大分移住手帖

竹細工に適した環境を求めて移住。豊かな自然と温かい人々に囲まれた九重町での暮らし。

取材 : Kaori ライティング : Misaki

取材者情報

お名前
吉田直樹
出身地・前住所
埼玉県
現住所
玖珠郡九重町
年齢
42歳
家族構成
自分、妻

埼玉県の出身で、学生の頃から趣味として竹細工に慣れ親しんだという吉田さん。別府市にある大分県立竹工芸訓練センターをきっかけに移住した吉田さんが現在の九重町に住居を構えることになった経緯や現在の生活についてお話を伺いました。

竹を加工している吉田さん

竹細工の訓練校は全国で1校しかない

大学卒業後はバックパッカーとして色々な地域を回ったり、越冬キャンプへ参加、高原野菜の生産や漬物工場での寒仕込みなど季節に合わせたアルバイトなどをして過ごしていた吉田さん。27歳からの3年間は長野県に引っ越し、自分の経験を積み生計を立てるために、独学で竹細工を続けていたそうです。その後、より専門的に竹細工の知識を得るために​​大分県立竹工芸訓練センターがある別府市へ引っ越したと話します。

吉田さん:竹細工が学べる専門学校は京都府などにもあるのですが、訓練校として竹細工をしているのは全国でも大分県にしかなく、貴重な学びの場となっています。現在は2年制になっているようですが、私が通っていた頃は1年制でした。更に1年間延長して竹細工についてもっと深く勉強する中堅クラスもありましたが、試験で選抜された5名のみが対象で、妻はそのクラスに入って勉強をしていました。

私はすぐにでも実践的な技術を身につけたかったため、工房の門を叩きました。伝統工芸士である高江雅人さんの下で5年間修行し、独立しました。大分県は昔から竹細工が盛んなので、質のいい竹材も仕入れやすく、技術や知識など色々と教えてくれる先輩職人が多いので助かっています。

吉田さんの現在の住まい

住まいへのこだわりがある

高江さんの下で修行している途中で由布市に住居を移したものの、最終的に九重町に移住を決めた吉田さん。他にも似たようなエリアがある中で九重町に決めた理由を聞いてみました。

吉田さん:元々暑さと湿気が苦手だということや、竹材などに湿気が帯びるとカビてしまうことを踏まえ、個人的にも竹細工的にも標高800m〜1000m程の高原エリアが良いと思ってました。竹材の工面が出来るのであれば、全国どこでも良かったのですが、4〜5mあるような長い竹を製竹している場所が大分県にしかなかったため、大分県近郊で探すことにしました。

妻の父方の実家が豊後大野市で、そちらへ移住する話もありましたが、標高にこだわっていたので断念しました。竹田市のTAOの丘などがある久住エリア、熊本県小国町、福岡県に近い大分県のエリアなども検討していたのですが、こだわりの条件をクリアしたのは九重町でした。本当は標高1000m程まで行きたかったのですがそうなると別荘地しかなく、竹林は標高限界が800m程度で、それ以上は雪の降る影響があり竹の伸びが短くなるので、現在の住まいに決めました。

別府市、由布市、九重町と大分県内でも3箇所に住んだ吉田さんですが、家探しはどのように行なったのでしょうか。

吉田さん:アパートやマンションだと作業スペースがあまり取れなかったりしますし、仕事柄音を出すこともあるので、一軒家で探していました。別府市の時は自分で空き家を見つけて持ち主さんと連絡を取り、直接交渉をして住居を決めました。由布市や九重町は空き家バンクで見つけました。現在の家は築45年で比較的新しく、前の家主さんがまめに手入れをしていたようで、状態はとても良かったです。

九重町に移住する際に使った制度や家の改修について聞いてみました。

吉田さん:九重町は移住支援が充実していて、改修費用は100万円が上限というところが多い中、200万円まで補助してくれるんです。我が家も改修補助を利用して、緑のジュラク壁だった部分を全で板壁にしたり、ガラスばかりだと寒いので壁を増やすなど、キッチンとリビングの改修を地元工務店に依頼しました。その他の部屋は自分でDIYしていて、現在も少しずつ改修中です。

