大分移住手帖

アメリカでの経験を活かし農家を継いで始めた挑戦の日々。

Tomomi Imai

取材者情報

お名前
松原雅之
出身地・前住所
アメリカ
現住所
大分県国東市
年齢
40歳
家族構成
2名
職業
松原ファーム 代表取締役
Instagram
https://www.instagram.com/matsubara.farm/

先祖から続く農家に生まれ育った松原さん。大学進学のため千葉県に引っ越し、就職。その後、家業を継ぐために6年前に国東市へUターンしました。設立した会社において、若手の人材育成に積極的に取り組む松原さんの移住ストーリーをお伺いしました。

大学進学のため関東へ。

松原さんは、大学時代に始めたピザ屋のアルバイトに熱心に取り組んできました。その努力が認められ、店長代行まで抜擢された松原さん。その後、引き抜きの形で当会社へ就職。飲食業界の水も甘いも経験したそうです。

松原さん:お客様とコミュニケーションすることが好きで、接客や営業はとても向いている仕事でした。慣れてきた頃、もう少し違う業界を見てみたかったので、広告会社へ転職しました。

広告業界へ足を踏み入れた松原さん。化粧品の箱の製造を行う会社に入社し、最初は開拓営業がメインでしたが、徐々に大手企業のルート営業の担当になってしまったことで、新しい出会いが減ってしまい、転職を考え始めたそう。このタイミングで、家業を継ぐことを視野に入れるようになったそうです。

松原さん:決定権を持つ会社の社長や重役さんと打合せを行うのは大変でしたが、やりがいがありました。そこでは小売りとは違う法人営業を学ばせていただくことが出来ました。今振り返っても自分自身の未熟さを痛感した時期でした。

4代続く米・麦・豆の農家を継ぐために学校へ。

20代で農家を継ぎたいと思い始めていた松原さんでしたが、当時まだ現役で活躍されていた父母からは、まだ早いということで、何度か押し返されていたそうです。

松原さん:松原ファームは僕が継げば5代目になります。小さな頃から家業を手伝っていたので、仕事内容はある程度理解していました。ちょうど若者の新規就農を国が推進し始めていた頃だったので、このタイミングで家業を継ぐのも良いなと思ったのですが、両親からはまだ早いと言われていました。

そこで、大分県が主催する大分県立農業大学校への進学を父親に勧められ、行くことを決めた松原さん。農業の基本を学び、「農業知識と技術」を培ったそうです。

家業を完全に継ぐ前にアメリカへ農業研修に出る。

アメリカ研修中の様子

農業大学校を卒業した松原さんは、家業を継ぐ前にどうしてもやりたかったことがありました。それは「海外で暮らす」こと。父親から農大へ行くことへの交換条件で、海外農業研修プログラムに参加することがあったので、アメリカ西海岸の農家へ1年半の間、実習に行くことになりました。1年ほど暮らす中で、想定外のことが色々起きたようですが、多くは学びになったそうです。

松原さん:僕が配属された農園は、日本人が経営する大葉と大根が主の農家で、日本野菜の部門担当として赴任しました。英語の勉強を兼ねて向かったのですが、まさかのメキシコ人コミュニティで、英語は話さずにスペイン語ばかりでした(笑)。車がなかったので、最初の頃は農場から出ることが出来ませんでしたが、職場のメキシコ人や近隣の農園にいる同じ研修仲間と交流ができるようになり、後半は様々な場所へ行けるようになりました。他の研修生は普通にホームステイやアパート、一軒家だったようですが、僕の場合は狭いトレーラーハウスに1人暮らしだったり、洗濯板で洗濯を行うなど、6時から横一斉にメキシコ人と並んで大根を抜きまくったり日本では経験できないハードな体験することになり、おかげでかなり精神面で強くなれました。

アメリカの農業は規模感が日本と桁違いなので、学んだことをそのまま取り入れるというわけにはいかないそうですが、マネジメントの仕方など、農業を事業として進めていく上でのコツが、今の仕事には生かされているそうです。

帰国後、会社を設立し、農地拡大と人材育成へ注力。

収穫の様子

収穫の様子

アメリカから帰国した松原さんは、いよいよ国東市へ戻ってきました。高齢になってきた父親だけで家業を進めるのは難しくなってきていた頃でした。戻り次第すぐに手伝いを始めた松原さん。家業の経営状態をみて、テコ入れが必要だと感じたそうです。

