大分移住手帖

畑がしたくて行き着いた宇佐市。 自分たちの手で、家も庭もDIY。

Tomomi Imai

取材者情報

お名前
海老原正蔵さん、ノクメさん
出身地・前住所
出身地:妻ミャンマー 夫東京
前住所:東京都
現住所
宇佐市
家族構成
4人

旦那さんは日本人。奥様はミャンマー人。そんな国際結婚をしたお二人は、東京都で暮らしていたものの、子育て環境を考えつつ、畑がしたくて移住を検討。たまたま見つけた宇佐市の畑付き一軒家に引っ越しました。畑も家も自分たちの手で整えながら、新しい暮らしを始めた海老原一家の移住ストーリーをお聞きしました。

都会では子育てがしにくくて、移住を考えるように。

ミャンマーで食べられているへちま

日本人である夫正蔵さん(以下、正蔵さん)とミャンマー人である妻ノクメさん(以下、ノクメさん)。その出会いは、日本で技術職をしていた正蔵さんが、3ヶ月ミャンマーのマンダレーという町へボランティア活動で滞在したのがきっかけでした。現地で看護婦をしていたノクメさんと出会い、結婚。その後日本へ移り住み、東京都で10年暮らしていたそうです。

2人の子どもに恵まれたお二人。当時は東京都の比較的郊外にある団地で暮らしていましたが、元気な子どもたちが走り回る音などに敏感な隣人が居て、苦情を言われてしまったそうです。

また、ミャンマー人であるノクメさんが、ミャンマー料理を作りたいと思った時に、現地なら簡単に手に入る食材が、東京都では高価で、日常生活に取り入れるのが難しかったのだとか。

加えて、東京都にいるミャンマー人はほとんどが学生で、なかなか友達ができなかったというノクメさん。子育てママとして欲しい情報があまり無く、ミャンマー人コミュニティを頼ることができなかったのだとか。

仕事で得られる報酬は悪くは無いものの、自分たちがしたい暮らしを考えると、畑がある一軒家が良いのではと思い、少し急いで移住したいと考えるようになったそうです。

なかなか見つからなかった畑付き一軒家。

自分たちで刈った木は綺麗に納屋へ

最初は東京都周辺で畑作業ができるところを探していましたが、なかなか希望の条件に合う物件がなかったのだとか。物件があっても使う肥料や作る品目が決まっていて、自分たちが自由に使える場所は案外少なかったようです。

埼玉県で候補を見つけたそうですが、空き家バンク窓口に問い合わせたところ、返事がなかったそう。他にも空き家バンクで探してみた物件は状態がよく無いものが多かったり、所有権で未だに家族で揉めているなど、一筋縄ではいかないことが多かったそうです。そこで、畑付きの物件を求めて、全国で探し始めたのだとか。

正蔵さん:長野県に良さそうな物件があったのですが、雪深い地域なので温かいミャンマー出身の妻にはその環境では難しいと思いました。

寒さが苦手という妻のことを考えて、比較的温暖な九州地方を視野に入れて探す中で、大分県が候補に挙がったそうです。最初は宇佐市の安心院や院内あたりで探したそうですが、なかなか決まらかったとのこと。

そんな中、空き家になって20年以上経っていたものの、市内中心部に比較的近いところにあった今の家を見つけることができ、移住に至りました。

正蔵さん:問い合わせたら宇佐市の移住担当者はすぐに連絡をくれたので安心感がありました。とても親身になって相談に乗ってくれて、大家さんとの交渉の調整を一緒にしてくれるなど手厚かったです。

薮に覆われた家をみんなで片付けて。

元々は空も横の建物も見えなかったという庭

無事、希望の物件を見つけた海老原一家。購入時にリフォームのための補助金、引越支援金など空き家バンク関係の補助金はほぼフル活用し2年前に移住しました。申請のために引っ越し時期を調整したそうです。

ただ、大家さんとの話が多少前後してしまい、本来移住したい日程より2ヶ月以上遅れたり、手続きの関係で先に修繕が出来ないことがあるなかで、どうにか購入に至ったそうです。

正蔵さん:売主さんとの話がまとまってなかったようで、物件を見に来た次の月には引っ越せると思っていたのですが、そうはなりませんでした。また、井戸はあるものの水が出なかったトラブルは、その部分の相続関係の書類がまとまっておらず、購入前に手をつけることが出来ませんでした。掲載されている情報とは違うこともあり、少し戸惑いました。

入居した頃は、全く日当たりがないほど藪に覆われていて“お化け屋敷”状態だった家。そこで、チェンソーを買って来て、木々を切ったり、最初は2週間ほど水が出なかったので、院内にある温泉に毎日通っていたそうです。電気はアンペアが低く、最初は車のエアコンに頼って道の駅に停泊するなど、1ヶ月近くはそのような暮らしが続いたそうです。

正蔵さん:近くに小学校と中学校があったので、そこへ子どもが通っている間に夫婦で家の整理に邁進しました。見にきたときは母屋だけ見ていて、案外綺麗だったので決めましたが、藪を切ると納屋があることがわかったり。