竹材保管庫

親切な方が多く快適な環境

実際に九重町に住んでみたところ、地元の方が温かく迎え入れてくれたので、仕事をする上でも生活面でも、とても過ごしやすいそうです。

吉田さん:現在の家主さんには本当に良くしていただいて、近所付き合いは家主さんからの繋がりが大きいです。色んな方に声を掛けてくれたので、「誰だ?」ということもなく地域にすんなりと入っていけました。月に1度公民館で自治会が行われ、地域の皆さんと顔を合わせる良い機会になっています。また、空き家だったことや家同士が離れていることからゴミステーションが無くて困り、どうしたら良いか相談したところ、公民館横に場所を設けていただけたので、廃材を利用して自作のゴミステーションを作ることができました。長野県で暮らしていた頃にも感じましたが、山間部の人はゆっくりしていますが良い人ばかりで、自然環境が厳しい分だけ人に対しては温かく親切なのかなと思います。車で数分のところにお店があるので生活必需品は簡単に手に入ります。種類を選んだり、専門的な物が欲しい場合はネットで注文をするか日田市や大分市まで買いに出ていますが、なるべく地域の人たちの中でできるようにしているので、不便さはあまり感じていません。

竹細工という特殊な職に就いているので、逆に興味を持ってくれる高齢の方も結構います。たまに「見せてください」と言って遊びに来てくれる方もいます。「昔の農具などを作って欲しい」「教室を開いて欲しい」などと言われることもありますが、作る方が忙しくなかなか手が回りません(笑)。もう少し年を取って仕事がゆっくりになればやってみても良いかなと思いますが、あまり教えることが好きではないですし、作ってる方が楽しいので今は考えてないですね。また、地域の特徴として感じるのは、じっくり考えて準備をして、一歩一歩着実に行動をしていくということです。

そして、九重町民はスキーやスノーボードの道具さえ持っていれば九重森林公園スキー場が無料なんです。15年以上前にスキーの経験がありますが、それっきりやっていないので、中古の道具を見つけて揃えられれば、今年こそは行きたいと思っています。

また、飯田高原エリアの空気は新鮮ですし、自然が豊かで動植物も健康的です。別府市や湯布院町でも鹿や猪、狐はいましたが、あの辺で見た動物達より明らかに体も大きいし健康的なのは、山の幸が豊富だからだろうと思います。ただ、あまりにも山林と接しているため野生動物との戦いはあります。家庭菜園程度ではありますが畑を荒らされることもありますし、駐車スペース横の竹林に生えるたけのこも全部掘り返されてしまうので、対策のために電気柵を張っているところです。

吉田さんの作品

水回りの凍結が大変

九重町の人や環境に好印象を持つ吉田さんですが、標高の高い地域ならではの大変さがあると言います。

吉田さん:気候面で、長野県に住んでいたこともあり冬は思っていたより寒くなく、去年の冬は10〜20cm積もる程度でした。湿度が高い夏場でも、家の中はそれほど暑さを感じず、日陰に入ってしまえば快適に過ごすことができます。

生活面では、水回りが凍結した時はとても大変でした。ずっと家があった場所だから凍結対策などは大丈夫だろうと思っていたので、余計にびっくりしました。ある日、中庭に水溜りができていて「なんだろう」と思い、水道メーターを確認すると回っていたので、漏水してると考え庭を掘り返してみると、上水道の配管が破裂していました。町の設備屋さんに連絡しましたが、修理に来てくれるまでに期間がかかりそうだったため、自分で繋ぎ直しました。基本的に氷点下2度前後までであれば凍結は大丈夫なようですが、4度以下になると凍結注意報が出るので、水抜きなどをするようにしています。今は熱線を巻いているのでだいぶマシになりました。

また、外に置いている給湯器も何度か凍結して止まり、昼間にストーブを当てて溶かしてやっと動いたという出来事があったので、水道管と同じように熱線を巻いて対策しました。水を少し出しておいた時の水道代よりも熱線の電気代を払う方がランニングコストは安くなると思います。それでも凍結の恐れはあるので、冬場に旅行などで数日間家を空けることは怖くてまだしていません。