松原:昔から米・麦・豆を作ってきて、農地はそれなりにありましたが、これらの作物は年1回収穫したらそれで収入としては終わってしまいます。また、人手不足を解消するために、人の育成ができるだけの財源が必要だと感じました。

まず始めたのは、周辺の農地を預かって、農地を拡大すること。耕作量を増やすことで、人を雇える経営規模を確保し、雇用を増やせるように努めています。現在5名のスタッフがいるという松原ファームには、女性の若手ホープが在籍中だそうです。

農業のキツさを軽減して働きやすく。

キャベツ定植の様子 https://www.instagram.com/p/CTE4YF3lDKy/

また、従来の農家のスタイルではどうしても「農家はきつい仕事」というイメージがついてしまい、若手の新規就農に繋がりにくいため、直進アシスト機能付きのトラクターによるうね立てや全自動定植機などを積極的に導入し、キツイと思われている作業時間をできるだけ短くするように努めているそうです。

松原さん:農業にはいろんなスタイルがありますが、農家自体の作業はどうしても体力勝負なものが多くあります。全部を簡単にとはいきませんが、短い時間で効率良くやることで、無理をさせ過ぎないのが大事だと思っています。人があっての農業ですからね。負担が軽減されれて効率があれば、経費が軽減できるので結果収益もアップでき、それをまた就労者へ還元していければ、健康的な経営になると考えています。

他に、「得意分野を持った農業人材を育成すること」「ライフスタイルに合った働き方ができるようにすること」が大事だと考えている松原さん。農業と一言で言っても、仕事の範囲は多岐に渡ります。だからこそ、多様性を活かし、それぞれの個性や暮らし方に合わせた働き方を柔軟に作っていきたいのだとか。

松原さん:私自身、家族ができたことで暮らしや働き方について見直しました。多様な生き方に対応していくのは、農業という業界も同じだと思っています。少しずつではありますが、自分たちなりに工夫しながら農業をベースに自分たちらしい暮らしをしてもらいたいです。

国東市は農業をしながら暮らしやすい場所。

今回、Uターンで戻ってきた松原さん。当初は単身でしたが、その後家族ができ、暮らし方を改めて見直しているのだとか。海外や都会での暮らしを経験してきた松原さんから見て、国東市での暮らしは「田舎の生活をしつつ、都会へアクセスが良い自然豊かな場所」だと言います。

松原さん:近年、インターネットの発達が進んだおかげで手に入れたいものはネットショッピングで購入することができるようになり、買い物や情報収集は都会とだいぶ格差は無くなってきたと思います。もちろん、不便な部分もあり、人が介在するサービスが都会に比べ少ない点です。人口が少ないがゆえに自然を多く感じることができるのではないでしょうか。国東市では家賃1万円から借りられる物件に多くあります。すぐ横に都会があるわけではないですが、大分空港が近いので、コストを下げて田舎に住みながら、すぐ東京へ飛んでいく。なんてスタイルが案外簡単に出来ます。また、車さえあれば海も山も大分市内や別府へ1時間走ればどこにでも行ける立地はなかなか他にはないと思います。

最後に

「農家に向いているのは?」と聞いてみると、「ひたむきに作物に向き合い、積極的になんでも取り組む」方だと答えてくれた松原さん。ご自身の経験を活かし、より良くしていこうと日々工夫されている様子をSNSに積極的にアップされています。田舎でじっくり暮らしに向き合いながら、時々都会に遊びに行ける。田舎にどっぷりもいいけれど、今の暮らしの軸を少し変えてみたい。そんな方には松原さんの国東市での暮らしが良い参考になりそうです。

WRITER 記事を書いた人

Tomomi Imai

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snufkiins LLC. 代表社員
離島移住計画 代表
Re-harmo PJ オーナー
25歳でフリーランスとして独立し、多様な分野にてプロデュースやディレクター業を経験。モノコトヒトをつなぐひと。多様な伴走を得意とする。国内外問わず事務局代行・企画編集など多様な業界を経て2018年に法人化。長崎県上五島にてキャンプ場兼カフェ「Re-harmo PJ」を展開し、島に仕事や場を作ったり。絶賛子育て中。ヨガ・サーフィン・音楽・映画・コーヒー・日曜大工が趣味。

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