ノクメさん:今考えると「もう出来ないな」と思うけど、当時は二人とも必死でした。友人がいなかったので2人だけで頑張りました。木の倒し方を間違って怪我しそうになったことも。母屋はリフォームされていたから特に手をかける必要はありませんでした。また移動のことを考えて車の免許を取りました。

仕事も自分たちで見つけて。

辛い食べ物が多いミャンマー料理に欠かせない唐辛子

家をようやく見つけたものの、仕事を辞めて来た海老原夫婦。自分たちで求人情報を探し、正蔵さんは郵便局関係の仕事に、ノクメさんはいくつか転職しながら、現在は自動車関係の仕事に就いています。

ノクメさん:最初はいちご農家さんに就職したのですが、ハウスの中が暑過ぎて、耐えられませんでした。その後は、他の事務職に就きましたが合わず、今の仕事なら続けられそうです。

仕事は見つかったものの、外国人であるノクメさんは、東京都の時給とかなり差があるので、最初は戸惑ったのだとか。

また、自分たちの食材を確保したくて始めた畑仕事でしたが、宇佐市やその周辺には就労のために日本に来ているミャンマー人が多く、お互いに情報交換ができる中で自分たちが作った食材を買ってくれる方々がいるのだとか。未経験で始めた畑だったものの、食べきれないほど豊作だったため、予想外でしたが助かったのだそうです。

正蔵さん:畑仕事は地域の方々が教えてくれました。資材の購入は近くにホームセンターがあるので、便利な立地です。

ノクメさん:ミャンマーにある食材が買えると喜んでもらえるので、畑仕事に精が出るようになりました。

申請関係も食材調達も苦労なく

ココナッツでできたミャンマーのお菓子オータニア

永住ビザを所有しているノクメさん。家族ビザが少しずつ伸びていってようやく今に至るのだとか。最初は福岡県にある入国管理局へ行っていましたが、永住ビザに切り替わってからは多くの申請は市役所で済むそうです。ノクメさんのご家族も近々日本へ移住予定とのこと。自身の経験を活かして、ビザ申請を手伝うそうです。

多くのミャンマー人が日本に来て最初に困るのは米の味が違うことなのだとか。タイ米のようなサラサラしたお米が好きなミャンマー人ですが、宇佐市のスーパーにはそのお米が売っているので、その点は問題ないそうです。

ノクメさん:この辺で暮らすミャンマー人のほとんどは日本人と結婚してはいないので、私は比較的珍しい方です。だからこそできる手助けができると良いなと思います。手に入らないものはミャンマー人の方が行き来する時に持ってきてもらうなどしてます。

ココナッツでできたミャンマーのお菓子オータニアの袋

ミャンマー語をどう学ばせるかが悩み

元気いっぱいのお子さん

未就学児と中学生の子どもがいる海老原家。家庭内では基本的には日本語で会話しています。中学生の娘へはミャンマー語を教えようとしましたが、興味が無いのかなかなか覚えてもらえず。そこで未就学児の息子には生まれた頃からミャンマー語を使っていたら、保育園から相談を受けたそうです。

ノクメさん:やはり小さな頃から話していないと覚えないだろうと思い、息子にはミャンマー語を教えていたのですが、ある日保育園の先生から、言語発達が少し遅れ気味の息子が友達との会話に困ってそうだと言われました。ミャンマー人である私の家族と会話するにはミャンマー語でないと話せないのですが、日本で生きていく上では日本語が大事なので、どうやって教えていけばいいかが今の悩みです。

日本は過ごしやすいけど、ちょっと寂しい

軍事政権時代のミャンマーを知っているノクメさん。日本を知ってから全く違う安全な環境を知れたのが良かったと言います。

一方で、日本の家はいつも窓やドアを閉じていて、町の中で人の声が聞こえないので少し寂しさを感じることも。

ノクメさん:ミャンマーはどの家も窓やドアが開いているから、当たり前のように挨拶を交わされるし、ちょっとお茶していこうというのが日常。夕方になれば安い食事ができる屋台が並ぶので賑やかだし、便利です。日本は家に人がいるかわからない家ばかりなので、慣れたら気になりませんが少し寂しいなあと思っています。

文化は少し違いますが、周辺にミャンマー人が多く住んでいるので、頻繁に連絡を取り合って交流が出来ているので、この寂しさは解消されているようです。

最後に

国際結婚と国内移住を経験した海老原一家。多くの困難を乗り越えながら、家族一丸となって自分たちらしい暮らし作りをしている様子に、取材をしている私は元気をもらえました。二人三脚改め、四人五脚で家や畑を整理しながら作っていく時間は、大変だけれど良い思い出になっていくのだろうなと感じました。日本の暮らしが別の国の方にとって過ごしやすいものになるのは、嬉しいことだなと感じました。

WRITER 記事を書いた人

Tomomi Imai

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25歳でフリーランスとして独立し、多様な分野にてプロデュースやディレクター業を経験。モノコトヒトをつなぐひと。多様な伴走を得意とする。絶賛子育て中。ヨガ・サーフィン・音楽・映画・コーヒー・日曜大工が趣味。

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