるそうです。家づくりをしていたことで、お二人とも木工や設計スキルが上がり、新しい仕事にも広がっていったそうです。

吉浦:庭師が忙しいのは、夏のお盆前と冬の年末と、時期が限られるんです。年明けから春にかけて手入れの仕事は無くて、多くの造園屋さんはその間に庭づくりをしたりします。なので、最初の頃は庭づくりがなくて、土木の仕事にも行きましたね。田舎は仕事がないと言うけれど、肉体労働系の仕事は結構あります。若い人が本当にいないので、重宝されます。

20代で移住した吉浦さん。今でこそ若い人も増えましたが、当時は自分たちと同世代は少なく、いろいろな仕事の声がかかったり、手伝いに走ることになったそうです。またそこからご縁ができて、庭仕事のオーダーが入るようになったそうです。

子育てが大変だった数年間。

仕事が少しずつ増えてきた頃、1人目の子どもが生まれた吉浦さん。お互い自営業のため、時間のやりくりは比較的やりやすかったものの、3年後に2人目ができた頃には、自分の暮らしを楽しむ余裕がなく、大変だったと言います。

吉浦:子育てが大変だった頃は、喧嘩をすることもあったし、時間がないからしたい仕事もできなくなったり。余裕が無辛かったこともありました。出かける時も、田舎で育った子は声のボリュームを制限する必要がない生活をしているから、新幹線で大きい声を出して一苦労したり。

そんな中、時間に制限のないデザイナーの仕事と違い、日が出ている時間で終わる庭師の仕事のおかげで、徐々に家庭内での役割分担が変わってったそうです。

吉浦:子どもが小さな頃私がミルクをあげたり積極的に子育てをしたので、パートナーも安心して出張に行ってました。下の子は3歳まで夜泣きがすごかったのもあり、やっと今少し落ち着いてきたかなあと。子育てがもう少し落ち着いたら自分の時間や仕事ももっと増やしていきたいです。のんびりするのはもう少し先で良いかなと思ってます。

2人で1つのチームという意識で。

星庭ではイベントなども企画することも。

毎年育てるスイカを食べる子どもたち。

仕事と子育てを通して、夫婦は2人でチームであることが大事だと感じたという吉浦さん。どちらかしかできないと片方に依存してしまうし、切り替えができなくなるので、お互い同じくらい家事や育児ができれば、いくらでもスイッチできるとのこと。

吉浦:私は料理も掃除も昔からそれなりにやってきたし、大抵のことはできるようになりました。1歳検診も私が連れて行ったり、今ではお互いしたいことをし合える状況になっていますね。九州に移住してきて、まだまだ男社会の匂いが強いなと思います。でもこれからは、ジェンダーバイアスにとらわれず、男の人が家事したって、女の人が仕事に出たって何も変なことではないと思います。男女がどうこうではなく、2人で1つのチームだと思っています。

最後に

手に職がある者同士で、自分達がしたい暮らしをするために田舎へ移住をした吉浦さん一家。持ち前の柔らかい雰囲気と気さくさも相まって、庭師として仕事を増やしつつ、子育てに奮闘してきた数年間に、地域の色々な活動にも積極的に参加しながら、どれも楽しめているのだなと、お話を伺っている間に感じられました。移住初期に植えた木々や、かつて小さかった森も育ち、彼らの暮らしを包み込んでいて、10年という月日で根ざしたこの木々や暮らしの心地よさは、移住したてで奮闘している人にこそ伝えたい景色でした。

WRITER 記事を書いた人

Tomomi Imai

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snufkiins LLC. 代表社員
離島移住計画 代表
Re-harmo PJ オーナー
25歳でフリーランスとして独立し、多様な分野にてプロデュースやディレクター業を経験。モノコトヒトをつなぐひと。多様な伴走を得意とする。国内外問わず事務局代行・企画編集など多様な業界を経て2018年に法人化。長崎県上五島にてキャンプ場兼カフェ「Re-harmo PJ」を展開し、島に仕事や場を作ったり。絶賛子育て中。ヨガ・サーフィン・音楽・映画・コーヒー・日曜大工が趣味。

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