自宅裏にある吉田さん所有の山

竹細工のコーヒーフィルターが大ヒット

奥さんも竹細工を学んでいたそうですが、お互いが別々に自分の仕事をしているのか聞いてみました。

吉田さん:「早く自分の作品を作りたい」と言っていますが、1人では手が回らなくなってきたので、2人で一緒に頑張ろうということで、基本的には私の仕事を手伝ってもらっています。依頼をいただくこともあるのですが、大黒柱的な仕事としては、日本工芸品を扱うお店に店舗什器として使われていたカゴを納め、今では販売もしています。他には、個人的に福岡県・大阪府・東京都の小売店に卸したり、5年ほど前に作った竹のコーヒーフィルターが大ヒットして、最近また雑誌で取り上げられるようになったので、注文を受け付けています。有難いことにコーヒーフィルターは大反響をいただいて、現在は予約2年待ちの状態です。

夫婦2人で走り始めたばかりなので、もう少し様子を見て、足りないとなれば1人か2人の弟子をとることも考えています。コーヒーフィルターのようにヒット商品を出すことがこの先あるかもわかりませんし、コーヒーブームや巣ごもり需要といった時代のニーズとマッチできた結果だと思います。これのおかげで新型コロナウイルス感染症の影響もさほどなく、淡々と小仕事をこなしてこれました。

バックパッカーのときみたいに、もっと色々な所を見たいと思っています。訪れた先でお金を稼ぎながら旅をしていれば、より沢山の場所を訪れることができると考えたのが、竹細工の仕事を始めたきっかけです。今もその火は消えていませんが、現実的に難しいです。注文もたくさんありますし、制作の日々を過ごしています。注文が無くなったり弟子ができて任せられるようになったら…老後の楽しみという感じですね(笑)。

大ヒットした竹のコーヒーフィルター

移住希望者へアドバイス

大分県への移住を考えている方へアドバイスをいただきました。

吉田さん:少し住んだらすぐに違う場所へ移住したり、地元へ戻ったりしてしまう移住者が多いと感じます。そうなると地元の人が良い思いはしませんし、「移住者」という括りで見られてしまうため、イメージ的にあまり良くないと思います。独立独歩でただ住んでいるだけではなく、地元の人と話をしたり入り込んだ先に、できるだけ長く生活できる環境を見つけられると良いのではないでしょうか。

移住希望者に九重町に来てもらいたいとの思いがあるか伺いました。

吉田さん:九重町は現在人口が1万人以下で、この先どんどん減っていくでしょうし、人工物は自然に返っていくだけなので、そういう時の流れだとは感じています。ですが、歴史を見ていくと、山下池に城門の集落がありそこに住む人たちが歩いて飯田の地を見つけ、縄文時代から続いていた歳の神という祭りの痕跡が残されている土地だったそうです。その頃から人が住み着いて集落になっていることを考えると凄いですし、せっかくずっと昔からある土地ならこれからも受け継いでいきたい、続いていったら良いなと思っています。

吉田さんの作業場

最後に

遊び感覚で始めた竹細工をより極めていくために大分県へ移住した吉田さん。お話を伺っていると制作の日々で忙しくしつつも、素晴らしい環境の中で生活できていることがとても伝わってきました。吉田さんの言うように、積極的に地域に入っていきながら自分に合う環境を探していくことで、充実した日々を過ごすことができるのではないでしょうか。

PHOTO

  • 竹細工に適した環境を求めて移住。豊かな自然と温かい人々に囲まれた九重町での暮らし。
  • 竹細工に適した環境を求めて移住。豊かな自然と温かい人々に囲まれた九重町での暮らし。
WRITER 記事を書いた人

取材 : Kaori ライティング : Misaki

取材 : くろき かおり
豊後大野生まれ豊後大野育ち。高校卒業後は横浜・東京にて、外資コスメ会社で経営学・マネジメントを学ぶ。その後、石垣島・オーストラリアへの移住。オーストラリアでも同ブランドで勤務したのち、2019年に大分へUターン。現在はフリーランス。趣味は映画を見ること・旅行・サウナ。

ライティング : あべ みさき
東京生まれ大分育ちで、趣味は手芸。介護福祉士として働き、長男出産を機に退職。現在は、子育てをしながら在宅でライターとして働いている。

記事一覧を見る

POPULAR ARTICLES 人気記事

CONTACT お問い合わせ

運営:おおいた移住計画

FACEBOOK

INSTAGRAM

運営:大分県